芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第56話 純粋美術と応用美術

 

 

 

「そろそろ期末試験だが、君は勉強しているかい?」

「全くしていない」

「そうか、僕もだ。安心したよ」

「貴方達、それで良いんですの……?」

 

 そんな会話をするのが何時も通りの食堂である。

 

 気が付けば八月は間近となっていて、喜ばしき夏期休暇も目前となっていたが、その前に学生達へと聳え立つのが期末試験だ。筆記と実技の両方を見るそれは、しかしその字面の仰々しさに比べて大した難易度ではない。入学試験に比べれば、多くの学生達にとっても同じ事だろう。

 

 何せここ帝国学院は、入るのは難しくても出るのは簡単だと専らの噂である。貴族からしてみれば、入ることが理由であって学ぶ理由はないと言った所か。極端な言い方だが、そういう価値観が試験の低難易度化を招いていることは事実だろう。

 

「良いんだよ。寧ろジョットが勉強なんてしていたら焦ったところだ。もしかしたら、僕が知らない高度な問題に取り組んでいるのかもってね」

 

 トレージが悠々と言う。

 

「取り組んではいるぞ。ただ、授業内でしか機材が使えないから勉強の仕方が分からないだけだ。買うにしても高いからな」

「へえ。それはなんだい?」

「茶道」

「また魔術とは縁遠いものを……」

 

 トレージはカレーライスを執拗に掻き混ぜながら言った。同じくカレーを食っている身からすれば、まさかそれも飲むわけじゃないよなと思いたくなる。しかしカレーと味噌汁という取り合わせは、常識になっているようでその実、相性最悪ではないだろうか。

 

「これに関してはメイヴン先輩も熱心に取り組んでいるんだぞ。日々、自分の芸術性を器に込めようと苦心しているところだ」

「あれ、茶道の授業は作法だけでなく陶芸もやるのかい? 随分実践的なんだねえ」

「いえ、これはメイヴン先輩が勝手にやっているだけでしてよ。この間も『金色の美しさというものを表現してみました』と言って、ムラタキ教授に金色の器を見せていましたわ」

「笑顔で叩き壊されたけどな」

「随分実践的なんだねえ……」

 

 まあ、あれはプロレスのようなものである。ムラタキ教授が金色を嫌っているから、わざと金色を出してみたのだ。というのも、授業がそういった話を取り扱ったためである。

 

 それはつまり、文化の話だった。

 

「大体、茶道というものは異世界から伝来して、東方で発展したものだ」と、授業内容を思い返しながら俺は言った。

 

「東方帝国で茶を飲む文化が盛んなのは、その茶を輸入してまで飲んでいる俺達からしてみれば常識だろう。が、これが作法となると輸入されなかった。どうしてだと思う?」

「教科書を読んだらスラスラと答えられるだろうね。だから聞く前に教科書を見せてくれ」

「負けず嫌いを発揮するなよ。単なる雑談だ」

 

 俺は呆れて言った。トレージの性根は依然として変わる気配がない。

 

「まあ、言ってしまえば、こちらにも既に作法があったからだよ。それも座り方さえ異なるのなら、安易に適用できないのは当たり前の話だ」

 

 しかし、茶道そのものは輸入された。作法ではなく、文化という形で。

 

 そしてもう一つ輸入されたのが、茶器を尊ぶ文化だった。

 

「祥瑞が皇帝に珍重されているのは有名な話だろう。白磁の器に、青色の模様を染め付けた器だ。そこに金縁を付ければ国旗の色そのものだし、事実そういう器が大量にあるらしい。特に紋章を付けたのが貴族に人気だとか」

「私の家にも幾らかはありますわね。良ければ見に来ます?」

「いや、いい。俺は祥瑞には興味がない」

「あ、そう……」

「珍しいな。君は高価なものには目がないと思っていたが」

 

 掻き混ぜたカレーを味噌汁で流し込むという荒技を見せながらトレージが言った。しかし、俺はノアのように高ければ何でも良い人間ではないのである。

 

 まあ、俺が祥瑞に興味がないのは、見飽きたという理由なのだが。今の世界の話ではない。元の世界での話である。いや、別に俺がとんでもない金持ちだったという訳ではない。もうよく覚えていないが多分そうである。

 

 というのも、見れば分かると思うが、祥瑞柄というのは広まりすぎてよく見かけたものだったのだ。

 

