痩せ細った馬がえっちらおっちら進むのは、山間になんとかして通したような細い道である。
遠方には山々の緑の連なりが見え、そこかしこからげえげえという得体の知れない声が聞こえていた。鳥の声だ。ぎゅいぎゅいという奇怪な声も聞こえている。これは野猿の一種のものである。
馬車を引く馬は落ち着いた茶色をしていて、足も四本と、世界中で見られる姿とあまり変わらない。しかし進む道の中、姿を見せる鳥や獣の身体は押し並べて派手な原色を纏っており、その赤や青や黄の配置に、己というものを強く主張しているように見えた。
空の青と大地の緑のただ中に、極彩色の羽を広げて飛んでいく鳥の姿があった。それはこの代わり映えのしない景色の中に強くあった。『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ』という若山牧水の名歌を不意に思い出したが、目の前の景色にはまるでそぐわなかった。極彩鳥は二色の世界に、ぱっと己の羽を広げてみせた。「羽を広げてみせた」と俺は呟いた。種族としてそうあるというだけなのに、何故か自ら色を纏っているように思えた。物寂しく漂うのではなく、自ら望んで飛び立ったように思えた。
この地にあるものは皆、各々が望んでその姿を得たように思える。極彩色の鳥、鮮烈な赤色の狼、雌雄で金と銀に分かれる虫。そして今し方、二つ向こうの山腹に、のそりと首を持ち上げた首長竜の青色。
いずれも煌びやかにして勇ましくあり、そして美しく気品ある。美しい獣が棲まうこの地は、世界が美しくあることを実感させてくれる。
世界とは、当然のように人のものではなく、数多の生物が数多に美しくあり、そして生きている場所なのだと──。
「──だから、流石に猿を昼食にするのは止めてくれ。人型だけは止めてくれ。それに食糧ならまだあるだろう。お願いだから止めてくれ」
「えっ、いや、冗談だったんですけど、そこまで本気で引かずとも……」
ノアが片手に捕まえているのは白い猿だった。青色の目が助けて欲しそうに俺を見つめている。「いいか、世界とは──」と重ねて説得しようと俺は口を開いたが、「そのよく分かんないポエムはよく分かりませんが、私だって好き好んでゲテモノを食べようとは思いませんよ!」と返された。それは良かったが、よく分かんないて。
「まあ、そいつは止めといた方が良い。なんせ肉が臭くてたまらんのよ」
馬車を進ませる老齢の御者さんが苦笑して言った。「毛皮と目は高く売れるんだけどね」ふと鋭い目を見せる。ノアに両足を掴まれた猿は怯えるように身体を縮こませた。
「えっ、そうなんですか? でも、私って大概のものは美味しいと思うんですけどね……? 食べられないほどの味ですか……」
ノアが興味ありげな目を見せる。猿はまた助けを求めるように身体を伸ばし始めた。俺は慌てて口を開いた。
「人の言葉が分かるのか? いや、分かるに違いない。なんてこった。彼は俺達と同じ人類だったというわけだ。ノア、このままじゃ種族問題になってしまうぞ。すぐに森へ返しておやり」
「いや、だから食べませんって!」
「雰囲気を感じ取っているだけですよ。いや、それも高等ではありますが、言語を理解しているわけではないでしょう。それに、人類と認めるのなら、森へ返すという対処はいかがなものかと思いますが」
「なんですか急に!?」
「人類だけが我らの同胞ではないでしょう! この世界に生きるものは全て女神に祝福されたと聞きます。つまりこの猿も俺達と同じ!」
「ならば何故、我々は他の生き物を食らって尚生き続けることが出来るのか。生き続けることが許されているのか。女神の無言に対し、教会ではこう理論立てています。即ち世界とは流転し、回転するものであり、女神が祝福した世界とは生物の一つ一つを取り上げるのではなく抽象的な、いやそれ即ちおこがましくも神の視座で以て語るのであれば一つ一つを矛盾なく取り上げしかし尚も総合させた一つと──」
