時刻は夜の十時となりまして、やって来ましたは公爵領レクト村近く、辺りに何もないだだっ広いだけの草原である。試合開始を間近にして、選手一同は緊張もなく、のんべんだらりと欠伸をしていた。
ふわあと一つ、大きくやったのがリインである。白馬に跨がった彼女の横では、トールにファットにスレンダーが武器を検めている。その手つきにも緊張感はなく、夜の闇に微睡むようですらあった。
「改めて、今回はありがとうございます」と俺は彼らに声を掛けた。「いやいや!」とトールが顔を上げて笑った。
「ジョット君の頼みとならばなんのその! 脇目も振らずに駆けつけちゃうよ。だっておじさんはおじさんだからね!」
「説明になってない説明ありがとうございます。しかし他のお二人はよろしいので?」
「あー……まあなー……がくせーの話が確かだってんならなー……」
ファットが何時もの気怠げな声で言った。スレンダーが頷き、軽い調子で言う。
「そうとも。君の話によるのなら、吸血鬼は私達の故郷を滅ぼしたことになる。ムカつくだろ、そんな奴」
「え?」
「あっ、言わないでって言ったでしょ! そんな事はさ!」
「言うよ。言った方が納得しやすいだろ。恩義だ何だの付けるよりはさ」
スレンダーはあくまで軽くそう言って「まあ、そんなわけだ」と俺を見つめた。
「レクト村は、捨てたと言っても故郷でね。だからと言うわけでもないが、あの態度だったというわけだ。なに、そこまで恨んじゃいないが、据わりは悪いだろ。だから協力する。そういうことにしておいてくれ」
「故郷はなー……ずっと嫌っていたんだがなー……なくなったならなくなったで、どうにも情が湧いてくるよな。不思議だよなー……」
「そんな事は言わなくて良いんだよ。ジョット君には関係ない。だから気にしなくて良いよ!」
「はあ……」
まあそう言うのならそういうことにしておく。彼らが背負う感情は彼らにしか分からないだろうし、俺が何を言おうとも何にもならん。
それよか大事なのは状況である。夜の闇、その向こうに蠢く波が見えている。森の中から這い出るようにして現れたそれらは、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「伝承の通りね」とユラウが呟いた。「いっそ馬鹿みたい。アイデンティティーというのは奇妙なものね。端から見たら何の価値も無いように思えるわ」
森の中から現れたのは吸血鬼の一団と、種々様々な動物であった。勿論ただの動物ではない。血を吸って操り、村の外を行進するという伝承の通りに、彼らは吸血鬼の支配下にある。
「パレードだよ、これは」と伯爵は言った。「吸血鬼を世に知らしめるための凱旋だよ。だから戦略も戦術もなしに、ああやって波のように行進している。私の指定に乗ったのもそうさ。奴は言ったよ。『そちらの方が面白い』とね」
「まあその面白さが命取りになるのですが」
リインが言い、馬上に黒塗りの十字槍を振るった。「あぶねっ!?」とトールが頭を下げたが、そんな事はお構いなしにリインは嬉々として笑う。
「数を揃えようとも無意味。戦場とは一個と一個の決着により決定するもの。あれらは所詮付随したものに過ぎませんよ。ですから一切を私に任せていただければ」
「支援も貰いましたね」と、リインはその身体に巻き付けられた魔石の札を手に取った。じゃらりと硬い音が響き、「ぎゃは!」と面白そうに言う。
「一騎当千は千を殺すに専心します。あちらの一騎当千は貴方達に任せましたよ」
「俺達は君ほどの機動力がないからな。しかしその馬、大丈夫かね?」
「大丈夫とは?」
「寝息を立てているように見えるのだが」
「あっ、この馬鹿馬!」
べしんとリインは白夜号の頭を引っ叩いた。それでようやく気が付いたように白夜号はふるふると頭を振る。しかし尚もぼけーっとしている。大丈夫かとは俺も思った。
「ま、まあ大丈夫ですよ。この馬だって自分というものを分かっているはずです。だから選んだのですから。ねえ?」
「うわっ糞までし始めたぞばっちい!」
