階段を駆け上がって扉を蹴破ると、予期していたようにステイドが待ち構えていた。
しかし、たとえ剣を構えていたとしても気にしていられる場合ではない。弁明も説得もかなぐり捨ててステッキで剣を叩くと、当意即妙にノアが剣をかちあげた。
「【えっ、何。なんかあった?】」
「おばけ!」
「【私は足生えているっとぉ!?】」
天井へ向けてくるくると回った剣を叩き、廊下の隅に転がすと、彼女は慌ててその後を追った。その隙に全力で廊下を走る。よく分からない部屋に入る。そういえば俺はこの修道院の構造を知らないのだった。
「ノア、聖女様がいる方はどっちだ!」
「言い忘れていたんですが真逆です!」
「よし!」
俺達はその場で急カーブを決めて逆走した。当然のようにステイドが剣を構えて「まあ心苦しいけれど私の責任問題になるという……」とか言っているが気にしている場合ではない。
しかしステッキの先にかち合った剣の重さは中々だった。さっきからずっと"眼"を開いているので分かるが、彼女もこの土地に特有の魔術というか魔力の流し方を心得ているようで、その力は人体だけでなく外部にまで関わり、さながら大山に根ざした巨木のようである。
それでもノアが「おばけ!」と言いながら突っ込むと「【本当に何さ!?】」と言って身を翻した。当然、足元から繋がっていた流れは切り離されて、魔力の流れは人体に収まる。つまり剣も軽くなるわけで、再び軽く飛ばして突破した。
「【いや、だから何だっていうのさ。どうしたのさ。おばけって?】」
「おばけが出たんですよ! 地下牢に! おばけ!」
「【あー……えー……?】」
一瞬だけ見たが、彼女は微妙そうな顔を浮かべていた。無理もない。信じられないものにとっては魔法を見たと言うようなものだろう。
だが、俺達にとっては事実でしかない。そしてその事実に対抗できる者は、思いつく限りではこの場に一人しかいないのだ。
四角形の窓から覗かれる外はすっかり暗闇になっていて、廊下を灯す松明は新鮮なものだったがそんなことはどうでも良い。精々が「煙臭い!」と叫ぶだけである。ノアはいつの間にか俺の先に立って「確かあっちですよ!」と救いの手立てを示してくれている。
石造りのアーチが連なる、中庭に面した外廊下を走り、何か驚いたようなエルフさん達の横を突っ走って、「おばけ!」と叫びながらノアが飛び入ったのは広々とした一室だった。これまでとは違って絨毯もあればソファもある、人を迎える用意が出来ているような部屋である。
そこには十人ほどの男女が屯していて、いずれも白い法衣を身に纏っていた。突然の入室に驚きの顔を浮かべる者もいれば、警戒したように杖を取る者もいる。その中には聖女様がいたが、あのハルフィンボルトと言ったか、偉そうな爺さんはいなかった。
「なんだ、なんだ」と帝国語で言ったのは若い男だった。
「お嬢さん、どこに行ったかと思えば、何ですか。誰ですか。どういった」
「おばけですよ! おばけが出ました! 聖女様、どうにかして奇跡で祓って下さいよ!」
「……状況が、掴めないのですが。特に、牢に入っていたはずのブレイクさんがいることに」
聖女様は眉間を抑えながら立ち上がった。しかし説明をしている場合ではない。いや、流石にすべきか。
向けられた複数の杖を前にして、俺はようやく落ち着きを取り戻した。
両手を上げる。背後からは、修道院のエルフさん方までも追って現れる。ひょこっとステイドヴェルドが顔を出して「【なに?】」と言ってくる。
「ノア」と俺は言って、「おばけおばけがおばおば」と言っている彼女の腕を掴み、降伏するように上げさせた。
「おばけが出ました。ああっと、【おばけが出ました。地下牢で、よく分からない、意味の分からない物を見たんです。そのために慌ててしまって、こんなに】」
「ジョットさん! その急に知らない言葉を話すのも怖いから今は止めて欲しいんですけど!」
「落ち着け。落ち着いてくれ。君は怖がりだな。そういうわけで聖女様にはなんとかしてどうにかして奇跡でも使って祓ってほしいんですけれど」
「はあ」
彼女は口をぽかんと開けた。