聖女様が調子を上げていくのを横目にして、俺は言った。
「これ以上聖女様の長話を聞きたくなかったらその手を離すんだな、ノア」
「いや……もう放しましたよ……。私って冗談下手なんですかね……?」
「目が真剣だった」
あの『これも食べられますかね!』と猿を片手に俺へ言ってきたときの目は、間違いなく食うことを視野に入れた目だった。
俺がそう言えば、ノアは「し、心外ですよ……」と目を逸らす。好奇心旺盛なのはよろしいが、旺盛すぎると引いてしまうから程々にラインを見極めて欲しい。
一方、猿は進む馬車から放されたというのに見事に地面に着地して、ぎゅいぎゅいと声を上げながら森の中に逃げ去っていった。そんな猿の声を聞いてようやく我に返ったのか、「あ、すみません」と聖女様が口に手を当てる。
「どうにも、申し訳ありません。性根というのは一昼夜で直るものでもありませんが、流石にこれは、悪癖が過ぎますね」
「まあ、慣れてきましたよ。それに、急に語り始めるの、結構面白いですし。なあノア」
「ええ! それに聖女様の話を聞くとよく寝付けますしね!」
「それは聞いているとは言わないんだなノア」
こちらに背中を向けたまま、お爺さんがけらけらとおかしそうに笑った。「愉快だね、あんたら」パイプから口を離し、ぷっと煙を空に吐く。
「しっかし、ここが綺麗だってのは頷くけど、それはあんたさんが特別だってのもあると思うがね」
「そうですか? 美しいでしょう。少なくとも異国で動物園のアイドルになれるくらいの美しさはありますよ」
「いや、綺麗は綺麗だが、普通なら蒸し暑くって虫に刺されて獣に怯えて、とてもじゃないが景色には集中できねえんよ」
「それがあんたや、前の人達や、おっそろしいエルフ達やらときたら」と言って、お爺さんは指先をくるくると回した。
俺もまた、その動きに合わせて指先を回す。彼の顔近くに風を吹かせる。
「これよ、これ」
わざとらしく麦わら帽子を押さえ、お爺さんは口笛を吹いた。
確かに景色は綺麗だが、これでお爺さんの言った通り、湿気や虫や獣やらがあったのなら、俺は景色云々を褒め称える前に汗だくになって罵倒する自信がある。世界が美しいと思うどころか、高温多湿というものを生み出した女神を恨みさえするだろう。
そうせずにいられるのは偏に魔術を使っているからだ。風を操り、高温も多湿も全て均して心地よくし、虫は弾いて獣はノアに任せる魔術がなければ、誰が幌さえない馬車に日傘一本で正気でいられるというのか。そして魔術がなければ、馬車の上で火を使うことも、空中でタコの干物をタコ鍋にする事も出来ない。
「いや、別に馬も昼食に合わせて休憩しているので、地面に降りても良いんじゃないですかね……?」
「地面に降りる必要がないのなら降りなくても良いだろう。何せ俺は都会っ子だからな」
丁度、頭上に迫り出した崖が庇となるような場所で馬を止め、昼食を摂りながら俺は言った。ここに来るまでに港町で購入した食糧は食い尽くしていたが、元より日持ちのしない野菜やら果物やらを買い込んだので、予定通りではある。むしろ予定外だったのは、地元民であるこのお爺さんがそこかしこで山菜を採り、ノアがぶっ飛ばした獣肉を食事に追加してくれるので、逆にタコの干物が余って仕方がなかったことだ。
このままでは食べる前に目的地に着いてしまう。なので食べてみた。中々美味かった。このタコ鍋を食べるための器とスプーンにしたって、たった今、俺が魔術で石から形成したものである。
「便利すぎて、なくなったら死ぬ自信があるね」
そう呟くと、聖女様が、このところよく見かける、目を細めた顔を浮かべて口を開く。
「確かに魔術は便利ですが、それに頼りすぎるというのも、私はどうかと思いますがね。文明の利器とは生活を便利にするための物。物に生活が左右されてしまっては、本末転倒でもありましょう」
