芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第62話 死の舞踏

 

 

 

 クラウンは冷たい。ぞっとするほどに魔力が冷たい。

 

 それが人間と吸血鬼の違いだというのなら、確かに別の生物だと信じてしまいそうになる。

 

「ユラウ、どうする。あっちに行くか、逃げるか。それとも一緒に戦うか。俺達は殺す気のようだが、君は」

「……違うのよ」

「どうした。何が」

「お父様は、違う。あんな風じゃない。私の知っているお父様は、もっと優しくて、人間を見下しもせず、吸血鬼なんかにこだわらない……」

 

 ああ、これはだめだ。俺は杖を握る。彼女はだめだ。これからはともかく、今は。

 

 だから、どうする。逃げるか。逃げられるか。

 

 軍人達は果敢にクラウンを囲んでいる。先程飛び出したのは伝令だろうか。なら、彼らはこの場で死ぬつもりか。

 

 しかし、とてもではないが敵いそうにない。

 

 あの魔術。人体を容易くねじ曲げた術式は、殆ど反射的に行われた。杖も呪文も使っていない。生物としての機能が如き振る舞いだ。歩いて進むように力を振るいやがる。

 

 だから、ノア。「じょ、ジョットさん。私が……!」やめろ。不用意に動くな。

 

「冷静になれ。君がそう言ってくれたように」

 

 彼女の顔は青ざめて、震える手で剣を構えている。

 

 それで敵うものか。クラウンは俺が今まで見た誰よりも傑出している。それはノアすらも例外ではない。ノアは可能性として宇宙を見せるが、クラウンは現実として完成したものを見せている。

 

 雲を裂き、山を断つ存在。絶対的な力という権威。

 

 英雄が目の前に居る。

 

「ローベン、私達を逃走させる手筈を……」

「いけません」

 

 マルガレーテの言葉を、ローベンはそう冷たく返した。「何が」との声に彼は言った。

 

「あれは、いけません。他の方々を構ってなどいられません。お嬢様を守護するのが私の役目なれば、他の何を置いてもこの場を脱します」

「それは、でも……」

「何と言われようとも、私は優先順位を変えません。お嬢様こそ間違えなさるな。友情は命に比肩しますが、それで命を投げ捨てて良いわけではありません。命令する側ならば、特に」

「……厳しいわね、ローベン。……確かに、貴方に死ねと言うのは間違っているでしょうけれど」

 

「でも」とマルガレーテはユラウを見、次いでクラウンを見た。「これは、私がまだ子供だからなのかしら。割り切れないわね」

 

 ローベンは言った。

 

「だから私が居るのです。お嬢様、私を言い訳にして下さい。私が貴方を連れ去ります。お嬢様が何を思おうとも、私が」

「厳しくて、何よりも優しいな。その通りだマルガレーテ。言う通りにしておけ。仕事に徹してくれる立派な人だぞ」

「……分かったけど、貴方達はそれで良いの?」

 

 マルガレーテは、俺の顔を覗くように言う。

 

「……顔色、悪いですわよ」

 

 俺は口に手を当てて言う。

 

「良いよ。仕方ない。そして俺達も逃げる。そうだなノア」

「……どうやって、ですか」

 

 張り詰めた顔でノアは言った。

 

「どうやってもだ。俺と君でも敵わん」

 

 その言葉に、「なら、尚更、ですよ!」と震えた声で彼女は言った。

 

「た、戦わなければ、殺されますよ。逃げたらユラウちゃんが殺されそうですよ。それでどうやって逃げるんですか。……何もないなら、戦うしかないでしょう」

「それはそうだが、まあ、軍人さん達を囮にするとか。本来の仕事なんだから当然のことだろう」

「狙われているのはユラウちゃんですよ。それに、盾を務められるとも思いません。ああ、ほら……」

 

 ぐしゃりと、また人体がひしゃげた。

 

 一人二人と数は減るのに傷の一つさえ付けられない。得意の十字架と光を使っても、クラウンは慣れたようにそれを避け、遠距離から血飛沫を硬化させ飛ばし、掲げた腕ごと切り飛ばす。

 

 ねじ曲げた人体から、血を爆発させるように噴き出させ、軍人達の喉を肩を貫かせる。

 

 血液が武器になるとすれば、時間を掛けるほどに相手の有利になる。

 

