「それだけか」と修道院長は言ったように思う。
「そんな話をするために来たのか」と些か責めるような口調だったと思う。
しかし、不思議なことに声色は不明瞭だった。風切り音のような掠れた音がどうしてか言葉として聞こえた。傍に立つリリードが動揺を隠しきれぬ顔で彼女の顔を見つめたが、既に唇は閉じられた後だった。
冠を戴いたまま、修道院長は聖女様を見下すように見つめている。
「【それは肯定ですか? 歴史的意味を解した上で、尚も自らを教主と仰ると】」
彼女は答えなかった。「【教主……】」と、リリードが困惑したように冠を見つめ、その下の表情の変わらぬ顔を見つめた。リリードはその冠が持つ意味を分かっていなかったようで、
「【どういうことだ。私達は、お前達に関わらず、この地にあった……】」
そう言って、聖女様に向けた目には、敵意と共に疑問があった。
「【さて……】」
聖女様は腕を伸ばした。指先に修道院長の顔を示し、「【私が聞きたい】」と言う。
「【ハルフィンボルト様から、私を呼んだのは貴方の意向だと聞きました。教会総本山の意向に関しては曖昧に躱されましたが、少なくとも、私がここに在る理由は貴方の意思でしょう。寧ろ、教会側からしてみれば、私は邪魔者でしかない。どうして私を呼んだのか。私が何を話すというのか。私に何を期待するというのか】」
「聖女」
「【はい?】」
修道院長は「聖女、聖女」と確かめるように繰り返して言う。
「お前が聖女と呼ばれているからだ。分かるだろう」
「【……何がですか?】」
「とぼける」
修道院長は何か、一人だけで答えを出しているようだった。自己完結している者は往々にして狂人に見えるが、その例に漏れず、彼女は何かに狂っているように見えた。
しかし、ふとリリードが「【聖女?】」と驚いたように聖女様を見つめ、「【これも?】」と言った。
「【これも、とは、どういう?】」
「【いや……しかし。これは……】」
よく分からない会話だったが、それ以上に視線のやり取りが窮屈だった。狭い部屋の中で、意味を多分に含んだ視線が交わされている。
ふと、ノアが俺の横腹を突いて言った。
「時にジョットさん、私、知らない言葉で話されているからずっと暇なんですけれど」
「俺も似たようなものだが辛抱するしかないだろう」
「その点、そこの偉そうな人は親切ですね! 私にも分かる言葉で話してくれました!」
「えっ、君にも聞こえたのか?」
思わず声を大きくしてしまった。三人の目がこちらに向けられる。すぐに逸らされる。『まあこいつらは良いか』とでも言うかのような態度である。
そりゃ、偶然通りがかったようなもので、この土地が抱える面倒臭そうな問題とは一切関係がないのだからそうだろう。今し方の言語の不思議にしても関係ない。俺達だけでもさっさと用を済ませて欲しいものである。
「ああいや、用があったのはこっちだ。【願います!】」
「【なんだ急に、お前】」
「【行きがかりなので泊めて欲しいです。あとお手伝いはするので色々と見学させていただければありがたい】」
リリードは窺うように修道院長を見た。彼女はうんともすんとも言わなかった。先程からはずっと聖女様を見つめている。
一方、聖女様の方も、俺達を気にしてはいるようだが、修道院長から目を離さない。
こういった貴族文化的な、言葉を使わずに意思を伝えるというか、場を制圧するようなやり方はどうにも性に合わない。待てば良いのか。待って何か事態が好転するのか。進むのか。「聖女様、俺達先に帰って良いですか」と、埒が明かないので聞いてみても「さて……」と言葉を濁されるばかりである。
「【帰って良いですか、リリードさん】」
「【静かにしろ。騒ぐな。落ち着けないのか】」
「なんて言ってます?」
「何も言っていないようなものだね」
じゃ、暇なんで"眼"でも開いてみるか。
思えば何もすることがない時の娯楽と言えば空想かこれくらいである。しかし、これが癖になったお陰でこの土地の素晴らしさを発見できたのだし、元を辿ればノアと出会えたのだってそうだ。エルフを見るのは久々だが、面白いものが見られるかもしれない。
視界を切り替えて開けた世界には輝きがあった。種族特性としてエルフは人よりも魔力量が多く、質が高い。しかし、この土地に特有なのは足下だろうか。大地の魔力と綺麗に繋がっている。これは大気中から魔力を回復させる一般的な魔術師よりも優れた方法で、同時に魔術の威力さえも向上させることが出来るだろう。これは、感覚的には、自分の範囲を人体から更に拡張しているということなのだろうか。実践的な意味でも学びが多そうな技術である。
しかし、魔力そのものは些か期待外れでもあった。修道院長もリリードも、良く練り上げられているが人の範囲を出ていない。寧ろ、体外の魔力と同調するために、意図して落ち着いてしまっている雰囲気がある。