「こら、粗相!」
べしべしと叩かれて鬱陶しそうに頭を振る姿は、まあ大物と言えば大物だろう。
しかし、相手がこうして姿を現わしたのならばさっさとやってしまわなければならない。軍にはキッチリ報告が行っているだろうし、帝都が騒ぎ出すのも時間の問題だ。土台これはエゴのためにやっているのだから、不必要に市民を脅かすことは避けなければならないだろう。
「しっかし、本当に友達が少ないですねえジョット君」
馬上に振り向いてリインは言った。「そうですか?」と言えば彼女は呆れ顔を浮かべる。
「私が居たから良いものの、普通、こんな数で百数人には挑みませんよ。その苦労分かってます?」
「数だけ揃えても無意味じゃないですか。さっきリインさんもそう言ったでしょう」
「そりゃあそうですがねえ」
この場に居るのは俺とリイン、トール達の三人組に、ユラウと先生のみである。トレージは疲労でぶっ倒れたし、命を賭ける気は全く無いらしいので安全な場所で一休みである。
そして伯爵は「では」と言って外套を翻した。
「私はここまでだ。君達に期待する事にしよう」
「何か激励の言葉とか無いんです?」
「言うべき事は全て言ったよ。だが、それでも敢えて言うのなら……」
伯爵はぐるりとこの場の全員を見つめ、言った。
「君達の存在そのものを、私は嬉しく思う」
最後にそう言って伯爵は闇に消えた。「勝てよ、とかじゃねえのかよ」と先生が呆れたように言った。
「じゃあそこの三人組は俺に付いてこいよ。走るからな」
「おじさんはジョット君と一緒が良かったなあ。このおじさんよりおじさんのおじさんじゃなくて」
「おじさんおじさんうるせえよ。後で一緒になるんだから別に良いだろ」
「では私もあっちに行きますので。上手くやって下さいよ」
そんな風に先生達は東へ、リインは西へと向かっていった。ぐい、とユラウが伸びをする。
眼前には間近に迫った吸血鬼の一団が、その先頭にはユラウの父親、クラウンが居る。
周囲にある明かりは足下の焚き火だけだった。それもまた、ふっと消える。クラウンの赤色の瞳がここからでも見えている。
「ねえ、ジョット君」
二人だけになり、ユラウは言った。
「貴方って、私のためにも戦ってくれるのよね」
「そういう意味もある」
「それって同情かしら」
「同情?」
ユラウはニコニコと笑って「違うと、そう言って欲しいわ」と呟いた。
「だって私、同情されるような人間じゃないもの。ノアちゃんのために戦うのなら分かるけれど、私のために戦うのは、意味が分からないから」
「同情されるような身の上ではあるだろ。親父さんの迷惑を被っているんだからな」
「ああ、言い方が悪かったわね。私は貴方に同情して欲しくないの」
「俺に?」
「私、世界でたった一人だけ、貴方にだけは同情されたくない」
笑いながらユラウは言った。「だって」とクスクス笑い、おかしそうにしながらユラウは言う。
「私、ドラマチックに同情されるような女の子じゃないもの。ノアちゃんなら分かるけどね。ノアちゃんなら」
「女の子じゃなかったら何なのさ」
「おばさんね。だって私、貴方よりずっと年上なのよ? お母様が旅立ったのが五十年前で、それから私を産んで亡くなったと数えると、ね?」
「はあ」
呆れて俺は言った。今更になって歳を持ち出してくるのか。ああ、それとも。
「違うと言って欲しいのか」
「あは、無粋」
「だが俺は言わん。歳の話をするのならもっと言うべき事がある」
「それは?」
「俺は転生者だ。もう殆ど思い出せないが、お前よりは年上だろう」
「知ってたわよ」とユラウは言った。しかし嬉しそうに「それで?」と言った。
「それで、どうして隠していたのかしら。そして、どうして隠していたものを打ち明ける気になったのかしら」
「労働基準法があったからだ」
「……はあ?」
「だから、転生者が労働基準法を定めたのなら、それへの恨みは転生者に向かうだろ。だから隠していた。あんな悪法をこの異世界にまで普及させるとは、あれこそ悪魔に違いない」
「はあ」
