信仰とは、それ自体の価値とは別に、道具としての価値が非常に高いものだろう。同じ神を信仰している。それは同じ価値観の中に生きているという安心感をもたらし、共同体意識を育む。言ってしまえば、それは集団における鎹のようなもので、子の存在が夫婦を親にするように、単なる人の集まりを国にも変える。
そして言語もまた、集団における重要な鎹だろう。いっそ、集団とそれ以外とを分ける前提かもしれない。違う言葉を使う人間は、明確な他者で、たとえどのように振る舞おうとも、結局は外側の人間でしかない。それは国という巨大な枠組みに限らず、公用語と方言の違いや、それに及ばずとも僅かなニュアンス、その土地特有の言葉など。独自性が高まり、習得の難易度が高まるほど、内と外との溝は深まっていく。
だからこそ、外側の人間が内側に入り込み、同化するためには、共通点を増やしていくことが最も簡単だ。溝が深ければ深いほど、それを跳び越えた際に歓迎されやすい。
たとえば、この世界における宗教は統一されているため、同じ神を信仰していようともそれは前提でしかなく、大した感慨も生まれないだろうが、言語に関しては割と分かれている。大まかに分けて東西南北の四つに分かれ、その他、エルフ語にドワーフ語など、種族特有の言葉があり、それらは一昼一夜で習得できるものではない。グローバリズムという言葉が未だに生硬なものである以上、我々は当然に分断されている。寧ろ、分断されている状態こそが自然なものだと思っている。
故に、俺が南方語を解したことに、彼女らは驚いたような表情を見せ、警戒の表情もまたいくらか緩んだ。向けられる剣の、その切っ先も少し下げられて、考え倦ねたように互いを見つめた。
「【失礼しました】」と、改めて俺は南方語で言った。「【素晴らしい土地。素晴らしい建物。感動して、思わず入ってしまいました。自分はジョット・ブレイクと申しまして、こちらはノア。北の帝国から来た、しがない旅人です。どうぞよろしくお願いしたい】挨拶を、ノア」
「あっ、はい! ノアです。【お願いします!】」
頭を下げることはこの土地でも礼儀に値するようで、雰囲気は明らかに緩んでいった。
俺はようやく人心地付いて、改めて彼女達の様子を見つめた。人数は二十もいないだろうか。髪の形は千差万別だが、いずれも簡素な白色の法衣を身に纏っており、手にする剣や槍は滑らかな鉄色をしている。髪色と瞳の色はどちらも銀で、肌は夜のように青黒い。南方エルフの特徴を、彼女らは全員備えていた。
これは珍しいことだった。或いは、この場所そのものが珍しいのか。人間社会に職を得たエルフは、往々にして同胞と連むことなく、独立独歩でやっている。俺もまた、人間社会に生きている以上、そういったエルフの姿しか知らなかったため、二十を超すエルフが一カ所に生活しているという、彼女達からしてみれば当然にある共同体が不思議だった。
「どうしたんですか急に」と、慌てて追いかけてきたのか、聖女様が呆れ顔を浮かべていた。隣には道なりで口論をしていたエルフの、確かリリードと言ったか。彼女が不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。勝手に入ったのだから当然だろう。しかし、同じく口論をしていた男の姿は見えない。彼には俺を追いかける理由もなかったのだろうか。
「いや、すみません。とても素晴らしいものを見つけてしまいましてね。興奮してしまって。とりあえずはご挨拶をしました」
「ブレイクさんって、あんな声もあげるのですね。もう少し冷静かと思っていましたが」
「ジョットさんは意外とまぬ……まあ、情熱的ですよ!」
しかし、場を取りなせたことは良かったにせよ、これからどうすべきか。
幸い、怒っている様子でもないし、話を通せば泊まるくらいなら大丈夫だろう。温泉があれば入らせてくれるかも。観光に関しては、この堅苦しさからしてあまり歓迎されなそうだが、寝泊まりするだけでも十分情緒を味わえそうだ。
だが、この土地だ。ノアが期待していた宝云々がどうでも良くなるような、いいやこれこそが宝とも呼ぶべき土地の状態である。
「正直言って俺のポケットには大きすぎるが、こいつをみすみす見逃すというのも何だかね。契約書をちょろまかして俺の名義に出来ないか」
「何を言っているんですかジョットさん……」
