不死学園の人間種   作:龍川芥/タツガワアクタ

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人間種 禁忌錬成リクシール・パラディアス ①

 ――偶に、その夢を見る事がある。

 あくまで偶に。思い出したかのように、というのか。忘れた事などないというに、それでも薄れることを咎めるように。

 幸福な意の夢、ではない。

 では悪夢なのかと問われると――魘されるとまではいかないが、寝覚めが悪くなる以上、その類ではあるのだろう。

 

 夢の中では、俺は今の俺のまま。

 ただ周囲は『不死学園』の研究室ではない。もう20年は帰っていない、故郷たる大帝国北部ゲルマの街だ。

 胸を貫くこれは郷愁なのか。否。俺はそんなものを抱ける人間ではない。

 ならば何か。この、心臓を握り潰さんと体内で吼える感情は、一体。

 そうやって立ち尽くしていると、不意にぐいと袖を引かれる。

 

『……だい、じょ、ぶ?』

 

 振り向けば、10にも満たないだろう小汚いガキがそこに居た。

 浮浪児だ。

 世界有数の巨大国家たる大帝国とは言え、国民全員を十分に庇護できるわけではない。失業者の子供か、親を亡くしたか、捨て子か、あるいはその全てか……ともかく、発語も十分にできないソイツは、明日にも冬に入ろうとしているゲルマの路地裏に、何も持たず独り立っていた。

 

 声は出ない。身動きはできない。あの時より学び手に入れた力は使えない。

 過去がそうであったからだろうか。得てして、夢とはそういうものである。

 

 瞬きすれば、彼の姿は消え。

 その汚れた服の小さな背が、路地の先、光の中へ走って行くのを見る。

 ――駄目だ。そう訳も分からず直感する。

 

 馬鹿が、戻って来い。俺はパラディアス家の嫡男だ、オマエには報酬を受け取る権利がある。

 

 そんなことをやっと叫んだ気がする。

 それでも走り去る背は止まらない。だから叫ぶ。

 

 待て、――。

 

 ああ、ここだ。いつもここで夢だと気付く。

 あの子供の名を呼んだ瞬間に気付くのだ。

 何故ならば、俺は――。

 

 

 

「――い。リ……ル、ま」

 

 ……声が聴こえる。

 日の出を告げる鳥の声。がたがたと窓を蹴る風の声。

 俺を――リクシール・パラディアスを呼ぶ、絹のような声。

 

「――さい。起きてください、リクシール様」

 

 ――目を開けると、目の前に天使が居た。

 

 人外の美が溢れている不死学園の中でも、殊更美しい女だった。

 錬金術によって作られた人造種(ホムンクルス)に多い、色素の薄い肌に髪。神が手ずから整えたような造形は情欲さえ浄化する類の美で、瞳の碧は慈愛を湛えて微笑んでいる。

 さらり、流れた髪が頬を擽るくらいの至近にその顔があって。

 寝起きでぼんやりした頭が、条件反射的に名を呼んだ。

 

「……ファルシエル」

「はい、ファルシエルです。おはようございます、リクシール様」

 

 名を呼ばれた女がにこりと笑う。小汚いガキの残像なんて容易く掻き消す、陽光を纏って輝かんばかりの笑顔だ。世が世なら名画として残りそうなその美も、毎日毎朝顔を合わせて、尚且つ()()()()()()()()だと鬱陶しいとさえ感じるものだ。こいつを錬成した時の俺は、こんなにも外見の美にこだわっていたっけか。

 

 ともかく、朝だ。いつもの研究室の簡易ベッドの上の、いつも通りの朝。

 女――ファルシエル・トレスは、そのイヤになるくらい美しい微笑で、いつも通り一日の始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 ここはモルターリブス不死学園、第二学術棟の中の一室。

 絶海の孤島に建った学園、どうあっても生活圏が制限されやすい環境において、俺の生活圏は更に狭い。

 寮ではなく与えられた研究室で起床し、基本的に一日をそこで過ごし、そのまま寝る。ただ……食堂にすら赴かなくなったのは、この()()を作ってからのことだ。

 

「食堂からリクシール様のお食事を頂戴して来ております。コーヒーはこちらに」

「……ああ」

 

 ことり、と非研究用の机の上にモーニングセットと湯気の立つコーヒーが並ぶ。

 並べたのは、女、ファルシエル・トレス。俺の分だけを机の上に配膳し、自分はにこにこと微笑みながら棒立ちで机の傍に控えている。これもいつもの光景だ。

 

