芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第69話 黄金の宙

 

 

 

「いや、見事も見事。素晴らしいと思うよ」

 

 そう言ってクラウンは拍手をしようとし、片腕しかない事に気が付いたのか、苦笑しながら頬を掻いた。

 

「この通りだ。君達は俺を徹底的に対策し、何とか殺そうと努力した。しかし自分で言うのも何だが、この程度ではまだ殺せないらしい」

「そこは普通に死んで欲しいわよ、お父様」

「自分でも思う。ここは普通死ぬところだったろう。こういった努力を、そうであるからというだけで超えていくのは我ながら理不尽だ」

 

「しかし」とクラウンは背筋を正した。

 

「そう在るのが吸血鬼ならば、これもまた神の理念に適った事だろう。或いは俺の理念が正しい証拠なのかもしれない。世界は混沌に掻き混ぜられるのが道理なのだと、世界はそう在るように出来ているのだとね」

「それにしちゃあ、アンタ以外の吸血鬼は無様だがな」

 

 先生が言った。爆発音が近くに聞こえた。森に火が回り始めていた。

 

 悲鳴が聞こえる。足音が響いている。「ああ」と厭うようにクラウンがそちらに眼を向けた。

 

「それは本当にそうだな。相手は一人なんだろう? 情けないとは思わないのか。なあ、フィネカ」

 

 再び深まった夜空から、ふっと降りてきたフィネカを見下ろしてクラウンは言う。彼女は半身を焼け爛れさせながら息せき切って叫んだ。

 

「申し訳ございません。しかし、しかしですよ、あれには誇りなど欠片もありません。我らは誇りを掲げて戦うというのに、罠を仕掛け、攻めては逃げるを繰り返す相手など! これだから人間は!」

「うん? 君は、尚も誇りを語るか」

「尚も、とはどういうことですか。誇りこそが私達でしょう! ユラクロン様だって……!」

 

 と、そこでフィネカは俺達を睨んだ。先生が酷くつまらなそうにその視線を見つめ返している。

 

「一人を囲んで殺そうとは、数だけは多い人間の考えそうなことです。しかし無様に終わったようですね。そうですとも。吸血鬼は、やはり人間よりも優れている。だから融和など必要ないのです。ユラクロン様にも、ようやくそれを分かっていただけて、本当に良かった」

「君はそういう生まれだったね」

「馬鹿な親です。私はユラウお嬢様、いえ、あの娘の相手をするのだって嫌だったんですよ。まだ呑気にそんなものを夢見ているんですから」

 

 フィネカはユラウを睨み言う。それに対し、ユラウは呆れたように言った。

 

「嫌ってたなら嫌いだって言えば良かったのに。配置転換くらいは陳情してあげたわよ」

「だから夢見がちな子供なんですよ貴方は。私が、この生まれで、どれだけ苦労してこの立場になったのか。それを理解しようともしない」

「それはごめんなさい。でも、大丈夫なのかしら」

「何が?」

「お父様、凄く嫌そうな顔をしているけれど」

 

 ユラウが指し示した先、クラウンは指摘されたとおりの顔を隠さずフィネカに向けていた。露骨に嫌悪するような、侮蔑するような眼で彼女を見下していた。

 

「……大多数が、こうなんだよ」

 

 口元を押さえて彼は言った。

 

「誇りというものを勘違いしている。それは大義名分か。依存するところか。違うだろう。それはもっと尊くて、決して言い訳のために使われてはならない」

「いえっ、これは言い訳ではなく……!」

「ああ、もう良い。分かっている。分かっているとも。それも飲み込んで率いようとしたのが俺だ」

 

 クラウンはそう言って、きっと何かを飲み込もうとした。「しかし、だな」と、彼は片腕で顎先を撫で、思案するようにこちらを見た。

 

「ああいったものを見てしまうと、やはり、こちらにも自覚が必要だと思うんだ。君達にはそれが足りない。自分達が世界を掻き混ぜるという自覚が。今までは単に、俺だけの芸術的理念だと思って飲み込んできたが……」