「そうですか? かつて人間は猿と同じく木の上に暮らしていましたが、今更木の上で暮らせなかろうともどうでも良いでしょう。こいつは退化ではなく進化ですよ。『強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残る』とはダーウィンの有名な文句でしたっけ」
「それダーウィンは言ってませんよ」
「えっ、そうなんですか?」
「むしろ、ダーウィンに仮託して、免罪符的に使われてきた言葉ですね。政治家や経営者などが主に」
「えー、恥」
赤っ恥をさっと流すように呟くと、聖女様はくすりと笑った。「そう取り成す前に流されると、何だか私が甘えているようですね」とよく分からぬことを言う。
「どこがですが?」と聞いても彼女は「いえ」と言って、再び食事を取り始めた。
「はいっ!」
「なんだいノア挙手して」
「私だって、ジョットさんが便利すぎて、もうジョットさんなしじゃ生きていけない自信がありますよ!」
「急に情けない宣言をしてどうした?」
なんだ。恥ずかしい話をする流れか。そう思ってお爺さんを見れば「儂、この歳でまだ独身」と返ってくる。どう反応して良いか分からなかったので聖女様に目を向けた。
「私は今やりましたよ。ブレイクさんが便利すぎるという話ですよね」
「人を便利グッズか家電製品のように言うのやめて下さいよ」
「そんなもんじゃないですよ! ジョットさんは私の全てで、私の美しいもので、何より他じゃ代用品にもならないくらい便利なんです!」
「えーそれ褒め言葉? 俺マルチツールって嫌いなんだよなあ。機能美がなくて」
「えー? 私は好きですけど。十徳ナイフとか無駄に弄ったりしますけどねー」
「儂もDIYで多機能な本棚を作っているが、あれは完成品を見ているだけでも楽しいもんだぞ」
「へー、お爺さんにはそんな趣味が」
「この歳で独身だから時間が余るんでな」
「あー……はは、そりゃあ……聖女様はどうです?」
「私は特に、道具に何かを思ったりとかは」
「ああ、まあ。だから全部あげちゃったんですもんね」
食事を終え、手慰みに港町で購入した日傘を揺らしつつ、俺は言った。骨組みは木で作られており、傘布は麻で厚く張られている。この傘という道具にしたって、形態は古代から殆ど変わっていないだろう。元の世界でも折りたたみ傘などは生み出されていたものの、根本的な所ではまるで変わっていない。
だから傘という形を容易く想像出来て、それが美しいと思う。そしてこの日傘に関しては機能以上に気に入っている。傘布の表面には蝋か何かで色鮮やかに、そして大雑把に植物文様が描かれており、野趣に富んだ風情があった。
しかし、この植物文様が一番美しかったのは、店先にあった時だった。様々な色で描かれた様々な植物文様が、傘布の上にぱっと開かれ、店先に並べられている光景は、収集された標本のような、それでもこの地の生活感が滲むような、独特の美しさがあった。
『それにしてもこのデザインの豊富さはどうだ』と俺は店先でノアに言った。『帝国や西方では、植物文様と言えば葡萄唐草が代表格だが、南方ではより多様な形態に発展して、どれか一つを決めることは出来ない』と続けた。それは植物というのが身近にあるからだろうか。わざわざ一つの植物に豊穣というイメージを込めずとも、自然とは本来多種多様で、だからこそ豊穣なものである……という確信があるように感じた。
それは、聖女様があまりにも可哀想だったので、ドン引きしつつも馬車代を工面した後のことだ。
ふと気になって、俺は彼女に『そういえば、十日も歩いてどこに向かう気だったんです?』と率直に聞いてみた。すると、実に興味深い答えが返ってきた。
聞けば彼女の向かう先、教会総本山が何事かを画策している地とは、山間部にある、南方エルフ達が多く棲まう修道院だという。それも古代より連綿と続く、伝統ある修行の場であると。