「あー……」

「はい。なんでしょう、リクシール様」

「……前から気になっていたんだが。オマエ、なんで自分の分を持って来ない? 飯を食える機能はちゃんと付けたハズだが?」

「はい、承知しております。けれどリクシール様に戴いたこの体は飲食の必要がないこともまた承知しております。これはどちらもリクシール様に戴いた機能。ならば命令に一秒でも早く応じられるよう、お傍に控える事が優先される事項かと」

「……そうかよ」

 

 全く、飯が不味くなる奴である。

 

 ――ファルシエルは外見こそ人間種だが、実際の種族は違う。彼女は俺が錬金術によって生成、否『錬成』した人工生命だ。

 だがそれは、断じて女中(メイド)の真似事をさせるためではない……といくら言っても辞めないので、最近は半分諦めている。というより、世話を焼くのを辞めろと言うとたちまち世界の終わりみたいな顔をされるのがクソ面倒くさい。

 

「(そういう風に作った覚えはないんだがな……)」

 

 来ることのない命令を粛々と待っているファルシエルの顔に不満の色は無い。むしろその口元には誇りの歓びが見て取れる。

 「100%自分の為に生きている」と断言できる俺からすれば、他人の役に立つことで己の存在を確立させようとするその姿勢は理解に苦しむ。

 あるいは、人工的に生み出された存在であるからこそ――親による無条件の愛が与えられないと知っているからこそ、他人の役に立つことに存在意義を覚えるのか。

 

 ともかく、そんなファルシエルが次に声を上げたのは、手早く食事を終えて口を拭いているときだった。

 

「それではリクシール様、本日のご予定ですが。お昼前に錬金術学担当のセフィナ・ロッド教授が会いたいと」

 

 やはり、ファルシエルは進んで俺の秘書じみたことをやっている。最近は依頼未満の『お願い事』の話が彼女を通して入って来るほどだ。その事実にも、そして予定の内容にも思わず溜息を吐きたくなる。

 

「またか……樹人種(ドリュアス)の忍耐強さには頭痛がするな」

 

 その瞬間、素っ頓狂な声が部屋に響いた。

 

「――頭痛!? だ、大丈夫ですかリクシール様!?」

「ものの例えだ察しろ騒ぐな。本当に頭が痛くなる」

「はいっ、申し訳ありません……」

 

 騒ぎ駆け寄ってきたファルシエルは、俺の肩を掴みがくがくと揺らしたのち、慌てて手を離しその両手で己の口を塞いで後ずさる。

 ……本当に、こんな風に作った覚えはないのだが。俺の錬金術の腕前もまだまだということの証左なのか。

 

「……まあいい、昼前だな。なら俺は教会に行く」

「では、お供します」

「……オマエに教会で役に立つ機能はないのにか? いつも言っているが、俺の私用に付き合う必要はない。必要になったら呼ぶから好きにしてろ」

「それは……わたくしがお傍に控えては、不都合、でしたでしょうか。お邪魔、ですか……?」

 

 ……どうしてそう、こうも簡単に捨てられる直前みたいな顔で落ち込めるのだろう。俺はそんなに酷い事を言っているか? 全く、つくづく理解に苦しむ奴だ。

 

 人間と何ら遜色ない感情、そして俺以上の戦闘能力を有しながら、ファルシエルは徹底的に自立を忌み恭順を望む。なんとも歪な存在だ……あるいはいと高き創造主の命に従うことが、その魂に刻まれた唯一の歓びなのか。

 ならばこれは……軽率に彼女と言う存在を『創造(れんせい)』した俺への罰かもしれない。

 

「……ちっ。好きにしろ」

「はいっ、拝命致しました。では、お傍に」

 

 その一言で輝かんばかりの笑顔になる事もまた、理解に苦しむ愚かしさだ。

 そもそもだ。俺は一応、彼女の為を思って忠告したつもりだったのだが。

 

「全く。聖人とはいえ、獣人種の渋面はそう見たいものでもないんだがな」

 

 まだ朝だというのに、今日何度目かの溜息をひとつ。

 俺はかの死霊種(レイス)の強面を思い出して、若干嫌な気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 不死学園に与えられた『世界最大の学び舎』という肩書は伊達ではなく、敷地内には大抵のものがあり、学園都市とも言うべき街のようになっている。