 何というか、『百円ショップで見かけたことあるな』という感じの柄である。『お婆ちゃんの家によくあったな』と思うような柄である。勿論、皇帝に献上されるような品は質が段違いだろうが、それでも見飽きた感は否めない。

 

「それではブレイク君が好きなのは、もしかして高麗茶碗や瀬戸物かしら」

「おいジョット、何を言っているのか分からないから教科書を見せてくれ」

「茶道には教科書がない。レジュメはあるが今は持っていない」

 

 実際に作法をこなしながら授業が行われるので、ノートを取ることもないのだ。そういう意味では楽な授業かも知れない。正座に慣れていない者には辛いだろうが。

 

 しかし説明をするのなら、高麗茶碗や瀬戸物という名称はあくまで便宜上のそれである。実際には東方帝国の北方地域で作られている茶碗なのだが、その目指すところが異世界の文献に見られるこれらなので、名前を借りているに過ぎない。実際に高麗や瀬戸があるわけではないのだ。あったらごめん。

 

 だが、その形は確かに似ていると思う。皇帝に献上されるような青磁白磁に比べ、日用品の如くとしか言いようのない雑器然とした形をしているが、それがわびさびを醸し出しているとも言えるだろう。

 

「茶道としては、そちらの方が意に即していると教授は言った。青磁は見る分には綺麗だが、茶を飲むとなると茶の色と競合するし、薄手だから熱に弱い。茶の湯のために作られた椀こそ相応しいとな」

「では、そちらが?」

「いや、個人的には青磁の方が好きだ。砧青磁だったか。ああいう雨過天青の心地を見せるものが好きだね」

 

 雨過天青。雨が過ぎ去った後の青空である。何の装飾もなく、釉薬が全面にかかった器の色彩は、淡い青色を見せながらも、殊更に見せびらかすという事はない。自然にただ在るといった感じで実に良かった。

 

「しかし一番印象に残ったのは、北方の器だったな。あれは驚いた。あれは全く前衛的というか、抽象だったな」

「えっ、あれが良いんですの……? 私にはよく分かりませんでしたわ……」

「なんだいそれ」

 

 トレージの素直な疑問に、俺は意気揚々として鞄をまさぐった。

 

「丁度スケッチがあるから見せてやろう。貴重だぞ」

「なんでレジュメはないのにそれはあるんだよ」

 

 言われながらも俺は鞄からスケッチを取りだした。渡す。トレージはそれをしげしげと見つめ「君って絵が下手なんだね」と大変失礼なことを言った。

 

「おい、怒るぞ。確かに大して上手くはないが、下手呼ばわりされるほどじゃないだろ」

「いやだって、滅茶苦茶じゃないかこれ。パースが狂ってるし、輪郭は歪みまくってるし、それになんだいこの色。きったない赤というか、銀? 赤銀ってなにこれ」

「……信じられない気持ちは分かりますが、事実、そういう形でしたわよ」

「……そうなのかい?」

 

 トレージは再びスケッチを見つめ「子供の絵にしか見えないな」と言った。

 

 まあそれには俺の画力が大いに関係しているとしか思えない。何せ、実際に目にしたものは、こんなスケッチからでは想像出来ない存在感を放っていたからだ。

 

 それは最早、器とは呼べない物だった。一応、飲み口は広く開いているのだが、とにかく歪み、湾曲している。かと思えば鋭角が飛び出しているなど、幾何学的な立体を押し込めたような違和感があった。

 

 そして、もう一つ特徴的なのが色彩である。釉薬として赤と銀を塗りつけているのだろうが、その塗り方も滅茶苦茶で、見ていて落ち着かない気分にさせる。それがここにあるという事に、どうしようもない違和感を抱かせる。そういう器だった。

 

「北方では、こういう器が多く作られているのだと教授は言った。魔族という、種族ごとに個性的な文化、社会がそうさせるのかは分からないが、原色を用いて、抽象をモチーフとしているものが多い。それが東方の文化に影響を与えて、その中間地帯、東北の地方ではわびさびが発展するようになったのだとか」

「ガラスを尊ぶ西方とは対照的ですわね。あちらでは王室の品としてゴールドサンドイッチガラスが尊ばれていますもの。まあ、二層のガラスの中に何かを挟み込むという手法は、古来からあるものですが」