「いや、流石に冗談だよ。うん。だけど、買い取るだけの金も権力も俺にはないが、繋がりくらいは持ちたい。それだけの土地だ。或いは人工的に再現できないか、分析するのも良い。データぐらいは取りたいね。許可してくれるだろうかな。というか俺以外に見えないんだから勝手にやってしまっても良いんじゃなかろうか」
何も盗むわけではない。見るだけである。そしてちょっとばかし刺激を与えて反応を見ることが出来れば最上だ。
「気付かれなければね」
エルフは往々にして土地に根ざすと聞く。都市に出てくるエルフが少ないのもそれが理由で、彼ら彼女らは生まれ育った土地から中々離れたがらない。それは引っ越しの費用だの環境を変える手間だの、現世的な理由からではなく、エルフの魔術体系が土地と密接に関係しているからだ。それは生来のもので、殆ど種族そのものが土地と関係していると言えるだろう。
だからこそ、この素晴らしい土地に寺院が開かれたのか。だとしたら、俺のちょっかいもすぐに気付かれてしまうだろうか。
「【どうです、リリードさん。俺はこの土地が気に入りました。素晴らしい土地です。お手伝いはしますので、是非とも泊めていただきたいのですが】」
彼女は顰め面を浮かべた。「まあ、先遣隊の方々がご迷惑をかけているようですしね」と聖女様が言った。
「しかし、そんなに気に入ったのですか? 土地ですか。貴方に見えるその景色は、それほど美しいのですか」
「全くですね! 老後はここで過ごしたい。いや、刺激が強すぎて心筋梗塞起こしちゃうかも」
「ふうん」
聖女様は曖昧に頷いて、「とにかく、こちらの修道院長様には挨拶をしなければ」と言って、リリードへ院長の所在を聞いた。「本来ならばハルフィンボルト様に案内していただくのが筋でしょうが、あのような調子では、軋轢があるでしょう」目を細めてぼそりと言う。
「ならジョットさん、その時に、分析でしたっけ? それも頼めば良いんじゃないですか?」
「それは実に良い考えだ。頼むだけならタダだからね」
「そうですね! タダの労力しか支払う価値のない相手ですからね! 私はちゃんとお金を払われましたからね! けっ」
「言っちゃ何だけど、土地にまで嫉妬してんじゃないよ」
リリードは嫌そうにしていたが、しかし周囲のエルフさん方がさっさと去ってしまったことも相まって、仕方なさそうに「【付いてこい】」と言った。彼女に話しかけてからエルフさん方が去って行ったこともそうだが、あの面倒臭そうな老人の相手をしていたことからして、彼女はきっと、この修道院の案内役のようなものを任せられているのだろう。
だが、あまり気乗りしていないところを見ると、その役目は押し付けられたものなのだろうか。何だか貧乏くじを引き続けているような人である。
石造りの外観に違わず、オルドミナ修道院の内部は素朴なものだった。素朴というか、あまりに古臭い。都市のように魔力灯が整備されているはずもなく、壁面には火を点すための松明が備え付けられている。今は昼なので火は点されておらず、アーチ状の入口に入ると途端に暗くなった。
一方、足下は中々見事なものだった。切石を並べた地面はよく均されていて躓くこともない。壁に触れれば同様につるつるとしていて、石と石の継ぎ目は爪先も入らぬほどに確かだった。様式は古臭いが、作りそのものはしっかりしている。名工の作と言って良いかもしれない。
「この評価を是非ともごますりに使ってやろう」
「【何か言ったか、お前】」
「【いえいえ】」
微笑んで手を振ると、リリードは鼻を鳴らして「【こちらだ】」と言った。彼女が示したのは、長い廊下の最奥にある古い扉だった。ネームプレートがかかっていることもなく、円形の取っ手が付けられているだけである。立場ある人間にしては物寂しい部屋だが、これもこの修道院の性格を示す一つなのかもしれない。
リリードは扉を開けるとすぐに閉めた。三分ほど経って、再び扉が開けられる。
「【教主は顔を合わせて下さるという。決して無礼のないように。あの西方人のような口を利いたら、同じようにしてやろう】」
「なんて言ってるんです? ジョットさん」
「普通にしていたら歓迎するってさ」
もっとも、この場合の普通とは、無礼とは何かという話になってくるが、心持ちさえしっかりしていれば、文化が違おうと大抵は見逃されるものである。フィンガーボールの水を飲むことは広く知られた美徳であった。