 だが、それを見たくなくて俺は眼を逸らした。

 

 吐きそうになる。自分の中身を全部投げ捨ててしまいたくなる。血の臭いというものはこんなに強烈なのか。

 

 幼少期に、小さな切り傷を舐めた記憶が不意に浮かぶ。そんなものではない。これは鉄の臭いではない。人体が全て押し潰されて吹き出た血液からは、生々しい肉の臭いと、排泄物の臭い。酷く新鮮でありながら、鼻に入るだけで穢れるような。

 

 俺は努めて冷静を装おうとしている。しかし頭の一部は麻痺したように動かない。ショックなのか。一刻も早く逃げたいのだろう。そんな風に不思議と自分を俯瞰している。

 

 だが、ノアは焦ったように言う。

 

「時間を掛けるほど相手の有利になるのなら、今叩いて、少しでも時間を稼ぐのが……!」

「それは、分かるが。だが、ノア」

「なんですかっ」

「君は平気なのか。ああそうだったな。君は平気だったな」

 

 とてもじゃないが、俺には無理だ。弱音を吐くように俺は眼を逸らす。

 

 それにノアは、ハッとしたような顔を浮かべ、再び引き締めて言った。

 

「分かりました。私に任せて下さい。こういう時のために、私はジョットさんに選ばれたんでしょう?」

「なに、何を言う。逃げるのが最善だ。逃げよう」

「……私が、ジョットさんを守りますから!」

「ノア、やめろ。やめてくれ」

 

 ノアは飛び出した。緊張を顔に浮かべながら、奮って剣を首筋に向かわせた。

 

 鉄音が響く。

 

 人体が放つには相応しくない音が、斬撃を腕で止めさせている。

 

「軍人よりも少女が上とは」

 

 嘆くようにクラウンは言い、その双眸でノアを睨んだ。

 

 だが「ム」と声を漏らす。その間にノアは斬撃を重ねる。

 

 俺は額に汗を浮かばせながら、ようやく我に返った。加勢しなければ。一人では絶対に勝てない。なるべく周囲を見ないように眼を細めながら、光魔術による光線を十数本放つ。

 

 しかし貫いたのは外套だけだ。それでもクラウンは驚いたような顔を浮かべている。

 

「体内への魔術が魔力量によって抵抗を受けるのは知れたことだが、俺の力でも動かすことすら出来ないとは。中に数百のドラゴンが蠢いているようだったぞ」

 

 剣戟の最中、純粋に讃えるように彼は言う。しかしノアは顔を顰め、吐き捨てるように叫ぶ。

 

「ならそのまま押し潰されて死んで下さいよっ!」

「嫌だね。それに、中にあるだけで殆ど外に出ていない」

「何を!」

「使い方が下手糞だと言っているんだ。ならばそのまま死ぬだけだ」

 

 クラウンは指先を噛んで地面に血を滴らせた。魔術の気配。対象は足下か、いいやこの場に広がる血液か!

 

 地面に広がる軍人達の血液が生き物のように蠢き始める。どころかねじ曲げられた人体が、ねじ曲げられたままに動き出す。

 

 芋虫のように這って動き、ノアを、俺を、軍人達を襲い出す。

 

 冒涜的。悍ましい。げえと、腹の底から蛙のような声が漏れ出た。

 

 ああ、思考の麻痺を止めなければ。それは単なる感想に過ぎないのだと。だから対処を。今すぐの対処を!

 

「ブレイク君っ!」

「何だまだ居たのかマルガレーテさっさと行け!」

「だから最後に、これ! 私の全力!」

 

 ローベンに抱えられたマルガレーテが杖先から光を放った。

 

 それはごく基本的な、ただ光球を浮かべるだけの魔術だった。しかしその規模は目を見張るほどで、薄暗い路地裏にもう一つの太陽を浮かべたようであった。

 

「チッ」とクラウンが家屋の影に下がる。マルガレーテを睨み付ける。

 

「行きますよお嬢様!」

 

 ローベンが直ちに消えていった。その影へ向けて俺は叫んだ。

 

「物凄くありがたいぞ!」

 

 その言葉に返答を返すように、光球は更に強く輝いた。

 