「そう考えると帝国も文化の中間にあると言えるな。磁器にガラス製の持ち手を付けたりだとか、流行っているだろう」

 

 言って俺は手元の腕を見た。味噌汁が入っているのは木の椀である。同じくトレージはカレー皿を見た。飾り気のない木の皿である。

 

 素晴らしい器の話をしていたから、何だかその落差に溜息を吐いてしまった。

 

「しかし、こんな器ではなくて良かったとは思うね。この器は出来損ないだ。食べられないよ」

 

 トレージはそう言って俺にスケッチを返した。何か嫌な言い方をするなこいつ。

 

「そりゃあカレー皿には向かないだろうが、出来損ない呼ばわりはどうかと思うぞ。比べてカスと呼べるほど上等な皿でもあるまいし」

「別にカス呼ばわりはしていないだろう。ただ、これは器なのかというか……何だろうね」

「帝国が白とかの輝きある器を尊んでいるから違和感があるんだろう」

「いや、そうじゃなくてね、こう……」

 

 トレージは、自分の中に言葉を探すように、口をもごもごとさせながら言った。

 

「つまり……これが器である必要があるのかな?」

「あら、鋭い」

 

 と、そこでマルガレーテが言った。彼女が食しているのは海老のドリアであり、さっきからずっと冷めるのを待っているようである。

 

「うん? 鋭いって?」

「ワイエス君は、ムラタキ教授の授業と同じ事を言ったのよ。つまり、抽象的な器物は、器物である必要があるのか、ということですわ」

「はあ」

 

 よく分かってなさそうにトレージは言った。「つまり?」と素直に先を促す。

 

「抽象画はお前も聞いたことがあるだろう」

 

 と、俺は言った。

 

「例の如く、異世界のそれを参考にした奴だ。現実をそのまま描くのではなく、具体化を避けて抽象化を目指した絵画」

「ピカソ、モンドリアン、カンディスキー」

「そうそれ。それと同時に、立体物においても抽象彫刻があるな」

「新宿駅前、名古屋駅前、金沢駅前」

「何故、人名ではなく駅の名前を……?」

 

 というかそれ彫刻というかオブジェというか、モニュメントじゃないのか。いや詳しい違いは知らないのだが。「異世界産のガイドブックに載っていたのさ」とトレージは言うが、本当に色々な物が流れ着いているものである。

 

 しかし何故、元の世界では、駅前に奇怪なモニュメントが置かれていたのだろうか。あんなの置いたって邪魔でしかないんじゃないか。今更だが不思議に思えてきた。

 

「と、ともかく、絵画も彫刻も、その意味を成す範囲は広いだろう。懐が広いとも言って良いな。たとえ額縁の枠をはみ出そうが、抽象画は抽象画だ。同じく抽象彫刻にも際限はない。しかし、器物において抽象を成すには、まず器物という制限がある」

「ああ、分かった」

 

 トレージは得心したように言った。にやりと笑う。

 

「つまり、ファインアートとアプライドアートの違いだね」

 

 数段飛ばしで納得されると説明に困るのだが。

 

 ファインアートとアプライドアートとは、純粋美術と応用美術のことだ。つまりは文章や音楽に絵画や彫刻などの鑑賞されるために生まれた芸術と、器物や織物などの実用品を土台にした芸術の事である。

 

 勿論、実用品を土台にしているからといって、実際に実用に足るかどうかは疑問符が付くものも多いだろう。権威を象徴するような武具にはそれが顕著だ。宝石が散りばめられた鞘から、実際に刀を抜いて戦場に赴くことは殆どないだろう。それは武具としてよりも、権力者の装飾品として機能する。

 

 しかしながら、では装飾のみを追求すれば良いかと言えば違うだろう。たとえ実用には足らぬほど装飾が重ねられていようとも、刀は刀である。それがその形を取っていることに意味はあり、その形として芸術品は意識されるのだ。

 

 だが、北方において生み出された器物はどうか。抽象を追求し、最早、器としての機能すらなくなった器は、それはもう器ではなく単なるオブジェではないのか。

 

『素材の制限が意味を成す、という意見もあります』とムラタキ教授は言った。

 

