「勿論すぐに解放させていただきますとも! ああいや、この解放というのも良くないですね。まるであなた方が捕えられたようだ!」
揉み手をし、媚びるような笑みを浮かべて男は言った。
応接間と思しき一室には十字架と光輪を抱いた軍人達が立っているが、男だけは赤ビロードが張られた椅子に座し、少し背を曲げ、対面に座す俺を上目で見つめている。
男の側に佇む大佐は柔和な笑みだけを湛え、何を言うこともなく彼に話させていた。
「まったく、失礼極まりない奴等です。私の部下と思えぬほどの無能ですな! 後日、厳しく躾けてやらんとなりません」
「はあ。その無能の人達がここに居るんですがね」
「気にしなくてよろしいですよ! 無能は無能だから責められねばならんのです」
皺の刻まれた肌に、威厳を示すような長い髭。そんな風貌に似つかわしくない幼稚な態度を示しながら男は言う。
「ですので、何と言いますか、まあ、アルケシア公爵には何とぞ、何とぞ頼みますぞ! 坊ちゃん!」
「はあ」
「ええ、ではその様に。……おい、すぐに解放しろよ! 私の仕事を増やすな!」
そう言って、男は肩をいからせて椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。
大佐は部屋の扉が閉まると直ちに敬礼を解き、馬鹿にしたように笑った。
「あれが少将だってんだから救えないよね、ジョット君」
「あの人、貴方の上司じゃないんですか?」
「そうだよ。だから言ったでしょ。上司とは部下に悩まされるもので、部下も上司に悩むのが常だって。それは私の事だよ」
長い溜息を吐き、大佐は言った。
あの後、何が起こったか。
軍人達が現れて方々警戒を済ませた後、俺達は直ちに連行された。といっても、手錠を掛けて引っ捕らえるような形ではなく、担架に乗せられての保護に近い形である。俺の腿には穴が空いていたので当たり前ではあるのだが。
幕が張られた馬車に乗せられ、俺達はあまり見覚えのない建物に入った。
第一に向かわされたのは病室然とした白い部屋だった。移動中もあの大尉による回復魔術を受けていたので、傷自体は既に塞がっていたのだが、そこで行われたのはより精密な検査である。
血液を採取し、反応を観察する。白衣を着た人々の顔に見覚えはないが、その手法自体には察しが付いた。アンデッド化の兆候を調べるものだ。トレージが何時だか、聞いてもないのに話してきたのを良く覚えていた。
そうしてその後、俺達はそれぞれ隔離されて病室に連れ込まれたのだが、何があったのか慌てた様子で呼び出され、少将という男の揉み手を向けられたのである。
「君には悪いけど、面子の問題なのよ」
大佐は、先程まで少将が座っていた椅子に腰掛け、そう言った。
「本当なら負傷者を帰すわけがない。という名目で事情聴取のために勾留するつもりだったんだけど、アルケシア公爵から話が来たんだよ。娘を守ってくれた少年達への恩は自分達で返したい。軍に迷惑を掛けたくはない。……なんてね。意図はハッキリしているよね?」
「公爵家と貴方達の仲が悪いとか聞いたことがありますが。しかし、それにしてはおかしくないですか?」
「何がだい?」
「あの少将、あの人が貴方達を率いているのなら、貴族に阿るのはおかしな話だと思いまして」
これは公爵というよりは、あの場から逃げ切ったマルガレーテの言によるものだろう。俺達の行く末を慮って話を寄越したのだろうが、しかしその配慮は、軍が正常に働いているのならば不要な事である。安心してゆっくりと身体を休めれば良い。
そう思わなかったのは、事実として軍が危険な兆候にあるからではないのか。それを公爵も理解しており、つまり娘の言を受けて公爵が動くくらいには暗黙の事実として了解されているからこそ、その危険から解放するために話を通したのではないか。
