「あら、早かったですわね」というのが、部屋から出た俺達に向けられた言葉だった。
マルガレーテは壁を背にして懐中時計を見つめていた。「もっと待っても良かったのに」とユラウに眼を向けて言う。
「お母様は、どうでした? 満足がいきましたかしら」
「ええ、満足したわ。存分にね。ええ!」
「ど、どうしましたの? 何というか、悩んでいるようではないようですけれど……」
マルガレーテは困惑したように言った。俺だって困惑している。ユラウは謎に不機嫌そうで、一方で妙に吹っ切れたような顔を浮かべているのだ。どういう心境だよ。
「い、いやぁー……何と言いますかぁー……うええーと言いますかぁー……いぎぎぃーと言いますかぁー……」
「ノアさんまで……? 一体、中で何がありましたの? 一人だけ何時も通りのブレイク君」
「何時も通りじゃないぞ。脛が痛いからな」
「なるほど、ブレイク君が余計なことをしでかしましたのね。ならば納得ですわ」
何が納得なんだ。ユラウも「そうね」とか言うな。そしてちょっと楽しそうに言うのも謎である。
そういう風に、ユラウの横顔に入室以前の緊張はなかった。それを良しと見て取ったのか、マルガレーテもまた微笑んだ。
「では、公爵家にご案内致しますわね」
「げっ」
「げっ、とはなによ。ブレイク君だって頷いたではありませんの」
そりゃあそうなのだが、いざ対面するとなると気後れがあるのだ。別にちょっと会話して終わりだとは思うが、そのちょっとを延々と引き延ばしてきたから余計悪くなっている。
しかしまあ、「お母様の話、か」とユラウが前向きな顔を浮かべているので、仕方がない。腹決めようか。
という訳で馬車に乗り、見送りを受けて道中を行くこと十数分。目的地に着く前に急に馬車が止まった。
大通りとは言っても、それほど渋滞してもない道である。どうしたのかと思えば、外から非常に聞き覚えのある声が聞こえた。
「あーもうしつっこいわね! どうしてそんなに必死になって追ってくるのよ! 私達何かした!?」
「また脱獄したからじゃないですかね。自分死体なんで分からないですけど」
「……それはそうね!」
「うわでた」
路上を賑わせ、交通を止めているのは、死霊術士と死体の二人組、ミルラルタとウォルツであった。軍の奴等は何をしやがっているんだ。これで二度目だぞ。税金泥棒が。
しかし、様子を見るために馬車から乗り出したのは悪かった。ミルラルタは「ああっ!?」と俺の顔を指差して「ここで会ったが百年目よ!」と向かって来る。本当に止めて欲しい。
「壁……を張ろうにも、公共物に魔術を使うことは違法だし、こんな所で攻撃魔術を使うわけにもいかんし、何よりこっちに来るし……どうしよ」
「ローベン」
「かしこまりました。お嬢様方は避難を」
言ってローベンは馬車から飛び出した。一人で良いのかと思ったが、見ればミルラルタ達を追いかける軍服姿の集団がある。十字架の奴等だった。あんだけ言って逃げられてんじゃねーよ。
「良いんですかね……私達も加勢に……」
「三回も戦う義理はねえだろう。あと、こんな往来で切った張ったやったらうるさそうだしな。軍人さん達に任せた方が無難だろ」
「では、急ぎましょうか」
マルガレーテの先導によって俺達は馬車から抜け出し、乱痴気を遠巻きに見つめる群衆の一員に加わった。御者さん二人は馬車を避難させるため、戻れる内に道を戻っている。そしてローベンもまた、俺達が抜け出したのを見計らい、軍人達に相手を預けて戻ってきた。
「お怪我はありませんか、お嬢様方」
「貴方の方こそどうかしら」
「問題ありません。彼らに助けられました」
「ローベンさんが助けたの間違いじゃねえですか。税金泥棒の有言不実行共め。何が十字架だよ」
「言うわねえ、ジョット君」
ユラウが囃し立てるように言ってきた。偉そうなのにだらしない奴が嫌いなんだ俺は。その偉さの理由が政治にあるなら尚のことで、その力の理由が税金にあるなら怒りさえ覚える。つまりは嫌い。
「それにしても……」と、ユラウは周囲を気にするように辺りを見回した。
「帝都市民って、呑気なのね。目の前で殺し合いをしているのに、見物の数がこんなに多いなんて」
「そもそもの人が多いですからねっ。私も上京したときは眼を回したほどです!」
「まあ、確かに人は多いが……っと」