その名をオルドミナ修道院と彼女は言ったが、俺はその名に聞き覚えがなかった。三百年前の大戦以前より存在するというのなら、昨今の博物学的潮流、及び国家主導のインバウンド政策に乗っかって、少しは有名になっても良いだろうに、微塵も名を聞いたことがない。
『それはジョットさんが物を知らないってだけなんじゃないですかね?』
『それはそうだろうがよくそんな事を面と向かって言えるなノア』
『致し方がないことですよ。何せ、かの修道院は古代から今に掛けても、固く門戸を閉じているとの事ですから』
聖女様は言った。彼女が突然の下船にも不幸中の幸いと言った通り、その修道院は南方王国の首都から遠く離れ、独立して修行を行っている場所なのだという。人里から遠く離れ、ジャングルと渓谷を抜けた先、まさしく当地の魔術師的な、仙人と呼ばれるに相応しい生活を送っているのだとか。
『しかし、そんな場所へどうして教会総本山が口出しを? 南方王国すら口出ししていないんでしょう?』
『憤懣やるかたない事に、私には全く情報がありません。ただ行けと言われたのですよ。憤懣やるかたない事に』
『無表情で繰り返すの怖いから止めてくれませんかね……』
しかし、それでも噂話くらいは入っていたようで、『これもまた支配的な動きですよ』と聖女様は溜息交じりに言った。
『聞けば、以前よりその特異な修行法と建築に関して、考古学的な方面から調査要請は出されていたらしいのですが、最近になって調査団が結成され、急に強硬的な態度になったそうです。本当に急だったそうですよ。だから私に船が用意されていなかったのです。調査団の本体には用意されたようですが』
『特異な建築、ですか』
『私も詳しくは知らないのですが、女神が南を出発した際に作られたものであるとの伝承があるとか。その様式も、南方大陸のそれにそぐわず、寧ろ西方の伝統的様式に似通っている部分があると。故にこれまでは、あくまで考古学的な調査要請だったわけですね』
その言葉に、俺は幼少から観光していた南方王国首都の景観を思った。
自然を第一とし、自然との調和を掲げるが故に生み出された建築は、有機的な曲線と生物染みたアーチを描くのが特徴的である。それらを是非ともノアに見せたく、そして俺が見たくて南にやって来たのである。
王宮はその代表格であり、その他、観光するに相応しい建築は次々に思い浮かぶが……どうしても、『特異な建築』という言葉に興味を惹かれた。
『……別に、そこに行った後で行けば良いよな。うん。折角の機会だし、夏休みは始まったばかりだしな。うん』
『ジョットさんどうしました?』
『ノア、ここで聖女さんとお別れというのも、中々寂しい話だとは思わないか』
『それはそうですけど……えっ、観光って教会に行くんですか。私もっと美味しいものとか食べたいんですけど』
『安心しろ。名物に美味いものなどない』
『南の方は果物とかが美味しいってジョットさんが言ったんじゃないですか!』
言ったは言ったが、そもそも金が少ない状態では美味いものには中々ありつけないのである。前言を撤回するが、名物にも美味いものはある。しかし金を出さなければ本当に美味いものにはありつけないのだ。
それこそ田舎の方が安くて美味いものがあるだろう。産地なので。
しかしノアはその上で『一緒に海で泳ぎたいんですよ!』だの『ご存じでしょうが田舎はもう見飽きたんですよ!』だの『百歩譲ってもお風呂がないのは絶対嫌ですよ! そういうところってないでしょうたぶん!』と言うものだから困った。そこは俺も嫌である。そろそろ熱い風呂に入りたい。
と、そこで聖女様が思い出したように言ったのだ。
『そういえば、修道院には温泉が湧いているとか。そしてこれも憤懣やるかたないことなのですが、何やらいかがわしい噂もありまして』
