芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第72話 いざ航海

 

 

 

 

 青がある。

 

 どこまでも青色がある。

 

 突き抜ける空と深い海。空は薄く海は濃く。しかし両者の青色は、互いに他色の一切を排し、澄み切った静寂が世界を満たしている。

 

 その中に、ふと波が持ち上がった。

 

 ざあざあと水飛沫を上げ、艶やかな赤色が顔を出す。

 

 それは巨大な竜だった。濡れた赤色の鱗を身に纏い、水かきのように皮膜の張った鰭で波を掻き分ける。

 

 竜は船体と併走するように悠々と泳ぐ。青に満ちた世界の中、たった一つの赤として相応しい威容を備えている。

 

 それに目を向けて、俺は言った。

 

「さあ、右手に現れましたのは、メグロアカミズリュウ、メグロアカミズリュウと言いまして、南方大陸東北側の海にのみ見られる固有種でございます。その性格は至って温厚でありまして、どうぞ安心してご観覧を」

「おお」

「メグロとの名が示すとおり、目の辺りが黒いでしょう。これは海面からの反射光を和らげるためとも言われていますが、民話には面白い話がありまして。というのも、昔は目の辺りも赤かったのですが、ある日巨大なタコと喧嘩をして、敗北の証として目の周りをスミで黒く塗られたと言い伝えられているのです」

「おお」

「そして事実、メグロアカミズリュウはこの辺りの巨大タコには決して喧嘩を売ろうとはしません。しかしその好物は、実を言えばタコなのです。巨大ではない、一般的なタコですね。面白い話だとは思いませんか」

「おお」

「そこで皆様にはこのタコを、なんと一匹、一銀貨として……!」

「おお、買った!」

 

 巨大船舶に乗船した観光客達は、我先にと籠の中のタコを掴んでいく。籠を持つノアは「順番にですよ!」と言って次々とタコを渡していく。

 

「足下には注意して下さいよ! 落ちたら危ないですよー!」

「投げる場所も気を付けて下さいよ。頭より結構離れたところが狙い目ですね。目があまり良くないものですから、水音を立てるのが良いでしょう」

「おお!」

 

 ぱしゃんぱしゃんとタコは海に落下していく。竜はそれを待ち望んでいたかのように首を伸ばし、大口を開け、海水ごとタコ達を攫っていく。

 

 観光客達はその姿にすっかり夢中で、きゃあきゃあ言いながら船の縁に集まっている。

 

 それを横目にして、空になった籠を持ちながら、ノアが言った。

 

「いやー儲かりましたねえジョットさん! 昨日の内に厨房の人から沢山タコを買った甲斐がありましたね!」

「昨日からようやく海が落ち着いたからな。そろそろ現れると思っていたんだ。あれも観光客に餌をねだりに来るからな」

「なるほど! 流石は事情通ですね! ところでジョットさん!」

「なんだいノア」

「なんで私達はこんな事をしているんですか?」

 

 物凄く今更な問いだった。

 

 そう、俺達は今、船の上にいる。ウルド帝国首都オーロックから南方王国の首都を目指す豪華客船である。

 

 しかし、俺達の身分は観光客ではない。もっと言えば船員ですらない。

 

 言ってしまえば、俺達は密航者だった。

 

「あんな騒ぎを起こしたんだからまともに出国させてくれるわけがないんだ。だから何かと金が要る。そのためにこうやって観光ガイドの真似事をしているんだろう」

「な、何だか思ったのとは違う旅になりそうですね……」

 

 と、ノアが言った時、船員の人がこちらに向かってきた。

 

「あ」とノアが声を上げる。俺は立ち上がる。

 

 彼は言った。

 

「いやあ先生、お疲れ様です。実はまた怪我人が出ましてね……」

「患者の容体は?」

「掃除の時にちょっと手を切っちまった程度です。それでも破傷風が怖いんでね、お願いします」

「心得た」

「いや、出世しすぎですよね……」

 

 ノアが呆れたように言った。

 

 そう、密航者とは言っても、この世界での扱いは適当である。荷運びに精を出すのなら駄賃くらいは出してくれるし、回復魔術が使えるのなら先生扱いだ。何もしなければ普通に海に捨てられるが。

 

 そんな風にして俺達は船室まで獲得したのだ。芸は身を助けるとはこのことだろう。

 

 しかし船員さんに案内されて向かった先、デッキに面したラウンジの隅には先客がいた。

 

 女性である。妙齢の、二十代ほどの外見だが、それ以上に歳を重ねたような落ち着きがあった。白を基調とした衣服は金糸の刺繍で彩られ、そこから伸びる指先は傍目にも柔らかである。

 

 彼女はその指先を船員さんの怪我をした手に当てると、何やら文言を呟いて、立ち所に傷を癒やした。

 