 しかし、影に下がったとは言っても遠距離攻撃の手段を相手は有している。死体は光に焼かれるように倒れたが、血液の方は依然として蠢き、光線のように噴き出してくる。

 

 本当に、先生の杖がここにあればと思った。操作権を奪うくらいは簡単に出来ただろうに。

 

 しかし無いものねだりをしても始まらない。そもそも無いのは杖だけでなく力そのものだ。

 

 だから出来る事をする。蠢く血液を掻き分けて向かうノアへ、手助けとなる手を。

 

 何も見るな。今はそれだけに集中しろ。

 

「ノア!」

「はいっ!」

 

 有効なのは何よりも光だ。吸血鬼は生態として光に焼かれるように出来ている。それが神の意思によるものならば喜んで使わせて貰おう。

 

 振るう剣先に合わせるように、瞬間的に光属性を付与させる。先程と同じように防ごうとしたクラウンの腕を、今度は切り飛ばさないまでも焼き焦がす。

 

「使えるなら先に言えよ」

 

 彼は気にした様子もなく片腕でノアを吹き飛ばした。

 

 その先に風を置き、クッションと共に追い風の役割を果たさせる。同時に、相手が攻勢を重ねる前に光線で動きを掣肘する。

 

 一呼吸。

 

 ノアが「やれますっ!」と言ったのを合図に風を強めた。

 

 同時に光線はクラウン本人ではなく、彼が操る血液へ。対消滅させるように拡散させて放つ。更にはクラウンの足下へ、気を逸らさせるように土魔術の隆起を行う。

 

 三重の魔術行使は負担が重い。

 

 これは継続できるものではない。単なる生物としての限界に過ぎないが、それが俺の限界だ。

 

 しかしノアはどうか。クラウンはどうか。俺の魔術など些末とばかりに剣と腕をぶつけ合い、切り結んでは首を狙う。

 

 人知を越えた、と呼ぶにはバランスが悪い。ノアは明らかに圧されている。

 

 この場にはマルガレーテの光球があり、軍人達の十字架は常にクラウンを刺しているだろうに、どうしてそこまで動ける。

 

「……それが英雄か」

 

 俺は舌打ちをした。

 

「人間にしては良くやる。非常に良くやる。部下達にも見習わせたいくらいだ」

 

 涼しい顔でクラウンは言った。こちらの限界を軽く超えていくように、彼はノアを蹴り飛ばした。

 

 ならば再び風を置くだけだ。クッションの役割を果たすように、何重にも!

 

「特に、そこの少年。化物染みた魔術師だな。ユラウには勿体ないほどに」

 

 その一言で風が掻き消された。

 

「っ……!」

 

 血煙を伴った風が嵐のように振りまかれる。身体を屈めるしかない。ノアが家屋に身体を打ち付け、血を流した。

 

「ノアちゃん」と、ユラウが我に返ったように声を上げた。

 

 そうして、彼女は自らの父親に眼を向けた。クラウンに表情はない。冷たくユラウを見つめている。

 

「お、お父様。これは何かの間違いでしょ? この子は、私の友達なの。だから」

「だから何だと言うんだ。友達以前に人間だろう。我らが食らい搾取するべき生き物だ。どうしてお前はそうしない」

「していなかったのはお父様もでしょう! 何を、そんな、まるで他の吸血鬼みたいな事を」

「他の、じゃない。俺がその頂点だ。俺が吸血鬼そのものなんだ。象徴であり、率いるものだッ!」

 

 その言葉に、ユラウは視線を落とした。「何を」惑うように声を震わせている。

 

「ユラウ」と俺は言った。

 

「ユラウ、残念だが会話は出来ないようだ。君の知っている父親とはな。ならここが打ち切り時だ」

「ジョット君……。そう、そうね……」

 

 そうだ、何をやっているんだ俺は。

 

 敵わないと思ったはずだろう。血の臭いに酔っていたのか。見ないようにして思考まで停止させていたのか。

 

 最善の手はマルガレーテと同じく逃げることだった。機は逸したが、しかし今からでもまだ遅くはないはずだ。

 

「逃げるぞ。そしてまさかこの期に及んで追ってこないでしょうね軍人さん達」

 

 彼らは何も言わなかった。ただ俺達に道を空けた。良心も欠片くらいは残っていたか。

 

