芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第70話 時よ止まれ

 

 

 

 ノアは立ち上がると同時に蹴りを放った。左足を起点にした回し蹴り。衝撃波すら発生させてクラウンの腹を打ち砕く。

 

「はは──!」とクラウンは目を見開いて尚も笑った。潰された腹を再生させながら踏み留まる。腕を振るう。その腕がスパンと断ち切られた。

 

 トールの斬撃だった。彼は頭から血を流しながら剣を振る。振った剣はそのまま放されてノアへと渡される。

 

 一瞥。二人の視線は交差して直ちに離れた。ノアが踏み込む。刀身は青白く光り輝く。流星の如き斬撃はクラウンを吹き飛ばし、彼女は躊躇なく後を追う。

 

 トールはその場にごろりと転がって言った。

 

「おじさん、格好良かったかな」

「惚れちゃいそうでしたよ」

「はあああああああんっ!」

 

 悶えるトールを横目にして俺は杖を握った。振ることはない。魔力はもう殆ど残っていないし、何より、これに何かをする必要などなかった。

 

 目の前にあるのは奇跡だった。俺の理想が、現実のものとしてあった。ノアの宇宙。あの、広大にして崇高なる景色は、現実の肉体を得て顕現していた。

 

 "眼"を開く。開いて尚変わらない。宇宙は人の形をして駆けている。

 

「……何なんだよ、あれ」

 

 先生が信じられないように呟く。俺は言った。

 

「魂魄という言葉があるでしょう」

「東の方で流行している奴か? 魂は精神の方で、魄ってのは肉体の方の気というか魂というか、そんな奴」

「俺はかつて、人間にも魔物的特徴が、属性があるとトレージに話しましてね、それは彼の理論にも当て嵌まっていました。即ち、人間の魂は肉体とは別のものとして考えるべきだと。人間の理性は魂にあって、それを邪魔するのが肉体なんだとね」

 

 だからこそ、トレージは言った。『人間は人間を超越する必要なんてない』と。『魂は既に人間を超越しているのだから、肉体という枷を解き放ってしまえば、自然と人は神になる』と。

 

 俺は、それが出来ないという考えをずっと取っていた。論理的思考は人間に限界を作ると。しかし、彼はまさしく論理的に人を神へと化身させたのだ。

 

「言っときますけど、トレージ・ワイエスという奴は希代の天才ですよ。今世紀を代表し、未来永劫に名を残すでしょう。彼は見えないままに見えない世界を操った」

 

 魂という存在を、人体実験すらせずに証明してみせた。それを肉体の側に引き出して、万能の力の一端を示す事に成功した。

 

 だからノアは輝いている。きらきらと、魔力光を全身から溢れさせ、黄金を光芒として引きながら、彼女は迫り来る赤黒の波を叩き割った。

 

「馬鹿げているなあ君達は!」

「私も驚きですよっ!」

 

 クラウンは額に汗を滲ませながら笑う。笑えるのか、と俺は思った。ここまでしても彼は笑える。戦えている。

 

 尋常じゃないと思ったのはこれで何度目だ。追い詰めているのは確かだ。しかしギリギリのところで藻掻いている。

 

 藻掻けること自体がおかしいだろう。究極に究極を掛け合わせたものを相手に。

 

「驚いたか」

 

 クラウンはにやりと笑って波を動かした。ざあざあと木々が流されて、それすらも彼の武器となる。腕も足も砕かれたというのにまだ動く。再生する。再生速度が最初の時よりもずっと速まっている。

 

「はは、どういうことだか力が湧いてくるぞ。これは俺の魂が君に引かれているのかな。俺達は互いに高くなろうとする!」

「理屈なんて分かりませんよ!」

「そうとも分からない! この一時が素晴らしいものだという事だけが確かだ!」

「ではその一時に私も混ぜて下さいね! ぎゃは!」

 

 槍の穂先が波を突き破って首を狙った。「おおっとぉ!」クラウンはひらりと身を翻してそれを避け、血の弾丸を飛ばす。

 

 しかし白夜号は波を足蹴にして高く飛び、月下にリインは呵々と笑った。

 

「私が御首貰い受けますよ。どうですかノア!」

「いいえ私が刈り取ります!」

 

 落下する斬撃と地を這う斬撃。迫り来る二刀を前にクラウンは笑った。

 

「来るかよ! 来るならば! 俺もまた!」

 

 赤黒の波が渦を巻いて三者を取り囲んだ。全方向から斬撃を掣肘する構えだろう。

 

 しかし弾けた。血飛沫は蒸発して濛々たる血煙が上がる。その中に輝くのは尚も黄金。だが、クラウンもまた赤色の瞳を輝かせて立っている。

 

 右腕と左腕に刃を食い込ませながら、奇妙な音を立てている。水の音。肉の音。砕け溢れると同時に元に戻る音。

 

 波は消えている。その全てがクラウンの中に収まっている。それを燃料にして、致命的な斬撃を再生速度で上回ることで対処している。

 

 一瞬の膠着。鍔迫り合い。その最中に俺は言った。

 

「ノア」

「はい」

「君がどこまで行こうとも、俺が連れ戻してやる」

「──はいっ!」

 

 三者は弾かれたように離れた。ノアが俺の手元まで下がる。その背中に手を当てて俺は言う。

 