「あ……また先を越されちゃいましたね、ジョットさん」

「丁度、お見かけしたものですから」

 

 彼女は振り向いて言った。日差しに細められた瞳は金色。頭冠によって抑えられた頭巾の白布からも金色の髪が見える。

 

 彼女と相対している船員さんは、いっそ滑稽なほどに恥ずかしがっていた。

 

「なんだい、そっちに頼るのは恥ずかしい言ってたじゃねえかお前。だから折角ジョット君を呼びに行ったってのに」

「悪い悪い。いやほんと、こんな擦り傷に二人も集まっちゃって悪いですね。へへ」

 

 船員さんは頬を掻いて「お陰で元気、元気」と健康をアピールするように手を広げた。彼女はそれを見て微笑み、立ち上がった。

 

「この船に乗せていただいている身なのですから、この程度の治療は当然のことです。何時ものように賃金も結構。そして遠慮などなく、存分に頼ってよろしいのですよ」

「いやあ、へへ。こんな美人さんにつまらねえことで頼るってのも、何かねえ?」

「怪我はつまらぬ事ではありませんよ。ましてや、掌の怪我は細菌が入り込みやすいのです」

 

「ですので」と彼女は俺を見て言った。

 

「治療に賃金を求めるのは、あまり良いことではありませんよ」

「賃金と言っても小遣い程度じゃないですか、聖女様」

「まあ、そうですがね」

 

 聖女。

 

 そう呼ばれる事に彼女は慣れているようだった。

 

 彼女と出会ったのは船に乗ってからである。俺達が航海の初日から荷物運びを手伝い、平行して回復術師として売り込みを掛けていた最中、ちょっとした騒ぎが起こったのだ。

 

 それは船員さん達に言わせればよくあることで、つまりは密航者への対処であった。デッキ上に白い服を着た三人の女が集まって、何やら騒いだ後、二人が海に蹴落とされた。それだけである。

 

 港からそれほど離れてもなく、きちんと泳いでいたので死んではないだろうが、俺も真面目にやらなければ海原のど真ん中であれをやられてしまうかもしれないと戦々恐々としたものだった。

 

 一方で、残された女は落ちた二人とは違って騒ぐでもなく淡々と自己紹介をしていた。

 

 曰く、自分は聖人であると。人を癒やしたり治したりすることが出来ると。二人は無礼だったがために落とされるのは仕方がないことだと──。

 

 そういう会話があって、彼女はこの船の回復術士の座に落ち着いたらしい。

 

 つまりは俺の商売敵であった。

 

『急な話だったんですよ』

 

 俺が荷物運びから回復術士に昇進し、主に女性慣れしていない船員さん達相手に小遣いをせびるようになってから、彼女とはそんな話をした。

 

『南の方の調査団に合流しろと本国の方から命令がありましてね。しかし急な話ですから船の用意も出来ず、それで取るものも取りあえず、目に付いた船に乗せていただいた訳です』

『聖女様が密航なんて良いんですかね』

『事情を説明しようとしたのがあの場面だったんですよ。しかしお付きの二人はどうにも融通が利かない質でしてね。相応しい立場を、などと口走った結果があれです』

 

『それと』と彼女は無機質な目を寄越して言った。

 

『シエラ・ラ・リラ・リリイス』

『それは?』

『名前です。貴方の名前は?』

『ああ、ジョット・ブレイクです。こっちはノア』

 

 俺はノアを示した。ノアは慌てて囁くように言った。

 

『えっ、言っちゃって良いんですか』

『俺達に偽名が性に合わないのは分かっただろう。船員さん達相手に普通に本名で言っちゃって突っ込まれたんだから』

『ま、まあ、そうですね……』

『という感じで訳ありの身なんです。仲良くして下さいね、聖女様』

 

 そんな感じで今日に至る。

 

 しかし、先程の事にもあるように、聖女様は全く俺の商売敵だった。あちらがその身なりのようにそれなりの金を貰えば、こっちだってそれなりの稼ぎにはなるだろうに、彼女は頑として賃金を受け取らないのだ。

 

『この船に乗せていただいているのだから』という言葉は、まあ確かにそうなのだが、乗船料よりは回復術士を雇う方が高いだろう。

 

 この船も豪華客船なだけあって専任の回復術士を目にするが、そいつは実に金を持ってそうな身なりであり、乗客と同じように酒を飲んだり美味い飯を食べている。俺達の暮らしぶりとは雲泥の差である。

 

 だから観光ガイドの真似までして金を稼いでいるのである。そちらに関しては誰も先人が居ないのでとやかく言われることもない。

 

「しかし、立派なことですよねえ」

 

 と、感嘆の息を吐きながらノアが言った。

 