 だから俺は、ノアを起き上がらせ「大丈夫か」と肩を揺すった。傷はそれほど深くはない。ぼんやりとした眼は、直ちに焦点が合った。

 

「ジョットさん、私は……」

「逃げるぞ。敵う相手じゃない。相手が悪すぎる」

「なんだい、逃げるのか。残念だ」

 

 クラウンが言った。挑発するように、足下の血を揺らめかせて。

 

「勿体ないと思うぞ、魔術師の少年。他の二人、特にその金色の少女がもう少しまともに出来ていたら、君は俺を殺せただろう」

 

 その言葉に、ノアが目を見開いた。

 

「は」とわなわなと口を震わせ、跳び上がるように起きた。

 

「お前ッ! 何を、何を言いますかッ!」

「おい、ノア! 止めろ!」

「激情するか。それもまた出来ていない!」

 

 まずい。飛び出してしまった。剣戟の音が再び重なり合う。

 

「ノアちゃん!」とユラウが飛び出そうとし、クラウンの双眸に足を竦めた。

 

 彼はノアの剣を完全に受け切り、返すようにして腕を振った。ノアが暗闇から撥ね除けられる。もんどり打って転がるところを再び風に守らせたものの、細かな傷は全身に渡っている。

 

 それでもノアは立ち上がった。瞳に浮かぶのはあまりにも強い感情。

 

「冷静になれ。ノア、分かってくれ!」

「いいえ、いいえ! 私はどうしてもここで!」

「侮辱なら後で見返してやろう! 今を認めるのだって大事なことだ。そうだろう?」

 

 その言葉に、ノアはいっそ憎むように俺を見た。

 

「……だから、どうして、敵わないとか言うんですか」

 

 荒く息を吐いている。

 

「何を……」

「私は、そのために見出されたんじゃないんですか。こういう時に、貴方を、友達を守って、敵を倒して、英雄になって! そのために私が居るんでしょう!」

「それは、今じゃない。分かってくれ。君を失いたくない!」

「だからっ、そうやって見切りを付けないで下さいよ! 私は、私には、今しか見えないって、そう言ったじゃないですか!」

 

 そう言って、俺に向けて叫んだ顔。必死な形相。俺に憎悪を向けながらも、何よりも己自身を憎むようにノアは言う。

 

「そんなに、青ざめた顔をして、それを晴らせないのが嫌なんですよ。私がジョットさんを守れないのが嫌で嫌で堪らないんですよ。私がジョットさんを守れないって、逃げるしかないって、そう思われることが死にたいくらい嫌なんですよ」

 

 ノアは、何かに憑かれたようにクラウンを睨んでいる。歯を食いしばり、許し難い何かを見つめるように。

 

「だから、何時ものように言って下さいよ。私が、世界で一番綺麗だって」

 

 その言葉に、俺は思った。

 

 ここまでか。

 

 ここまで、彼女は俺を重く見ていたのか。

 

 そんな感想が咄嗟に出てくること自体が、俺の愚かさを示している。俺はノアを何だと思っていた。ユラウに言った通りに、本当にノアが人間だと思っていたのか。

 

 どうして俺は逃げなかった。どうして飛び出したノアを連れ戻さず加勢した。心の何処かに期待があったんじゃないのか。ノアならどうにかしてくれるという期待を。

 

 ノアという人間を、俺は神格化していたのではないか。

 

 俺なんぞ歯牙にも掛けない、それこそ人間を超越するものとして見ていたのではないか。

 

 俺は自分を醜悪と思ったのではなかったか。頭で分かったつもりでも納得は行かなかったのか。ユラウの言う所の、境地に達してはいなかったのか。

 

 彼女は俺に信頼して欲しいと言う。そんな事は出来なかった。その向ける感情の未熟さを思えば。

 

 ああ、頭が揺れる。血の臭い。ぐるりと回る。回転。円形。あそこに転がっているのは何だ。目玉か。俺を見つめている。

 

 これは境地か。最悪の状況で境地に達したのか。

 

「どうした」

 

 クラウンが言った。

 

「どうしたッ!」

 

 この場全てを睥睨し、威圧するように彼は叫んだ。

 

「全て下らない。全て愚かしい! お前は、お前達は、俺がここに居るのに殺せないのか。吸血鬼がここに居るのに、ただ剣を構えることしか出来ないのかッ!」

 

