許嫁を名乗る転校生が現れたと思ったら、義妹が彼女代わりになって追い払うなどと言い出した 作:古野ジョン
「私、史也の許嫁だよっ?」
馬乗りになった少女が、たしかにそう言った。許嫁――と言えば、結婚を約束された二人のこと。つまり、俺とこの吉岡が……婚約しているということか?
「許嫁……?」
「そうっ! 史也が『結婚しよう』って言ったんだから!」
「ちょちょちょちょ、そんなこと言ってねえよ!」
「えー? 照れてるのー?」
吉岡はニコニコとほほ笑むばかりで、まったく状況を把握できない。記憶の限り、誰かと結婚の約束をした覚えはない。
そもそも、俺は約束を破るような真似をしたことはない。つまり守れないような約束を結ぶことはないのだ。婚約だなんて――とても信じられないが。
「ちょっと、鷹野くんっ!? 何してるの!?」
下敷きになったまま唖然としていると、若い女の声が聞こえてきた。顔だけ起こして廊下の向こうを見ると、走ってくる先生が一人。去年の担任だった、
「せんせー、助けて……」
「ちょっ、なんで逃げようとするの!?」
「だって婚約した覚えなんかないんだよ!」
なんとか逃れようと試みるが、意外と力強くて抜け出せない。どうすんだよお、新学期早々みんなの前に恥を晒す羽目になっちまった。
「あなたたちいったい……って、吉岡さん!?」
「あっ、山崎先生ですか?」
「今日は職員室に来てって言ったじゃない! もうっ、探したんだから!」
「ひ、引っ張らないでください~!」
先生に首根っこを掴まれ、吉岡がずりずりと引きずり降ろされていく。ふう、助かった。制服をはたいて埃を落としていると、ちょうどチャイムが聞こえてきた。
「もうっ、初日から二人も遅刻するなんて! 新しいクラスになったばかりなのにっ!」
「あれっ、今年も先生が担任ですか?」
「そうよ? 吉岡さんも私のクラスだから、一緒に教室まで行こうと思ってたの!」
「ぐ、ぐるしいです……」
未だに首を掴まれたままの吉岡が、苦しそうに先生の腕をバシバシと叩いていた。こんな美人にも容赦ないな。山崎先生はどんな生徒にも平等に接する教師の鑑である。
「とにかく行くわよ、二人とも!」
「はーい」
「ぐぐぐるしい……」
教室に向かって歩き出す俺と、引きずられるばかりの吉岡であった。
***
「はいっ、じゃあ挨拶して!」
「改めまして、今日から転校してきた吉岡ひばりです! よろしくお願いします!」
吉岡が頭を下げるのと同時に、クラス中からぱちぱちと拍手が巻き起こった。転校生ということで、朝のホームルームで紹介されているというわけだ。
「めっちゃ可愛くね?」
「足ほっそ……」
「いいなあ、私もあれくらい身長欲しかったなあ……」
教壇に立った吉岡の姿を見て、同級生たちがひそひそと話をしていた。やっぱり美人だし、普通に振る舞えば優等生にしか見えない。のだが――
「せんせー、席はあそこがいいですっ!」
「えっ、えええっ!?」
気付けば吉岡が俺の隣席を指さしており、山崎先生は目をまん丸に見開いていた。隣に座っている男子(名前が分からん)も困惑している。
「席は五十音順だから! 吉岡さんの席はあそこよ!?」
「えーっ、あんな隅っこじゃ史也から遠いじゃないですか!」
「「!?」」
皆が一斉に俺の方を向いた。な、なんだよ!? 俺だってこの女がなんで俺にこだわっているのか知らねえんだから! こっち見んじゃねえ!
「とにかく! 席順は決まってるから大人しく座って!」
「はーい、分かりました……」
流石に転校早々に指定席を要求するのは無理だと悟ったようで、すごすごと引き下がっていった。しかしとんでもない許嫁がいたものだな。
「史也、またあとでねっ!」
余計な一言を残して、吉岡は教壇を降りていった。なんだか周りからの視線が突き刺さる。新学期で気持ちを新たに――なんて思っていたのに。平穏な日常よ、さらば……。
***
始業式なんかを終えた後は、いつも通りに授業が始まった。一時間目の数学を終え、クラスが少し騒がしくなる。
「ふー……」
息を吐きつつ、板書をとったノートをぱらぱらとめくった。二年生に進級したわけだし、勉強もきちんとこなさいと――
「ふーみやっ!」
「うおっ!?」
なんだ!? 腕をガッチリと掴まれたうえに、頬ずりされてる!?
