芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第58話 人間は人間を超越する事が出来るか

 

 

 

「人間は人間を超越する事が出来るか」

 

 問題となっているのは超越性である。ユラウは吸血鬼と人間の調和の先、光と闇による高進を望んでいる。それは肉体と精神の問題だ。どちらにも与し、どちらにもなれぬ中途半端を彼女は嫌悪している。

 

 しかしそもそもの話、そんな高進など起こり得るのか。人間が人間を超えることは可能なのか。

 

「俺は、出来ないと思っている。だからユラウ、君の望みは永遠に叶わない」

「……私は、出来ると思うわ。そうでなければ、私が生まれた意味がない」

「意味はある。超越を目指す活動そのものが芸術だろう。君は素晴らしい理念の下に産まれた」

「たとえそれが、不可能だったとしても?」

「不可能だったとしても」

 

 数秒の沈黙。

 

「いいわ、聞かせて」

 

 ユラウは俺を睨んで言った。

 

「存分に、好きなだけ語れば良い」

 

 ならばと俺は口を開いた。「じょ、ジョットさん……何を言ってるのか全然分かりませんよ……」と、ノアがさっきからドン引きした顔で見つめてくるが、今は無視しておく。

 

「俺が不可能だと思う理由。それは、人間には論理的思考の限界があるからだ」

 

 我ながらどうかと思うが、これしか思い付かないんだから仕方ないだろ。

 

「そもそも、人間が人間を超えるとはどういうことだろうか。ノア、人間の上にあるものは何だと思う?」

「えっ!? え、ええーと、か、神様とかでしょうか……?」

「その通りだ。ユラウ、俺は人間を超えるということを神になる事だと定義する。何故なら、人間以上の存在は神しか存在しないからだ。君が高進の先に望むものとはそれだろう。ただ一つで完成となるもの。完全性の権化。それは神しかあり得ない」

「……うん、そうね。些か大袈裟すぎる気もするけれど、それで構わない」

「いや、大袈裟すぎませんか……?」

 

 ノアはそう言うが、この場合、大袈裟も何もないのだ。たとえユラウが望むのが薄皮一枚の超越にせよ、超越そのものが神の御業である。超越そのものの大小は問題にならない。そもそも超越に大小などないだろう。

 

 何故なら、どう足掻いても人間は人間を超越できないのだから、超越した時点でそれは神だ。ここで定義したのはそういうことである。

 

「しかし、超越したその先にある完全性とは何だろうか。全知全能にして唯一なる女神とは、何を以て完全とされるか。そもそも全知全能とは何か。ノア、何だと思う?」

「えっ、また私ですか!? え、ええと、全部知っていて、全部出来る事、です、よね……?」

「その通り。しかし全部とは何だろうか。この地上にあるものか? では形而上的なものはどうなる。完全な三角形は地上に存在しないが、神はそれを描けるだろう。人間が思い付く程度のことは、当然にやってのけなければ神ではない」

「はあ……?」

「では、人間がその全部を完全に認識する事は出来るだろうか? いいや出来ない。何故なら、人間の認識能力と想像力の限界、つまり論理的思考の限界という問題が立ち上がってくるからだ」

 

「たとえば、ここに奇跡的偶然があったとしよう」と言って俺は掌を見せた。

 

 ノアがしげしげと覗き込んでくる。「何もないですよ……?」と、まあその通りなのだが、あったと仮定するのだ。

 

「この掌の上で奇跡が起こった。俺が掌を差し出したことにより、別次元が乱れてまた別の次元に繋がり、結果として一つの世界が滅んだ。そんな事を人間が認識することは出来ない」

「か、風が吹けば桶屋が儲かるって奴ですか?」

「違う。というかよく知ってるな」

「……人間が、その生態としては、人間の能力以上のものを認識する事は出来ないという話でしょう」

 

 ユラウが言った。「そうだ」と俺は掌を広げたまま続ける。

 

「言い方が不味かった……というよりは、これが人間の限界だ。俺が言いたかったのは、人間が認識も想像も出来ないことが、今この瞬間にも起こっているかもしれないということ。別次元というのは、単なるあり得なさそうなたとえでしかないが、そのあり得なさそうなたとえだって、人間の想像力が及ぶ範囲のものでしかない。人間は、人間に想像出来ることしか想像出来ないんだ」