 その声に突き動かされるように、軍人達が突っ込んだ。しかしねじ曲げられる。十字架も光も何もかも、クラウンは腕すら動かさずにひしゃげさせる。

 

 背を向ける者は居なかった。伝令に全てを託したのか。

 

「逃げろ」と彼らは何度も言った。「逃げてくれ」と何度も叫んだ。

 

 しかし、俺が足を動かす事を邪魔するかのように、クラウンは言った。

 

「なあ、ユラウ。俺の娘」

「はっ……」

 

 ユラウの足は竦んだまま動かない。ただ抜きかけた剣だけがわなわなと震えている。

 

「お前はどちらなんだ。お前は吸血鬼なのか人間なのかッ! その中途半端な姿勢はなんだッ! どちらかを決めろッ!」

「私は、お父様、私は……」

「ああ、もう良い。もう良いぞ。決めきれないのなら死んでしまえ」

 

 ああ、来る。血液がウォーターカッターのように鋭く、拡散して放たれる。

 

 ユラウは動けない。ノアは涙さえ流しながら立ち上がる。それでも剣先は震えて、ああそうだ。

 

 俺と違って、彼女は子供なのだった。

 

「驚いた」

 

 クラウンは言った。

 

「君、死霊術が出来るのなら、最初に言えよ」

 

 目の前には死体が転がっている。光線染みた血の水流を受け、表面を穿たれながらも、クラウンに対する壁のように転がっている。

 

 ああ、嫌だな。気持ち悪い。ミルラルタとウォルツ、あの二人と三度も戦わなければならなかったから、すっかり覚えてしまった。死体を動かす術も、光と十字架に耐性を付ける術も。

 

 だが、理解したくなかった。俺は美しいものが好きだった。こんなものを身に付けたくはなかった。

 

 それでも、これしかないのだから仕方がない。

 

 今使えるものは、使って良いと思えるものは、ノアではなく俺だった。悍ましいも冒涜的も罪悪感も押し込んで、ただただ道具として死体を使う。それ自体の悍ましさを吐き気と共に堪える。堪え切る。

 

「しかし、それもまた文化の盗用。吸血鬼の誇りを汚す行為だ。どうする。逃げるどころか、優先して殺されることになったぞ」

「殺されないよ。殺してやる」

「粋がるなよ。日に当たれば直ちに灰になるとでも? 君の首の柔らかさを惜しむくらいの時間はあるとも」

「だから、こうする」

 

 俺は足下にまで這わせた死体に杖を突っ込んだ。ねじ曲げられた身体を解きほぐす。

 

 元の形に。元の、歪な形に。

 

 拾わせていた六本の腕をだらりと下げて、人間の形が現れる。

 

「本当に驚いた。出来るのかよ、そんな事」

 

 クラウンは、呆れたような微笑みを浮かべて言った。

 

「しかし、ようやく妹と同じ所に行けたというのに」

「そんな事は知らん」

 

 どんな事情があったのか。知らない。知りたくもない。そういう顔をする。今は。

 

 だから、ノア。立とうとするな。剣を構えるな。こんな汚らわしい俺と一緒に戦おうとするな。だから。

 

「ノア、大丈夫だ」

「……はい?」

「大丈夫だから、休んでくれ。お願いだから」

「は、あ」

 

 ぽかんとした顔を浮かべて、ノアは剣を下ろした。

 

 俺は努力して、なるべく柔らかい笑みを浮かべて言った。

 

「君は世界で一番綺麗だから、俺に構うな」

 

「え」と声が漏れる。「それは」無視する。「私は」脳を回転させることに集中しろ。今は!

 

「死んでしまえよ化物ッ!」

「言える立場かよ化物がッ!」

 

 血液が蠢く。支配権は相手の物。しかし死体の支配権は俺の物だ。中天に浮かぶマルガレーテの光球は、単純な魔術式が故に耐性も付与しやすい。

 

 脳を回転させる。ねじ曲げられた死体を解きほぐし、臓物を溢れさせながら特攻させる。耐性の中に光という光を込めた爆弾を、暗闇に居するクラウンへぶつけていく。

 

 ああ、手が足りない。死体への対処に気を取られて、という事がない。クラウンは死体を片付けながら、血液の操作を緩めない。

 