部屋に入ると、まず澄み切った顔があった。エルフらしく、その若々しい外見から判別付きかねるが、彼女が修道院長だろう。他エルフさん方と同じく、簡素な白色の法衣を身に付けているが、顔以外に肌が露出する部分はない。頭部には白布を被り、その上に金属の冠がある。鈍色をした、骨組みのような形で、立場を考えればこれまた質素な代物だが、飾られた文様は細密に出来ていた。
「それは」
ふと、聖女様が声を漏らした。「いえ、失礼」と目を細めながら頭を下げる。
修道院長は、口を開くことなく、俺達を見つめていた。部屋の中は随分と狭く、それでいてがらんとしていた。ベッドと、机。それ以外に大して目に付くものはない。部屋の上部には採光用に穴が開けられており、そこから差す光の筋が辛うじてこの部屋を明るませていた。それがなければ目視も叶わないだろう。
「【おい、お前。そうジロジロと】」
「【あ、すみません】」
リリードの声に俺は目を戻した。丁度、修道院長が俺を見つめていたところだった。銀色の目だ。表情はなく、何を考えているかは分からない。青黒い身体と、それを包む白布という組み合わせは、色彩感覚を失わせる。
取り留めもなくそんな事を考える。何せ何も話してくれないのだ。ちらと横を見るとノアは緊張してはいないが、少し困ったようにこちらを見つめていたので目が合った。ウインクを返してくるのが呑気だろう。
「【あのう】」
俺は努めて柔らかく言った。しかし返事はない。修道院長は俺から目を離し、ずっと聖女様を見つめている。その視線を受けて、今度は聖女様が「【あの】」と言った。
「【御者のお方も、そちらのお方も。そしてこの地に棲まう人々の口からも聞いたのですが、貴方は教主と呼ばれているようですね。修道院長ではなく】」
「【それがどうした】」
リリードが口を挟んだ。聖女様は彼女の方に目をやったが、あくまで続ける。
「【教主とは、宗派を開いたものを言い、教団の最高指導者を言い、教えを説く主体を言います。我々においても、教国の指導者を教主と呼びます】」
「【だから、それがどうしたというのだ。私達とお前達では、同じ神を奉じてはいるが、明確に違うものだろう。同じと思うことこそが傲慢だ。お前もあの西方人のように、私達をあくまで下に置くつもりか。地位を取り上げて辱めるつもりか】」
「【そうではありません。しかし、その冠】」
「【冠?】」
聖女様は修道院長の頭の上に据えられた冠を指差した。よく見れば、その文様は不思議だった。線と円と三角形と四角形が重なり、連なっている。パターンはなく、あえて壊しているような、破調の感を覚えた。
「【聖混四文様。かつて北と西が交わっていた時代に、北の影響を大きく受けて作られたものと聞きます。ましてや、布製ならばともかく、金属製の冠ともなれば、教主位のみが身に付けられるものと。それを、どちらで】」
「【なに。いや、だからどうしたと……】」
「【それが受け継がれているものならば、この地の成立は思いの外、早いのでしょう。少なくとも五百年以後には遡らない。そして、その時代であるのならば、当然、教主は一人に限定されていたはず。大陸西方に置かれた教国の、その指導者こそが、唯一、教主と呼ばれていたのです。……それで、貴方はその冠を、どちらで手に入れたのですか】」
言葉が分かってしまうことは不運だった。呑気に土地のことを考えていたら凄まじく面倒臭い事に巻き込まれようとしている。
たぶん、聖女様が言いたいのは、その意味を理解しているのか、いないのか、ということだろう。
扱われ方からして可能性は薄そうだが、仮にこの冠が、単なるオシャレでしかないのなら、それは単なる骨董品である。或いは、指導者としての地位を示す道具だったにせよ、聖女様が語った歴史的意味を知らなかったのであれば、それはこの地で新たに意味を付与された物に過ぎない。やっていることはファウストの宗教利用と同じようなものである。教会側からしてみればあまり面白くはないだろうが、それでもこの地で作られた意味は、この地に独自の確かなものだろう。教会側の身勝手を非難することだって出来る。
だが、その歴史的意味を理解した上で、自らを教主と称し、冠を被っているのであれば。それは教会側からしてみれば対立教主、いや、僭称者。或いは、いっそ冒涜者と呼べるだろう。
リリードが何かを言おうとして、その前に、冠を被ったエルフが、ようやく口を開いた。