しかし、それにしては少将の態度は不思議である。
彼は全く貴族に阿っていた。公爵の敵意を恐れるように、確かに負傷者である俺を連れ出してまでお世辞を言った。これはどういうことなのか。
「流石に聡いねえ、ジョット君。ジーニスに似ず」
大佐は柔らかく笑って言う。
「そうとも。あれは全く凡庸な男だ。いっそ愚鈍と言っても良いね。権力を志向しながらも胆力がない。そこに座ろうとする意思が足りない。自分がやっていることの自覚がない。だからちょっと突けばすぐに慌てるのよ。何時もは貴族を馬鹿にしているというのにね」
「そのやっていることっていうのが、協定ってやつですか」
「その通り。さて、何から話そうか」
大佐は指を組んで対面に座す俺を見つめる。「良いんですか?」と俺は言う。
「少将さんは、事態を誤魔化したがっているようですが。だから帰そうとするんでしょう」
「ああ、あれはもう良いよ。どうせ一週間後には軍を追われている男だ。だから私がここに座っているの」
「用済みって訳ですか?」
「人を陰謀家のように言わないでよ。寧ろ、私は尻拭いをさせられているのさ」
大佐は語り始めた。
「そもそも、協定とは何か。それは北方魔族連邦とウルド帝国の間に交わされた密約だよ。厳密には、それぞれの一部だけどね。一部が全体を動かすために約束事を交わしやがったのさ」
「具体的に言うと」
「我らがアウレオラ、つまり軍の一部右翼集団と、連邦の中でも吸血鬼を筆頭にした右翼集団だ。彼らはね、意図的に戦争を引き起こそうとしたんだよ」
「戦争?」
何が嬉しくてわざわざそんなものを起こそうというのだ。そして、あの少将の顔と戦争の二文字はどうにも結びつかない。そんな大それた事を狙う男には見えなかった。
「うん。君が思っているだろう疑念はその通りだよ。でも、それは戦争にはならなかったはずだったんだ」
大佐は困ったように眉根を寄せて苦笑する。
「事は政治で済むはずだった。事実はともかく、当人の意識としてはね。ほら、何と言ったか、あの銀等級の冒険者達……」
「トールさん達ですか」
「ああ、そう。それらと一緒に向かったレクト村を犠牲にしてね。つまりは名分だよ。魔族は今も帝国と事を構えようとしている。事実、村が一つ消えたではないか。我らの奮闘によって大部分を
「ちょっと待って下さい。回収ですって?」
村人達は未だ見つかっていない。どころか、彼らと同じく消失する事件が後を絶たない。ランダマおばちゃんはそう言っていたはずだ。
「だから、意識が欠けているんだよ」
大佐は嘆くように言う。
「彼らが狙ったのは、軍拡の理由付けに過ぎなかった。本気で殺し合うのはずっと後の事。いや、それすらも余計なものに過ぎなくて、ただただ権力だけを求めていたのかも。しかし現実には消えている。消え続けている。取り返す予定だったのに、今では影も掴めない。馬鹿だよ、あれは。あれらでもあるけどね。これから空く椅子の数は一つだけじゃないんだよ」
「……それが、協定ですか」
「うん。吸血鬼と結託して騒ぎを起こし、自分達の影響力を高める。軍の外でも中でもね。貴族に代わって自分達が国家の英雄になろうとしたのさ」
それは……望む者もそれなりに居るだろう。俺はそう思った。貴族の権力に押さえ付けられているものは数多ある。それこそ俺の実家のような商人などは、より融通が利く方を望むだろう。
というよりも、商人としては軍の強大化それ自体は望んでいないのではないだろうか。
仮に少将等の企てが成功したのなら、貴族に軍という代替が利いたという事実そのものが重要になってくる。権威というものが絶対ではなく、乱立し得るものならば、商人はより権益を拡大することが出来るだろう。権威に阿るのではなく、自ら権威を名乗ることだって出来るかもしれないのだから。
