__英雄は、死んだ。
昔の話になるが、一時期そんなセリフが話題になった。
これは当時、歴代最高の為政者と呼ばれた総理大臣、花城壮馬の発言だ。
彼は、総理大臣になるべくしてなったと言わざるを得ないほどの、圧倒的な才覚を持っていた。
国内に耳を傾けて行われた減税に加え、多くの発展途上国と貿易をし減税の際の懸念点であった財源を確保。さらに、かの大国アメリカと交渉を重ね、ついには関税の引き上げを取り下げさせた。
テレビにも多く出演し、彼が持つ独特なカリスマ性とユニークな性格は世間に広まる。新星の如く現れた花城壮馬は、人の心をつかみ取る声と巧みな演説で、約8年日本のトップとしてその剛腕をふるった。
これからもずっしりと安定した政治を望まれていた彼だったが、ある時インタビューで不穏な一言を放つ。
それが、このセリフだ。
「英雄は、死んだ」
まだ38歳という若さでありながら、その言葉を発した2日後に暗殺された。
その後、あらゆる官僚たちも口をそろえて「英雄は死んだ」といった。もちろん彼らがさす英雄とは花城首相のことだ。
けれど、花城自身が言及した、花城にとっての「英雄」はまったくもって不明だ。
花城が、自身が暗殺されることを何らかの方法によって予期し、日本にとっての英雄である自分がすぐ死んでしまうことを告白した、という説が当時は有力だった。
けれどそれでは、彼の言葉が過去形であらわされていることに違和感を覚えてしまう。彼の発言はこうあるべきだ。
「英雄は死んだ」ではなく、「英雄はじきに死ぬ」などと。
ただそんな小さな違和感も、安易な犯行ですぐに犯人も捕まったことによって、この事件はただの不運なものとして処理され。彼の「英雄」も、その他大勢が口にする英雄に紛れて、次第に人の記憶から消えていった。
それから100年以上たった。
確かに彼は偉大な政治家だったが、あらゆる教科書は「暗殺された」と、寂しく一行書いてあるだけ。今ではもう、ほとんどの人が彼の遺言を覚えていない。
きっともう、その英雄も死んでいるだろうし。
*****
深夜2時をまわった頃。”烏”のメンバーである
任務の概要は、違法で拳銃を製造している工場をつぶすこと。
実際はいろいろな事情によって、従業員を殲滅し、工場を焼くことまでしないといけなかったりするのだが、”烏”の中でもそれなりに実力者である彼にとっては、大した差異はない。
寂れた工場に響く轟音。鼻に触れる火薬の香り。そしてこの緊張感だけが、自分にとって唯一生を実感させられるものだった。
「っ!」
遮蔽物に潜めていた体を一瞬だけ起こし、正確に相手を打ち抜く。
月明りも届かない、深夜の荒廃した工場では数メートル先でさえ視界が十分に取れないが、恵まれた聴覚を駆使して目を使わずとも相手の位置を把握できた。
荒い呼吸音と僅かな足音だけで、敵の居場所を突き止める。
2階の手すり付近に敵がいることを察知した俺は、特殊加工されものを詰められるようになった襟から、事前に拾っておいた小石を取り出す。
おそらく敵は、複数人で襲われていると思っているため、適当な音を出すだけで十分意識をそげる。
それなりに離れた場所へ投擲し、わずかな音が起きる。しかし五感を研ぎ澄ましているいまは、音というのは小さくとも強力な策だ。
暗視の眼鏡を装着し、一瞬だけ遮蔽物から身を少しだし、敵がいると予測していたおおよその位置を確認し、敵の正確な場所を把握。
轟音。
爆発。
轟音は俺が改造銃を放った音で、爆発はその弾丸に内蔵された小型の手りゅう弾が、敵とぶつかった衝撃でおこったものだ。
やはり、
爆発の音で敵が大量にこちらに集まってくる可能性がある。
そう考え、急いで身を起こし足音を消して潜伏先を変える。
正直、オーナーがくれた手配書を読めばこの工場にいる人間が大した実力を持っていないことは明白だ。別に一人で一気に殲滅してもいいのだが。しかし流石に一人だと、漏れが生じる可能性がある。
だから本来ともに行動するはずだった相方が病欠になったのにも関わらず、任務の遂行が決定され上から通達された時には驚いた。
どうやら、上は一刻も早くこの工場をつぶしたいらしい。
「おい、こっちにいたぞ」
こういう殲滅任務では、相手側の指揮官を脅して情報を先に洗いざらい吐かせるのが、一番手っ取り早い。故に俺は、新しい潜伏先を探しながら、指揮官がいるであろう場所に手早く行くために頭の中でこの工場の構内図を作成していた。