「恐れるな。その先に素晴らしいものがある。そこに俺も行こう。そうしてまた戻ってこよう」

「分かりましたっ!」

 

 存在の究極をクラウンは超えてきた。ならば、行為の究極によって討ち滅ぼす。

 

「リインさん」

「時間稼ぎの内に私が決めちゃっても良いんですかあ?」

「勿論」

「ぎゃは! では奪っちゃいましょう」

 

 リインと白夜号が駆ける。その白い一閃を見つめながら、ノアは息を吐いた。

 

 長い呼吸。全てを吐き出し、再び全てを取り込むような音。

 

 内外に活力を漲らせ、それを光輝として発しながら彼女は構えた。

 

 右足を前へ、左足を後ろへ。重心は低く、引き絞るように剣を持つ。

 

 リインの槍とクラウンの腕が弾け合う音。馬の四足が地を駆ける。斬撃の鍔迫り合い。連続した衝撃音。

 

 一瞬の静寂。

 

「──っ」

 

 ノアは駆けた。言葉はなく、一心を刀身に込めて流星は放たれた。

 

 クラウンが迎え撃つように腕を出す。片腕、いいや両腕。カウンターを狙うことは避け、防御のみに専心する。しかし腕先に広がった血肉の渦は攻防一体となって後の隙を狙うだろう。

 

 だが、切り裂かれた。魔力光が星屑のように散らばった。赤も黒も切り裂いて塗り潰し、夜の上に銀河を打ち立てた。

 

「ああ──!」

 

 クラウンは笑った。切り裂かれた自らそのものを見下ろすようにして、確かに笑った。

 

 しかし、尚も挑むように、或いは死に身を投じるように、切り裂かれた身体に彼は踏み込む。

 

「この瞬間を」と。「この瞬間こそ!」と笑い、彼は言った。

 

「時よ止まれ。お前は──!」

 

 その瞬間、クラウンの動きが止まった。

 

 光が彼の身体を包んでいた。その首を絞め、全身を縛り付けるように腕が這っていた。

 

「は」と、ノアが目を見開いた。クラウンの胸の内。

 

 六本の、朧に輝く剣がそこを刺し貫いていた。

 

「ああ、そりゃあそうか」とクラウンは笑った。

 

「今更、楽しもうだなんて、おこがましいよな──」

 

 砕けた。

 

 べきりと、彼の身体の中から決定的な何かが砕けた音がした。

 

 崩れていく。無限の再生を誇った吸血鬼の身体が、砂のように溶け落ちていく。

 

 クラウンは「ああ」と呟いた。悔しいのか、それでも納得したような。そんな苦笑を見せている。

 

「魂というのは、分からないな。君に引かれて来たのか、それとも、ずっとそこにあったのか……どちらにしても、成仏なんて出来ないよな」

 

 どさりと、上半身だけを地面に転がして、クラウンは笑った。

 

「俺の負けだ。俺は全てに負けた。だが、なあ、ユラウ!」

「なあに」

「君はこれから、どうするんだ」

 

 ユラウは進み出て、クラウンに近付いた。彼は最早血すら流さずただこぼれ落ちていく。

 

「どうするって?」

「吸血鬼なのか、人間なのか。俺を殺したんだから君は人間だろう。だから、言ってやるよ」

「何を?」

「それは、結局君は、俺にとって──」

 

 そう口を開いて、クラウンは何も言わなかった。

 

 言えなかったのか。

 

 彼は眉間に皺を寄せて「それは」と何度も繰り返した。

 

「あは」

 

 ユラウはおかしそうに笑う。

 

「お父様が何を言いたいのか、分かったわ」

「……なんだ」

「祝おうとしてくれたんでしょう。私を呪うことで」

「なにを」

「私を見捨てることで、やっぱり解放しようとした」

 

 ユラウは言った。

 

「結局、お父様も中途半端だったのね。貴方は私を呪うことも出来ないのね。なんて、無様なんでしょう」

「……そうだな。無様だ」

「何もかも失敗だったわね。何もかも出来なかったわね」

「全く、無様極まりない」

「本当に無様で、馬鹿だった」

「そうだな……」

 

 ユラウの声に震えはなかった。ただ、遠く離れていくものに別れを告げるように、彼女は柔らかく言っていた。

 

 ああ、鳥の声が。

 

 空は明るみつつある。星が消えていく。月の光が遠ざかっていく。

 

 クラウンは、昇り来る朝日に、眩しそうに眼を細めて言った。

 

「君は、俺より賢いんだから、こうなるなよ」

 

 そんな自嘲するような顰め面と、薄い笑みを浮かべてクラウンは崩れ、消えた。

 

 それで、おしまい。

 

 何もかもが終わって「うん」とユラウは言った。

 

「ありがとう、ノアちゃん」

「……うん」

「ジョット君も、リインちゃんも、皆さんも、本当にありがとう」

 

 立ち上がり、ユラウはお辞儀をした。「ありがとう」と何度も言って、顔を上げることがなかった。

 

「ユラウちゃん」とノアが剣を置いてその肩に触れた。

 

「いいの」とユラウは言った。

 

「私が、勝手に泣いているだけだから、いいのよ」

 

 

 

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