『はあ、噂と言いますと?』
『その修道院には、古代からの宝物が隠されているという、全く不確かで軽薄で胡乱な噂が──』
『えっ!? 温泉に加えてお宝ですか!? わあい行きましょうジョットさん!』
その様にして現在に至る。そういえば、猿も光り物が好きなイメージがある。豊臣秀吉のイメージだろうか。ノアも偉くなったら『私はジョットのように甘くないから』とか呼び捨てにしちゃうのかな。
だとしたら俺が死んで天下人が代替わりしちゃってんじゃねえか。誰が殺したんだ。誰が明智光秀なんだ。当然のようにリインの顔しか思い浮かばない。炎の前で高笑いしているイメージがありありと浮かんでくる。
そう思ったところで目が覚めた。
「あ、起きましたか?」
目を開けば、ノアの顔が近くにあり、そして馬車は止まっている。昼食を食べた後、そのまま寝てしまったようだ。
「ああ、すまん。魔術が切れたから暑かっただろ」
それに、食器も出しっぱなしにしていたから邪魔だったかもしれない。そうは思ったものの、身体は汗をかいていないし、荷台の上に荷物はなかった。
「それなら聖女様がやってくれましたよ」
「そうなの?」
ノアは馬車の外でお爺さんに賃金を支払っていた聖女様を指差した。彼女は俺を認め、「ああ」と頷いて言う。
「一応、私も魔術の一つや二つは修めていますので。風を起こすことや水を生む程度であれば、何ら問題なく。寝てしまったのを起こすのも忍びないですしね」
「それは、どうも。普通の魔術も使えたんですか」
「齧った程度ですが。しかし、それすらも──」ふと、聖女様が顔を背け、背後を見つめた。「ここから先では、慎んだ方が良いでしょうね」
見れば、そこから先は急に視界が開けていた。木々の代わりにあちこちに巨石が転がって、草花の中に埋もれている。それらは単なる石ではなく、表面には摩耗した彫刻の跡、文字らしき物の跡があり、多くは砕け、元の形が分からぬまでも、明らかに人工物であると判別できた。
巨石が転がる山道は、なだらかに上へと登っていき、その頂点に建物があった。ここからは距離があったが、木々に邪魔されず、遠目にも姿形が分かる。
「特異な建築、ねえ」と俺は呟いた。「まあ確かに、ここにあるのはおかしい話だけど」
考古学的には価値があるだろう、と内心で擁護してみた。しかし思ったよりも陳腐だという感想を打ち消すことはなかった。
それは聖女様が言った通り、西方の教会総本山でよく見る様式に似ていて、高いとまでは言えない石造りの塔を中心に、全体的に四角く作られている。端々には石柱が迫り出したり、こぢんまりとしたアーチが配置されているなど、装飾にも気を遣った節があるが、やはり辺境の修道院らしく無骨で、積み上げられた石と石の間に植物が生えていたりと、やや自然に飲まれかけている様子である。
まあ、これをつまらないと思ってしまうのも身勝手だ。いかにも観光客の態度だ。しかし、この世界に来てから、こういった建築は散々見ている。これをたとえるなら、ロマネスク建築に似ているとかの様式を述べるよりも、打ち捨てられ、自然に返りつつある山寺と言った方が心情的に正しい。そんな山寺が、何故か南アフリカの秘境に立っているのだ。
「あれ? そう考えると面白く思えてきたな。建物自体は見飽きたような物だが、立地は確かに非常に面白い。何だかワクワクしてきたなあノア」
「……ジョットさん」
「なんだいノア」
「思ったよりも古くて幽霊が出そうで怖くなってきたんですけど……」
「むしろ出てきて欲しいね。とっ捕まえてトレージの奴に研究材料として売ってやろう」
「えー!? 嫌ですよ幽霊もそうですがあの人苦手なんですよ私! 人間のことを実験対象としか思ってなさそうじゃないですか!」
「さりげなく酷いことを言う」
まあ、ノアには言う権利があるような気がしなくもないが、流石にそんなことはないだろう。ないよな?
