魔眼、邪眼とは何か。それは、先天的な才能であり、魔物を参考にした魔術的試みの一つである。
人間は生まれながらに魔術を使えず、学習によってのみ使えるが、魔物は生まれながらに魔術を使える。一方で、人間は学習によって多様な魔術を使えるが、魔物が使う魔術には種族的限界がある。これは一般に知られた理論だが、誤謬も多い。特に、人間は生まれながらに魔術を使えないという点に関しては、大きく疑問符が付くだろう。
しかし、魔眼、魔術に関しては、人間の種族的特徴とは呼べない。それは生まれながらに備わり、手足のように発動出来るものだが、あくまで個人的な──こういう言い方はあまり良くないと思うのだが──疾患の域を出ない。胎内の中で独自の発達を遂げた眼球が、偶然にも肉体で魔術式を描いてしまった事による様々な症状を総称して、魔眼、邪眼と言う。
症例は様々で、基礎的な現象を起こすだけのものもあれば、複雑な魔術を発動するものもある。生来の属性が水や光で、術式も単純なものであれば対処は容易だが、他の属性、特に火属性なら、本人だけでなく周囲にも被害を出してしまう。加えて、術式が複雑なものであれば、消費される魔力量もまた多く、衰弱死の危険性も高い。
この様に、眼球に現れる先天的機能異常は非常に危険で、対処を間違えば失明の危険もあるのだが、最近では外科手術の技術も発展してきて、難病と言うほどでもなくなってきた。かつては目をくり抜くか、そうでなければ捨てられて、孤独に生きていくかといった酷い話で、そのために魔眼やら邪眼やらと差別されてきた歴史があるのだが、今となっては寧ろ、その有用性に目が付けられている始末である。
というのも、魔族の中には、人種的特徴として魔眼を有している者もいるからだ。また、魔物の中にも種族的特徴として魔眼を有している者もいる。そういった例を参考に、人工的に魔眼を生み出す事が出来ないか、と考えたのは、きっと魔術師ではないのだろう。
何せ、魔術師からしてみれば、魔術を使いたいなら杖を振れば良いだけの話だ。有用なのは主に戦闘か諜報か、ともかく研究とは関係ない分野であって、瞬間的な発動を求められる場所においてのことである。
いや、たとえば、目からレーザーを発する魔眼があれば、手術などで便利かもしれない。対象を固定する魔眼があれば、実験動物を扱う際に便利かも。こう考えてみると研究室でも使えないことはないのだろうか。
「話が逸れてますよジョットさん。それで、何でしたっけ。ジョットさんは目からビームが出せるんでしたっけ?」
「その逆だよノア。俺の"眼"は、そういった魔眼とは違い、魔力を消費して魔術を発動させるんじゃない。魔力を捉えるだけだ」
コウモリが超音波を発し、その反響で対象の位置を探るといった、エコーロケーションのような手法でもない。俺の"眼"は、自ずから輝く魔力を、独自の感覚器官によって眼に見えるように捉えているだけである。
そのため、厳密には魔眼でも邪眼でもないのだ。魔術を発動しないのだから。
「でも、あの院長さんは、ジョットさんに殺されるって言ってましたよ? それに、お目々を開いていたことに気付いていたじゃないですか」
「そう、それが不思議なんだ。俺の"眼"は、外部に働きかけることはない。だから、俺が"眼"を開いたことは誰にも気付かれるはずがない。構造自体の異常はあるから、見る人が見れば、構造で何かを有しているとは分かるだろうけど。たとえば伯爵とかね」
「えっ、調べたんですか? め、目をくり抜いて……?」
「そんな事はしない。それこそエコーロケーションだよ。魔力反応によってどの辺りが普通と違うのかを調べたことがある。俺の場合は水晶体と視神経の辺りにちょっとした異常があるらしいが、詳しいことはまだまだだ。恐らくは脳の中も影響を受けているだろうし、どうしたものか」
「ど、どうするって、切り開いちゃうとかですか!?」
「まさか! 死ぬだろう」
「で、ですよねー……」
ノアはほっとしたように息を吐いた。ユラウに頼めばそれも何とか出来るかもしれないと思ったことはあるが、言わないでおこう。言った当人にドン引きされたので。一応、冗談のつもりだったのだが。
「しかし、俺が"眼"を開いたことに、あの修道院長が気が付いたのは事実だ。視神経を通る魔力的な流れを察知したのか、それとも観察される対象として何かを感じ取ったのか。前者はまだ可能性があるが、それでも殺されるってのは大袈裟だと思うね。およそ魔術を発動するには足りない、先生でも感知することが出来ない量だ。どういうこっちゃ」
「私に聞かれても……後者の可能性はないんですか?」
「……どうだろうな。分からん」
俺は牢屋の中で天井を仰いだ。
