殲滅戦争 作:Libro
平原。そこに男は居た。
風が吹き、草木が揺れる大地の上で。男は一人空を見上げる。
空には雲と。昼間でも少し見える青い月が雲の隙間から顔を覗かせる。
異世界には月は二つある。黒い方の月は夜に成らなければ見ることは叶わない。
少し耳を澄ませば、聞こえるのは怒声。
もっと早く動け、急げ、とっとと動け──という。何かに駆り立てられるかのような声。
声にあるのは怒りだけでなく。恐怖や不安もあるのを男は敏感に感じ取った。
空から下に視線を戻せば。映るのは戦場の用意。
バリケード。落とし穴。塹壕。魔術師が作った踏めば爆発や凍結を起こす罠。その他諸々エトセトラ。
戦場の逆を向けば街。街の城壁には巨大な砲台が四丁。
余りに大きい。大きすぎるそれは巨人用とでも思いたくなるが使うのは人類。小さな──200cm程度の者が使う兵器だ。
サイズとしては下手な一軒家程。つまりは5mを優に超えている。
そのサイズに見合った威力を誇り。それこそ地球で言う大砲や戦車砲に匹敵──あるいは異世界の技術をふんだんに使われた砲台は上回る。
『戦場の空気には慣れないか?』
そこに。女の声が男の耳に入った。
聞いたことはある声だ。だがもう一度聞くとは思わなかった声。いや、聞くとしたら最後の時だと思っていた声──女神の声だ。
「女神様」
『久しぶり、と言っていいのかな?』
何時か見たように。人外の美貌を持つ者が藤原に声をかけた。
若い女の体。肌にはシミやニキビ等は一切なく。いっそ不気味にも思える程に白い肌。
長い紅の髪に青い炎が揺らめくという異形の瞳を持っている。
服装はなお奇妙。手と足の先端。そして胸と股間部の身を隠す鎧──俗にいうビキニアーマーに似た物を纏っている。
かつての英雄にして人から神になった唯一の例外。戦女神シュヴェーアト。その化身。
陽炎の様に揺らめく女神は。にこやかにほほ笑んだ。
化身──神が地上に干渉するための端末。本体よりも非常に力も弱く戦わせることなどほぼ出来ない。いわば神の啓示をするためだけのモノだ。
言わば携帯やスピーカーに近いそれで。女神は勇者に話しかけに来た。
「それで、その女神様……いったい何の御用でしょう?」
どういう口調が正しいのか。藤原は判断に困る。敬語でも使うべきか。人と神であれば敬語が正しい気もする。
『砕けた口調で構わないとも。要件は、まぁそうだな……この世界について、感想を聞きに来たというところかな』
「敬語が要らないというのなら遠慮なく。そして、感想ですか……」
うーん、と藤原は悩む。この世界に来てからもう一年と少し。もう少しで一年半にもなる。
お陰で誕生日を二度過ごし。年齢は19歳になった。今の日本なら既に成人として扱われる歳に。
無論そのことに不満等は無い。これらすべて理解した上でこの世界に来たのだから。
この一年と少しで。藤原は──出雲もまた様々なことがあった。
ネボに風俗に誘われたり。タリに農業がどれだけ楽しいか力説されたり。クレールに地球の歴史について根掘り葉掘り聞かれたり。
誕生日にちょっとしたアクセサリーを貰ったり。
無論楽しいことばかりではない。辛いこともあった。
例えば、対人戦──相手の命を奪うことになる戦い。最終的にネボが横から止めを刺したため命は直接奪ってないが。それでも"自分が殺す立場"かもしれなくて、更に"死ぬかもしれない"という恐怖は藤原には相当なストレスがかかった。
他には城や神殿などの敵勢力の拠点や迷宮の探索。ゲーム的には楽しいそれは、実に辛かった。
食料や寝る場所等もそうだが、一番つらいのは排泄行為であった。
何しろ迷宮にはトイレなどあるわけがない。魔物が使うトイレでもないのかと思ったら魔物は食事しないため排泄もしない。
迷宮が異空間──アンファングの様な砂漠や大森林を抱えた異界ならばまだしも藤原が巡ったのは迷宮ではなく砦や洞穴の類だ。
それこそ壁や床に排泄しなくてはならず、出雲もまたそういった行為は羞恥や常識が何処かに行くほどに辛かった。
ネボやタリはどうするのか、と聞いたら上位の冒険者は食事や睡眠などの生命が必要な行為はほぼ要らなくなるという。半年に一回程度に食事はいるが。
