死んで、全く知らない他人の身体で目を覚ました。魔王生の中でも初めての経験だ。状況を把握するのに時間を要したのは言うまでもない。
鏡に映っているのはボンレスハムもとい太った少女の姿だ。
(恐らく人族・・・なのだろう。オークであれば頭髪がここまで長く伸びはしなかった筈だ。)
綺麗な銀髪に、芸術品のような碧と紫のオッドアイ。
それらを無に帰す我儘ボディ。勿論悪い意味だ。見た者を脳殺(誤字ではない)する事だろう。見ているだけで吐き気を催しそうだ。そっと魔王は鏡から目を逸らした。
(人族の勇者に殺され、次に目覚めたのが人族とは。何とも因果なものだ。)
赤ちゃんかよと思うほどぱんぱんに膨れた手や腕、贅肉に塗れた身体。
香水で誤魔化しているのだろう、潜り抜けてほのかに漂ってくる素材本来の臭い。もしシェフがいるならグーなのです。勿論握り拳の方だ。
(この身体の持ち主の記憶を引き継げたのは行幸であったな。)
生まれかわりとは違うだろう。近い表現は憑依だろうか。
「自ら命を、・・・恐ろしい。」
それはこの身体の元の持ち主ユーリ、ユーリ・フォン・ハウゼンへのものである。
この身体の元の主であるユーリは中々の性格だったようだ。
使用人に高圧的にあたり、気に入らなければ喚き散らかす。使用人のことなど何とも思っていない。それは公爵家の娘という絶対的な地位にあるからこそだ。我儘として許される範疇なのも増長させる要因のひとつだろう。
そんな性格に育ってしまった経緯には同情出来る余地もあるが、人族にとって好ましいものではないことに変わりはない。
ユーリにとってそれは天罰であったのかもしれない。
あの日、ユーリは浮かれていた。滅多に無い婚約者であるアレクシス王子と会える日だったから。正確には、正式な婚約ではない事は一時的に省く。
流行る気持ちからか約束の時間よりも早く王子のいる屋敷に着いた。
醜い独占欲から、侍女たちを下がらせ王子のいる部屋へとのしのしと向かった。褒められた行為ではないだろう。所謂、常識というものがユーナには欠けていた。それでも、我儘が見逃されていたのは大公と呼ばれるほど力を持つお父様のお陰である。
話を戻そう。
『本当にこの関係を続けるおつもりですか。』
『そうだ、と言ったら?』
王子の部屋に辿り着いたユーナは、中で誰かが話しているのを聞いた。聞こえた声は王子のものと、女性のものだ。それも自分と年のそれほど離れていない若い女の子だ。
ユーリは扉の前で固まった。ユーリには多少常識が欠けていたが、恥を知らない訳でも無かった。思わず足を止めた。
『正直に申し上げるなら、わたくしにはそこまでする必要があるとは思えませんわ。・・・家柄という一点のみで、それ以上のものはないでしょう?』
薄々と何について話しているのかをユーリは理解した。
『褒められた物言いではないね。』
『事実を言ったまでですわ。そんな事は言われずとも分かっておいででしょう?彼女の知識や、立ち振る舞いこそ褒められたものではありません。』
この時点でユーリが部屋へと入っていたならまた別の未来もあっただろう。
この女性の言葉はユーリにとって見たくもない現実だった。しかし、それだけだ。いつものように目を逸らすだけのこと。ぐっすり眠って、頭の片隅に追いやって忘れてしまおう。
あの日はそこで終わらなかった。さっさとあの場を離れるなりすればいいのに、ユーリは動けなかった。何故ならそこで話しているのはユーリが恋している相手なのだから。どうでもいい人間が相手であれば気にも留めないことだが、彼からの評価だけはユーリも気にしていた。
『本心をお聞かせください。』
『ふぅ、・・・確かに君の言うことに間違いはないよ。この関係を続けたとしても得られるものは多くないだろうね。』
そこまで聞いた所でユーリは逃げだした。他でもない彼にもそう思われている事に耐えられなかったから。
ユーリは傲慢であったが、少女でもあった。
そうしてユーリは自殺しようとした。住まう屋敷のそばには溜め池がある。失意に暮れたユーリはその足で着衣のまま入っていった。
ユーリの中にあったのは怒りだった。この思い通りにならない世界への怒りだ。自分には何の非はない、悪いのは自分以外の全てだ。そんな八つ当たりを心に浮かべながら一思いに身を投げた。
水の冷たさが多少の冷静さを取り戻した。しかし、既に短絡的に死を選んでしまった。酸素を求めて水面へと上がろうする。
溺れて、苦しみにもがきながらユーリが思ったのは、自分の身体に対しての怒りだった。
どれだけ水を掻いても身体は浮かんでいかない。水を吸った衣服と、それ以上に弛んだ身体。
自身の意に反して何の役にも立たない自分への不満。こんな身体いらないと、どこまでも自分本位な怒りだった。ユーリはそのまま意識を失った。