『器物は土を素材にして生み出されます。また、土を捏ね焼成する、その一連の活動に器物を題材にする意味があるとも。それがオブジェという無制限な芸術と器物とを分けるものだと。しかし、器物を題材に芸術を志す以上、その制限は当然のことでしょう。また、活動に意味を見出すのならそれは器物ではなくとも何にだって言えます。一々窯の様子を見ずとも、自分を銃に撃たせればそれだって芸術です。即ち制限とは、この場合何ら意味を成さない当然の前提に過ぎないのです。その上で、器物を題材に芸術を志す意味とは何か?』

 

 ムラタキ教授は答えを言わなかった。茶道とはズレた内容だったし、実際、それに答えなどないのだろう。その追求と実践こそが芸術なのだから。

 

 しかしその次の授業においてメイヴン先輩が答えを出した。それが件の叩き壊された金の茶碗である。

 

『器物を題材に芸術を追究するのなら、あくまで器物でなければならないでしょう』と先輩は言った。

 

 先輩が差し出した茶碗は、形としては一般的なものだった。腕形としては口縁部が広く、平腕に近いものがあったが、それでも高台に至るまでの曲線はごく一般的な天目のそれである。天目とは違い、高台まで金色に覆われていたが。

 

 しかし、特筆すべきなのはその色彩にあった。

 

 釉薬をかけて焼成した訳ではないのだろう。その色合いはガラス質というよりも金属光沢を見せていた。先輩の得意分野が金属応用の土魔術である事を鑑みれば、素焼きの器に黄金を貼り付けたものだと分かる。

 

 その黄金が、何とも艶めかしく、薄暗い畳の上に輝いていた。

 

『しかし、器物を題材に純粋美術を追究するのなら、そこには応用美術を超越する何かが必要だとぼくは考えました。思うに、それは鬩ぎ合いでしょう。応用の範囲を出ては意味を成さず、応用の範囲に留まっても新しい価値は生まれない。だからぼくは、そこに色彩の妙を現わそうと思ったんです』

『抽象画を器物に書き付ける事は有り触れていますが……』

『それではつまらないでしょう。それは器物に抽象を装飾しただけで、器物そのものが何かを超越しているわけじゃない。だからぼくは、一色で仕立て上げてみました。それ自体が抽象を成すような金色を、砧青磁のように全面に貼り付けることで、旧来の器物を引き継ぎながら新規を見せる。それが狙いです』

 

 確かにメイヴン先輩の言うとおり、その黄金色は見たことのない色彩だった。金属そのままと言うのではない、しかし絵の具や折り紙の金色のように、単なる色彩に堕してもいない。

 

 そこに在るだけで意思を伝えてくるような、まさしく土と金属の魔術の妙技を、真理を目の前にしたような色彩だった。

 

 なるほど、確かにメイヴン先輩の作った椀は、形としては旧来のそれである。しかしその色彩は抽象だった。

 

 単色のみで抽象を表現するという境地は、まさしく妙技と言って良い。

 

『鬩ぎ合い』という言葉が、今更ながらに象徴的に思い起こされる。一方のみを志向するのではなく、双方を同時に含ませて、鬩ぎ合い──『分極性』の果てに『高進』を狙う。

 

 ファウストにおける救済。ゲーテの色彩論。光と闇を含んだ女神。純粋美術と応用美術。北と南の文化。

 

 そして、人間と吸血鬼。

 

「ユラウは……」

 

 そう呟いた時、マルガレーテが「エヘン」と咳をした。

 

「……ブレイク君。思考に没頭するのはよろしいですが、ワイエス君が待っていますわよ」

「そうだそうだ。それで? メイヴン先輩の狙いは分かったが、どうして叩き壊されたのさ」

「ああ」

 

 話の途中だった。しかし、メイヴン先輩も半ば壊されることを望んでいたように思う。

 

 というのも、説明を聞き終わったムラタキ教授が、笑顔を浮かべて手刀一発、黄金の椀を叩き壊した時、彼は確かに笑っていたからだ。

 

「『素晴らしいです』と教授は言った。その上で叩き壊したんだ。というのも教授曰く『これは既に完成してしまっています』からだという」

「完成しているのなら良いじゃないか。というか、その教授怖いね。急に壊すんだ」

「急に壊したんだ。怖かったぞ。しかし、完成に関しての教授なりの美意識には納得できた」

 

 いや本当に目の前でぶっ壊されて驚いたが、笑顔が怖すぎたので何も言えなかったのだ。マルガレーテもドン引きしていたわ。

 

 しかし、教授はそのまま朗々と述べ始めたのである。

 