「回復魔術って、私はよく知らないんですが、凄い技術なんでしょう? 冒険者ギルドでもよく募集をしていましたが、凄い金額が提示されていましたよ。そんなものを使えるのにお代は要らないなんて、格好いいですよねえ」

「格好良さで飯は食えないだろう。食えたらそれは格好良いのではなく大道芸だ」

「じゃあやっぱりあの人は格好いいじゃないですか!」

 

 ノアが見つめる先、デッキに設えられた席の上で、聖女様は身じろぎもせず座っている。眠っているわけではないのだろう。ただ青々とした大海原を眺めている。

 

「クールで大人の女性って感じで、でも優しさに溢れていて、まさしく聖女って感じですよねえ……」

「仲良くしたいかい」

「仲良くしたいですね! 立派な人と知り合いになると、自分も立派になるような気がするじゃないですか!」

「うーん、俗」

 

 ノアは船員さん達と殆ど同じような表情で聖女様を見つめている。その上でタコの匂いが残る籠からちゃりちゃり銀貨を数え上げているのだから、これはもう俗以外の何ものでもない。

 

 デッキ上のテーブルに腰を下ろし、銀貨を数えていけばそれなりの額にはなった。

 

 しかし、それなりは所詮それなりである。二三日の宿代にはなるだろうが、旅路を楽しむにはまるで足りない。

 

 特段目的のない、旅をするための旅路だが、野宿というのは嫌である。何せ南方大陸は虫が多いのだ。暑いから。あと獣も多いのだ。暑いから。

 

「聖女様も本国の方から命令があって南に、と言ってましたよね。秘密の任務でしょうか!」

「船も用意できない任務がどれほどのもんかとは思うけどね」

「だって聖女様ですよ。そんな人を呼ぶからにはきっと凄い任務なんですよ! たぶん!」

「たぶんか。ところで」

 

 俺はふと、先々から気になっていたことを口にした。

 

「なあノア、聖女っていうのはなんだい」

「え? そりゃあ……立派な人でしょう。教会に列せられて、像とかにもなっている人達でしょう」

「そうとも。つまり聖人だ。教会での正式名称はそれだ。事実彼女は自分を聖女じゃなくて聖人だと言ったしな」

「はあ。それが何か?」

「聖人というのは、多大な業績を残した者に贈られる称号らしい。しかし俺はね、彼女のような聖人の噂なんて寡聞にして聞いたことがないんだよ」

 

 現代でも聖人と呼ばれる人は居る。それも数多に。俺の価値観からすればバーゲンセールかと思えるほどの安売りぶりだが、それがこの世界の態度なのだから仕方がない。

 

 戦争が東方世界の出来事として片付けられるようになった世界では、主に文化面で偉業を成した人に聖人の称号は贈られるという。俗に言う文化聖人だ。最近でも西方の大リーグで1000ホームランを達成したとかで野球聖人が誕生している。

 

 そんな風に割と軽々と与えられるのが聖人の称号なのだが、しかし広告効果を目論んでのことは言っても聖人は聖人。帝国にまで名が伝わってくるような野球選手ぐらいがその名を冠することが出来るのだ。

 

「見た目からして聖なる雰囲気を纏っているから船員さん達も聖女として扱っているけれど、彼女は一体、どんな偉業を成したのだろうね。そもそも、偉業なんて成しているんだろうかね」

 

 そう言うと、ノアは少し考えるように沈黙してから、得心したように言った。

 

「ジョットさんジョットさん」

「なんだいノア」

「商売敵だからってやっかみを言うのは情けないですよ」

「バレたか」

 

 そりゃあこちとら金がないと騒いで観光ガイドの真似事までやっているのに、あんな態度を取られちゃ気に入るわけがないのだ。完全にやっかみである。

 

 第一、俺は教会方面の事なんぞ大して知らん。知らぬ事を知らぬから怪しいと言うのは我ながら馬鹿みたいだった。

 

「じゃあ、馬鹿ついでに何をして聖人になったのか聞きに行こうか。仲良くなるチャンスだぞ、ノア」

「ええっ!? 今ですかあ!? 私、船に乗ってからお風呂に入ってないんですよ!?」

「毎晩タライにお湯出してるだろ」

「あんなのお風呂に入った内に入りませんよ! シャンプーもリンスも使いたいですよう。リインさんの椿油が恋しいんですよう。ジョットさんの甲斐性無し!」

「なんかどんどん図太くなってくるよな君……」

 

 まあ「そんなもの使わなくても君は世界一綺麗だよ」とか言っておけば途端に嬉しそうにするから問題ない。ちょろいな。

 

 そして嬉しがりながら「いやあ、我儘を言うと途端に褒めてくれるからジョットさんってちょろいですね!」とノアは言った。何だお前。

 

 

 

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