しかし、これはあくまで想像だ。まさか俺の実家が関わっているかもしれない、と危惧はしたが、それが事実だとしても大佐がこうして語っている以上、現実には殆ど失敗している。
「ですが、よくもまあ軍だけで対応できると思い上がりましたね。相手にはあの吸血鬼の長がいるのに、まさか対抗策を講じていなかったなんて。それも呑気に政治だけで片が付くと思っていたんですか?」
「思っていた。……って言っても、君は納得しないよね。あの少将もそこまで底抜けの馬鹿じゃないし」
「結構底抜けに見えましたがね」
「ああ、そう? でもまあ、いいや。君なら良いだろう」
大佐はそこで「あれを」と大尉に言いつけた。彼は「良いんですか?」と言ったが、大佐の眼光に圧されて部屋を出て行った。
暫くの後、扉を開けてそれが入って来た。
十字架と光輪を胸に戴いて、頭には軍帽を、腰には剣を提げている。一見してこの場に屯する軍人達と同じく見えたが、一目で俺は察した。
「……死体じゃないですか、これ」
「死体だよ。死体だけど軍人だ。立派なね」
それは軍服を着た死体だった。死体が敬礼し、青ざめた顔で虚空を見つめている。なんだこれは。どういう。
「ミルラルタが軍の命令を受けていたことは君も知っているでしょ。実に余計なことを言ってくれたね」
「そこも含めて公爵から言われましたか」
「いいや、仄めかされただけだよ。それだけで少将の頭を下げさせるには十分だったけどね。今もあちこちで政治をやるのに忙しいだろう」
あの場にはマルガレーテも居た。公爵がその話を聞いたのならば、一刻も早く俺達を連れ戻そうとするのは理に適った事だろう。
しかし、と俺は目の前の死体を見つめる。実によく出来ている。ミルラルタに比べれば簡易な術式だが、それ故に操作も楽だろう。ウォルツのように古来の死霊術ではなく、純粋に死体を操るだけの術式が刻まれている。
どうりでアンデッド化を検査する手順に慣れていると思った。軍はミルラルタを密使として利用するだけでなく、その知識も吸い取っていたのか。
「私が軍に入ったのは十数年も前だけどね、その時には既に研究が行われていたんだよ。軍人の夢、死なない兵士というやつね」
「……知り合いの奴隷商人が言っていました。軍はたまに人を買うことがあるって」
「知り合いの奴隷商人ってなによ。まあでも、ご察しの通りだよ。人体実験は研究を進める上で有用だ。私にも驚きはなかったね。寧ろ、それをやるなら軍が一番やりやすい」
「人体実験の有用性は微々たるものだと思いますがね」
「その微々を何よりも求めるのが研究者じゃないのかな?」
大佐は不意に立ち上がり、辺りの軍人達をぐるりと見渡して言った。
「護衛はこれだけで良いよ。お前達は外で待機するように」
「了解しました」
死体は声を発した。しかしそれは、どうにも錆び付いた声だった。動かないものを無理矢理動かしたような違和感。ウォルツの流暢さとはかけ離れている。
その後に続き、軍人達は敬礼をして部屋を出て行く。その後ろ姿を見送った後で、大佐は苦笑を浮かべた。
「見たかな。あいつら、すっかり君を信用しているよ。運び込まれた奴等が随分と話してくれたらしいな」
「俺じゃなくてその死体を信用しているんじゃないですかね」
「まさか」
大佐は軍服を着た死体を小突いた。動かない。直立不動のまま、青ざめた顔で命令を待っている。
「ご覧の通り、これは未だ発展途上の技術だよ。だけど、ようやく生まれた成果に少将は舞い上がってしまってね」
「あれで吸血鬼を殺せると?」
「死体を操る奴等に死体をぶつけてやれと、意趣返しのつもりだったのさ。元より他の吸血鬼はともかくとして、あの化物が出てくるなんて思わなかったからね」
「光を志向する貴方達としては、理念として受け入れられないのでは?」
「理念じゃ飯は食えないさ。権力を手に入れる事は出来るけどね。つまり、軍拡というより大きな大義名分があれば、何とでも理由が付けられる。少将の頭の中では教会に話を通す予定もあったそうだよ」