「何故まだ生きているのかは分からず仕舞いですね・・・。」
魔王なので切り替えが早い。一人の少女が死を選んだとしても、それは魔王にとって預かり知らぬところだ。
もし、意識が戻るなりすれば身体を返してやってもいいし、何なら利子をつけて返してやるとも考えていた。今、生きていられている事に比べれば大した問題でもなかった。
(この身体の持ち主であるユーリとやらが生き残る可能性は十二分にあっただろう。しかし、余は?あの状況からどう今に繋がった。可能性は魔術くらいのものだが、判断がつかんな。)
分からないものは分からない。魔王は道理をわきまえていた。知識が足り無い状態では答えは出てこないものだ。オークがどれだけ頭を捻っても出てくるのはウンチくらいのものであるのと同じことだ。
であれば、後回しにしてしまって問題ない。未来に目を向けていいのだ。
「・・・生きていられることに、感謝を。」
これからは幹部連中がドンぱちすることも、急に勇者が殺しにやって来ることもない。
過去を思い出して魔王は悲しくなった。懐かしく感じたからではない、なんか辛いことばかりが脳裏を過ったからだ。人知れず涙が溢れる。
(余は、今、生きておる。)
そっとしておいてやってくれ、魔王様は死ぬほど疲れてるんだ。
◆ ◆ ◆
とある執務室で、恰幅のいい男と老執事が話をしていた。
恰幅のいい男はこれ以上の面倒事はごめんだと一言告げて執事を下がらせた。
「これ以上儂の手を煩わせるなよ。あやつは『池で足を滑らせて溺れた』それだけだ。良いな、この話はこれで仕舞いだ。」
「はい、そのように致します。」
ハウゼン家の当主であるアイザックに物申せる者はいない。老執事は思いを馳せる。
(ユーリお嬢様は自死を選ばれた。それを知ってなお、アイザック様は何も気にしておられない。)
ユーリを助けたのはセバスであった。結果だけみるならば奇跡は答えてくれたというやつだ。
どのような理由があったのかは知らない。しかし、アレクシス王子の元へと行った直後であったことを考えるに色恋の話なのだろうとは予想がつく。
(ユーリお嬢様が真っ当な道へと戻られる可能性がまた一つ減ってしまった。)
使用人に高圧的に接するのは決して褒められた行いでは無いが、初めからああではなかった。あの行動は彼女なりのアピールで助けを呼ぶサインだったのだろう。
しかし、この屋敷には彼女に目を向けるものがいない。皆が皆、己だけを見ている。
彼女の行動を受け止めようとする者はおらず、余計に人を遠ざけてしまった。
(もし、お嬢様を正道へと戻せる方がいたとすれば、それはアレクシス王子に他ならず・・・その希望も恐らく絶たれてしまった。)
彼女のお母上は人格者であった。苛烈な所はあれどあのお方は正しいことを選べるお人だった。ユーリお嬢様にもその素質は十分に備わっていたはずなのだ。
気づけばユーリお嬢様の部屋の前までやって来ていた。
「・・・生きていられることに、感謝を。」
ユーリお嬢様のお部屋からそのような言葉が聞こえてきた時、己の過ちを悟った。
少しだけ扉を開けて隙間から様子を伺ってみれば涙を流していたるユーリお嬢様がいるではないか。オークにも真珠というやつだろうか。
(死に怯え、生を喜ぶ。そんなどこにでもいる少女をワタシは・・・。)
知らず知らずのうちに色眼鏡で見ていたのだろう。老執事は己の不出来を恥じた。
やり直すチャンスは生きている限り幾らでもあるのだ。それは他者が勝手に見切りをつけていいものではない。
(どこまでも自分勝手なのはワタシも同じだったのですね。・・・ユーリお嬢様が正しい道へ歩んで行けるように手を尽くさねば。)
少し早いがあやつを呼ぶのも手であるかも知れないと、密かに考えるのだった。
魔王が知らないことであるが、この世界はとある乙女ゲームに限りなく近い世界だ。
『星屑の魔女と永遠の契約』、ファンタジー世界を舞台にした乙女ゲーム。人族と魔族による争いが続いていたが、魔王が死んだことで平和な世が訪れた。
ゲーム本編はそんな部分とは離れた魔法学園での話である。
主人公は平民の出で、特別な力を持たないあなたが一癖も二癖もあるイケメンたちを攻略していく。
ユーリ・フォン・ハウゼン
本来であれば所謂悪役令嬢ルートを辿る筈だった人物。なんか、魔王が異物混入したせいで運命のレールが外れた。
魔王様がユーリの姿を見て吐きそうになっているのは、オークが嫌いなだけ。だってアイツら不潔だし、口が臭いし、蛮族だし、人族を襲いまくるし、いいとこ無いからね、仕方ないね。ゴブリン?あれは魔獣だよ。
魔王様の話し言葉が変わっているのは身体の影響。魔王の時はわざわざ言葉を選んで話していたので、勝手に変換して話してくれるから楽でいいなくらいにしか思ってない。