「さあ善は急げだ!」と言って部屋を飛び出したは良いものの、正直言って目処なんてまるで立っていなかったので俺は頭を抱えた。
言った後で後悔するのが俺の常であるが、今回ばかりはそうも言ってられない。しかし言いたくもなってくる。どうすればあんな化物を倒せるっていうんだよ。倒すビジョンどころか倒れるビジョンしか浮かんでこないぞあんなの。
「しゃーね。トレージにでも無茶言うか。あとワイエス爺に頼んで……いやあの爺って国家が抱える英雄みたいなものだから駄目かな……どうすんのこれ」
「そこでどうして私が一番に出てこないのかが疑問ですねジョット君!」
「うわっ!?」
公爵館の廊下、窓辺に佇みながらぶつぶつ呟いていると、急に暗がりから声がした。誰かと思えばひょいと顔が出される。リインである。
彼女は何時ものように剣を携えてはいなかった。流石に門の所に預けたのか。「いやあ、しかし」とにやにや笑って彼女は言う。
「私、聞いちゃいましたよ。扉の所で耳を当てて。随分な啖呵を切りましたね、ジョット君! いやあ楽しくなってきましたね!」
「た、楽しいですか? ははあ流石は、というかありがたいんですがね。リインさんが味方になってくれるのなら」
「ここで味方にならずにどうしようかと! いやあ楽しみじゃないですか吸血鬼殺しなんて! 問題は沢山ありますがねえ? たとえばそんな事で戦争が止まるのかとか」
「うっ」
まあ、そうである。俺だって善良な帝国市民なのだから、いくら軍に属していないとしても、成したことは帝国の手柄としても見られるだろう。
しかし何事も上手く行くと思えば上手く行くのだ。そう楽観してやろう。後の事は後になって考えれば良いのだ。
「まあ私はどうなろうが大歓迎なのですがね。しかしですよ、ジョット君」
「何ですかねリインさん」
「私としては、今こそガチョウの腹を割くべきだと思うのですがね」
にやりと、獰猛な笑みを浮かべてリインは言った。
「金の卵を産まなくなったのなら、即ちそれが消費期限。貴方が戦うことは望ましいですが、そこに関してはケチを付けたい。あんなのは見捨てちゃいましょうよ。そうして私に投資するのです。それが一番有益な選択だと思いません?」
「思いませんね」
「それはどうして?」
分かり切っていることを確認するようにリインは言う。俺もまた、当然のように言った。
「それに眼を焼かれたからですよ。俺はノアのせいでね、ノアじゃなきゃ満足できない頭になってしまったんです。これ以上なんて望めない。だからこうして、似合わない真似をしようというんです」
「ぎゃは! それは貴方が何よりも嫌っていたものじゃないんですかね? 矛盾してますよ。言動が一致してませんよー?」
「それにはリインさん、素晴らしい言葉がありますよ」
「それは?」
「時と場合による」
「ぎゃは!」
リインはげらげらと笑って腹を抱えた。本当におかしそうに笑っていた。
「それでこそ! それでこそですよ、ジョット君! 貴方はね、難しい事なんて考えなくて良いのです。ただぼーっと突っ立ってるだけで周りの頭をおかしくしてしまうんですから、何かを考えて動いたらそれこそ世界が破滅してしまいますよ」
「随分な物言いですねリインさん。しかし、何時も何時も思っていましたがね」
「何でしょうかー?」
「ありがとうございますね、本当に」
「はあ」とリインは笑みを止めた。意外そうに俺を見つめていた。
それが、すっとぼけたものではなくて、本当に感謝の言葉を意外に思っているのだと分かり、俺は苦笑した。
「リインさんは本当に優しい人ですね。そうやって、俺に楽な道を示してくれるんですから。俺が悩んでいたら、ひょっとして、殴ってでも楽な方に向かわせようとしたんじゃないですか?」
「なーにを言いますか。私は艱難辛苦を歩んで欲しいと思っていますよ」
「本当ですかね? 俺にはどうも信じられませんよ。貴方は肝心なところで優しいんだ」
その言葉に、リインは変な笑みを浮かべた。どうにも慣れていないような、照れくさいような笑みを浮かべ、誤魔化すように「それではー?」と言った。
「では、それでは! やっぱりノアなんか捨てて私にしましょうよ! 私だって美しいんでしょう? ほら、愛の言葉を囁くチャンスですよ」
「ええ、世界で二番目に愛していますよ」
「ぎゃは! このクズ男!」
そう言ってリインは俺を真正面から抱き締めた。ここまで乗ってきたのだろうか、馬の匂いと牧草の匂いが、彼女の身体から感じられた。
彼女は俺の首筋に囁いた。
「でも、私はいい女なので、それで満足してあげますよ。感謝して下さいね?」
「いつも感謝していますよ」
「それを口に出しなさい。ばーか」
ぱっと身体を離し、リインは照れくさそうに頬を掻いた。「そして、私は本当にいい女なので」と、そっぽを向いて言った。
「庭に出てみなさい。気を遣ってあげますよ」
「はあ……?」
「いいからさっさと行く!」
バシバシと背中を叩かれ、俺は言われるままに庭へ出た。何があると言うのか。分からなかったが──。
一目見て、分かった。
「あ──」
門の前、居心地悪そうにうろうろとして、紳士帽に手を当てながらやけに公爵館を覗き込もうとしている。