 

「はあ」といまいちよく分かってなさそうにノアが首を傾げた。俺もいまいち確信が無い。及ばないことを話しているので当たり前の話だが。

 

「それにしたって、技術の発展というものがあるでしょう」

 

 ユラウが反駁する。

 

「人間は、人間以上の能力を、知識によって得ることが出来るわ。たとえば顕微鏡。ミクロの世界は、人間の瞳には捉えられないけれど、技術という外部拡張手段があれば認識する事が可能になる。それは人間の能力とは呼べない?」

「それは呼べる。呼べるがしかし、それもまた認識と想像力の延長線上にあるだろう。顕微鏡は人間の機能を拡張するものでしかなく、人間という存在を改変するには至らない」

「では、マクロの方は?」

 

 ユラウが言ってきた。ほんの僅かに笑みを宿している。

 

「貴方は、神は完全な三角形を描けると言ったわね。なら、人間が概念や形而上学的な存在を、その眼で実際に観測できるような機械を開発して、それを自在に操れるようになった時、つまりは完全な三角形を描けるようになった時、人は神と呼ばれるようになるのでは? その時こそ、人間が人間を超越するのではないかしら」

「いいや、神とは呼べないよ」

「あら、それはどうして?」

「それが論理的思考の域を出ていないからだ」

 

 俺は言った。

 

「異世界における科学も、この世界における魔術もそうだが、その発展の方法は論理的だ。観測し、実験し、そこから得たデータを用いて理論を組み上げ、実証する。この積み重ねが技術の発展になる。そして、その実証した理論により、更なる観測を行う事が出来るだろう。ミクロの世界が微生物から量子にまで行き着いたように、知識によって認識能力を拡張していけば、一見して行き着く果てはないように思える。マクロの世界も同じ事だ。問題の解決は、既に解決された問題を下敷きにして行われる。帰納と演繹は論理の名の下に行われ、真理への探究を止めることはない」

「その通りね。だけど貴方は、そこに限界があると?」

「そうだ。しかし、そもそも論理的思考は正しいのか? という疑問がある」

「疑問?」

「先程言ったたとえ話、異次元云々を徹底して考えてみれば、人間が認識できない以上、そこに論理の保証があるか分かったものではない。人間が想像する事も出来ない非論理的な法則が働いているかもしれないだろう」

「……非論理的な法則というのは、矛盾しているでしょう」

「その矛盾だって人間の論理的思考による認識だ。非論理的な理論というものは、論理的思考からすれば間違っているだろうが、その論理の保証が絶対であるとどうして言える? 論理的思考は、観測からの実証を肯定するが、その絶対性は人間の認識においてのみ保証される。この、論理的な思考そのものが、人間の能力の限界ということでもあるだろう」

 

 つまり、これは認識の外側、盲点の話だ。人間は観測と実証によって認識をミクロにマクロに広げていく事が出来るが、その認識は論理に依っている。

 

 ならば認識は、論理なき世界の法則を捉えることは出来ない。

 

「たとえば、全能のパラドックスという問題がある」

 

 俺は女神像を指して言った。

 

「全能の神は、神に持ち上げられない石を持ち上げることが出来るのか。全能ならば持ち上げることは可能だろう。全能であるが故に、矛盾を解消することが可能だとも言える。だが、それは論理的には正しくない。神の全能性が矛盾を内包するものだとしたら、即ち神というものが全く論理を超越した存在であるのならば、それは人間には認識できない存在ということになる。神の世界は、論理的思考では捉えることが出来ない。だからこそ、人間がいくら観測を重ねたとしても、真理を直接認識する事も、全知全能になる事も出来ない」

「……だから、人間が人間を超越することは出来ないと?」

「人間は論理的思考をする生き物だ。それは吸血鬼だろうが何だろうが変わらない。たかが二つの生き物を混ぜた程度で、それを超越できるわけがない」

 

 再びの沈黙。

 

 ややあって、ユラウは言った。

 