「普通は、肉体も魔力も、俺が"眼"を開いた程度で何かが変わることはないが……ひょっとしたら、変わっていないと思っていただけなのかもしれない。観察者効果という奴で、知らず知らずの内に、現在の技術では影響が分からない部分で、影響を与えていたのかも」
「なんですかそれ」
「実験を観察する際の、観察という行為そのものが、実験に影響を与えるという話だよ。たとえば水温を測るとき、温度計が観測手段となる。しかし、温度計が温度を示すには、温度計を水に漬けなくてはならない。そこで、温度計がアッチアチに熱せられていたら、水を温めてしまって、水温に影響を与えてしまうだろう」
「温泉、入りたいですよね……」
「まあ、そこまで極端じゃなくても、観察対象と観察者の相互作用によって、観察結果に影響が含まれるのはよくある話だ。だから、俺の"眼"が、それこそコウモリの超音波のように、今の技術では発見できない何かを飛ばして、その反射として情報を受け取っているのかもしれない。それこそ普通の視界だって、反射される光を受け取ったものなんだから、この視界に現れる魔力の輝きも、何らかの反射であるという可能性は否定できない。更には、俺の認識が正しいか否かという問題になってくる。俺が見ているものは魔力なのか? 思考を重ねると分からない事だらけだ。確証がない。そのためにも一刻も早く円形加速器を建設し、俺が捉える存在の厳密化を進めるべきであり、その用地として、この修道院をぶっ壊して更地にすべきだ」
「急に早口になるの怖いから止めて下さいよ……」
「あと急に過激になるのも怖いですよ……」とノアは言って、「それに、そんなに色々と考えなくても良いんじゃないですか?」と言った。
「ジョットさんのお目々が、ジョットさんでも分からない力を発揮していて、それを攻撃と思われてしまった。魔術って不思議ですから、そんなこともありますよ、きっと!」
「不思議を不思議で片付けてこなかったから今の社会があるんだろう。何でも不思議で片付けられては魔術師としては困ってしまう。不可能殺人や不可能脱獄を魔術の仕業にするのは簡単だが、魔術を何でもありにしてしまったら、社会そのものが何でもありになってしまうよ」
「うーん。難しい話ですね。でも、そういったことをさせないために、ジョットさんはお勉強しているということなんですね! きっと! 偉いですねー。立派ですねー!」
「ま、まあそうだが……?」
「えへへ、嬉しいですか? 褒められて、照れてますか? なら、良かったです! 私、一日に一度はジョットさんを褒めたかったので」
「なるほど」
「なので、ぜひ! 私の事も褒めていただけると嬉しいんですが……? どうですか? ね? ね?」
俺は納得した。どうしてノアがここにいるのか、ようやく分かった。
"眼"はずっと開いているので、その表情は見えている。檻の前でにへにへと笑っているノアへ向け、俺は溜息交じりに言った。
「君、そのために地下牢にまで忍び込んできたのか。元気でやっていると伝えて欲しいとは言ったんだが」
「い、いやあ……看守さんにもそう言われたんですが、つい、心配になってしまいまして……えへへ……。ステイドヴェルドさんとか言いましたっけ? つい、かっとなってしまって……」
「あの人、普通に倒されてるのかよ」
「う、浮気なんてしてませんよね!?」
「してないしてない。それを確認するために来たのか」
俺の言葉に、ノアは「えへえ」と誤魔化すように頭を掻いた。「いや、本当に心配したんですからね!?」と、慌てて付け加える。
「最初は一緒に逃げ出そうと思って来たんですが、なんか……意外と元気そうだったので、気が削がれてしまいまして」
「元気に見えたか? まあ元気だが」
「いや、だって! 真っ暗闇の中から、突然『魔眼、邪眼とは何か』とか言われたんですもん。本気で驚いちゃいましたよ。私に言っているのかと思ったら、ご自分に向けて言っているようでしたし。私が話に混じっても気にせず続けますし……。率直に言って不気味すぎましたね……」
「あー、うん。実はさっき気が付いたんだ。なんかノアが話に混じってくるのが当たり前に感じて……ノアの声が聞こえるのが当然のようで……」
言って、自分でも気持ち悪いかもしれないと思ったが、「ええっ、そうなんですか!? 私もですよ!」と言ってくれたので、別に良いことにしよう。
「まあ、とにかく。不安にさせてしまったのはすまなかったが、そろそろお帰りなさい。ここは色々と面倒臭そうだから、余計な詮索をされるような行動も慎むべきだろう」
「ならまずジョットさんが変なことをしなければ良かったですよね」
「おっと図星だ。痛い腹を探られて痛えや」
わははと互いに笑って別れようとしたその時、ふと、物音がした。
ネズミではなく、もっと大きなものが動いているようだった。布擦れの音が聞こえ、小さな金属が擦れるような音も聞こえた。何よりひたひたとゆっくり聞こえるのは足音だろうか。こちらに寄ってくるような気がする。