そうして何故かぎょっとした。やけにぺこぺこして媚びへつらった笑みを浮かべた。
「い、いやあ違うんすよ軍人さん! 俺はここに用事があるだけで。いや本当に怪しくないんですぜエッヘッヘ。あっ、いや通報は止めて! 本当にここに俺の弟子がいるんだって!」
「……何やってんですか、先生」
びくりと、その声に肩が跳ねた。彼は恐る恐る振り向いて、俺と眼を合わせた。
「じょ、ジョット君……お、お久しぶり……エッヘッヘ……へへ……」
「先生も、変わらずお元気そうで……何よりです……はい……」
先生はステッキを片手に、強ばった笑みを浮かべた。俺も強ばった笑みを浮かべた。
物凄く格好が付かない形で、俺と先生は再会した。
「お前、記憶を消す魔術とか開発してない? あったらそれ使ってくれよ、お前自身に」
「そんなものはありません」
あの後、先生に怖い顔をして詰め寄っていた軍人さんというか大尉を何とか説得したのは良いものの、俺の一存で館に入れて良いのか分からなかったので、俺達は連れ立って夜道を歩いていた。
それでも先生はずっとぐちぐち文句を言っている。やれ「格好が付かない」だの「俺格好悪すぎだろ!」だの、最初から存在しないものを追い求めて「ぎゃあああ!」と頭を掻き毟っている。
「何ですか急に。そんなにアイデンティティなんですか、薄毛が」
「なわけねえだろうがボケ。暫く合わない内にお目々曇っちゃったかなー? んー?」
「うっざ。懐かし」
「歓迎してんのか嫌ってんのかどっちだよ」
どっちもである。というかあまりに馬鹿馬鹿しすぎる再会の仕方だったので言い忘れていたのだが、何で先生はここに居るんだろうか。
「というか、どこに行ってたんですか先生。こっちもこっちで色々と大変だったんですよ。主に先生に責任をおっ被せられない事とか」
「おっ、そりゃあどっかに行ってて良かったな! とまあ冗談はこの辺にしておいて」
「へえ、あの情けないへつらいも冗談だったんですか」
「この辺にしておいて!」
エヘン、と格好を付けて先生は一つ咳をした。そこら辺は探られたくないのだろうか。ならばこちらも聞かないことにする。
「事情はヒルダの奴から聞いているよ。お前、面倒なことに巻き込まれやがったな。吸血鬼に殺されかけるとは、なんつうかお前も運のねえ奴だなあおい」
「……ヒルダって誰でしたっけ」
「お、お前……いい加減人の名前を覚えようとしろよ……。軍の大佐だよ馬鹿野郎……」
ああ、そういえばそうだった。ずっと大佐としか捉えていなかったのですっかり忘れていたのだ。そういえば確か、彼女は先生と友人だとか言っていたはずだ。
「……えっ、友人? 今更ですけど、これと……?」
「これとって何だよおい。俺にだって友達の一人や二人ぐらい居るわ」
「あれと……?」
「あれとって……まあ、あれって言いたくなるような奴ではあるな。うん。ドン引き野郎だよな」
先生は一人で納得したように頷いた。それには俺も全面的に同意する。
「お前、アイツと話したんだろ? で、俺もそれを聞いた。しかし、その割には……」
「何です?」
「馬鹿げた面をしてやがるな」
エッヘッヘ、と先生は嬉しそうに笑った。酷くない?
「どうしたよ。アイツはお前を良い奴だって言ってたぜ。つまりは納得した顔を見せたって事だろ。なのに妙に明るいじゃねえか。遂に気が違ったか?」
「何が遂になんですか。やるべき事を見つけただけですよ」
「そりゃあ何さ」
「吸血鬼の長、クラウン・ユラクロンを俺自身の手で倒すことです」
「……エッヘッヘ!」
先生はおかしそうに笑い、そうして急に踵を返した。
「じゃあ先生帰るね。いやあ、久しぶりに弟子の顔見られて安心したわ。じゃあな」
「まあ待って下さいよ。先生も一緒に倒しましょうよ」
「いや何言ってんのお前!? やだやだ巻き込むんじゃねえ馬鹿!」
先生は酷く情けなく言った。こいつ全く変わってねえ。
しかし不意に神妙な顔を浮かべ、先生は恐る恐ると言った様子で言った。
「えっ何、お前実験でも失敗した? それで人が変わった? すげえ……精神魔術の方面にまで手を伸ばしていたとは流石はジョット君だぜ……完全違法野郎がよ……」
「そりゃあ俺の友人の方ですよ。俺はあれと違って法を犯してなんかいませんよ」
「あれっておい。そんなのと友人っておい」
「まあ、冗談はこの辺にしておいて」
と、俺は言って先生を真っ直ぐに見た。先生の顔もまた、笑みのない真剣なものに変わる。
「俺は本気ですよ。気が違っても人が変わってもいません。俺は、俺自身が望んで、クラウンを倒すべきだと思ったんです」
「……マジで?」
「マジですよ」
そう言うと、先生は夜空を仰いだ。「ああ」だの「うう」だの唸り、頭を掻き毟って溜息を吐いた。
「……お前がマジだって言うなら、仕方ねえよなあ。だぁ、ちくしょう」
「分かった、分かった」と先生は言い、降参したように両手を上げた。口をへの字に曲げながら彼は言った。
「お前がやるってんなら、仕方がねえから、俺も手伝ってやるよ。クソが」
その、本当に嫌そうな顔が、全く先生らしくて俺は笑った。
その笑みにますます不機嫌になったようで、先生はぶっきらぼうに「で? 事情は?」と言う。しかし、事情は既に知っているのではなかったか?