一方、見れば言葉が通じたようで、後方のエルフさん達はどこか納得したような顔を浮かべている。
いや、納得しないで欲しい。なんだっておばけなんて荒唐無稽な言葉で納得してくれるんだ。まさか本当に居るというのか。納得できるくらい実在性があるというのか。物凄く嫌な話だ。
「ああっと、聖女様?」
ノアに声を掛けてくれた男が聖女様を窺った。ご丁寧な事にまたしても帝国語である。親切だ。優しい。ひょっとしたら俺の心は弱っているのかもしれない。
「よく分からないけれど、何だか慌てているようで。おばけですって。はは」
「何を笑っているんですか!」
「お、おう。ごめんねお嬢さん。おばけ……いや、はは。どうですかね?」
「どうでしょうか」
聖女様はぐるりと俺達を見回した。
「おばけ。つまり貴方達が言っているのは、ゆうれ──」
「おばけですが!?」
「……ブレイクさん」
「おばけです」
「……おばけと貴方達は言いますけれど、それは聖書においては認められていないものです。女神は全てのものに祝福を与えた。即ち、魂は祝福の内にあり、その輪廻転生の秘儀も恩寵の内にある。どうして死後、いわゆる魂が神の手を逃れ、この世に化けて出ることがありましょう」
また四角四面な言い方を聖女様はする。そんな理屈など端から承知で来たのだから、講釈など後に回してさっさと塩を撒くか、そうでなければ相手を塩にして欲しいのだが。
「それでも世におばけと呼ばれるものがあるとしたら、それは包括的な呼び方でしょう。たとえばアンデッド、スケルトンといった魔物は死体が動いているに過ぎませんが、往々にしてその死者個人と同一視されます。それは物質的な意味では正しいでしょうが、いわゆる魂はありません。あえてこう言いますが、死体が動いているというだけなのです。つまりおばけなどという存在は、厳密に言えば、存在しえない。存在してはならないとも言えましょう」
「でもいましたよ。肉体のない、魔力的存在。それは目の前で綺麗さっぱり消えたんですよ」
「……貴方の目の前で?」
「ええ。"眼"の前で。魔術行使の予兆も痕跡もなく」
聖女様は思案の表情を見せた。別に怖がってはいないようだが、困惑はしているようである。
怖がっているのはノアの方だ。手に取った腕に鳥肌まで立っている。それとエルフさん方の顔も青ざめている気がする。
ややあって、聖女様はそういった困惑を見渡して言った。
「であれば、魔力的生物はどうでしょうか」
「それこそ存在し得ますか?」
「この地においては、精霊という言葉が用いられていると聞きます。私も詳しくはありませんが、それは神の恩寵が形を成したものとして、意志を持ち、動くというのです」
精霊とは何か。知らん。しかし、確かに以前、聖女様が幽霊を非神学的と言った時、絡めて言及したような気がする。
「つまり、お二人が遭遇したのは、恐ろしいものではなく、この地においては徳の高いもの。そう考えてみればどうでしょう」
彼女はエルフさん方の様子を気にしながら言った。
成程、と俺は思った。教会の傲慢さについて反感を持ち、その土地における信仰に礼儀を払っている彼女の事だ。たとえ俺達が勘違いしておらず、確かに何かを見たのだとしても、その何かがこの地において尊重されるものだとしたら、一口に『祓う』などとは言えないだろう。
それでもノアの慌てようを見て取って、なるべく彼女が安心できるような言い方をしてくれた。心服するばかりである。
「おばけじゃなくて、精霊ですか……。そ、それなら良いかもしれませんね! ね!」
「まあ、その割にはエルフさん方まで怯えているんだけれどね……」
「うわあ気にしたくなかったことを言う!」
ノアは腕を振って暴れるが、流石に言わずにはいられなかった。何せ俺の背後では、「【ああ、この子達も見ちゃったんだ……】」だの「【ほら、前に言ったでしょ……】」だの、聖女様の心遣いなど気にしてられない言葉が囁かれているのである。
存在を裏付ける発言が出てくるのは、俺の立場としてはありがたいが、心境としてはこれっぽっちもありがたくない。