何というか、溜息を吐くようにユラウは言った。「えっ、それだけ?」と拍子抜けしたように言う。
「えっ、それだけで隠してたの? えっ、もっと凄い秘密とかないの? 前世の因縁とか、トラウマとか」
「ない」
「ない? ないの? えぇ……? じゃあなんでこんな時に言ったのよ……」
「お前が歳の話なんかするからだろ。何を期待しているのか知らんが、俺は何時だって問題文の誤謬を突くことしか出来ん」
「あほらし。ばあか」
ユラウはふて腐れたように言って、しかし不意にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、貴方はおじさまね。これからおじさまと呼んであげるわ。ファウストのように若返って女の子を誑かす気色の悪いおじさまよ。軽蔑するわ」
「何が誑かすだ。お前は女の子じゃなくておばさんなんだろう」
「言ったわね。言っちゃいけないことを言ったわね!」
ケラケラと笑ってユラウは俺の肩を小突いた。そうして「ああ」と呟いた。
「馬鹿らしくなったわ。貴方の前では何時もそうね」
「何時もそうならお前が馬鹿なだけだろう」
「馬鹿になるのは楽しかったわ」
「そりゃあ良かった」
「この瞬間が永遠に続けば良いのに」
「それは禁句じゃなかったのか?」
「貴方の前で死にたくなっちゃった」
「冗談でも言うなよ」
「そうね、冗談。だから……」
「冗談は止めろ」と、鋭い声が響いた。
蠢く怪物達を背に、クラウン・ユラクロンは狂相を浮かべている。彼が乗っているのは何だろうか。気色の悪い、馬を歪めたような黒い動物。その上から赤色の双眸は厳しくこちらを睨み付け、憤怒を声色に乗せて伝えてくる。
「お前達が、伯爵の言った敵だというのか。お前達程度が俺を殺すというのか。ふざけるなよ。前座にしても格というものがあるだろう」
黒馬が獰猛な息を漏らす。ざわめき、嘲笑。困惑はない。ユラウが目の前に立つことに、彼らは嘲りを浮かべている。
「ええ、ふざけてる。今だって半信半疑なんだから」
ユラウは一歩も引くことなくそう言った。
「だけどねお父様。私はともかく、ジョット君は侮っちゃいけない。きっとこの人は貴方を殺すわ。だって自分で言ってくれたもの」
「何をだよ、人間風情が」
「貴方を殺して、きっと平和を取り戻すってね」
その言葉に、クラウンは変な顔を浮かべた。「平和?」と気に食わなさそうに言った。
「それを君が言うのか、ジョット・ブレイク君。君は平和を望むのか? それは、残念だな」
「何が?」
「君は、俺と同じだと思っていたんだが」
「はあ?」
クラウンは、不思議と残念そうな顔を浮かべていた。彼は物憂げに言う。
「あの少女、素晴らしい才能を秘めていたが、未だ未熟だったな。それを君は開花させたいんじゃなかったのか? 君は俺と同じだと、そう思って少し嬉しかったんだがな」
「どこが同じだってんだよ」
「芸術的完成を目指す事だよ。俺は何時だってそれを目指してきた」
「……それが、芸術?」
ユラウが半眼にクラウンの背後を睨んだ。「そんな醜いものが」吐き捨てるように呟く。
しかしクラウンはふと笑った。上から見下して言った。
「そうか、ユラウ。君は俺の目的が知りたいのか? 昔と変わってしまったと思って、その真意を探りたくて、この場に立っているのか?」
「そうだけど?」
「だとすれば君は馬鹿だ。俺は昔から何も変わっていない。俺が目指すのは世界の完成だ。世界を混沌とさせ、女神の時代に等しく素晴らしくすることだ」
「はあ?」
呆れて俺は言った。狂人かこいつは。
しかしクラウンは熱っぽく言う。
「芸術的な完成とは混沌の先にある。光と闇に分けられたこの世界を再び混沌に戻すことで、人々はようやく神の視座に近いものを得るだろう。それを単一の個体で為し得ようとしたのがユラウ、君だ。しかし私はこうも考えたんだよ。即ち、光と闇の分断もまた神の意思に適った形ではないのかとね」
「何を……」
