許嫁を名乗る転校生が現れたと思ったら、義妹が彼女代わりになって追い払うなどと言い出した 作:古野ジョン
もし、実の家族について知ることが出来るなら。今の両親に遠慮して、尋ねたくとも尋ねられなかったことを――横にいる美少女が知っているとするなら。
「……っと、時間だね!」
吉岡はすっと立ち上がり、持っていた写真をしまった。教室の前に掛けてある時計の針が、二時間目の始まる時刻を指している。俺たちの周りに集まっていたクラスメイトたちもいつの間にか自分の席に戻っていた。
「史也、急に押しかけてごめんね」
「いや、別に……」
さっきと違い、優等生のように頭を下げる吉岡。俺は少し動揺してしまい、返事するだけでも精いっぱいだった。
「私もね、史也が覚えているとは思わなかったの。けど、また会えて本当に嬉しかったから……」
吉岡は照れ臭そうに下を向いていた。頬をほのかに赤く染める様は、さっきまでの言動が嘘や間違いでなかったことを如実に語っているみたいで、頭ごなしに否定してしまった自分に罪悪感を覚える。
「なあ、吉岡――」
「ううん、史也は気にしなくていい。私が勝手に転校してきただけだから」
「……」
「だけどね、一つだけ」
吉岡は抱き着くようにして、そっと俺の耳元に顔を寄せた。甘い匂いを感じて、頭がクラリとしそうになる。
「史也のことはだーいすきだから!」
「!」
「私のこと、全部思い出させてあげる! これからよろしくね!」
その口から放たれた言葉は、まるで天使のようで――思わず立ち尽くしてしまう。吉岡は小さく手を振りながら、自分の席に戻っていった。
***
「はあ……」
二時間目、三時間目と授業が進んでいるが、俺の脳内は吉岡のことでいっぱいだった。朝からこれだけ許嫁だとかなんとか言われていれば、気にならないわけがない。
もう一度考え直してみても、やっぱり誰かと結婚の約束をした記憶はない。けど、あの吉岡の態度は本物だ。何より写真がそれを物語っている。
会ったばかりの美少女に「結婚しよう」と言われるなんて……夢のようと言われればその通りではある。実際、吉岡に迫られて嫌だったかと言われればそうではない。むしろ……いや、そんなことはどうでもいい!
ちらりと、教室の左後方を向いた。俺の「許嫁」は真面目な顔に眼鏡をかけて授業を受けており、なかなか絵になる。
「ん」
視線に気が付いたのか、吉岡はこちらを向いた。少し照れ臭そうにしつつ、小さく手を振っている。かわいい。俺もなんとなく手を振り返して、再び前を向いた。
吉岡は「思い出させてあげる」と言っていた。ひょっとして、俺は本当にアイツと結婚の約束をしていたのかもしれない。そして――それを忘れているだけなのかもしれない。
もし、アイツが俺の過去を知っているのなら。実の家族について情報を持っているなら。……吉岡から聞き出せるのかもしれない。
けど、それでいいのか? 俺のことが「だーいすき」で、俺との婚約を信じて転校までしてきた人間の気持ちを……利用するだけになるんじゃないか? それって、本当に良いことなんだろうか――
「おいっ、鷹野!」
「へっ?」
「お前に当ててるんだ、鷹野!」
気づいた時には、教師が怒った声でこちらを指さしていた。どうやら上の空だったところを指名されてしまったらしい。
「は、はいっ! なんでしょうかっ!」
「これ、答えてみろっ!」
「えーと、えーと……」
まずい、全然話を聞いていなかった。黒板に書いてある英文の間違いを指摘するらしいが、いったいどれが――
「はいっ、『marry』と『me』の間にある『to』が不要だと思います!」
左後方から聞こえる快活な声。振り向くと、吉岡が手を挙げて自信満々に答えてくれていた。助け舟を出してくれたらしい。
「おお……正解だ。『Marry me』はプロポーズの決まりきったフレーズだから覚えておくように」
「はいっ! 鷹野くんが私に言ってくれたので覚えてましたっ!」
「!?」
「先生っ!?」
「大丈夫ですかっ!?」
教師が驚きのあまり教壇から転げ落ちていた。よ、余計な一言を言いやがって……。
***
「では、今日はここまで」
「きりーつ、れい!」
なんだかんだで四時間目が終わり、昼休みになった。少し騒がしくなったが、新しいクラスになったばかりということもあり、どこか雰囲気がぎこちない。
「ふーみやっ!」
「うわっ!?」
「ごはん食べよーっ!」
今度は左隣――ではなく、目の前に座った吉岡。その手には弁当袋が携えられていた。
「ごめんねっ、史也の分はないんだ~! 明日から作ってあげるね!」
「い、いいよ! いっつも自分で作ってるから!」
俺は慌てて机の横に掛けてあった袋を机上に出し、中から弁当箱を取り出す。……あれ、なんか小さい?
「ん、あれ?」
「どうしたの?」
「いや、ちょっと――」
「史也お兄ちゃんいますかーっ!?」
あれ、翼の声? ガラガラと音を立てて教室の扉が開く。そちらの方向を見ると、大きめの弁当袋を掲げた妹の姿があった。ショートの髪を揺らし、少し怒ったような顔をしている。
「あれ、どうした翼?」
「お兄ちゃん! 私とお兄ちゃんの弁当間違えたでしょ!」
「あ、本当だ」
この春から翼の分も弁当を作るようになったのだが、慣れてないから袋を間違えてしまったらしい。俺は(本来は翼の分である)弁当を持ち、椅子から立ち上がった。そして扉の方に向かおうとしたのだが――肩を掴まれた。
「あの子……誰?」
振り向くと、吉岡が俺の肩越しにじっと翼のことを見ていた。俺たちが何か話していることに気が付いたようで、翼も扉から教室の中に入ってくる。
「お兄ちゃん、その人は?」
「ええっと……」
「誰なの、史也?」
二人にサンドイッチされるような状況になってしまい、何を言うべきか分からなくなる。ええと、なんて説明すればいいんだ。吉岡には「妹だ」と言えば済む話だが、翼には何を――
「あの、お兄ちゃんのお友達ですか?」
などと思っている間に、俺のことを通り越して翼が吉岡の前に立っていた。しまった、コイツはそんなことを聞かれれば――
「私はですねっ、史也くんの許嫁ですっ!」
「……へっ?」
なんて言うに決まってるよなあ!
「は、話を聞いてくれ――」
「お兄ちゃん、どういうことなの!?」
翼の絶叫が、俺の脳内を突き抜けていった――