「なに、何を言っているのですか、ユラクロン様」

「どうにも、いいや。これはやはり……」

 

 クラウンはじっとフィネカを見る。戦禍の最中の悲鳴を聞いている。

 

 暫くの沈黙の後、苦渋を滲ませてクラウンは言った。

 

「よし、決めた。君達にはここで死んで貰おう」

 

「は?」とフィネカが唖然とした顔を浮かべた。その首が刈り取られた。

 

 同時に彼の周囲を埋め尽くしていた血溜まりが、騒ぐ森の中へと向かっていく。

 

 悲鳴。破裂音。水飛沫。ぐしゃりと聞き覚えのある音。ケラケラと子供のようにクラウンは笑う。

 

 その掌の上に、青ざめた顔をして、首だけになったフィネカは言った。

 

「どうしてですか」

「気が変わった」

「だから、どうして」

 

 フィネカは言う。

 

「まさか、今更ですか。今更、貴方の娘が惜しくなったのですか。見捨てたではないですか。貴方は私達を選んだんじゃないですか」

「違うね。俺は確かにユラウを見捨てたよ」

「なら」

「だけど、君達も見捨てようと思うんだ。自分でも無様だよ。ようやく分かったんだ。君達には何の価値もないと」

 

 ぐしゃりと、掌の上で肉がひしゃげた。その血をクラウンは全身で吸った。

 

 傷が癒えていく。

 

「妥協だな、これは」

 

 溜息を吐き、クラウンは森を見やった。既に悲鳴は聞こえなかった。何もかもが静まり返っていた。

 

 先生が眉間に皺を寄せて言う。

 

「何がしたいんだよお前」

「吸血鬼の長としての責務と、芸術的理念の追求」

「狂ってるのか?」

「いいや凡俗だ。俺は全く失敗した。二つに手を伸ばしてどちらも得られなかった。自暴自棄だよ、これは」

 

 クラウンは自嘲の笑みを見せた。

 

「俺は立場として彼らを率いなければならなかった。しかし、王ならば王としてあるべきだというのに、率いることに意味を求めたのが俺の凡俗な点だった。その結果がこれだよ。王は気に入らないから臣下を殺した。無能で愚鈍な王だろう。それでも気に入らなかったんだから仕方がない」

「……芸術的理念の追求を止めなかったのは、少なくとも、お父様の立場としては非難されるべきよ。付いてきた人達が可哀想」

「そうとも可哀想だ。しかし接すれば接するほどに醜悪だった。だから俺は今、とてもすっきりしている。気分が良い」

「傲慢ね」

「無様と言うんだ。こういうのは」

 

 彼の傷は、森から流れ出、その身体に流れ込む血液によって急速に回復し続けている。しかし彼はまるで負けたような顔を浮かべている。

 

「妥協か」と俺は言った。

 

「お前がそんな顔を浮かべているのは、妥協し続けてきたからか。立場という現実に負けて、理念を曲げ続けて。遂には吸血鬼の蜂起を率いなければなくなったとしても、そこに何とか理念をこじつけようとした結果が、あの、何も理解されないざわめきだったか」

「そうとも。妥協した先に、本当に欲しいものは何も残っていなかった。こういうのは何と言うんだろうな」

「青い鳥」

 

 俺はユラウを見て言った。しかし、クラウンは首を振った。

 

「いいや、俺はユラウを見捨てた。君は確かに失敗だった。君は人間も吸血鬼も、現実というものを越える事はなかった。だからそのたとえは違うね」

「だとしたら、お父様はこれ以上何をやるっていうのよ」

 

 ユラウが言った。彼女は自分の父親を、いっそ哀れむように見つめている。

 

「お父様は、馬鹿ね。自分で戦う意味をなくした。お父様にはもう何もない」

「いいや、あるとも」

「それは」

「君達を殺して帝都に向かって人間を殺して死ぬ」

「まだ言うの」

「言うとも。これ以上の妥協は許されない。俺は傲慢だよ。エゴイスティックだよ。吸血鬼の王でありながら吸血鬼を殺した馬鹿だよ。自分の思うとおりに世界が動いて欲しいと願う馬鹿だ。しかしだな!」