「大佐さんから聞いてるんじゃないんですか」
「ばっかお前、あんな頭のおかしい奴の話が信じられるわけねえだろ。偏見と理想塗れでまともに聞いてられっかよ」
「うわっ、酷いですね」
「どうでもええわ。あと、俺はお前の事情を聞いているんだよ。お目々真っ直ぐのジョット君よぉ」
また変なあだ名を付けられたが、それこそどうでも良かった。
「話せば長くなるんですけどね」
そう言って、俺はこれまでのことを話した。先生がいなくなってからのこと。ユラウとの出会いや、彼女の告白。その出生の意味と、それを否定するクラウンの態度。
何よりも、俺自身の醜悪さと、それさえも肯定しようとしたノアの言葉。そしてマルガレーテの、何だろうな、優しさというか、何だかを。
それらを聞き終えて「馬鹿だなあ」と先生は呆れ顔で言った。
「馬鹿。お前ら全員馬鹿。一々理屈付けねえと話せねえのかよお前ら。どうせお前、今でも正しいとか正しくないとか考えてるんだろ」
「まあ、そうかもしれませんね。押しやっただけで」
「だけど、それがやりたいと思ったんだろうが。だからあんな眼してんだろうが。馬鹿だなあお前。ほんと馬鹿」
「……まあ、そうですね」
「だったらそれだけで良いだろうが。考えすぎだねえ、頭でっかちのジョット君」
先生は俺の頭を小突き「本当に転生者なのかよ」と呆れた顔を浮かべた。ああ、それがあったな。
「知ってたんです?」
「こんな五歳児居るはずがねえって言ってただろ」
「どう思ってました?」
「そういう奴。ああ、それともこう言わせたいのか? 俺の一番弟子で、親友だってよ」
先生はぶっきらぼうに言った。何気ない振りを装ってそう言った。
それがどうにも、おかしかった。
「ははは!」
「な、何笑ってんだテメエ!」
先生はステッキを振り上げて、というか殴ってきた。それをひらりと避けて俺は笑った。
「いやあ何、あの大佐さんが可哀想だと思いましてね。あの人、先生のことを友人だとか言ってましたよ。それなのにずっと酷いことを言っていますね。どういう関係なんです? 先生の魔術まで知っていましたが」
「えっ、そんなん関係ないでしょ」
「何ですかそのすっとぼけた態度」
いくら友人だからって、あの大佐は軽々と情報を寄越すような人には見えなかったのだが。先生は下手糞に口笛を吹いてまで誤魔化したがっている。
こんな事をしている場合ではないのだが、そんな会話がどうにも楽しく、追求しようとして。
「あー……少し、良いかね?」
と、物陰からぬるりと人が現れた。
彼は何時ものように全身から紳士力を溢れさせていたが、その顔は焦燥していた。苦笑さえ浮かんでいない。
その顔を見て「あっ!?」と先生は指差して言った。
「この戦犯野郎が! よくもおめおめと出てこられたなボケェ!」
「犯罪は犯してないのだがね……いや致命的な失敗という意味ではそうなのだがね……」
「そこは認めるんですか、伯爵」
物陰から現れた伯爵は、力なく「ああ」と頷いた。すっかり気落ちしてしまっている。
そうして彼は本当に嫌そうに「ジョット君」と言った。
「申し訳ないが、私の話を聞いて、その上で考えて欲しいことが……」
「ああ、クラウン・ユラクロンなら俺がぶっ殺しますよ。よければ伯爵も手伝ってくれません?」
「えっ」
物凄く珍しい、呆気に取られた顔を伯爵は浮かべた。彼は戸惑ったように「それは……」と何かを言おうとして、言えなかった。
何せ、その背後から物凄い速度で「このどげろぎあがぎがあああッ!」という奇声が放たれたと思った瞬間、伯爵が縦に真っ二つになったからである。