「少年っ、私を!」

「俺もだ!」

 

 不意に、残り僅かとなった軍人が叫んだ。それは、使えというのか。死体のように光の爆弾として。

 

 出来るか。出来て堪るものか。しかし、その躊躇の内に目の前で頭が弾けた。

 

「どうしたッ!」

 

 クラウンは憤慨したように叫ぶ。

 

「俺を殺すのなら徹底しろ! 死体を操るのならば生者さえ死体にしてみせろ! それが出来ないのなら死んでしまえッ!」

「うるさい馬鹿野郎!」

 

 逃げるように俺は駆けた。

 

 血の水流は何よりも俺を狙ってくる。その動きを予期して、死体を操りながら俺は走る。

 

 踊るようだと思った。滑稽に、醜悪に、死体の中で踊っている。そう思う事にまた吐き気がした。

 

 しかし、限界は来る。回転の限界。脳機能の限界。足が縺れた。

 

 何体も死体を操りながら駆けるのは負荷が重すぎる。分かっていたことだ。

 

 だが、それはクラウンも同じだろう。それが出来るから英雄なのか。似合わない真似はするものじゃない。

 

 ノアの代わりをしようなんて、思い上がった考えだった。

 

 血の水流に腿を貫かれ、俺は地面に転がった。顔を上げた。来るのか。来るなら早くしろ。こちらはもう限界だ。

 

 しかし、何か。どうしてクラウンは動きを止めた。

 

 傍に立つ人影。それに対し、苦々しげに彼は言った。

 

「どういうつもりだよ、伯爵」

「それは私が言いたい。何をしている、ユラクロン」

 

 伯爵。見覚えのある紳士の顔が、恐ろしい形相でクラウンに詰め寄っている。

 

「協定は確かに交わされた。我らが王の名の下に。君の行為は我らが王を侮辱するものだ。どういうつもりだ」

「とうの昔に消えた魔王に侮辱も何もないだろうが。お前のような遺物に構っている暇はない。俺は吸血鬼の長として人間を滅ぼさなければならないんだよ」

「……そちらの態度によっては、こちらにも考えがある」

「どういう考えだ? 俺を殺すのか? 哀れにも連れ去られてしまった人間共を無視してか?」

「……滅ぼして何になるというのか。集団の長ならば、集団を押さえ付け給えよ。君に州を治める資格はない」

「言ってろ、クソ貴族!」

 

 クラウンは腕を振った。伯爵の姿が暗闇に掻き消えた。

 

 その刹那、伯爵は俺に視線を寄越した。すまなさそうな、悔いるような視線を。

 

「チッ」とクラウンは舌打ちし、空を睨んだ。そうして酷く苛立ったように叫んだ。

 

「遅すぎるぞフィネカッ!」

「申し訳ありません!」

 

 ひらりと、空から人が落ちてきた。フィネカ。外套を傷だらけにして血を流している。

 

「無様な奴め!」クラウンがフィネカの片腕をねじ曲げて言った。「余計なものまで連れてくるとは、とことん使えないな、混血は!」

 

 フィネカが痛みに叫ぶ前に、足音が無数に響いた。

 

 がちゃがちゃと金属の響きを共にして、十字架が見えた。光輪が見えた。軍人の集団。

 

 その先頭に立った女、大佐は血溜まりを一瞥し、残り少ない軍人達と俺達を見つめる。直ちにクラウンに向き直り言った。

 

「大尉、彼らを」

「大佐は」

「殺すに決まってるだろ」

「了解しました」

 

 大尉が俺達に近付いてくる。「本当に、ごめん」そんな事を呟いた。掻き抱かれるように身体が持ち上げられる。

 

 大佐は無表情にクラウンに近付いていく。饒舌はない。

 

 しかしクラウンは、構えようとするフィネカを押し留めて言った。

 

「帰るぞ」

「帰すと思うか。娘はこちらにある」

「それはもう良い。好きにしろ。どうせ混じりもの。このフィネカと同じく、使えん奴だ」

 

 言って、消えた。暗闇に溶けるように、クラウンとフィネカは消えていった。

 

 大佐は舌打ちをして、軍人達に方々を指し示した。辺りの警戒に回らせるのだろうか。

 

「クソみたいな協定を結びやがって」

 

 呟くように大佐が言った。

 

 

 

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