脳内のトレージはイメージが足りないのでうんともすんとも言わなかったが、代わりに聖女様が「失礼ですよ、ノアさん」と窘めてくれた。
「トレージさんという方に関しては存じ上げないので何も言えませんが、ここは当地で修行する方々にとって神聖な場所です。幽霊などという非神学的な……いや、そもそも幽霊が非神学的かどうか……更には、幽霊という言葉がこの地では精霊に置き換えられているきらいがあり、それを一方的に西方的な価値観で非神学的と断ずるのも、悪魔などという異世界の言葉を用いて他者を貶めるのと同じことではないか……しかしニュアンスとしてはこの場合、そこまでの厳密さはなく、従って……」
「長すぎるので結論をどうぞ」
「……人が住んでいる建物の悪口は、あまり言わないようにしましょうね」
「あ、はい」
ノアは拍子抜けしたように頷いた。一方で、聖女様は眉間に指を当てて「すみません」と言う。悩むように首を振る。
「どうしても、調査団の方々が不安になってしまい、必要以上に気にしてしまっているようで……。ここに来るまで、彼らはこれ見よがしに魔術を使っていたらしいですから」
「おう、そうそう。あんたらみてえに愛想も良くねえし、獣は殺しても放ったらかしだし。まあ高い金貰ったから文句は言わんけどな」
「言ってますけどね」
「そこは内緒にしといてくれ」
お爺さんは下手くそなウインクをして馬に跨がった。この場にあまり長居したくなさそうだった。
彼は、港町で雇った馬車の人が『【ここから先は流石に遠すぎる】』と言い、『【代わりにあの人に頼め】』と言われたので雇った、ギリギリ人里の僻地と、ここの修道院を唯一行き来する人物だった。本業はこの辺りの山々を職場とする猟師であり、道中でノアに負けず食材を調達してくれたように、冒険者としても十分やっていけそうな人である。
それが何故、馬車まで持ち、ましてや流暢なウルド語まで操れるのかと言えば、『意外と観光でやって来る人が多いのよ』とのことである。しかし『なんか皆、観光の割に真剣そうで、帰り道は必ず落ち込んどるけどな』という言葉から察するに、たぶんそれは観光じゃなくて南方王国における教会の偉い人か学者だろう。
その中にはウルド帝国出身の者や西方出身の者もいたらしく、『昔からそういう言葉とか文化とかを代々受け継いできたからな。DIYだってそうよ』とは凄まじい。『まあ儂には受け継がせるような子供がいないんだけど』という言葉に関しては反応に困ったので曖昧に受け流しておいた。
「まあ、あんたが心配する通り、実にエルフ達と喧嘩しそうな奴等だったよ。だから儂は、あいつらが帰るまではここに近付きたくねえな。あんたらは愉快だったから乗せたけどよ」
「それはありがとうございます。しかし、ここに住んでいる人達と仲良いんですか? 聖女様は昔から門を閉ざしているって言ってましたが」
「そりゃまあ、あれよ。教主がいくら厳しく言おうっても、菓子やら小物が欲しいのは人情ってもんで。儂はその代わりにちょいちょいと魔術なり薬草なり……っと」
お爺さんは急に顔を背け「厳しいのが来やがった」と呟き、「じゃあな!」と言ってさっさと馬を走らせて行った。俺達は彼に向けてお辞儀をするも、顔を上げた聖女様は目を細めていた。
振り返った先、いつの間に現れたのか、男と女が修道院へ繋がる道の前に立っていた。対照的な二人だった。一方は色白の、白い髭を生やした老人で、もう一方は南方らしく褐色の、そして耳の長い女性である。
「遅れて申し訳ありません」と聖女様が老人に向けて言った。返事はなかった。「ああ」と聖女様が更に目を細めつつ、聞き覚えはあるが意味の分からない言葉を発する。
その言葉に、ようやく老人は口を開き、これまた同じような言葉を言って、隣のエルフを見、そして俺達を見つめた。
一方で、エルフの方も無遠慮に俺達を見つめてくる。神経質そうな顔つきで、唇を一度引き締めてから口を開いた。