と、不意にぐっと背中が押された。群衆が膨れ上がったのだ。軍人の包囲に対し、ウォルツが溜息を吐きながら剣を抜いたからか、歓声を上げるように人々は前へと進み出る。
「……品のないこと。行きますわよ、皆様」
「かしこまりまし……っと」
また、膨れ上がる。剣戟の金属音を掻き消すほどに、群衆のざわめきが膨れ上がる。「なんか……多くないですか」ノアの声が、いつの間にか離れていた。
軍人達は二刀のウォルツにも攻めあぐね、中には血も流している者もいる。だというのに群衆の熱は収まらない。押し合い圧し合い、怒号まで飛び交って、より良く見ようと前へ進む。
なんだか、おかしい。
「ノア、手」
「ええっ!? こ、子供じゃないんですから、手を繋がなくてもはぐれませんよ! ……ま、まあ、ジョットさんがどうしてもというならやぶさかでも……」
「良いから。ユラウ、マルガレーテも」
俺は遠くなりかけていたノアの手を取った。引き寄せる。ユラウはマルガレーテの手を取って、俺の手を繋いだ。
「ジョット君。何か、ある?」
「漠然と。何というか、流れがおかしい」
「……流れ?」
「人の流れ、視線の流れ。精神の向かう先だ」
俺の知る限りでは、帝都市民はここまで血の気が多くはない。路上に喧嘩があれば通報するだけの正義感はあるだろう。それは清潔感と呼び変えても良いものだ。都市には都市を維持しようとする働きが、無意識の内にある。
しかし、この群衆は、まるで観客のようだ。座席で劇を見るかのように、近く路上の出来事を娯楽のように眺めている。
誰か精神魔術でも使っているのか。ならば下手人はミルラルタだ。村を丸ごと操るような腕前ならば、この程度、造作もないだろう。
不可解なのは……今、人波に流されつつあるように、俺達だけがかかっていない事だが。
まあ、良い。見れば良いだけのことだ。見れば対策が出来る。
俺は"眼"を開いた。
「……はあ?」
「ど、どうしましたか、ジョットさん」
「いや。どうしたのかっていうか……何の目的で、というか、何をしてやがんだ、というか」
「ええー、もうちょっと分かりやすく言って下さいよー」
「分かりやすく、分かりやすく……」
そう呟いて、確かに分かりやすいとは思った。精神操作だというのなら、確かにそうだろう。人々の関心は操られ、恐怖心は麻痺し、群衆を生み出すようにされてある。
問題は、そこに流れを生み出そうとしていること。その流れの向かう先は俺達だった。誰かが俺達を、人波で何処かに向かわせたがっている。
精神操作そのものはついででしかなく、人の流れを生み出し、一方向に押し流すことがこの術の目的。関心を一方向に向けるだけではなく、流動的に動かす術。水を操るように、水を流転させるように。
この術式の特徴には、非常に見覚えがあった。
俺の先生、ジーニス・フルンゼが得意とする、流転の魔術だ。
「先生、何を……とおっ!?」
「きゃっ!?」
「あっ、ちょっ、ジョットさん!?」
「ローベンっ」
「腕を放さぬように!」
一気に波が膨れ上がった。流される。術者の意図の通りに流される。手が塞がっていては杖を抜くことも出来ん。
そうして俺達は、表通りに面した路地裏に流された。群衆は路地を壁のように塞ぎ、出ることは適わない。
そして、その反対側に見えるのは。
「……先生、と言ったわね。ジョット君」
「言った。確かにあれは先生の術式だった」
「……なら、貴方の先生って、軍人だったのかしら」
「まさか」
しかし、だとすれば目の前に居るものは何だ。
光輪と十字架をひっさげた軍人達が数名、剣を提げて立っている。剣呑な雰囲気。騒音が近くにあるというのに静まって聞こえる。
「これでは光輪ではありませんね。背後ではなく前に立ち塞がるなど」
と、その内、柔和な笑みを湛えた女が進み出て言った。
「しかし、ご容赦を。我々は聖者に聖性を与えようなどというおこがましい理念を掲げているのではありません。光輪とは、聖者の背より自ずから現れるもの。即ち我らが帝国を変えるのではなく、帝国が発揮せしめる所の聖性を、代替して具現しているに過ぎません。でなければどうして貴族様の前を塞げましょうか。なあ大尉?」
「……先の命令に関しては、本当に、申し訳ありませんでした」