『メイヴンさん、貴方の理念は非常に素晴らしいです。しかし、この授業、この茶室内においては、これはこうするしかなかったのです。申し訳ありませんね』

 

 全く申し訳なさそうにムラタキ教授は言った。しかし、壊された方のメイヴン先輩もまるで気にしていないようだった。

 

『というのも、これは茶道だからです。貴方の理念は純粋美術と応用美術を鬩ぎ合わせ、その果てに超越を現わすところにありますが、茶道における茶器とは、ただ鑑賞するためのものではありません。それは活動なんですよ。茶器を中心に鑑賞だけを求める純粋美術ではなく、茶室に風炉釜を焚き、掛軸を配置し、客人を迎え、茶を点てる、茶道という活動そのものが芸術なんです。その上で、この器を勘案すれば……』

『浮きますね。これは畳にも茶室にも似合いません。そういった意味では、これは純粋美術でしかない』

『その通り。大体にして茶道というものは用に美を見立てる所にあります。それは物だけではなく、物の配置や作法、そして何より精神にあるものです。おもてなしという、それ自体は礼節として当然の心地を芸術にまで高める。それが茶道が狙うところの美だと私は考えています』

 

『だから壊したんです』とムラタキ教授は言った。薄暗い畳の上に、砕け散った黄金が仄暗く輝いていた。

 

『全体を以て完成を志すところに、一個の完成があってはいけません。それに引っ張られ、調和を欠いてしまいます。だから私は、この授業、この茶室内において、これを壊す必要がありました。……しかし、どうでしょうか。完成が、見るも無惨に砕けたところ、この茶室において、一つの息吹が生まれたような気がします』

 

 ムラタキ教授は、飛び散った破片を手ずから集め、手元に黄金の残骸を築いた。それを見、笑って言った。

 

『それは、完成を志す息吹です。この破片は、まさしくメイヴンさんと私の、精神の鬩ぎ合いそのものです。作法をこなす事も良いですが、こういった破調は、常とは異なる景色を茶室に見せてくれることでしょう。……これは、そうですね。残骸のまま花入として置くのがよろしいでしょうか』

『それは、茶道として良いんですかね?』

『茶道というものを、あくまで器物と人間を相関させて活動させる場所だと考えるのならば、抽象的な器物に対する抽象的な茶道も必要になってくるのではないかと私は考えます。ここに器物である必要性も浮かび上がってくるのではないでしょうか。それはたとえば、触れること、飲むこと……』

『そして、破壊すること』

 

 ムラタキ教授は、その言葉ににこやかに笑った。

 

『これは、掛軸の左下に置けば映えるでしょう』

『ではそのように、よろしくお願いします』

 

 そう言って立ち上がったムラタキ教授は、しかし不意にさっと顔を青ざめさせた。

 

『どうしました?』と俺が言えば、彼女は慌てたように言った。

 

『あ、あの……本当に申し訳ありません。私ったら、ついメイヴンさんの器を壊してしまって……。あああ、興奮すると何時もこうで……申し訳ありません……』

『えっ、今更ですか』

『ぼくは気にしませんよ』

 

 ……というのが、前回の授業内容である。

 

 マルガレーテを含め、学生達は突如として行われた破壊にドン引きしていたが、俺としては中々に勉強になった一幕であった。

 

 そうして聞き終えて「いやあ」とトレージは言った。

 

「怖いね。その教授」

「怖いな。ワイエス爺とは一風異なる怖さだ。ホラーだよありゃ」

「言い過ぎではありませんこと……? ま、まあ、確かに怖かったですが……」

 

 ちょっと怖いだけでまともな側かと思っていたが、ムラタキ教授も大概まともではなかった。思えば、この学院にはまともじゃない教授が多すぎるような気がする。

 

「しかしジョット。君は何か女性関係で悩みでも?」

「えっ、何だ急に」

 

 カレーライスも食べ終えて、薄っすい茶を飲んでいた時である。急にそんなことを言い出すものだから驚いてしまった。マルガレーテがドリアを突く手を止めて視線で言ってくる。『また増えたのか』と全く心当たりがないことを。

 

「いや、何。先程女性名らしきものを呟いただろう。ユラウだとか何だとか。なんだい君、浮名を流すか」

「なんだ、ユラウか。悩んでいるっちゃあ悩んでいるが、そりゃあ女性関係じゃない」

「ふうん。それにしては」

 