「【また、部外者が増えるというのか。ここは我らの土地で、お前達のものでは断じてないというのに】」
少し訛ってはいるが、それは南方語だった。そして老人が使っているのは西方語だろう。それらを互いに、全く相手に理解させようとはせずに使っている。
「……何を言っているのか分かりませんが、なんか嫌な雰囲気ですねジョットさん」
「全くその通りだとは思うが挨拶ぐらいはしよう。はい【こんにちは】」
「あっ、【こんにちは】!」
そう言うと、エルフは少しばかり驚いた顔を浮かべ、ほんの僅かに口端を緩ませた。「【礼儀はなっているようですね】」と挨拶の代わりにもならないことを言ってくる。一方で老人の方は眉間に皺を寄せていた。俺達が南方語を使ったことが気に食わないようだった。
何だかとてもどうでも良くて面倒臭いものが、この二人の、というよりはこの先の修道院の中にあるような気がしてならない。来たばかりだというのに帰りたくなってきた。
聖女様は「ああ」と眉間に皺を寄せつつ、一応は老人の話を聞き終えたのか、二人を示して言う。
「こちら、教会総本山より、統治の調査団団長として着任した、ヨハネス・ディ・ハルフィンボルト様です。そしてこちらが、当地の修道士である、リリード・カーテンカフさんだそうです」
「ヨハネスさんとリリードさん。よろしくお願いします。俺達は聖女様の付き合いでここに──」
言いかけて、急にヨハネスが何事かを言い始めた。「……どうやら、ウルド人であることが気に入らないそうです」と聖女様が言う。それは別にそういう人だっているだろうが、何故、伝わっているはずがないのにそこまでグチャグチャ言うことが出来るんだ。
そしてリリードまで「【またそれか】」と、「【お前の態度は今日までまるで変わっていない】」と、互いに伝わらない言葉で互いを責めている。物凄く帰りたくなってきた。
「……あー、ジョットさん。私、そろそろお風呂に入りたいんですよね。温泉がどこにあるか聞いてくれませんか?」
ノアが無表情に近い表情で言って「こんな遠くまで来ても村の中みたいな下らない……」とぶつぶつ言い始める。流石に苦労してまで来てこれでは怒るのももっともで、俺としても心苦しい。
「【あの、リリードさん。不躾な質問ですみませんが、ここ温泉があるって聞いたんですけど、どこにありますかね?】」
「【大体にして、こいつらを受け入れた教主も一体どのような考えで……】」
「【はい、ありがとうございました】ノア、もう勝手に探そう」
「はーい」
物凄く下らなくなってきたので、手っ取り早く探そうと"眼"を開いた。
温泉ってことはマグネシウムやらなんやらと混ざって、地下に特有の属性魔力も溢れているだろう。その方向に向かって歩いて行けば、後で怒られようとも取りあえずは一息吐ける。
「巣を見つけたら温泉卵でも作ろうか。極彩鳥の卵は意外と白っぽくて──」
言いかけて。
「……ジョットさん? どうしました?」
俺の目は見開かれた。口端がわなわなと震えた。
「素晴らしいものを見た」
「え?」
この地。この大地。緑に富み、色彩豊かなこの大地に、深く息づく力がある。
それは脈打ち、静かに、しかし雄大に流れていた。それは流れ行く大海だった。海原が指向性を持って脈を作り、回転し、修道院が建てられた山の頂点を中心として、美しい円環を描いている。
俺は思わず駆け出していた。ノアの手を取っていた。「わっ、ええ!?」という声を福音として聞けていた。そうともそう聞こえるだろう!
何せ、この土地は──!
「皆さん、素晴らしい提案がありますよ!」
俺は、訝しむような目を向ける三人に向けて言った。
「こんな修道院はぶっ壊して、サイクロトロン建設予定地にしちゃいましょう!」
「何言っているんですか貴方」
聖女様は呆れたような顔を浮かべ、他の二人は意味不明なものを見る目をしているが、こんな死ぬほど面倒臭そうな修道院にこの土地はもったいなさ過ぎる!