「さて」と大佐は再び椅子に座した。
「ここまでは前提だ。私達が何をしようとしてきたか。そして、それはご破算になってしまった。吸血鬼達は彼らの長を迎え、本格的に帝国と事を構えようとしている」
「それは、連邦の方も望んでいないんじゃないですか」
「その通りだ。ほら、あの伯爵という奇怪な男。あれは君の友達だろう?」
「……まあ、そうですが」
先程から、先生なり伯爵なり、どうして大佐は知っているのか。
その疑問を口に出す前に彼女は言う。
「私もあちらの事情は詳しくないんだけどね、あの伯爵は連邦内部の折衝役をやっているらしい。それが、君と一緒に戦っていた部下の話では、ユラクロンに詰め寄ったというじゃないか。吸血鬼達の行動が、あちらにも歓迎されていないのは間違いない。その勢いで彼ら自身が片を付けてくれると楽なんだけどね」
「……で、貴方達も独自に片を付けようとしたんですね。ユラウを人質に取ることで」
「そのためのミルラルタでもあったんだけどね。あれが君に恨みを抱いているのは確かだった。そしてユラウ・ユラクロンは君の傍に居る。あれが捕えるのなら、それに越したことはない。こちらとしても事を荒立てたくないからね。君には厄介なご友人がいるから」
「市街地と民衆に被害を与えることを前提で、ですか」
俺は言った。大佐は俺の視線を受け止めるように柔らかく笑った。
「そうとも。これは努力だよ。どうしようもない状況にしやがった上司に代わって、私が国家のために努力をしたんだ。事実、私の立てた作戦で死んだ民間人はいない。我ながら手緩いとも思うよ」
「その努力によって、貴方はその椅子に収まると」
「結果的にね。不可抗力だ。文句は私に命令を出した将軍等、更に突き詰めれば元帥や皇帝陛下に言ってくれ。ウルド帝国そのものでも良いよ」
その言葉に、俺は沈黙した。既に事は皇帝にまで至っているのか。
なら、ユラウを犠牲にすることを、この国自体が認めたということか。
「で、これからの話だ」
大佐は言った。
「公爵家の申し出があった以上、少将は君達を帰すしかない。その失点を巻き返そうと政治的暗闘に明け暮れるだろう。しかし私達は忙しい。眼に見える脅威があるからね。奴がユラウ・ユラクロンを不要だと言ったのも、どこまで本気なのか分からないが、精々君達の周囲に兵を置くことしか出来ない。それは許してくれ」
「それは俺じゃなくて公爵に言って下さいよ」
「言えたら言ってるよ。まあともかく、奴等の出方次第にはなるが、必ず戦争にはなるだろう。これを契機として、連邦との戦端が三百年ぶりに開くかもしれないね」
「……そうですか」
「そうなれば、必ず西も参戦するだろう。南は我関せずを決め込むかな。東はどうだろう。魔族に与するか、それともこちら側に付くか、微妙なところだ。しかし大陸中央への影響も必須だろうから、結局は巻き込まれることになる。それなら三百年前と同じだよ。第二次世界大戦だ」
大佐は面白がるようにこれからを語った。その態度は何だ。まるで待ちわびるかのような。
「そこに貴方達の出番はないでしょうがね。戦況を決定付けるのは無数の凡人ではなく傑出した英雄だ。たとえ死体を操れようが、それは変わりません」
「そうかな。彼らの有用性は君自身が証明してみせたじゃないか」
「俺が?」
その言葉に、大佐は微笑んで言う。
「魔力を込めた自走式爆弾としての運用法だよ」
あれか。人体が弾けることを前提にした特攻。
「私達としても研究はしていたんだ。ミルラルタの作品だって十字架と光への耐性は身に付けている。だが、君はそれをたった三回見ただけで真似できた。驚くべき事だ。是非とも教えていただきたいね」
「何回も見たのに真似できなかった時点で活用も出来やしないと思いますがね」