「それは視点の違いだよ。我々の眼は、所詮は世界を内部から見たものに過ぎない。しかし神は世界の創造者だ。世界を唯一外部から見ることが出来る存在だ。ならば我々が分断と呼ぶそれは、絵画の点描に過ぎないのではないか。人間も吸血鬼も、それが混じり合ったものも、所詮は数多ある色彩の一つでしかなく、神が望んだ完成とは、その全てを包括する絵画そのもの、分断を含んだ世界そのものではないか?」
「つまり」とクラウンは言い、嘲笑を浮かべて言った。
「ユラウ、君は失敗作だった。方向性を間違えていた。それが分かったんだ。だからこうして、吸血鬼達自らが世界を掻き混ぜる必要がある」
ユラウは顔を強ばらせていた。唇を噛んでいた。それを見て、クラウンは微笑んだ。
「……まあ、俺以外には理解されていないけどね。こいつら、馬鹿だからな」
その言葉を聞いているのかいないのか、吸血鬼達はへらへら笑っている。クラウンの目指すところなど理解しないままに、各々牙を剥いて笑っている。
「良かったな」と俺は言った。
「ユラウ、これで君の目的は達せられたわけだ。そして次の目的が出来たな。父殺しの葛藤は思春期にはありがちだろ」
「……思春期なんて、とっくに過ぎてるわよ」
「じゃあ決定的に相容れないというだけだ。単純明快。分かりやすくて何より。さっさと馬鹿馬鹿しい目的を打ち砕こう」
俺は杖を抜いた。ユラウもまた、「そうね」と溜息を吐いて剣を抜いた。
しかしクラウンは眉根を寄せて「聞き捨てならないな」と言った。
「何が馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのは君だろう。あの少女、先程散っていった人間達の中には見えなかったが、折れたか? 君は自分の完成を放り投げて、俺に憂さ晴らしをしようというわけだ。つまらない態度だな」
「俺はずっと期待しているよ。ユラウを投げ捨てたお前とは違う」
「ならば今こそ好機ではないのか? 俺を殺し、素晴らしくなる事が君の望みではないのか? 伯爵はそんな風に言っていたような気がするが」
「余計なこと言いやがって」
しかしまあ、そんな問いへの回答もまた単純明快だ。俺は戦争を望んでいない。戦争なんて、そんな事が起こったらゆっくりと寝起き出来ないだろ。
「俺はお前のように体験型アクティビティを目指してはいないんだ。帝国市民なら誰でも言うだろう。働かずに楽に暮らしたいってね」
「そんな生活が望みかよ」
「いいや、皇帝が保証するところの、健康的で文化的な最低限度の生活に甘んじる事も嫌だ。最低限度ってのが嫌だな。それ以上ないのかよって気分になる」
税金で生活保護を受ける以上は、過度な贅沢は批判の対象になるだろうが、その過度な贅沢こそ俺が求めるものである。ノアという贅沢を横に置いて、そう、生活する。
「生活すること。うん、これだな。この言葉は良いね。完成を目指す生活だ」
ユラウは芸術的に文化的に、愛という理念から産まれ、理念として生きることを望んだが、俺の目指すところは少し異なっている。
そこには生活が第一にあるのだ。理念だけじゃ飯は食えない。飯を食わなければ理念も産まれない。そういう俺の中途半端さは、しかし時と場合によって、それを守るために頑張ろうと思うのだ。
だから、つまり。俺が目指すところとは。
「芸術的で文化的な異世界生活を目指して、俺はお前を殺す」
俺は二本の杖を地面に突き立てた。
クラウンが腕を振るう。ユラウが辛くも受け止める。背後の吸血鬼共が動き出す。その前に!
「回転回転回転回転さあ先生繋ぎますよ頼みますよ──空間転移!」
ぐるりと、俺とユラウ、そしてクラウンだけを切り取って、周囲の光景が移り変わる。草原から森近く、数百メートルの距離を飛ぶ。
そして目を見開いたクラウンへ、その完全に不意を突かれた首に飛来するのは、黒く塗られて尚も青白く輝く剣。
「馬鹿な──!」と動く口へと、俺は思い切り強く叫んだ。
「俺はずっと期待しているって言っただろうが! やっちまえノア!」
「はいっ!」
ノアの剣。青い黄金を光芒として引く一刀が、クラウンの身体を劈いた。