 と、トレージはマルガレーテを見た。「なんですの?」と彼女は真っ直ぐに視線を見据えて言う。「なんだ」とトレージはつまらなさそうに言った。

 

「さっきは意味深な眼を投げ掛けていたが、了承済みかい。それは結構。犬も食わない物を見たくはないからね」

「何を勘違いしているのか知りませんが、私は何も了承していませんわよ」

「ああ、そう。男女交際にも教科書と公式があれば良いのにね」

「ですから……」

 

 マルガレーテは言いかけて俺を見た。視線で言ってくる。『私はまだ、信用したわけではない』と。

 

 あの時、ユラウが『女神像を見せて欲しい』と言った時、マルガレーテは目を見開き、暫くの後に『私の一存では』と言いかけた。

 

 しかし、その一存に何が懸かっているのかも理解したのだろう。ユラウの正体が魔族の一種である事は自明であった。それを公にするということは、その時去って行った軍人達に身柄を引き渡すということに他ならない。

 

 それでも立場とリスクがあるだろう。元よりグノウの女神像は公爵家の醜聞なれば、得体の知れない相手にどうして見せることが出来るだろうか。そうでなくても吸血鬼と分かって相手をすることなど難しい。

 

 それでもマルガレーテは頷いた。それは優しさだったろうか。『いいえ、違いますわ』と彼女は後にそう言った。

 

『観光という名分が気になりましたのよ。ユラウさんの容姿は、アウレオラに呼び止められる程度には怪しいものです。入国に際しても問い質しがあったことでしょう。しかし彼女は悠々と暮らしている。それは帝国内に、彼女が観光できるだけの地盤、政治的何かがあると思うのは杞憂かしら?』

『杞憂というか、最悪かも知れないな。単なる不法入国者の可能性だってある』

『それにしては態度が気になりますわ。不法入国ならば、目的達成のために活動する必要があるでしょう。しかし、ユラウさんには焦燥というものがありません。というよりも、どうでも良さそうですわね。あの、グノウの女神像を見せて欲しいというお願いだけが、感情を込めているように見えましたわ』

『そうか? 割と笑うよ、彼女。大抵はどうでも良さそうってのには同意するが』

『それは……まあ、良いです。しかし、ユラウさんは、私の一存では計り知れぬ背景を抱えているように思えてならないのです。故に私は、あくまで私の一存として、彼女に女神像を見せましょう。それがどのような事態を引き起こそうとも、私の責任の範疇で終わりますので』

『はあ』

 

 何ともまあ立派なことだが、マルガレーテは少し、自分の立場を分かりすぎているような気がする。その年で覚悟を決めなくても良いと思うのだが。

 

『別に、蜥蜴の尻尾は切られるためにある訳じゃないと思うがね。切る側だって本当は切りたくないだろう。痛いだろうし』

『しかし、切れるようにはなっていますのよ。たとえ痛みを引き起こそうとも、その痛みこそが私への愛情だと思えば、冥利には尽きましょう』

『菩薩も居ないのによく言うよ』

『慣用句ですわ。私は貴方やユラウさんのように、異世界に詳しいわけではありませんので』

 

 そう言ってマルガレーテは、ローベンにも言い漏らさぬよう命令した。彼は深く頷き『何も聞かなかったことにします』と言った。

 

『しかし、お嬢様。一つ申し上げたいことが』

『何かしら』

『お嬢様のそれは、ツンデレと呼ぶには、些か迂遠が強すぎますぞ』

『はあ!?』

 

『優しさを隠すのに政治的意図を絡ませては、一生理解されますまい』と呆れたように言ってローベンは消え失せた。後には愕然とした顔のマルガレーテが残された。

 

『い、いや、何を言っているのかしらね、あの筋骨隆々忍者は。ツンデレって何かしら? 私、異世界に詳しいわけではありませんので!』

『異世界語と知っている時点で自明だがな』

『もう……!』

 

 しかし、考えてみれば当然のことである。ユラウの願いは、マルガレーテには百害あって一利なし。ならばそれを聞き入れたのは、彼女自身の優しさが故に他ならないだろう。

 

 だから、今し方投げ掛けた視線だって可愛いものだ。そう思って「髪に海老ドリアが付いてるぜ」と言えば「何を言っているのかしら……」と胡乱なものを見る目を向けられた。

 

 

 

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