「厳しいことを言うね。だけどあれは理想だったよ。光に限らず、人体を弾き飛ばすほどの魔力を込めて特攻させるという運用法は、その属性と量次第で英雄をも殺す事が出来るだろう」
「まさか。あれらはクラウンに通じませんでしたよ。そうでなくとも俺が知っている英雄に程近い人だって、難なくあれらを切り飛ばすことが出来るでしょう」
「リインとかいう騎馬民族のお姫様の事かな。しかし、英雄の殺し方は、何も直接対決するだけじゃない」
だから何故知っているんだ。どこから知った。彼らは諜報も兼ねているのか。
「この場合、使い捨てることが出来るのが魅力だね。英雄があちらを攻めている時、一方は別の場所へ。村の一つでも落とせば、英雄の求心力は下がるだろう。君は傑出した個が戦況を決定付けると言ったけど、英雄が個人だからこそ二者択一を突付けることも出来る。数が少ないというのはね、利点には絶対にならないんだよ」
「……俺の知っている話では、山を切り裂いたこともあるようですよ、英雄っていうのは」
「なら、それも加味した上でやれば良い。空間転移が英雄的な夢物語ではなく、その実現に多大な労力と人知を越えた魔術式が必要だと示したのは他ならない君じゃないか」
「それは……」
「距離の問題は英雄を殺すよ。罪なき民衆を殺す事でね」
大佐は事も無げに言う。それが現実として可能だからこそ、現実には不可能だと言うように。
「……つまり、貴方は少将と同じ所を目指しているんですか?」
俺は言った。
「貴方は貴族という英雄の影響力を削ぎ、軍部の影響力を高めたがっている。そのために、貴方は戦争を望むんですか」
「酷い言いがかりだね。あれと同じにしないでよ。私は平穏を望んでいる」
「戦争を起こすことが平穏に繋がるとでも?」
「一見して矛盾しているようだけどね。しかし、確かに繋がるよ」
「どこが」
「ジョット君。君は確か、三六協定を嫌っているんだったね」
不意に、大佐はそんな事を言った。
「それどころか完全週休二日制も、九時出勤五時退勤という文化も、それでは働き過ぎだと嫌っているのだとか。君は世界に労働基準法をもたらした転生者を憎んでいるんだったね」
「……さっきから思っていたんですけど、どうしてそんな事を知っているんです?」
「しかし、私は彼を偉大だと思うよ。だって彼がいなければ、労働者はもっと酷く搾取されていたのだからね」
大佐は俺の声を無視して語る。何が言いたい。
「しかし、英雄はそうじゃない」
ふと、眼を細めて大佐は言った。
「世に英雄と並び称される者達。彼らは凡人から傑出する個であるが故に、その働き方は未だ改革されていない。雇用といった段階ですらない。古来からの伝説と同じく、その人権は殆ど無視されてしまっている。下手に才能があるからこそ、幼少期からそれを望まれ、それを背負わされる」
「……それは、まあ、問題ですが」
「そうとも問題だよ。これはこの世界の歪みだ。労働基準法でも是正できなかった歪みだ。だから私は、戦争で死体を使える機会に喜びを覚えるのさ」
大佐は、一転して笑みを浮かべて言った。
「英雄の必要性が薄れれば子供が戦う必要もなくなる。児童労働の禁止は確かな平穏だろう」
あっけらかんと、寧ろ義憤さえ込めて、大佐は言った。
それは彼女の、確かな本音のようだった。
「……それで、無関係な村を巻き込んでもですか」
俺は言った。
大佐の死体の運用法は、まさしくその子供をも犠牲にするものだろう。それを飲み込んで、尚も言えるのか。
「巻き込んでもだ。大の為に小の犠牲は必要不可欠だ。寧ろ、その犠牲こそが英雄の馬鹿馬鹿しさを知らしめることになる。この醜悪な世界を変える切っ掛けになってくれる」
大佐は厳然として言った。
俺は、唖然としながらも反駁する。