 それは生徒が生活するための寮であったり、島内に魔力を供給する為の魔力炉であったり。食堂の数だって10はある……そのうち半分ほどは人間種の食べられる食事を取り扱ってはいないが。

 そして当然、その中には神聖教の教会――大帝国ならどの街にもある宗教施設にして医療機関――もあった。

 

 それは屋根の上に、縦の棒が新円を貫いたような形の――要するに『Φ』型の『聖字架』を掲げた立派な建物だ。造りは白い煉瓦に大理石で、細かい装飾が齎す高級感は宗教家が語る清廉さとは程遠いものに見える。それくらい重要な施設である、ともいえるが。

 そんな教会の玄関口で、触れることなく複数の箒を操り掃除をしている霊が居た。半透明の肉体に霊障の手(ポルターガイスト)能力。不死の一種、死霊種(レイス)である。

 彼はこちらに気付くと手を止め、その牙の生えた口を開く。

 

「む。リクシール、と……」

 

 と、そんな彼――元獣人種(セリアンスロープ)にして死霊種(レイス)の聖人、奇跡の聖獣リテレスの獣の顔が、俺の同行者を見た途端渋面を作った。

 本人からしてみれば単に眉を顰めるくらいの表情なのだろうが、なまじ獣面の渋面だ、牙を剥き出し皺が顔中に奔るそれは肉食獣が唸るのとそう変わらない迫力がある。当然、睨まれた俺の同行者――ファルシエルが少し怯んだのが気配で分かった。

 

 そんな彼女とリテレスとの間に割って入って、俺は何かを言われる前に口を挟む。

 

「なんだよ奇跡の聖人サマ。『人造種(ホムンクルス)』が神に祈っちゃいけねえか?」

「……まさか。主、全て許される。罪人が祈ること。獣人が祈ること。不死が祈ること。我、我が信仰、我が身の奇跡、そして……汝らに未だ罰下らぬこと、その、証」

「なら何も問題はねえよなリテレス司祭。何、祈りの邪魔はしねえ。いつも通り、()()に用があるだけだ」

 

 多少強引に切り上げて、俺たちはその場を後にする。

 だが教会の裏手を目指して彼の視界から消える間、その獣の目がずっと背を睨んでいる気がした。俺ではなく、ファルシエルの背を。

 

「全く、今にも呪い殺してやろうって感じだ。聖人サマがしていい目じゃねえなありゃ。……だから言っただろうが。ついてこなくていい、とな」

「……はい。ですが、聖人リテレスの拒絶は罪ではありません。ならば私もまた、己の役割を全うするのみです」

「はッ、だったらオマエに与えた役割を……いや、いい。忘れろ」

 

 あやうく失言しそうになって、俺は鷹揚に手を振って誤魔化した。

 これは言っても仕方ないことだ。分かっているのに、()()ではどうも調子が崩れる。だが、初心に返り気を引き締める――あるいは落ちた調子を元に戻す為にはここに来る必要があるのもまた事実。

 

 教会の裏手に出た途端、風が一陣、地を撫でた。

 冷たく湿った土の匂いはどこか寂しく。教会の中で唄われる讃美歌が、腫れ物に触るみたいに遠く響く。

 要するに、ここはそういう場であった。

 生の熱はなく、鮮やかな色も、笑う声も無い。

 ただ静かに、ただ厳かに。そうやって棺と骸とが、永遠に土の下で眠る場所。

 

 教会の裏手――そこにあるのは当然、『墓地』である。

 それも共同墓地。

 簡素で飾り気のない、等間隔で聖字架型の墓石が並んだ広い霊園。

 

「(不死の学園の墓地か……相変わらず皮肉な響きだ)」

 

 とはいえ。()()学園とはいえ、生者が居る以上当然死者は出る。それが世の絶対の法則――全ての生は死の運命と共にあり、絶対の死が覆ることは決してない。

 それは例えば、訓練中の事故。病の悪化。ただの不運。故障、術の不具合、不意の寿命。あるいは極めて珍しいが、外部からの襲撃による被害など。

 そうやって学園内で出た死者の大半が、この共同墓地に埋葬される。また死体が盗まれる類の不死の種は、親類が不死学園に居れば比較的安全なこの地に埋葬することもできる。

 まあ、200年も学園を運営しているのだ、これくらいの墓石は並ぶだろう。

 

「……リクシール様、よろしいでしょうか」

「なんだ?」

 

 と、何故か数歩の距離を保ったまま着いて来るファルシエルが、遠慮がちに疑問を口にした。

 

