ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVS戦姫絶唱シンフォギア ユニバース大戦 作:ボルメテウスさん
真白が立ち上がった瞬間、客席の空気が一段低く沈んだ。氷点下の匂いがするわけではないのに、背中に冷たいものを押し当てられたような感覚が走る。片腕の欠損部に白い霜が寄り、次いで、骨格の輪郭をなぞるように氷の腕が生成された。肘掛けに崩れたケークの身体は、まるで布人形みたいに軽く見えるのに、その事実の重さだけが場を圧していた。
「ふざけんな!!」
「退け。踏むな。……客が先だ」
真白の声は、怒鳴り返すためのものじゃない。場を切り分けるための刃だ。クリスは歯を噛み、膝をついてケークの頬に触れた。まだ温かい。だが、呼吸が浅い。無理に起こせば逆に危険だと判断し、スタッフに怒鳴りつけるように指示を飛ばした。
「担架! 医者呼べ! こっちだ、早く!」
その間に、シャイニングナイフは静かに笑った。笑いと言っても、口角がわずかに上がるだけだ。演奏中に見せていた“客”の顔とは違う。今の目は、会場を舞台ではなく箱として測り、箱の中の恐怖を資源として勘定している。
「記念日? 飾りだ。折れれば終わる」
「黙れ」
真白が一歩踏み出すと同時に、ナイフの背から触手が伸びた。一本ではない。細い糸のようなものが床を這い、椅子の脚に絡み、通路の手すりを伝って広がる。観客が慌てて立ち上がろうとするたび、その動きが恐怖の波として箱の天井へ跳ね返り、ナイフの身体に戻ってくる。厄災の記憶が蘇っているのだろう、触手の伸びは無駄がなく、最短距離で人の動線を塞ぎにかかっていた。
「動くな! 押すな! 転ぶぞ!」
「出口はあっち! 走んな、落ち着け!」
クリスの声とスタッフの誘導が重なり、ざわめきが渦になる。真白はその渦の中心に立ち、触手が客席へ届く角度を片っ端から潰した。氷の腕が通路に突き出されると、薄い氷膜が床に走り、触手の先端が滑って軌道を外す。だがナイフは止まらない。止まれない。押さえ込んでいた“何か”が、いまは主導権を握っている。
「……音が足りない」
ナイフの呟きは、耳に届くより先に空気を揺らした。触手が舞台装置に絡み、照明のリグをわずかに揺する。金属が軋み、天井で小さな悲鳴が鳴った。観客の目が一斉に上を向き、恐怖の濃度が上がる。それが狙いだと分かっていても、止めるには人が多すぎる。真白の足元にあるのは敵だけじゃない。“守るべき重さ”だ。
「……足りん。そこは落とすな」
「落とす? 落ちるのは人の方だ」
「俺様の前で言うな」
真白が詰める。だが、詰めれば詰めるほど、ナイフは“箱”の奥へ逃げようとせず、“箱”そのものを噛み砕こうとした。触手が椅子の背を弾き、倒れた椅子が別の椅子を押す。将棋倒しの芽が生まれる。真白は氷の腕を横に払って椅子の列を凍らせ、連鎖を止めた。その一瞬の隙に、ナイフの触手が通路の外側――逃げようとする客の足元へ滑り込む。
「っ、やめろ!」
舞台袖から飛び出した影があった。小柄で華奢な身体が、空気を裂くように走る。雪音淡路だ。さっきまで関係者の顔で立っていたのに、いまは表情が違う。演奏中に“目立っていた客”――拍手の癖、座り方、隣のケークに応じる穏やかな角度。淡路はそれを見ていた。だからこそ、いま目の前にいるものを同じだとは思えなかった。
「……違う。あれは、違う……!」
「淡路、危ねぇ! 下がれ!」
「下がれない! あいつが……演奏会を壊した!」
淡路が銀の剣を掲げると、赤い光が弾けた。プリズムの粒子が舞い、細い虹の筋が彼の周囲に絡みつく。瞬きの間に、赤い戦士の姿――レッドフラッシュが立っていた。怯えや挙動不審は、いまだけは引っ込められている。怒りが、体を支えている。
「俺様の前へ出るな」
「でも! 倒さなきゃ、また……!」
「客が先だ。退け」
真白の制止は短い。淡路の反発も短い。言い争いを長引かせる暇はないと、二人とも分かっていた。なぜなら、ナイフが次の手を選んだからだ。触手が客席の通路へ走る。第二の吸収対象――それはケークではなく、人の群れだ。恐怖の中心に触れれば、厄災人格はさらに安定する。合理的で、最悪の選択。
「……巻き込ませない」
淡路の声が変わった。倒す、という熱は残したまま、その前にやるべき手順を選び直した声だ。プリズムの球が宙に浮き、透明な壁が通路に立ち上がる。壁は厚くない。だが角度が巧い。走る人の勢いを受け流し、触手の侵入角だけを潰す。さらに壁が曲がり、避難導線が一本の帯のように繋がっていく。観客は押し合わずに流れ始めた。
「こっち! 壁沿いに動け! 止まるな!」
「……それでいい」
真白が一言だけ落とす。褒めない。評価もしない。裁定として認めただけだ。淡路が観客の側を塞いだことで、真白の不利が一つ消える。守りの枷が外れた瞬間、真白の立ち位置が変わった。敵を“止める”ための位置へと。
氷の腕が床を叩くと、冷気が走り、触手の進路が凍りつく。凍るのは触手だけではない。ナイフが頼みにしていた“箱の揺れ”までが鈍り、選択肢の数が減る。厄災人格はそれを理解している。理解しているから、盤面を変える。触手が天井の梁へ食い込み、会場全体を導体にするように広がった。恐怖、混乱、割れた音、軋む金属――それらが一つの脈動になり、ナイフの体内へ流れ込む。
「足りない……もっと」
「もっとは与えん」
真白の声が落ちた瞬間、ナイフの身体が膨張し始めた。触手が太くなり、床下へ根を張るように伸びる。空気が重くなる。観客の最後尾が出口を抜けたところで、クリスが叫んだ。
「避難、ほぼ完了! 担架も出した! ケークは搬送する!」
「外へ出ろ。ここは捨てる」
「捨てるって……会場が!」
「壊す前に捨てる。俺様の裁定だ」
真白が淡路の肩を押し、出口へ向けて顎をしゃくる。淡路は一瞬だけ悔しそうに歯を食いしばったが、すぐに頷いた。倒すのは外でやる。手順を守ったまま、目的を捨てないために。
「……分かった。外で終わらせる」
「礼はいらん。貸し借りにするな」
扉を抜けた瞬間、夜の空気が肺を叩いた。ホール前の広場、駐車場、街路――人が逃げ込めるだけの空間がある。だがナイフは追ってきたのではない。自分から出てきた。外へ出た方が、膨張に都合がいいからだ。触手が地面へ突き刺さり、舗装を割って根を張る。身体がさらに膨れ、影が広場を覆い始める。会場の中で鳴り残っていた音が、割れたスピーカー越しに外へ漏れ、最後の一音だけがナイフの耳を叩いた。
ナイフの目が、完全に“厄災”のそれになった。
「……壊れる音だ。いい」
真白は見上げ、氷の腕を握りしめた。通常の大きさで止めるには、足りない。足りないからこそ、次の手を選ぶ。