 

 蘇った片腕を、確かめるように開閉させながら彼は言った。

 

「やったことを後悔して、今更反省するのは最も醜悪だ。どう思うよ。俺が今更、娘に愛などを言って、人間との融和を図って、世界平和なんぞを説いたら。気持ちが悪いだろう。どの口がと思うだろう。だから俺は徹底して人間を殺す。俺は、世界を掻き混ぜた先に美を見よう。元よりそれは望むところなのだから」

「それだって妥協だろう」

「それは、そうだね」

「意固地だな。頭が硬い。自縄自縛でしかないだろう」

「それは、その通りでしかないんだ」

 

 俺は言った。クラウンは肯定するように笑った。

 

 クラウン・ユラクロンという人間は、傍迷惑なほどに身勝手で、傲慢で、そして何よりも負けていた。彼は彼自身の理想に敗北し続けていた。

 

 この時代に英雄をやるということは、こうなのだろうか。あらゆるものを撥ね除ける力を持っていたとしても、現実は暴力だけでは解決出来ず、遂には理想とは程遠いところへと陥る。

 

 この世界における英雄とは、こうなのだろうか。人の身を越える力を持っていたとしても、精神は決して人間の範疇を超越せず、その力が故に無駄に苦しむことになる。

 

「しかし」とクラウンは言った。

 

「これは、こればっかりは、楽しみでもあるんだよ。君達は俺が殺せるか。良いところまでは行ったが、今度こそは殺せるか! それが楽しみで仕方がない!」

 

 獰猛な、純粋に素晴らしいものを見るような笑みで、クラウンは言った。

 

「政治もイデオロギーも何もかもが失敗したが、しかしこればかりは得意だぞ。俺はただ単純に強い! 本当に、無意味に強いんだ! そんな俺を、君達は討ち滅ぼせるか!」

 

 それが本来の自分だと、英雄であると言うかのように、彼は腕を振った。

 

 風が吹く。突風が襲ってくる。さあ来たぞ。どうやってこれを殺すのか。どうやればこれを滅ぼせるのか。

 

「いや、思い付くわけないだろ。こっちはさっきので魔力使い果たしているんだけど?」

「は?」

 

 クラウンはぽかんとした顔を浮かべた。

 

 代わって「えっ」と言うのはいつの間にか側に居たノアである。彼女は狼狽えるようにクラウンと俺とを見比べながら言った。

 

「えっ、な、何も考えてなかったんですかジョットさん……?」

「えっ、ジョット君何も考えてなかったの? 何かあると思っておじさんずっと黙ってたんだけど……」

「がくせーさあー……そういう大事なことは早めに言えよ……」

「まあ私達も何も有効な手立てがないんだけどね……」

 

 ぶつくさと溜息を吐くようにトール達が言う。クラウンは拍子抜けしたように「はあ」と言い、急に慌て始めた。

 

「い、いや、もっとこう、あるだろう!? 今から決戦って感じだったじゃないか! 俺のこの感情はどうしてくれるんだよ!」

「コイツが無理と言うなら本当に無理だわ。もう勝手に死ねば?」

「ひ、酷い言いようだな魔術師……。まあ確かに、俺も勝手に死ねと思うが……」

「思うのかよ。クソ面倒臭い奴だなテメエ」

 

 先生が言った通り、クラウンは本当に面倒臭い奴である。自分で自分を身勝手と言ったって、それで身勝手さが許されるわけでもない。自覚してやっているのが一番質が悪いだろう。

 

 だから俺は二本の杖を投げ捨てて両手を上げた。降参の構えである。ノアが「えぇ……?」と呆れたような困惑するような眼を向けてくるが、これ以外に方法がないのだから仕方がない。

 

「まあこの様に、何も手立てがないわけで……」

「ええい! 杖まで捨ててすたすた歩いてくるな! 矜持ってものがないのか君には!」

「そんなものは──っ!?」

 

 ふと、空がぐるりと回った。

 