「その、前から気になっていたのですが。学園には『死術』――ネクロマンシーの使い手が幾人も居るというのに、どうしてこんなにも多くの墓標があるのでしょう。人は、隣人の復活を望まないのでしょうか」

 

 百などゆうに超えるだろう墓石を眺めながら、ファルシエルは心底不思議そうに小首を傾げる。

 

 彼女の言う『死術』とは、死体を使い、不死の種である生屍種(ゾンビ)骸骨種(スケルトン)を生む魔法・魔術の総称だ。かつては自我の無い使い捨ての手下を生み出す術だったが、技術が進んだ現代では生者と遜色ない自我を持った疑似生命(アンデッド)を生み出せるようになった……当然制約や限度はあるが、数百年前と比べると目覚ましい進歩であることは確かだ。

 だがそれでも、死術によって世の第五法則から逸脱を果たした例は未だ存在しない。

 何故ならば。

 

「……馬鹿言え。『死術』で生まれるのは、死者と同じ顔形、あるいは同じ骨をした別人に過ぎねえんだよ。ある程度の肉体的素養は引き継がれるが、現世に遺った死体と違って精神は――魂は既に死んでんだ、無いものはどうやったって引き継げん、それは新たに作るしかない。死霊種(レイス)にしたって、本来は多数の死者の残留思念が寄り集まり混ざり合って新たな存在と成るモノだしな。それらは復活と言わんだろう。

 そうだな、試しに想像してみろ。俺が死に、その死体が立ち上がって俺とは別の生活を始める所を。触れることも語らう事もできるが、俺の生前の目的も矜持も、全てを知らず持たない『誰か』を。オマエはこれを『良かった、死者が生き返った』と喜べるか?」

「……いえ。それは、リクシール様ではない、と……そう、思います」

「そうだ、殆どの者はそう感じる。死術は復活の奇跡ではなく、寧ろ死者への冒涜であると。だからこうやって埋葬するんだよ……懸命に生き抜いた死者の安寧を願って、な」

 

 そういう意味では、墓場が寂れているのも当然と言えば当然なのかもしれない。

 生の熱はなく、鮮やかな色も、笑う声も無く。ただ静かに、ただ厳かに。

 そうやって、死者が穏やかに眠る場所。

 故に墓場が静謐であることは、寧ろその役割を十分に果たしていることの証左なのやも――。

 

 ――風に乗って。

 死者の眠りを妨げるが如く、誰かが啜り泣く音が聴こえた。

 

 見れば、墓石の前で立ち尽くし嗚咽する長耳種(エルフ)の少女がひとり。周囲に彼女以外の人影はないので目立つ……俺と同じく、不死学園生徒の制服(ローブ)を羽織っている。

 場所や墓石の状態から見て、まだ新しい墓だ。さしずめ葬儀後初の墓参りと言ったところか……俺とファルシエルの視線の先で、故人を偲ぶ涙がまた数滴流れては拭われ消えていく。

 

「……珍しいな」

 

 矛盾するようだが、それでもここは不死学園だ。人死になどそう起こる事ではない……まして、偶然に墓地で涙を流す生徒に出会うなど。

 あるいは例の『死なず呪い』、()()()()()()()()()に触れてしまったか……それならば同情に値する不運だが、なんにせよ残された者の悲しみは同じだ。

 

 墓地の中、死者の名を呼び涙する声が虚しく響き続ける。まるで壊れたオルゴールのように、ずっと。

 

 ……不死の時間感覚は人間種のそれより随分いい加減である。あの長耳種(エルフ)も、放っておけば一日中どころか数日棒立ちで泣き続けるかもしれない。

 別に、それはただの仮定であり俺の想像だ。本当にそうなったところで俺が不利益を被ることはないし、案外あと数分もすれば泣き止んで立ち去るかもしれない。死者を悼む時間だって、それは残された者に必要なものだろう。

 要するに……時間の無駄だ。

 

「……ちっ」

「リクシール様……?」

 

 ポケットに手を突っ込み、少しだけ足を速める。

 全く、迷うだけ時間の無駄だ。

 だから――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 見知らぬ墓標の前、見知らぬ長耳種(エルフ)の横に立ち、言う。

 

「……なあ。どうして墓石が聖字架の形なのか、知ってるか」

「え……?」

 