「馬鹿馬鹿しいのはその理想ですよ。本当に貴方の思う通りになると思っているんですか。末期戦の様相を呈して、それこそ子供が優先的に駆り出されるようになったらどうするんです」
「そうなったら、私は人間に期待しすぎたということになるね。そこまで人間が愚かなら守る価値もない」
「何を。何を言うんだ。そんな破滅的な……」
「子供に守らせる国など破滅してしまえ。それを当然だと言うような世界など滅んでしまえ」
大佐は指を組み、俺を見据える。
「それが君には分かるだろう、ジョット君。転生者である君ならば」
そう、親しみさえ込めるように彼女は言った。
「……どうしてそれを」
「ジーニス・フルンゼは私の古い友人でね。学院で同級生だったんだ。だから、その理論も理解している」
その名前を、大佐は愛おしそうに出した。先生だと。
「彼は随分と君を買っているようでね、聞いてもないのに好き勝手喋り散らしてくれたものだ。君がどれだけ天才なのかとか、多分転生者だろうって事とか。ああ、あのご友人に魔術を見せ付けた痛快な出来事、あれをよく酒混じりに話してくれたものだ。私も愉快だと思ったよ、素直にね」
「先生が……それは……」
「だけど、あのノアって子を戦わせようとするのはいただけないな」
大佐は教え諭すように鋭く言った。
「才能があるから。美しいから。それがどうした。彼女は子供だ。君も見たでしょ、彼女の顔を。あれは子供の顔でしかない。分かるね」
「……それは、確かに、そうですね」
「うん。そうね。君はきっと、分かっているね」
そこで大佐はふっと笑い、言った。
「君はあの子を押し留め、自分で戦った。その姿勢は立派ね。世の中とはそうあるべきだよ。戦争も殺戮も理不尽なものだけど、子供に戦わせるのは良くない。たとえ子供自身を殺そうとも、子供を戦わせる世の中だけは許しておけない」
「先生も、そう言っていましたか」
「ああ、ジーニスもそれには同意したよ。ただ、何だかな。あれはこうも言っていたね」
「何と?」
「『俺はお前ほど徹底することは出来ない』と。歪みは是正されるべきだが、それで犠牲を許容できるわけではないとね」
ああ、それは。実に先生が言いそうなことだった。
「君もそうかな」
大佐は俺の先に何か懐かしいものを見るように言った。
俺は答える。
「俺もそうです。貴方の言っていることは正しくて、それでも間違っている。そんな風に思いますよ」
「そうか。やっぱり、君はジーニスの言う通りだね」
「そんな風に言っていましたか?」
「うん。中途半端だってさ」
大佐は微笑みを浮かべて言う。
「転生者というのは、私達にとっては『そう在るもの』としか捉えられないけれど、君にとっては違うんだろう。その前提が、何よりも深く君の中にある。それこそ、意識しない部分にもね」
「そうですかね」
「そうだよ。さっき私がノアという子について責めた時、君は子供の立場を取ることも出来た。寧ろ、大抵はそういう扱いになるよ」
確かに、この世界における転生者の扱いというのは、決して忌避される物ではない。異世界の知識と同じく文明の初期から流入し、当然のようにあるものだ。
「そういう意味では、君は前世の記憶を持っていると思い込んでいるだけの子供だ。第一、転生者だからって精神が習熟しているわけではないしね」
「精神的に成熟しているとして責任を取らせることは出来ますよ」
「言うね。でも、法的に定義するものがあるわけではない。だから君が私の言葉に頷いたのは、君自身が自分を嫌っているからだろう。子供を操る事の醜悪さを」
「それは……ちょっと違いますね」
「と言うと?」
「子供だとか大人だとか、精神の自認に関わらず、それを望まない者に望ませてしまったことの後悔ですよ」
ノアは何故英雄を望むのか。俺がそう望んだからだ。あの純粋で未熟な好意は、あまりにも俺という他者に依存している。