たとえて言うならば木だろうか。それ自体は一見して地味だが、地中に張った根は強く、それがために精強で揺るがない。発動される魔術は落葉のように数多放てると同時に、土地に落ちて霧散して、自らを富ませる栄養にもなるだろう。
だが、それでも個性は出るようだ。ポエティックなたとえとは別に、個人の魔力は修道院長とリリードで互いに違った。リリードの方は未だ己を強くしていて、体外と体内の循環も、一つ一つ掬って落とすような形を取っている。一方、修道院長の方は、完全に根を張っているようなものだ。いっそ土地に取り込まれているようなものである。流石は長年の修行者と言うべきか。
いや。循環が綺麗すぎるというか、循環そのものというか。あるべき己というものは──。
「見たかお前」
「えっ」
ふと、修道院長が俺に目を向けた。
彼女は初めて表情を見せていた。目を見開いて眉間に皺を寄せている。「お前が」と俺を指差しているところを見ると、怒っているらしい。「えっ、何をしたんですかジョットさん」とノアが言ってくるが、俺としては全く心当たりがない。
しかし、事態は悪い方に進んでいくようだった。修道院長は、事もあろうに「こいつは私を殺そうとした」とリリードへ言ったのである。
リリードは直ちに剣を抜いた。「殺すな。捕えろ」という声には怪訝そうに眉根を寄せたが、剣を収めて、唇を真一文字に結んで向かってくる。同時に魔術を使ったのが分かった。それはこの部屋から四方へと分散していった。組成から見るに、どうやら人を集めるための合図らしい。
事実、すぐに部屋の扉は開かれて、先のエルフさん方が詰めかけてきた。「【殺さぬようにと】」というリリードの声に、同じく怪訝そうにして後方へと剣と槍を預けていく。そして俺は組み伏せられてしまった。ノアも目を白黒とさせている内のことである。
「ど、どうしますか、ジョットさん! 全員倒して逃げ出しますか!?」
「どうしよ。心当たりが全くないから困惑するばかりだ」
「な、なんか余裕がありますね……」
「いや、本当に心当たりがない。ただ、何時ものように"眼"で見ただけで」
「いや、それなんじゃないですか……?」
「そんなはずはない」
「言い切るんですから、もう……」
ノアは呆れ顔で俺を見つめてくるが、本当にそんなはずがない。俺の"眼"が何かに対する攻撃になるはずがない。そもそも、見られたと感じることすら出来ないはずだ。
「聖女様はどう思います?」と俺は言った。「いや、連行されながら……」とノアは言ったが、彼女の意見は気になるところである。
彼女は「さて……」と言って修道院長から目を離さなかった。そういやこの人さっきからこっちの方見てなかったな。
「しかし、私には何も感じられませんでしたよ。彼女は神経が過敏になっているのでは。目を向けられただけで殺される、などと」
「そうですとも。俺は潔白を主張します」
「……その、余裕げな態度が、神経を逆撫でしている面も多々あると思うのですが」
「そうですかね?」
しかし、ノアでさえ大して焦っていないのだから、俺が焦らないのも当然だろう。ついこの間に死線を潜り抜けたからか、神経が馬鹿になっているのかもしれない。
それでも修道院長が命令した割に、俺を押さえ付ける力は強くない。いくら殺さないようにと言いつけられているにしても、随分と優しいものだろう。
ノアが剣に手をかけてこちらを見つめていたが、俺は首を振った。俺は大人しく連行されていった。
廊下を行き、階段を下りて、地下室に入った。空気穴が空いているのだろうか、中は涼しく、湿気も少なかった。代わりに火は点されておらず、暗闇だけが広がっている。広さはそこまででもないのだろう。先頭を行くエルフはすぐに立ち止まり、軽い金属音を響かせた。鍵を開ける音だった。扉が開かれる。俺はその中に入れられた。
「【じゃ、大人しくしておいてね】」と、エルフが言って、地上へと戻っていく仲間達の背中を見送った。彼女が見張り番なのだろうか、手元には小さな鍵がある。
その鍵を小さく揺らしながら、彼女は暗闇の中に俺を見つめて言った。
「【言っても分からないかもしれないけれど、暴れなくて安心した。西から来た連中みたいに暴れられると、こっちだって疲れるからね。教主様にも困ったもので、どうしてそこまで外部の人間を嫌うのかしら? 遂には君のような少年に、殺されるだなんて。そろそろボケが始まったのかも】」
「【その考えは、貴方だけのものではなく、大勢に共通する考えですか?】」
「【あら、喋れる】」
剣を携えたエルフは驚くこともなく言った。「【どう思う?】」と、微笑みさえ浮かべて檻越しに言ってくる。
「【多いんじゃないですか? だって、杖も取らないんですから。これが貴方の剣のようなものであることは、きっと既に知っているのでしょう。西の魔術師が暴れたのなら】」