ならば他のB級未満の冒険者はどうするのかと思えば。何と食事や睡眠が不要になる魔道具は比較的安価で手に入るらしい。
なんならそういった魔道具が使えるかどうかで冒険者としての才能も測っているとのこと。
それを聞いた藤原と出雲は「欲しい!」と懇願したが異世界の住人──というか神の力を持つ勇者である二人には魔道具は使えなかった。
うんともすんとも言わないただのガラクタ。あるいはアクセサリーに過ぎない。これはこの世界の神官にも言えるが。
兎も角一番つらいのはそう頻度の高くない人間同士の殺し合いではなくトイレなどの外での事情であった。
ただ街中などでは特に問題は無かった。街のトイレはルーン技術も合わさり水洗トイレが普及しているし魔法使いによる衛生管理も行き届いている。
他にはホームシックも多少はあった。誕生日はネボ等に祝って貰えたが家族には当然会えず、何も無かった。
だがその程度だ。街の本屋にはどういうことか漫画や小説もあった。流石にアニメのDVD等は無かったが変わりにトランプなどの機械を使わない娯楽も大量にあった。
眠れない夜は全員で遊んだりもしたのはいい思い出だ。
故に。藤原は自信を持って言った。
「いい世界だと、思います」
『……そうか』
藤原の言葉に、ふっと、女神は顔をほころばせた。
だから女神は、一つの提案をした。
『……藤原君は、地球に戻りたくないか?』
「え?」
それは余りにも唐突な提案だった。
「地球に? なんで?」
思わず、と言った感じで言葉が出た。
地球へは確かに帰りたい。だがそれを今聞く必要性は?
魔王を倒せば帰れるという話では無かったか。何故今聞く?
『……これは女神としての助言。必ず来る未来のことだ』
すぅ、と呼吸も必要ない体で。女神は言う。
『この戦いで君は必ず後悔する。絶望する。何でこんなことになったんだと。どうしてこうなったんだと。何でこの世界に来てしまったんだと──君は苦難と絶望に苛まれる』
厳しい顔で。女神は断言した。
「……それは、未来予知とか、運命とかいう奴ですか?」
『いいや。未来なんて誰にも……神にだってわかりはしない。有るのは今の選択の繰り返しだ。そこに未来や過去といったあやふやなモノは介入しない。
私のこれはただの助言。そうだな……目に見えてボールが飛んでくるのを見て、そこに居たらボールに当たると言っているだけさ。大したことではない』
女神はほほ笑む。
「俺は、この世界に来たことを後悔してません。それに、まだ魔王を倒してない。……未来が確定している訳じゃないなら、それを避けることも、防ぐこともできるはずです」
『……何度も言うが。後悔するぞ』
「まぁ、するかもしれませんが……陳腐な言葉ですが、やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいでしょう」
『……そうか』
そう言い残し。戦女神は消えた。
■
商業都市シュティーレン。クリセルダ最大の交易都市。
国で生まれたその全てが集う最大の都市。
鉱山都市で採掘し、生成される武具やインゴット。迷宮から取れる
無論集まるのは光の方面だけでなく。盗賊や山賊が奪い集めた盗品を売買する闇市や規制されている麻薬。違法賭博等もある言わばクリセルダの闇を表す都市でもある。
だがそこに住まう住人の殆どは知らず。また闇市の者達も表に出る気はない。
何故ならこうした都市が無ければ盗賊などは生きていけない。外でまともに暮らすには一定以上の実力──それこそ冒険者で言うCランクの実力がいる。それだけの実力があれば盗賊稼業などせずまっとうに冒険者をした方がいい。
街の外には無限に湧き出る魔物が存在する。そして魔物の対策は神の奇跡無くては不可能。
盗賊という決して善とは言えない者たちには神に祈りを捧げても神の奇跡はやってこない。だからこそ盗賊達は街に隠れ潜む。
中には英雄級の実力者の癖に犯罪行為に走る者もいるが。そのレベルの実力者は神の啓示や戦闘の痕跡でバレる為やはり盗賊は街に潜む。
その城壁の外側。普段はただの街道として使われる場所に人だかりがあった。
「しかし、こんなところに来るもんかね?」
その集団の一人。異形の者が。ぽつりと言葉を呟いた。