 いや俺が回ったのか。浮遊感。宙に浮いて吹き飛ばされたところを「でしょうね」とユラウに受け止められる。

 

「早撃ち勝負なんて貴方の柄じゃないでしょ」

「やっぱそうか」

 

 やれやれと、俺は懐から手を抜いた。その指先には歪な形の魔石が一つ。それを目にしてクラウンは笑った。

 

「やっぱりまだあるじゃないか。どうして自慢してくれなかったんだ。それが俺を殺すんだろう?」

 

 指先に魔石を弄びながら、俺はユラウの胸内から立ち上がった。

 

「自信がなかったんでね。俺がこれを使っても、殺しきれるかどうか」

「君なら大丈夫だ。自信を持て。先程の魔術は本当に素晴らしかった!」

「敵を応援するなよ」

 

 言いながら、内心で冷や汗を流す。千載一遇の機会は失われた。隙を突いて至近距離から発動する作戦は、単純な動体視力と反応速度によって打ち砕かれてしまった。

 

「まー、こっすい考えなんてしない方がマシだったな」と先生は言う。「だが」顔を顰め、厭うように魔石を見つめる。

 

「それは使わない方が良いと思うぜ。殺された方がマシかもしれねえ」

「マシという事はないでしょう。未知は確定した死よりも余程良い」

「お前が分からねえって言うこと自体が異常だろうが」

 

 そうだろうか。そうかもしれん。しかし使わないという選択肢はない。

 

 俺は指先に、弓を番えるように魔石を持ち、こめかみに当てた。

 

 しかし「ジョットさん」と、その腕を柔らかく包む手があった。

 

「なんだ、ノア」

「それは……人に使うための魔術ですか」

「そうだ」

「だったら、それは……!」

 

 私が使うべきものじゃないんですか、と言いたかったのか。彼女は言葉を口に出来ず、震える手で俺の腕を掴んでいた。

 

 その優しさが嬉しかった。まだ勇気を振り絞ろうとしていることが眩しく思えた。

 

「そうだったら良いな、と思ってはいたさ」

「だったら、私が……!」

「いいや、君じゃない。今の君じゃないんだ。これはエゴだよ」

「はい……?」

「これを使っても俺はきっと満足できない。もっと素晴らしいものがあると絶対に思う。だから使わない。全てが手に入らないのなら、何も要らないんだ」

 

 クラウンは大迷惑野郎だが、俺も大概だなと苦笑した。人に向ける言葉かよ、これ。

 

 しかしクラウンは待ちきれないとばかりに笑う。血の波を成す。百を超える吸血鬼と、森の全てを攫った生命の波は、異形の形を残したままに帰来する。

 

 俺は肉に食い込ませるように魔石を当てる。呪文の準備は全く出来てない。しかし元より不完全な対象にどうして遠慮する必要がある。

 

 口を開く。プロセスを一気に飛ばして発動させようとする。

 

 その刹那。

 

「だったらそれ、私に使って下さいよ」

 

 白馬に跨がった黒騎士が、異形の波を薙ぎ払って現れた。

 

「ぎゃは!」と「ぎゃはははははは!」と、止め処ない波が青白い輝きに解体されていく。白馬はひらりと波を避け、馬上の槍が尽くを細切れにしていく。

 

「じゃあん」と、波を突っ切って現れたリインは、獣のような笑みを浮かべて言った。

 

「遅れて登場です。で、私に全てを賭けてくれません?」

「それもありですね」

「おや素直」

 

 ちょっと意外そうにしてリインは言った。じろじろとノアを見つめ、呆れたように溜息を吐く。

 

「分かってますよ。ノアじゃなきゃ嫌なんでしょう。ずっとそうですもんねジョット君は。私は何時も二番目なんですから」

「あの……リインさん、私は……」

「でも許してあげます。だって私はいい女なので。ああなんて献身! 結婚ぐらいしてくれなきゃ甲斐がないと思いません?」

 

「ねえ」とリインは振り返って言った。「へえ」とクラウンが言う。

 