「【魔術師じゃなくて神官だって言っていたけどね。でも、そうだね。それを使えば簡単に逃げられるだろうし、使わなくても、この状態なら難なく逃げられるでしょう】」
「【そりゃ、魔術師ですから。寧ろ、この牢屋が不思議なんですけどね。術式も刻まれていない牢屋に、何の意味があるんでしょう】」
「【だってここは罪人を閉じ込めておく部屋ではなく、反省を促すための部屋だもの】」
「【俺は罪人ではないですか?】」
「【ないでしょ。だって、暴れなかったもんね。私達を気遣って?】」
「【どうでしょうね。暴れた方が面倒臭いからかも】」
「【面倒臭いか。怖いとか、殺されるとか、思わない?】」
「【神経が馬鹿になっているせいか、あまり】」
「【あはは……】」
彼女は愉快そうに笑った。修道院長やリリードに見せていた硬い表情からは考えられない、柔らかな声だった。
その二面性が、また面倒臭そうな事情を予感させた。抵抗しなかったのもそのためで、これ以上目立てば知らない内に巻き込まれて、あらぬ疑いを向けられそうである。
俺はただ観光に来ただけで、そして土地の魔力的性質に目を奪われただけで、複雑な背景を明らかにしようという心意気も、近くで成り行きを楽しもうという野次馬根性もない。加えて、捕縛が名ばかりのものであるのなら、実質的に安全を確保したようなものである。
更に言えば、地下に入ることで、より近く、土地の魔力的性質を探れるという魅力もあった。温泉に入れないのは残念だが、ここで暫く研究に没頭しても良いだろう。
"眼"を開けば、視界は一気に明るくなって、鮮やかに色付いた。足下からは美しい循環が伝わってくる。中々に居心地が良い。
「【ただ、ノアには悪いことをしてしまった。俺と一緒にいた女の子なんですが、彼女はここの言葉が分からないから、寂しい思いをさせてしまうかもしれません。それと、言葉が分からないから、あらぬ疑いを向けられてしまうかも】」
「【それなら、一緒に入れてあげた方が良かった? あの子にはここ、キツいと思うけどなあ】」
「【ああ、それもそうですね。俺は別に良いんですが、ノアは温泉を楽しみにしていたから。案内してあげてくれません? それと聖女様……一緒にいた女の人には、大変でしょうが、よろしくお願いしますと。これなら大丈夫でしょう】」
「【君のことをずっと見ていたから、君がいなくて不安に思うんじゃないかな】」
「【それなら元気でやっていると伝えて下さい。それでも不安そうだったら、浮気ではないが、渡りに船でもあったとか。そんな風に言えば呆れてくれますよ】」
「【変な人だね、君】」
魔力の流れから読み取った顔の輪郭は、物珍しそうに俺を見つめていた。「【人間ってのはそうなのかな?】」と言う。
「【よく分からないけれど、良いよ。伝えてあげよう。でも、それって浮気を認めているようなものじゃない?】」
「【違いますよ】」
「【浮気相手って、もしかして私かしら?】」
「【違いますよ。名前さえ知らないんだから。貴方のお名前は?】」
「【ステイドヴェルド。そして君はジョットさん。何だか良いね。私、浮気なんて久しぶりよ】」
「【浮気じゃありませんけどね】」
こんな辺鄙なところにいると暇なのだろうか。ステイドヴェルドはおかしそうに笑って、牢屋の鍵をくるくると回している。
くるくると回しすぎてすっぽ抜けたようだ。「【あっ】」という声と共に、廊下の中に鍵が入って来た。
「【ごめんね。落っこちちゃった。それ取ってくれない?】」
「【囚人に鍵を拾わせる看守なんていますかね】」
「【君は囚人じゃないし、私も看守じゃない。でも、鍵をなくしたら怒られちゃうかも。取ってよね】」
「【はいはい】」
俺は鍵を拾い、ステイドヴェルドに渡した。「【いやー、ありがと】」と彼女は言って、俺の手を掴んだ。
手は中々離されなかった。強く掴まれている。力が籠もっている。
「【なんです?】」
「【魔眼や邪眼の類いではないことは分かるんだよね。魔力が発せられてないし、向けられていないから】」
「【はあ】」
「【でも、夜目が利くってレベルでもないね。ここは光も殆どないからね。物音を探ったにしても迷いがなさすぎるし、第一、君は目で鍵を追っていたね。つまり、君には見えていたわけだ】」
「【人を試したりして、何が言いたいんですかね】」
「【魔眼や邪眼じゃなくても、目だけで人を殺せるのかなって。教主が言ったようにさ】」
そう言って彼女は手を離した。「【見えているかな】」と彼女は言って、わざとらしく微笑んだ。
「【君が言ったように、ここは面倒臭いよ。それこそ、地下に閉じ込められた程度では、抜け出せないほどにね】」
彼女は俺に背を向けて、鼻歌を歌いながら歩いて行った。「【ああ、それと】」と振り返り、
「【ここ、幽霊が出るから気を付けてねー】」
と言って、階段を上っていき、扉の開く音がした後、今度こそ静かになった。