魔族ではない。れっきとした人類種に組み込まれるモノ──亜人種。
その姿は二足歩行する蜥蜴に近いが本人達は蛇を名乗る為蛇と書いて
椅子に座り、拭く必要もない武器──金属製の棍棒を拭きながら蛇人は同業者達に話しかける。
「まぁ事実だろ。何しろエルフにドワーフ、その他からの情報だ。真実味はある」
同じように。着物を着た若い男が問いかけに返した。
ワインを片手にラッパ飲みをする様はどう見ても冒険者では無く酔っ払い。だが蛇人と同じように胸にかけたプレートが冒険者と主張する。
「しかし変よね。これだけの冒険者が集まるなんて」
「んなもん国家からの要請やからな。冒険者は国の危機に動く必要がある」
女冒険者の言葉に蛇人が言い返す。
冒険者は国に縛られないがそれは国を救わないという意味ではない。国が危機に陥ればいち早く動くのが冒険者だ。
これが経済危機だったり疫病の蔓延等が原因であれば動くことが無いが相手が魔物、魔族となればいの一番に動く。
「お、そろそろ休憩終わりやな。ぼちぼち動くか」
蛇人が腕時計を確認し立ち上がる。
「しかし肉体労働なんていやねぇ。こんなん冒険者の仕事じゃないでしょ」
女冒険者がやれやれ、と立ち上がりぶつくさと文句を言う。
「緊急時は冒険者にはあらゆる行動が許可される。そのことに文句を言うな」
肉体労働と女冒険者が言ったように現在冒険者はクリセルダに雇われ肉体労働をしている。
手にするのは剣ではなくスコップやツルハシ。旅の道具の代わりに木材を背負う様はどう見ても冒険者では無い。
本来冒険者はこのような大工仕事にはかかわらないし、関わってはいけないという規則がある。
建築などの細かい技術、技能が必須なことは流石に出来ないがそれ以外の単純な肉体労働は冒険者──魔物と戦える。つまり人外の身体能力を有する者たちなら簡単に出来てしまう。
そんなことをされれば真っ当な大工や職人は職を失う。極端な話Bランクの冒険者一人で巨大な鉱山を一人で掘りつくすことさえ可能なのだ。更に時間も短い。一週間程度で掘りつくせるとなれば普通の工夫を雇うのが馬鹿らしくなってきてしまう。
しかし何事にも例外がある。それは事態が急を要する時だ。
魔物との戦いが迫る中であれば冒険者は本来の職務以上の行為が可能となる。
「ほんまに来るんかね? その魔王だったか魔人だったか」
蛇人が、ポツリと言葉を零した。
「来るだろうよ。エルフやドワーフという生き証人達に実際に滅ぼされた村と街。生き残った冒険者からの証言だ」
尋ねた訳でも無いというのに。着物を着た者が蛇人の言葉に返した。
「やけどもきな臭いにも程があるんとちゃう? 生存者出過ぎやぞ」
本来。魔物に滅ぼされた街などから生存者は出ない。
出たとしても隠れ潜むことが出来た数人から十数名程度だ。
アンファングの様な見るからに魔物の軍勢が来ているような事態なら兎も角。今回の事態は突如現れた魔物に滅ぼされている。
奇怪にも程がある。何故街一つ滅ぼす力を有していながら、何百──何千という生存者がいる。
更には魔神と戦った冒険者さえいる。それが何故生きているのだ。
「やっこさんら、どうにもただ
「あるわけないでしょ? 魔物は人類の敵だし、大元である邪神達は二百年前の戦争でこっちへの干渉能力無くしてるはずだし」
ドレッドの内乱において。
それに関わっていたのはたった二柱ではない。ほぼ全ての
故に。英雄に打倒された。
ほぼすべての邪神は当代の英雄に打ち倒され。現世への干渉能力をほぼ失った。
精々が神の啓示でぼそぼととした指示を出せない程度にまで。
「ふむ。現れたという魔王の指示か何かではないか?」
「いやいや。魔王の指示で生かしとるんにしても、生かす理由がないやろ。無駄に生かしたせいで情報共有されて対策練られてるんやで」
魔族が人類を生かす利益というのはほぼほぼ無い。
人が死ねば死ぬほど
だからこそ理由の見えない生存者に。冒険者たちは疑念を抱く。
「そういうのはギルドの上とか国が考えることでしょ、私たちがいまするのは魔物の軍勢を抑えるための塹壕とバリゲード作り。さっさと終わらせるわよ!」
一人の女冒険者がそう叫び。スコップ片手に仕事を始めた。