「反論があるわ」

「なんだい」

「それは、単なる生物としての限界でしょう。でも、人間には魔力がある。貴方は公爵領の村で、魔力は反法則的な働きを成すと言ったでしょう。物理学を否定するものだと。なら、魔力によって人間が人間を超越することもあるのではないかしら」

 

 なるほど、それは確かだ。今まで俺が言ったのは、ユラウの言った通り、人間が単なる生物でしかないと仮定した上での話だった。

 

 しかし人間は魔力を持っている。法則を無視するそれは、言ってしまえば人間の認識できない非論理的な論理に他ならない。それが人間の内部に生来の要素としてあるのなら、人間は本質的に人間を超越することが可能になってくる。

 

「確かに、ユラウ。それはお前の言う通りだ」

「あら」

 

 意外そうに、というよりは疑うようにユラウは首を傾げた。「認めちゃうの?」と些か拍子抜けしたようでもある。

 

 しかし、彼女の反論の根拠となるものを提供したのは、他ならぬ俺自身である。魔力は反法則的なものであり、人間を超越することも可能だろう。

 

「そもそも、魔力とは何か」

 

 未だ推論の段階に過ぎないが、そう前置きして俺は言った。

 

「魔術が反法則的働きを成すならば、その燃料足る魔力もまた反法則的だ。寧ろ、魔力こそが反法則的で、魔術とは、人間の認識が及ぶ範囲で理論立てたものでしかない。と俺は言ったと思う。つまり、俺は魔力が、論理学における全能の神のようなものではないかと考えるわけだ」

「持ち上げることの出来ない石を持ち上げられるような……人間が認識できない力が、人間の中にあるということね」

「その通り。それを利用すれば、人間は人間を超越することも出来るだろう。……しかしだな、ユラウ」

「ええ」

「問題は、どうやればそれが可能なのか、ということだろう」

 

 人間は魔力を、魔術という論理的方法でしか活用できていない。たとえ魔力そのものが論理を超越するとしても、人間の認識が論理を超越しない以上、それはただ可能性としてあるだけで、方法として使うことは出来ないのだ。

 

「論理という檻を壊してしまえば、魔力は真に全能の力になるだろう。しかし、全能の力を振るうには、人間に全知が備わってなければならない。ここで人間は躓くんだ。やはり論理的限界を超えなければ、人間は人間を超越しない。ならば、どうやって論理的限界を超えるのか?」

「ミクロとマクロの方法論はついさっき限界を見せたわね。技術の発展そのものに論理的限界があるのなら、人間は、階段を上るようには神になれない」

「だとすれば、やはり人間が人間を超越することは出来ない。無知全能の存在が人間だ」

 

 だからこそ、俺は『人間の認識において』という前提を置いて、魔力の限界を目指すのだ。

 

 そもそも、この世全ての魔力には余計なものが付きまとっている。あらゆる魔力には属性が付与され、操作する人間にも属性がある。

 

 人間にも生来の機能としての魔術は存在するという話は、かつて大尉に話したとおりである。魔物は生まれながらに習得できる魔術が決まっており、それは生態と生殖に深く関与している。人間には一見して何ら関わってないように見え、あらゆる魔術を学習によって習得できるように思われるが、実際には吸血鬼の不死性、人間の光への耐性のように、生まれながらの魔術というのは確かに存在するのだろう。

 

 そういった肉体の機能もまた、属性と呼べるのではないだろうか。

 

 吸血鬼の不死性という属性、人間の光への耐性という属性。スライムが肉体を変形させ、ドラゴンがブレスを吐くという属性。一つの生物がそう在るための属性である。

 

 肉体に機能として刻まれたそれが携わった時点で、全能な魔力は属性を付与され、論理ですらない生態の、肉体の枠に押し込められる。

 

 だから、俺は嫌々ながらも段々と、グノウに理解が出始めてきた。

 

 吸血鬼と人間を混ぜ合わせれば、そこに第三の視点が生まれるのではないか。両者の肉体的軛を取り除き、光ならぬ闇ならぬ、より魔力そのものに近いものを操作することが出来るのではないか。

 