おばけならまだ良い。いや良くないが。しかしこれが精霊などという、字面からして強そうな、そして機嫌を損ねると恐ろしい災いが降りかかって来そうな名前になると、状況は単なる目撃譚からストーリー仕立てのホラーに変わってしまうような気がするのだ。
「たとえるなら、『あれ何だったんだろう?』で終わる話から、土地の因縁や怪物の由縁までを絡めて、遂には全員呪い殺されてしまうような長編ホラーになってしまったかのような……!」
「の、のろい? のろいってなんですかジョットさん!」
「それは……いや、よそう。俺の勝手な想像でみんなを混乱させたくない」
「止めて下さいよそういうの一番怖いどころかいっそムカつくんですよ話してくれないの!」
これは一人だけで調べた方が良いかもしれない。それでも一応、最悪の事態に備えてメッセージを残しておくべきか……。
そんなあからさまな振りをしようと考えるほどには、俺も混乱していた。
その時、「いやいや、落ち着いて」と、騒然となった場を収めるように、先ほどの若い男が声を上げた。
「まず、一つ訂正を。この土地においては、ゆう……おばけと精霊はイコールではありませんよ。勘違いです。誤謬です。聖女様にしては珍しい」
彼は研究員然とした几帳面さで、別に正さなくても良いようなことをまず正した。人前に立つことに慣れていないのか、やけに困ったような笑みを浮かべている。
「精霊とは、一種の霊的存在であり、その意味ではおばけも包括しますが、それが全てではありません。徳が高いという言い方も正しいとは言えず、崇拝の対象になることはありますけれど、いや、徳、徳って、その概念をこの地の信仰にそのまま適用できるとは思えないんですけれど、ねえ?」
「えっ、俺に聞かれても困るんですが」
何故か、彼は急にこちらに話を振って来た。「あっ、うん。そうだね……」と、また困ったように彼は笑った。緊張しているのだろうか。
「まあとにかく! 見て下さいよ、この地に生活している彼女達の反応を。精霊と呼べるなら、彼女達もここまで恐れはしないはず。何せ、彼女達にはそれへの対処法があるでしょうしね。祭祀の方法には幾らか種類があるんですが、僕が注目しているのはその中でも原始的な……」
「あ、あの。つまり、貴方は何が言いたいんですか?」
話がそれ始めて来たのを見越してか、ノアが言った。彼は「えっ、あっ、まあ」と、またしても言葉に詰まり、額の汗を拭いながら言った。
「つまり、お嬢さん達が遭遇したのは、この土地においてもよく分からない、恐ろしいものってことだね。精霊ではない。僕は調査隊の一員として、この地の信仰について調べているからね。それを訂正したかったんだ」
「なんですか貴方!? 急によく分からない事を話し出したと思ったらもっと怖がらせて!」
「ご、ごめんなさい……」
ノアは先程から感情のふり幅が大きくなっているようで、彼に掴み掛らんばかりの勢いだった。
まあ、俺としてもなんだこいつとは思った。しかし、同時に凄い奴だとも思っていた。急に出てきて何を話すかと思えば、まさか言葉に関する訂正をし始めるとは。この男、並大抵の人間ではない。
「あっ、ちなみに僕はシキガヤ・ニノウミといって、研究者です。どうもね、どうも」
「なんだこの人」
「ニノウミさん、訂正をありがとうございます。それであれば、分かりました。行きましょう」
「なんだ急にこの人も」
聖女様は急に歩み出した。どこに行くのかと思えば「何をしているのですか」と言ってくる。
「そういう話なら、微力ではありますが、善処させていただきます。どうぞ、案内をよろしくお願いします」
「い、良いんですか? 俺が言ったことですが、奇跡を使ってくれというのも虫のいい話というか、失礼というか不敬な話だと思うんですけれど」
「恐れるものがあるのでしょう。貴方達だけでなく、この地に住まう人々さえ、どうしようも出来ず、恐れるものがある。ならば、立ち向かうのは私の役目。聖女たる私の役目に他ならない。望まれるのなら叶えましょう。乞われるのなら与えましょう。私にはその義務があります」
「か、カッコいい……」
ノアが目を輝かせるのも当然の話である。聖女様は鬼強いので、このまま逆らう奴らを全員ぶっ殺していこう。