俺は、それが嫌だった。俺は美について、傲慢にもこう思うのだ。あらゆるものから孤立し、あらゆるものを凌駕し、平伏させる存在であるべきだと。
しかし彼女は人間だった。子供だった。美である以前にそうだった。ユラウが言った通り、俺がノアとの相互関係を理解しようとしなかったのは、俺が傲慢である以上に馬鹿だからだ。
俺は、自らが見出したノアを、美そのものに化生させたく思っていたのだ。それは人間に対する態度と言うよりも花卉栽培者のような態度だった。雑草を抜き、栄養を与え、余計な枝を剪定し、同じ地に根ざすことなく、遠くからその美を賞賛する。花が美しいのは自らの努力の賜物ではなく、花自身が美しいから。そういう全く真摯な花卉栽培者の態度を人間に向けてやっていた。
俺が安寧を求めたのはまさしく傲慢からだった。自らが変わらぬ事に安心を求めようとしていた。初めに世界を拒絶したのが俺だった。しかし展望が開け、この世界でも一応の楽が得られると知った時、欲が出た。世界を平伏させる美をこの世に証明するという欲を。
何というか、下らない人間だ。安心した途端につまらぬと騒ぎ出す。それでいて自分は変わろうとせず、他の誰かにそれを求める。決して自らは参画せず、ただ見つめることを誇りとさえ見紛っている。
問題なのはノアではなく俺自身だった。後悔は全て俺にあった。何よりも殺すべきは俺自身だった。
その後悔さえ、徹底が足りないのだから救いようがない。ああ、確かにユラウは俺と似ているだろう。俺は今でも腹が空いているし喉が渇く。ぐっすりと寝付くことだって出来る。ノアのように嗚咽を漏らすことなく、この煩悶を何時かは忘れ去ることだって出来るだろう。
その醜悪さ。自分が凡俗である事への嫌悪。それさえ曖昧で生活の中にある。
真剣に悩むということがない。俺は、殺し方が足りない。
「気分が悪いね」
大佐は言った。
「本当に、子供を虐めているようだ。君はたぶん良い奴なんだから、そんなに思い詰めてはいけないよ」
「思い詰めてはいませんよ。俺にはそんな事すらも出来やしない」
「そうかな。そういう人間は、得てして突飛な行動を起こすよ。本人がそう思わないままにね」
「ごめんね」と大佐は格好を崩し、柔らかく言った。
「君は美しいものが好きなんだろう。だから、死霊術なんて使わせてしまって、ごめんね。君が気付かなくて良かったものを、それで気付かせてしまった。だけど、部下達の死体を使ったことは気にしなくて良い。彼らは望んで戦った」
「そんな風に気を遣った言い方をしなくて良いですよ。俺の中身は外見ほど幼くないですし」
「精神年齢の問題ではないよ。これは道義だ」
「そうですか」
そうだとしても、眠りにつけるのが俺なのだから。
「さあ、もう時間だ」
大佐は立ち上がり、俺の傍に来て言った。
「ノアという子は、酷く落ち込んでいたよ。慰めてやってくれ。決して復讐など考えないように、君が教え諭してくれ」
「俺に出来ますかねえ。リインさんに頼みたいくらいですよ」
「彼女が信じるのは君だろう。悲しそうに名前を呟いていた。……というかね、君、ああいうのに頼るのはどうかと思うよ、私は」
「リインさんだって子供でしょう? あんなのではありますが」
一応、本当に一応は、大佐の言う所の子供の範疇には入るだろう。
しかし大佐は苦々しげに言う。
「いやあ、私も事情聴取のために声を掛けたんだけど、あれは何というか、違うね。理解できないというか、何というか。彼女は確か16だったか何だったか」
「17歳ですよ。数え年では18歳ですけど」
「なんだ、じゃあ大人だ。君も存分に頼ってよろしい。あっ、やっぱり頼りすぎないように。君はたぶん良い奴なんだから、あんなのとあまり話しちゃいけないよ」
「俺が言うのも何ですが、あんなの呼ばわりですか」
本職の軍人にドン引かせるとか、やっぱリインはドン引きものなんだなあと改めて思った。
俺と違って。