「寧ろ申し訳を聞きたいくらいだよ。それが無いというのは逃げではないか? いやいや、何時の時代も如何なる場所でも、上司とは部下に悩まされるもの。いやいや、部下も上司に悩むのが常かもしれませんがね。そういった古今の命題に現在進行形で悩まされているのが私でございます。どうでしょう、ここは宮廷に出仕する哲学者達の税金泥棒ぶりに文句を付けるとしませんか? なに、一筆をいただこうというのではありません。ただあいつらを馬鹿にしてやりましょう。異世界の哲学書を翻訳するだけなら、翻訳家と名乗れば良いとね」
とんでもなく面倒臭い奴が現れた。
素直にそう思った。見ればマルガレーテさえ呆れたように女を見つめている。立て板に水とはこの事で、礼節を保っているというのに弁舌が澱む気配はない。
年若と言うにはくすんだ、しかし眼に力のある女だった。金髪に碧眼。年齢は二十代後半だろうか。女性ということもあるが、先生のように毛髪の心配をすることはなさそうである。
しかし、大尉。あの大尉である。俺と言葉を交わした時の勢いはまるでなく、恐れるように女に頭を下げている。その大尉よりもずっと豪華な階級章を胸に戴いて、女は「いやお嬢様、先日は部下が失礼を」と恭しく礼をした。
「……軍人というものは腰が重いと聞きましたが、貴方はそうではないようですね、大佐様?」
「大佐? ……それは、偉いのでは?」
「偉いですわよブレイク君。こんな路地裏を歩いていることが不思議なくらいには」
大佐と呼ばれた女は「不思議ではありません」と顔を上げてにこやかに言った。
「事態が事態なのですよ。我々としても手荒な真似は本意ではなかったのですが、しかし事は一刻を争います。どうかご同行を。ユラウ・ユラクロン様」
「……あら、私?」
「ええ、吸血鬼の象徴足るユラクロンのお嬢様。貴方にはどうしても我々の手の下に降っていただきたい」
なるほど、逃げるか。
そう考えた。そこまで露見しているのなら先など見えている。マルガレーテには迷惑を掛けるが、流石にユラウを売ってまで安寧を手にしたくはない。というか後味が悪すぎて安寧どころではない。
しかし、問題は「ジョット・ブレイク君!」と、杖を抜こうとした俺を掣肘するように大佐は言った。
「貴方の先生、ジーニス・フルンゼの居場所を知りたいですか」
「は?」
「でも、私も知らないんです。ごめんなさいね」
「はあっ?」
こいつ。お前。先生を。「ジョットさん」だから先生の魔術を「ジョットさんっ」なんだノア!
「……冷静に。落ち着いて。人質があるとすれば、尚更です」
「分かった。落ち着いた。よしぶっ殺す。それで良いか?」
「馬鹿。鑑賞者の態度はどこに行ったのよ。……ああ、そもそも、その人はそう見ていないのね。でも、私は別に任意同行なら良いわよ」
「何を言うかユラウっ。お前、気取っている場合じゃないんだぞ。なに、先生は殺しても殺しきれないような人だ。今すぐにでも──!」
「ジョット・ブレイク君っ!」
「はいっ!?」
不思議とマルガレーテの声が全身に響いた。驚いた、と言うよりは直立不動の姿勢を取らなければならない気がした。なんだこれ。魔術ではない。
「冷静に、沈着に。ノアさんの言う通りですわよ。貴方らしくもない。冷静に!」
「はい! ……え、いや、なにこれ。どういう手品?」
「手品ではありませんわよ。礼節ですわ。声とは非常に貴族的なものですので、場を従える声の使い方の一つも知っておかなければ」
そ、そういうもんなのか? 確かに貴族が英雄的なものであれば、戦場の作法としてはそうだろうが。
「大体にして、被支配階級とは声を発さないものですわ。支配者だけが声の出し方を知っているのです」とマルガレーテは酷いことを言う。そりゃそうだけどお前……。
「それは貴方も同じでしょう、大佐様。私はアルケシア公爵家は三女マルガレーテ・アルケシアですわ。そして貴方のお顔、見覚えがあります。クシャトレア家の御方ですわね? お名前は確か、ヒルダ・クシャトレア様。かの家は迷宮踏破によって貴族位を得たと聞きますが、貴方は軍で出世されていると耳にしましたわ」
「……ええ! 私の実家など成り上がりものでしかありませんし、私などは末席を汚している程度でしかありませんが、まさか公爵家のお嬢様に覚えていただいているとは恐悦至極でございます」
聞き覚えのある家名だった。それは確か、学院の合格発表でマルガレーテが口にした言葉。英雄になる手段の一つ、ダンジョンを踏破して貴族となった家ではなかったか。