 まあ、ユラウが問題にしている通り、その点に関しては失敗したようである。そもそもそんな事を狙って生み出したとは思えない。彼女は芸術的な理念に基づいて産まれたのだから。

 

 一方で、俺が取ろうとしている手法はマクロ的なものではなく、ミクロの限界を突き詰めるものである。何故なら、ユラウのような完全な生物を生み出し、その視点によって魔力とは何かを探ろうとすることは、それはそれで限界を突き詰めるものでしかないからだ。

 

 たとえば、科学によって出来る事を全て網羅していけば、その先に完全なる科学というのも見えてくるだろう。しかし、それはあまりに膨大な記述になる。莫大な年月と労力がかかり、殆ど人類の歴史そのものを記述することになってしまうだろう。これは、科学に根源というものが存在しないためである。

 

 一方で、魔術には魔力という根源がある。単に石油のようなエネルギー源としてではなく、それを単一の起源として、論理的に説明付けることで発展してきたのが魔術だ。ならば魔術の真理を求めるには、発展によって段階的に完全性を付与していくよりも、魔力そのものに回帰した方が適しているのではないか。

 

 ミクロの限界とはこの場合、属性が魔力の全能性を曇らせるのならば、それを徹底的に排除していけば良いという考えである。論理的限界は存在するだろうが、その一歩手前までは到達することが出来るだろう。何故なら問題は生物的なものでしかないからだ。

 

 サイクロトロン建設の意図はここにある。

 

 何よりも重要なのは回転の速度だ。魔力は容易く属性と結びつき、流転する。或いは霧散し、魔力そのものの形を留めない。ならば流転を抑制し、結びつく間もなくあらゆる属性を消滅させていけばどうなるか。

 

 流転の抑制……加速という属性を付与された魔術に、段階的に属性を消滅させる魔術式を放っていけば、余計なものがない分、速度はどんどん増していく。それこそ、魔力の全能性を加速という一点に発露させるように。

 

 その回転においては今話したとおり、基本六属性だけではなく、射出者である人間に本来在るであろう属性もまた対象になってくる。魔石を使うにしても魔力を込めるのが人間なら同じ事だ。

 

 そうしてあらゆるものを無くしていった先、残るのは純粋な加速という属性だけになる。それもまた消滅させてしまえば、純粋なる無属性、魔力そのものが取り出せるだろう。

 

 ……だからこそ『無属性魔術』という言葉が、俺には意味深なものに思えてくるのだ。

 

 その言葉は古くからあったものである。今では『よく分からないもの』を総称して投げ捨てるだけのゴミ箱に過ぎないが、古代、女神が現れた時代には既にその様な記述があったとされている。空間転移や時間操作などは夢物語でしかないが、それが無属性魔術と呼ばれているのなら、どうにも古代における魔術の存在を思わざるを得ない。

 

 何せ、俺が取り出そうとしている全能の魔力とは、まさしく無属性なのだ。あらゆる属性が存在しないからこそ、あらゆる事象が可能になってくる。それこそ、空間転移も時間操作も、論理的思考が及ぶ範囲で可能になってくる。もしかしたら、古代では本当に可能だったのかもしれない、とも思えてくる。

 

 女神は人間を生み出さなかった。ならば人間はどこから生まれたのか。いいや、どのような()()を生み出していたのか──。

 

 こんな事は考えても詮無い話だ。しかし、研究は慎重に行わなければならないだろう。今はまだ、建設どころか消滅させる属性の厳密化さえ済んでいないが、全能の力で文明が滅んだら目も当てられん。

 

「人間が人間を超越しないからこそ、人間の認識に収まる程度の全能は、却って危険なものになる。それが、人間が神を目指すということ……」

 

 ユラウが俺の話を聞き終えて言った。今更ながらにこれ話して良い奴だったのかとか思えてくるが、それこそ今更だった。

 

「まあ、技術の発展を言うのなら、人間の認識が及ぶ範囲で善良になる事も出来るだろう。いや、この場合、人間の認識ではなく社会の都合かな。だからこそ不和も生まれるんだが」