 急に見知らぬ男に話しかけられ、長耳種(エルフ)の少女が涙を流したままこちらを振り向く。その腫れた目に浮かぶのは、当然、困惑。

 構わず、俺は言葉を続ける。どこか独り言のようだな、と自分自身でも思いながら。

 

「聖字架とは、祈術の源たる神聖力を集めるのに適した形だ。高位の祈術使いが持つ聖字架のロザリオが、触れただけで悪魔を溶かすようにな。乱暴な言い方をすれば、聖字架には天使が宿るんだよ」

 

 『聖字架』。Φ型のそれは神聖教のシンボルマークでもあり、教会の屋根や墓標など神聖教関連のものによく使われる。それはこの共同墓地も例外ではなく。

 

「そもそも聖字架というのは、『天使』が翼たる光輪(ヘイロー)を広げた姿を簡略化した記号(モノ)だと言われている。記号化されたとはいえ『天使の姿』、そしてそこに宿る『天使の力』……とくれば、ソレはもう天使そのものだろう? つまり、墓石(コレ)は――」俺は墓石を指さし、長耳種(エルフ)の少女も墓石に目をやる。「――その下で眠ってるヤツ専用の天使サマってことになる」

「天使、様――」

「どうだ? この天使サマが、アンタの知り合いの魂を正しく天上の楽土へ導いてくれそうじゃないか?」

 

 少女が息を呑んだのが分かった。

 その涙で滲んだ視界に天使の姿でも幻視したか。

 少なくとも、悲壮な色に染まった嗚咽は止まったようだ。

 

「(……まあ、こんなのはただの口からでまかせなんだがな)」

 

 少女が落ち着く様子を眺めながら、俺は内心でそう溢す。

 聖字架は確かに悪魔を害する力を帯びるが、それは天使の力が宿っているのではなく、ただの信仰と自然魔力(マナ)の関連による世界法則ゆえ、言わば物理現象だ。

 聖字架が天使の姿を模しているのは本当だろうが、それだって色んな説があるし、そもそも『姿』と『力』という二要素が揃ったところで何なのか。要素ふたつで同一視できるなら、竜と人だって同じ存在ということになる。

 要するに、俺は詭弁を弄しただけだ。天使が死者の魂を天上の楽土へ導く、なんて神聖教の謳い文句を、俺はちっとも信じちゃいない。

 

 ともかく、俺にできることは終わり。

 礼を言う耳長種(エルフ)を適当にあしらって、俺はその場を後にした。ポケットに突っ込んでいた手を抜く。

 一応、言葉だけで足りなかった時の為に語りながら()()準備はしていたのだが……使わなくて済んで何よりだ。奇跡を演出するにしても、それなりに手間はかかるのだから。

 

 リクシールと合流し、声が届かない充分な距離まで来た所で、俺は我慢の限界に達し反吐を吐く気分で舌を出した。

 

「――はッ、不死に説教とはな。大方俺より年上だろうに……10かそこらのガキだってあんな泣きベソ搔かんぞ、ったく」

「リクシール様……」

「というかオマエ、こんな時くらい役に立てよファルシエル。絶対に俺より向いてるだろう()()()()()には。お陰で俺は天使サマを信じる敬遠な神聖教信者だ、虫唾が走る」

 

 思ってもいないことを、特に神だのなんだの言うのは精神に悪い。司祭どもはよくもまあ、毎日のようにこんな説法を説けるものである。

 そう悪態を吐いていれば、俺の機嫌が悪いので怯えているのか、ファルシエルがいっそう遠慮がちに口を開いた。

 

「……天使は、お嫌いですか」

「さあな」

 

 風が一陣、地を撫でた。

 冷たく湿った土の匂いはどこか寂しく。教会の中で唄われる讃美歌が、腫れ物に触るみたいに遠く響く。

 墓地にて。誰もが死者の安寧を願い、その魂の安らかなことを神に祈る場所にて、吐き捨てる。

 

「だが、神に祈るのは嫌いでね。祈術を使えん俺にとって、ソレは現実逃避にしかならんと知っているからな。

 忘れたか。俺は『錬金術師』――学者だ。現実と向き合うことでしか前に進めん人種だぞ」

 

 要するに、俺とはそんな存在であった。

 

 

 

 リクシール・パラディアス。

 神をも畏れぬ現実主義者にして、深淵なる世界真理の探究者。

 彼こそが議論の余地を挟めぬ史上最高にして、優秀過ぎたが故に世界中から命を狙われるも未だ死なぬ、不死にして人智超越の『錬金術師』である。

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