「えへへ、やっと二人きりだねぇ……」
「三十四人きりなんだけど!?」
この声はやはり吉岡! やめろやめろ! クラス中からの視線が痛い! 突き刺さってる!
「いいじゃーん! もー、私が何年探したと思ってるの?」
「お、おい!?」
よく見たらわざわざ椅子まで持ってきてる!? 隣の男子(名前が分からん)もいつの間にか押しのけられているし、近所迷惑にもほどがある!
「ねえ、ふみや……」
「夜十時の声で囁くな! 今はまだ午前十時だ!」
うっとりしたような顔でこちらにもたれかかる吉岡。こんな女優みたいな人間が俺の腕を愛おしく抱きしめているなんて、まるで夢のよう……と言いたいところではある。
だが、しかし――さすがに「許嫁です」と言われるのは怖い。気味が悪いというか……流石に都合が良すぎる。詐欺? 詐欺なの? 美人局なの?
「なーに考えてるの?」
「別に何も……」
……などと疑ったところで、上目遣いをされると何も言えなくなる。ズルいなコイツ。
「鷹野くんと吉岡さんってどういう関係なの?」
「すごいな、あんな綺麗な人が鷹野に……」
ふと我に返ると、クラスメイトたちが俺たちを見てひそひそと噂話をしていた。そうだっ、吉岡に見惚れている場合じゃない。
「ちょっ、ちょっと離れてくれよ」
「もー、まだ恥ずかしいの? 私がお嫁さんじゃ……いやなの?」
「そっ……そうじゃなくて!」
あざとく首をかしげる吉岡に負けてしまいそうになる。が、ここで引き下がるわけにはいかぬ。
「いい加減に説明してくれよ!」
「何を?」
「許嫁とか何とか言われてもわっかんねえよ! マジで知らないんだって!」
勢いのままに立ち上がり、ガタッと椅子が動く音がする。吉岡はこちらを見上げたままぽかんとしていた。
「――本当に、覚えてないの?」
「覚えてない。他の誰かと間違えているんじゃないか?」
「……」
吉岡は何も言わずに俯いた。俺が拒絶しているのは照れ隠しだと思っていたみたいだな。けど――知らないものは知らないんだ。
「私のこと、全く知らない?」
「知らない。会ったことも無いと思う」
「そっか。……そっかあ」
さっきと声色が違う。どこか寂しそうで、何かを失ってしまったような雰囲気。許嫁などと宣う不審者を一喝――なんて思っていたつもりが、様子がおかしい。
「忘れちゃったの?」
「忘れたってか……本当に知らないんだよ。吉岡のことも、許嫁だってことも」
「吉岡……なんて呼ばれるの、初めてだね」
なんだ、何が起こっているんだ? 俺がコイツのことを「吉岡」以外で呼んでいたことがあるということか?
俺は人と交わした約束は必ず守る主義だ。そんな自分が――婚約だなんて大切な決まり事を忘れるとは信じがたい。何か、何かが俺と吉岡の間で食い違っている気がする。
「悪いけど、本当に分からないんだ。……わざわざ転校までしてきたってのに、ごめんな」
「……ねえ、史也」
「ん?」
吉岡はポケットに手を突っ込み、何かを探しているようだった。今度は何が出てくるんだ? まさか婚姻届でも出してくるんじゃねえだろうな。それだけは勘弁――
「これを見て、同じことが言える?」
「……嘘だろ?」
目の前に突き付けられたのは、一枚の写真。知らない家の前で、男の子と女の子が二人並んで笑顔で写っている。女の子の方は綺麗な顔をしていて、鼻筋も通っている。……吉岡と似ている気がする。
「これ……お前か?」
「うん。もう――分かったでしょ?」
吉岡はニッコリとほほ笑んだ。信じられない。男の方は――どう見たって俺だ。あまり写真が残っていないのだが、たしかに幼少期の俺はこんな顔をしていた気がする。……ってことは?
「私と史也は幼馴染。これで十分?」
この時すでに、吉岡の声もどこか遠くから聞こえているように感じられていた。俺の目は一枚の写真だけを捉えており、絶世の美少女も視界に全く写っていなかった。
そう、俺は直感したのだ。吉岡の知っている「俺」は――実の家族と過ごしていた頃の「俺」なのだ、と。