「……他にも、捕まっている人がいたんですか?」
「いや、気配はなかったし、魔力もなかった。どこから出てきた」
「転移魔術ってやつですか?」
「魔力反応があるから、使われたら分かる。抜け道でもあるのかな。俺は挨拶してみよう」
「そうですね!」
「いや、ノアは隠れるんだよ。ここにいちゃまずいんだから」
「あっ、それもそうでした」
ノアはそう言って立ち所に消えた。どこに行ったのかと思えば天井に張り付いている。音もなく天井をこそこそと動き回る姿を見ると、忍者としてもやっていけそうである。
しかし、足音の主はまだ姿を現わさなかった。地下室の大きさを考えれば、そんなに歩き回れる程の余裕もないだろうに、足音だけがゆっくりとこちらに近付いてくる。音だけがずっと響いている。
「そういえば、この地下室には幽霊が出るんだってね。看守のエルフさんが教えてくれたよ」
足音の主へ言ったつもりだったが、代わりにノアが足を滑らせた。ずるっという壁を擦った音が大きく響く。表情を見ると、怯えながらも怒ったような顔を向けていて面白い。俺は思わず笑ってしまった。
笑ったが、しかし、いや……。
「いないな。音だけが聞こえる」
「ちょっと、ジョットさん……! 流石にですねえ……!」
「こっちは"眼"を開いているんだ。魔術なら見える。人間だとしても見える。おかしいだろう」
ノアが小声で文句を言ってきたが、正直言ってそれどころではない。魔術や人間が存在するのなら、俺の"眼"には見えるはずだ。そして、俺の"眼"に見えないのなら、足音など聞こえないはずだ。
見えるはずのものが見えず、聞こえないはずのものが聞こえている。ノアが言った『不思議』という言葉が嫌に思い出された。
魔術では説明できないもの。異世界の存在。神の存在。その他、立証不可能なものを総称して、魔術社会では魔法と呼び、教会では奇跡と呼ぶ。
しかし、総称などせずとも、こういった状況の不思議を示す言葉を、俺達は知っているのではないか。
俺は確かに見た。見えるはずのないものが見えた。足音がずっと聞こえていたのは当たり前だった。それはずっと歩いていたのだ。壁の中から、すうっと通り抜けるようにして。
肌の色も、髪の形も、どんな顔をしているのかも分からなかった。ただ、その魔力は、そこに存在しているか疑わしいほどに小さかった。
ノアが息を呑んだのが分かった。俺は彼女に、どう感じられるのかを聞こうとした。
しかし、その前に、それは叫んだ。金切り声と呼ぶのも憚られる、言語を知らないような細い冷たい音が響いた。
その瞬間、目の前で魔力が消えた。転移魔術どころではなかった。魔力の残滓すらなく、綺麗さっぱり、まるで元から何もなかったかのように、それは消え失せた。
どさりという音が聞こえ、ようやく俺は瞬きをした。ノアが天井から落ちたのだ。「うげぇっ!?」という声が聞こえたのも救いになった。
「大丈夫か、ノア。もうあれはいない。安心してくれ」
「じょ、ジョットさん……! あ、あれ、気配が。匂いとかが急にすーって壁の中から……」
「ああ、俺は"眼"で見ていた。壁の中から出てきた。足音は壁の中からだった。そして消えた。魔術を使わずに消えたんだ」
その言葉に、ノアはごくりと唾を飲んだ。ゆっくりと首を動かして俺を見つめる。
「こ、これってですね、ひょっとしなくてもですね……!」
「ああ、ゆうれ──」
「怖いからおばけって言いましょう! はい! これからおばけ! 良いですね!」
「お、おう」
凄い剣幕に押されて頷いてしまったが、名称などどうでも良いのではないか。
「良くないですよ!」
「なんで何も言ってないのに分かるんだ」
「そういう顔をしているからですよ!」
「暗闇だから見えないだろう」
「じゃあ匂いですよ! 感覚ですよ! あと想定ですよ! 私って頭の中にジョットさんを飼っているんですよ! そのジョットさんがさっきからゆうれ……とにかくですよ!」
「はい」
たとえ慌てていても、自分以上に慌てている者を見ていると、冷静になる事が出来るのは、他人を鏡として自分を客観視出来るからである。
たぶん言わなくても良いことまで言い始めているノアに対し、俺は努めて冷静に言った。
「とにかく、ノア。これからやるべき事は決まったな」
「え? なんですか? ここから今すぐ逃げ出して、ここに塩を撒くことですか?」
「何を言っているんだよ、ノア」
俺は檻を魔術でねじ曲げ、外へと飛び出し、言った。
「それに加えて聖女様にも応援を頼むんだよ! こんなところに一秒でもいられるか! 悪霊退散!」
「ですよね! ですよね! 南無釈迦牟尼仏の釈迦如来!」
理解できないものには、同じく理解できないもので対抗するのだ。魔術師からしてみれば、奇跡なんてゆうれ……おばけと同じようなものである。