「一人一人が悟ったとしても、悟りなんて個人のものよね。善良であるからこそ相容れないこともある」

「所詮は人間の範疇での善良さだ。文明が滅んだという話も与太話ではないかもしれないな。何せそれらしき遺物は数多ある。ダンジョンとかな」

「全能を手にしても滅んだなら、結局、どう足掻いても人間は人間を超越できない、か。いいえ、仮初の全能だったのね、それは。人間の論理的限界を超えない程度の全能」

 

 その通り。属性を取り除いて生まれた魔力は、全能とは言っても、所詮は論理的限界を伴った全能でしかない。人間を神と錯覚させるだけで、決して神にはならない。随分と質の悪い力だろう。

 

「でも、まだ問題があるわ」

 

 ユラウは微笑んで言った。先程までとは違い、妙に楽しそうである。

 

「天啓はどうなるのかしら。貴方はさっき、観測によって人間が真理を認識する事は出来ないと言ったけど、真理から人間に降ってくることはあるでしょう。神が実在するという証明が。それは教会のお偉い人でも、教会とは何にも関係ない人にも降ってくる。それに関しては?」

 

 そうだ。魔力と共に、もう一つ。この世界が元の世界と決定的に異なる点は、神が実在するということだ。

 

 その証拠の一つこそ、ユラウが今言った『天啓』である。

 

 全知全能の神は時折、人間に対し、天啓として知的直観──観測や論理的な思考、論証によらず真理を得ること──を授ける事がある。それは人間が認識できるレベルのものもあれば、言葉にすることさえ出来ないようなものもあり、確実に人間を超越していると言えるだろう。

 

「だから人間が、論理的にというよりは、階段を上るように──論理と非論理を内包した超越性という意味で──神になる事も出来るのではないかしら。何せ、他ならぬ神がその階段を示しているのだから」

「そうかもしれないな。だが、そうはならないし、なっていない。寧ろ、それこそが人間の限界を示しているだろう」

「それはどうして?」

「その授けられた真理が、特別啓示の域を出ていないからだ」

 

 特別啓示とは、自然界に示された自然法則としての一般啓示と対比される、絶対的に個人的な啓示のことだ。自然法則が神の御業によるものならば、そこから神の意志を図ることも出来るだろうが、信仰の道を明らかにするのは特別啓示の方である。

 

 そもそも、天啓とは何だろうか。それは神が授けた言葉である。その内容は多岐に渡り、預言や科学的知識、罪を罰するものや悔改を促すものなどがある。

 

 未来を伝え、超常の知識を寄越すというのは、確かに神の御業に他ならないだろう。しかし、天啓を受けた人間の認識を通す事で、他の人間にとってそれは単なる情報でしかなくなる。信仰を決定付けるような、言葉に出来ない神の恩寵というものは、人間の認識には捉えられない。

 

 これは先程の話、神の世界は論理的思考によっては認識できないという仮定を思えば、当たり前の事である。真理を完全に認識できた時点で、それは人間以上の存在、神になると言って良いだろう。

 

 しかし、人間は神の世界を認識する事が出来ないので、それは真理ではなく、個人的な体験──特別啓示のみに留まってしまう。

 

 ここに天啓の不完全性がある。

 

 天啓によって示される真理は完全だが、それを受け取る人間の方が不完全であるが故に、真理は不完全な形でしか認識されない。ましてや言葉という不完全なもので伝えることなど出来やしないだろう。

 

「故に、人間にとって天啓とは、特別啓示の域を出ず、真理にはならない。それを完全には認識できない以上、神に至る階段になる事はない」

 

 そう、俺は結んだ。

 

 これで、ユラウの反駁は封じられただろうか。彼女の悩みそのものを殺す事は出来ただろうか。

 

 しかしそれは、彼女の人生に無意味を突き付けることに他ならない。お前の母親と父親の夢も、全ては無意味だったと言い放つ事に他ならない。

 

 だから俺は、その後に生まれてきて欲しいと言ったのだ。新しい何かを見つけることが出来たのならば、俺が嫌われようとも、それは幸いである。

 

 だが。

 

 ユラウは、にやりと笑っていた。

 

「決定的な誤謬を見せたわね、ジョット君。私の勝ちよ」

 

 何を楽しそうにしているんだこいつ。

 

 

 

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