そうして廊下を無音で駆け抜けていると、運悪く相手の懐中電灯に照らされてしまう。
暗闇に慣れた目では、その眩しい光が毒となった。
視界が純白で塗り潰される。すかさず鳴り響く3つの銃声。
常人であれば即死しているような状況。しかし、俺も伊達に“烏”の一員としてその名を背負っていない。
学生でありながら、最強の殺し屋集団“烏”の一人波佐間奏多は、持ち前の五感と野生の勘で弾丸を避け、そのまま愛用のナイフで潰された視界の中敵の首を切り裂いた。
***
「相変わらず化け物よね、あなた」
オーナーが所有する喫茶店『蘭』で、俺はその女と会話をしていた。
控えめな暖色に、その女のワインが妖しく輝く。
「聞き飽きたよ、倫さん」
黙々とグラスを拭いている短い銀髪のマスターと俺、その女こと北條倫のみが、このゆったりとした空間にいた。
「だって、少なくとも100は超える従業員と、数人の幹・部・を一人残さず、殲滅したのよ。それも葵ちゃんとコンビならまだしも、たった一人で、一晩で。十分化け物じゃないの」
そう言って赤ワインを口に含む倫。
「……」
倫に無言を返す。
俺が任務終わりにここで倫と会話すると、いつもこうだ。俺からすれば、あなたも十分化け物だというのに。倫はたった数人しかいなかったかつての烏を、発足当初から支え続けた古株の一人だ。今はあまり表舞台に出ることはないが、かつては相当暴れていた、ということをオーナーから聞いた。
「そういえば、葵はまだ休んでるんですか」
ふと気になって、俺の相方のことについて尋ねる。
「……あなた達仲いいんだから、お互い連絡取りあえばいいじゃないの」
「まぁ、それはそうなんですけど。ふと気になって」
「そ……ええ、まだ休んでるわ。といっても葵ちゃん曰く、もう風邪自体は治っているそうよ。ただ、病み上がりだし、任務に出すのは可哀そうでしょ」
「そうですか」
その倫の言葉に安心する。
「あなた今明らかにほっとしたわね。表情に出やすいんだから」
「……」
倫はこういう、相手の心情を読み解くのが異様に上手い。そのくせ、自分が騙るのも一級品なのだ。人間の感情、心理というものを隅から隅まで理解しているのだろう。
「そういえば、倫さんはどうしてここにいるんですか。任務ですか」
「ま、そんなとこよ」
ため息をつく倫。
かつて烏では、お互いの任務状況は基本秘匿が原則だったが、今ではそれはかなり形骸化している。単純に、個人主義から協力することに重きを置くようになったのだろう。
昔は“潰れる”人も多かったそうだが、今ではこうして感情を共有しあうことで、楽に任務を遂行できるようになっている。
「しかも、時間帯が朝の4時。オーナーは人情というものがないのかしら」
「まぁ、任務ってそういうもんですよ」
今は深夜3時を少し過ぎたところ。これから任務の場所へ向かうつもりなのだろう。
にしたって、珍しい。俺はそう思った。
勝手に、倫さんは任務を受ける側というより、与える側だと認識していたのだが。
そのことを倫さんに伝えると、特に表情を変えずに、「オーナーの人使いが荒いのよ」とだけ言った。
人手不足か何かだろうか。
「というか、なんで学生がこんな時間まで喫茶店にいるのよ。ほら、さっさと家で寝ていきなさい」
こちらに視線もくれず、冷たく声を発した。
ふと、彼女の顔に視線を向ける。
ああ、相変わらず綺麗な人だ。
長いまつ毛に、高い鼻梁。色白の肌と美しいフェイスラインに、小さめながら存在感を放つ赤い唇は、彼女という存在を一気に妖艶なものにする。
20代と言われても全然納得できるが、流石に女性に年齢を聞くのはデリカシーに欠ける。彼女は烏発足時からいる古参なのだから、猶更無理だ。
俺自身、加入した当初は彼女に戦闘の手ほどきをしてもらったのだから。
彼女は滑らかに戦う。あまりにも綺麗すぎて、攻撃されていることすら気づけないほどに。
彼女は人の心をよく知っている。もしかしたら、そういう相手の動きも彼女の思惑なのかもしれない。
「……なにじっと見てるのよ。帰った帰った」
今度こそこちらを見る倫だが、その眼差しはいかにもうんざりしているようだった。
あまり一人を邪魔するのも悪いかと思い、マスターに代金を払って店の扉に手をかける。
「奏多」
その時、艶やかな声が俺の手を止めた。
「言っちゃいけないことは分かってるけど、でもいうわ」
固い、声色だった。
「お願いだから……死なないでね」
静寂。
俺は、静かに店を出た。
外は、雨だった。