この、あまりに膨大な魔力量が、同時に静謐に循環しているという奇跡! 山という地形に魔力がさながら生物のように脈打つことはままあるが、これは次元が違う。たとえるなら、生物としての格が違う。月とすっぽん。土とオリハルコン。そこら辺の人間とノアの違いだ。こんな素晴らしい土地を、下らない諍い野郎共の住処にするなんて絶対に間違っているだろう!
いやー、色々面倒なことがあってすっかり忘れていた目標だったが、こうして理想的な土地が見つかるなんて、ひょっとしたら女神様が俺にやれと言っているのかもしれんな!
「つまりですねえ! 魔力量の多寡もそうですが、より重要なのは安定性なんですよ! 元々の加速器にしたって建設地は地盤が安定していて振動が少ないことが条件となっているんですが、ここは魔力で同じことが出来ている! どうですか、これはおかしいことですよ! 生きながらにして整えられているようなものだ! しかし同時に加速器に同じく岩盤が、いや今見たけれど安定しているや! もうこれ俺のために用意された土地でしょう。早速現地住民に立ち退き交渉だ! だけど金が手に入る前に土地が見つかっちゃったってどうしようかなあどうにでもなっちまえ行くぞノア!」
「ジョットさん」
「どうしたノアいっだ!?」
脛を蹴られた。物凄く痛い。「あのですねえ」と首根っこを掴まれて言われる。
「私、温泉に、行きたいんです。そして、ジョットさんまで理解できないような話を他人にぶつける人になってどうするんですか! それ以上に、ぶっ壊すって失礼ですからね! 幽霊以上に! 分かりましたか!」
真面目な顔で言われてしまった。そ、それはそう。本当にそう。というか、テンションが上がると他のものが目に入らなくなるというのはかなり悪い癖なのではないだろうか。
「それは、うん。ごめんなさい。でもさあ! ほんとここ理想的で、まさかこんな所で見つかるとは思わなかったから嬉しくて──!」
「私だって、まさかこんな所でこの日が来るとは思いませんでしたよ!」
「こ、この日って、何が?」
「ジョットさんが私以上のものに目移りする日です! まさか人ですらなく土地だとは思いませんでしたが!」
ノアは怖い顔を浮かべて「温泉どこですか!」と俺の腕を引っ張ってくる。「あ、あっち」とついでに見つけた場所を指差すと、「そうですか!」とだけ言ってずんずん歩いて行く。
顔を見ると、ちょっと泣きそうになっていた。罪悪感が凄い。
「いや、まあ。ノアはノアで、ノアが一番だから。それに、ここは確かに素晴らしいけれど、土地だし。地面だし。山だし。だからまあ……」
口下手なりに何とか宥めようとするが、いまいち上手い言葉が見つからなかった。しかしノアは足を止め、こちらに顔を向けずに言う。
「……ジョットさん」
「な、なに?」
「そういうことをもっと言って下さい」
「お、おう」
言われた通りに「そもそもノアのために探していたものだし」だの「やっぱりノアがナンバーワン!」だの「世界一可愛いよ」だの歯の浮くような台詞を並べ立てていって正直恥ずかしかったが、ノアの機嫌は見る見る内に良くなっていき、
「いやーそーですよねー! 私ってばジョットさんに愛されまくっちゃってもう困るほどっていうか別に困りはしないんですけどねー!」
「おう! 何言ってるのかよく分からんが、その通りだ!」
「ですよね!」
ノアは何時も以上の笑みを浮かべ、俺の手を握った。機嫌が直ったようで何よりである。
問題は、修道院の中にずかずかと踏み入ってしまったので、剣を持ったエルフの皆さんに囲まれていることだが。だって温泉は修道院の裏にあって、ノアったら直線方向そのままで進んじゃうんだもの。
「でも世界一可愛いから仕方ないね! すみませんでした」
「私ってば世界一可愛いんですよ! 知ってましたかー?」
「すみませんでした」
エルフさん達も急にウザ絡みされて困惑しているようなので、この素晴らしい土地のように、ここは水に流してくれませんかね。