「君か、一騎当千の英雄は。俺の馬鹿共が馬鹿を掛けたようで申し訳ないな」

「ええ馬鹿でした。誇りなんてものは犬に食わせるものでしょう。即ち夕食のあまりなのです。夕食はもっと美味しくて豪華なんですから」

「そうとも。誇りなんてものは行為の後に付いてくるものだ。君はよく分かっているな!」

 

 クラウンが腕を振る。それに合わせて波が来る。それを眼前にして「さて」とリインは言った。

 

「私はいい女なので、目にもの見せてくれましょう。特にノア、しっかりと見ていなさい」

「それは……」

「特に、この馬鹿馬をね」

「え?」

 

 リインはべしんと白夜号の頭を叩いた。白夜号は動じなかった。しかし、今までのように呑気をやっているのではなかった。

 

 顔を動かさず、じり、と四足に地面が削れる。息を深く吸い、全身に気力を貯めている。

 

 白夜号は異形の波を前にして、走るための姿勢を取っていた。

 

「この馬鹿馬、あいつらを相手にしてもまだ呑気だったんですよ。だからここまでもぽってりぽってり歩くだけで、どうにも遅れてしまいました」

 

「しかし」とリインは白夜号の頭を撫でた。愛おしそうに顔を近づけ、その耳に囁いた。

 

「お前はようやく、お前に相応しい敵に相対したのです。それが分かったのでしょう。だから、その名の通りに駆けなさい」

 

 身を屈め、リインはくるりと槍を振る。

 

「天の極みまで、地の極みまで。沈むことのない太陽のように。お前を見せ付けるのですよ、極天極地白夜号!」

 

 その声に、白が駆けた。

 

 嘶きの声はなく、ただ走る。鬣と尾を靡かせて、波の中さえも劈いて走り続ける。

 

「つまりですねえ!」とリインは馬上に十字槍を振り回しながら叫んだ。

 

「お前、私達がここまでやっているんだから、いい加減にしなさいよ!」

 

 その言葉に、俺の腕を掴む指に力が込められた。

 

「優しいな、リインさんは」と俺は言った。

 

「優しいですね、リインさんは」とノアが言った。

 

 その声に震えはなかった。

 

 だから、俺は言った。

 

「行けるか、ノア」

「行けます」

 

 ならばよし。"眼"を開く必要さえない。

 

 俺の隣にあるものは、本当に尊く光り輝いているだろう。

 

「なら、俄然準備をしなきゃいけなくなった。ねえ、トールさん達!」

「ああ」

 

 トールは微笑みを浮かべていた。これから何を頼まれるのか。それがどれだけ難しいことか。そんな事を悟らせないような微笑み。

 

 だから俺は、それに相応しく言った。

 

「格好良いところ、また見せてくれません?」

 

 トールは笑って言った。ファットとスレンダーもまた、仕方なさそうに笑って言った。

 

「良いに決まってるでしょ!」

「まーた安請け合いしやがってよお……」

「しゃーない。もう諦めたよ私は」

 

 三人は互いを一瞥し、それだけで飛び出した。俺は彼らを遠目にしてステッキを地面に突き刺した。

 

「先生、手伝って下さい」

「お前達が良いって言うなら手伝うけどよぉ……それ俺にも分からねえ奴だぞ……」

「俺にも分からないから安心して下さい。演算処理を任せるだけです」

「今、物凄く不安な言葉が聞こえたんだけど……? それで良いのかよ嬢ちゃんは……」

「はい」

「あっ物凄く覚悟決まってる顔」

 

 クラウンはリインとトール達を相手に大笑し、波を操り腕を振って、俺達が何をするのかを楽しみにしている。

 

 ふと「私は?」とユラウが言った。

 

「私は役に立てないかしら。素晴らしい事への手伝いを」

「要らん」

「酷いわね。でも、それなら仕方がない」

 

 俺はノアの背に回り、虚空に魔石を浮かび上がらせた。先生を横に置き、ステッキを地面に突き立てる。

 

「だったら、ユラウちゃん」とノアが言った。

 

「考えてくれませんか」

「私が、何に?」

「私がやろうとしていることが、どういうことなのか」

 