「……上手いわね、彼女」とユラウが小声で囁く。「軍人という総体から、あの大佐という個人を切り離してみせたわよ。貴族という背景を利用してね」
確かに、マルガレーテの表情は、先のそれより柔らかくなっている。正体不明に喋り散らかす相手が、家を通じて良く見知った顔になったという所か。
しかし面倒臭い事この上ない会話である。マルガレーテの意図もよく分からん。こんな状況で貴族なんぞを持ち出してどうするんだ。
そう思っていると大佐が「しかし、今の私は貴族ではなく軍人です。これは社交界ではなく軍事作戦です」と言った。同じ事を考えていたようで嫌な感じである。
「いいえ、貴族的な問題ですわ。何せどう思おうとも私と貴方は貴族ですもの。クシャトレア家の人間が、アルケシア家の人間に魔術を使った。それも民衆を巻き込んで。そういう問題になりますわよ」
「いいえ、なりません。まどろっこしい貴族的な会話は止めましょう。事は国家に波及するのですよ、お嬢様」
「その国家に参与するのがアルケシア家なれば、どうして事情を説明しないのです? ブレイク君の先生の名を出したのも問題ですわよ。脅迫に当たる可能性がありますわ。たとえ言葉の通りに居場所など知らなくとも」
「あああー……、もう、もう良いです」
苛立たしげに靴先を地面に叩き付けながら大佐は言った。
「だーから貴族というのは面倒なのです。ぶちぶちとつまらぬことばかりを。良いからさっさとそれを渡しなさい」
「聞きましたわね、皆様。この軍人は貴族を侮辱しましたわ。ならば命令など聞く必要ありません。ローベン、私は大人しく向かいますので、貴方は直ちにお父様へ報告を」
「本当に十三歳ですかお嬢様。手慣れすぎていますよ。ずっと年上の私よりも」
「しかし」と大佐は再び柔和な笑みを見せた。
「貴族的正しさが何時だって正しいとは限りませんよ。それこそ」
言って、大佐は頭上を見上げた。その顔に影が差した。
頭上、何か。
「既に、敵が帝都に入り込んでいる時とか」
何か、誰かが頭上から落ちてきた。
「お嬢様ッ!」
鉄音。頭上からの剣は大佐の抜刀とかち合い、冷たい音を響かせる。しかし見えたのは季節に似合わぬ重い外套。銀の髪。赤色の眼。
彼女は俺と眼が合ったが、嫌そうに逸らした。
「あら、フィネカさん? 急に軍人さんに喧嘩売っちゃってどうしたのよ」
「軽口はやめろ半端者! 協定を無視してこいつらが襲ってきたのです! 今すぐ逃げますよ!」
「……いや、協定って何っていうか、逃げるようなことでもしていたの? 私、割と本気で観光のつもりで来たんだけど」
「先に破ったのはお前達の方だろうと言いたいが、それよりも、どうりで呑気にぶらついていると。父親から知らされてなかったんですか?」
大佐がフィネカと切り結びながら言った。「しかし、半端者ねえ」と空を見上げて嘲笑を浮かべる。
「デイウォーカーの時点でお前もそうだろう。混じりもの。何かコンプレックスでも? だから無垢なお姫様を助けに鉄砲玉を?」
「人間風情に何を言われようとも聞くに値しない。この場の人間は全て殺す」
「吠える吠える。蚊ではなく犬の混じりものか」
「おいッ」と大佐が鋭く言い、大尉が剣を抜いた。何か普通に殺す感じである。表通りでは未だに騒ぎが続いているのでギャップが凄まじいな。
うん。何というか、事態が急変しすぎて段々冷静になってきた。
何が起こってるんだよ。こっちは何も知らないんだぞ。あとせめて逮捕の理由くらいは言えよ。
「殺される前に教えて欲しいんだけどさ、ユラウというか俺達って何に巻き込まれてるわけ? なあマルガレーテ、貴族的に知らない?」
「知りませんわ。なるほどこれは貴族の問題ではなさそうです。であればごめん遊ばしましょう」
「だな。行くぞノア!」
「さっきと違って判断早過ぎませんか……?」
「興味と関心、そして立ち位置の違いね、これは」
言ってユラウは流し目を寄越した。「お前もだよ」と言われる前に言ってやる。「まあ、何も分からないしね」と彼女は微笑んだ。
そうとも、何だか非常に厄介な事に巻き込まれている気がする。それも俺が嫌な政治とか奸計とかだ。切った張ったは事情通のお二人に任せて、俺達は退散するとしよう。
と思っていたらドカンと横の壁が割れてバキッバキッと「自分死体なんで分かんないんですけど何が起こっているんですかね?」とウォルツが顔を出してきた。これ以上話をややこしくするな!