 ノアはクラウンを真っ直ぐに見つめている。

 

「私には、難しい事なんて分かりません。世界がどうだとか、理念がどうだとか、そんな事は分からないんです」

「それは……分からなくても良いでしょう。それに拘泥して失敗したのがお父様だもの」

「だけど、考えることは立派だと思うんです。目指す事そのものがとても立派で、尊いことで。だから、ユラウちゃん」

「なあに?」

「私は、ユラウちゃんのお父さんを殺します」

 

 決して眼を逸らさぬまま、ノアは呟くようにして言った。

 

「きっと、殺します。殺されるから殺すんです。それが正しいことなのか、間違っているのか。何がそうなのか、私には分かりません」

「……だから、考えて欲しいって?」

「私は何も分からないから、一緒に考えて下さい。考え続けて下さい。それはきっと、立派なことだと思いますから」

 

 ノアは振り返り、俺を見た。ユラウを見た。

 

 ユラウは言った。

 

「それはとても、難しい事ね。ノアちゃんはとても難しい事を言っているわ」

「いけませんか?」

「いいえ、それで良いと私も思う。問い続けることは、求め続ける事は、きっと何かを救うでしょう」

 

 何かとは、何か。何かとは全てだろう。

 

 万物は流転し、回転し、そして高進する。その高く飛び立つ姿が俺の手繰る指先にある。

 

「さて」とクラウンは言った。腕を振った。鎧袖一触にトール達は吹き飛ばされ、全身に傷を作りながら尚も立つ。

 

 リインは本当に楽しそうに駆け巡り、黒い荒波は大海とばかりに沸き立っては飲み込んでいく。

 

「準備は出来たかな」

「もう少しだね」

「はは、これ以上我慢できないぞ!」

 

 クラウンは笑って飛び出した。来る。死が迫り来る。ノアは微塵も動かず俺を待っている。ユラウはその手を握り、真っ直ぐにクラウンを見つめている。

 

 しかしその動きは止められた。トールの剣。黒塗りが剥げたオリハルコンの剣は青白く輝いて、あと一歩の距離にクラウンの腕を押し留める。

 

「見せろって言ったんだから待てよ吸血鬼!」

「仕方がないだろうッ、そんなものを見せられては!」

 

 クラウンが見つめる先、ノアの周囲には魔石を起点として奇怪な魔術式が編まれている。それはノアの身体に入り込み、更なる深奥へと手を伸ばし、触れることすら出来ないはずのものへと作用する。

 

 ノアの身体が解けていく。存在としての枷を外し、空論ではなく人間を超越する。

 

「君、君ねえ! これは何だよ! こんなものが出来るというのか!」

「とんでもない天才は出来ると言ったよ。不満を漏らしながらね」

「君以外のものによる術なのか、これは! 誰だよそれは!」

 

 言って分かるはずがない。しかし俺は敬意を込めてその名を口にした。

 

「トレージ・ワイエス。彼の研究テーマは『魂とは何か』だ」

 

 魔力が全能性を示すのなら、それは何のために人間にあるのか。

 

 その答えがここにある。人間に神が如き力が先天的に存在する理由。それは魔力というものが、神の業である魂を形成するためにあるからではないか。

 

「この術式は、触れることも見ることも出来ない魂を操作し、肉体から解放するためのものだ。だから俺が居なければ、この魔術は机上の空論でしかない」

 

 何故、俺は魔力の輝きに目を奪われるのか。何故、それがこの世で最も美しいと思うのか。

 

 その答えが魂だというのなら、俺はこの世界に来て本当に良かったと思う。

 

 魂と呼ぶべきものがこんなにも美しいのならば、それを生み出した神だって美しいはずだ。そして、世界を生み出したのが自然法則ではなく、美しい神の手による物ならば、世界もまた美しいはずである。

 

「だから、勝てよノア」

 

 世界がこれからも美しく続き、君がこれからも美しくあれるように。

 

 ──黄金の。

 

 全てを超えて光り輝く、ノアの宙に向かって、そう願った。

 

 

 

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