『――全校生徒に告ぐ。学園内に侵入者あり。繰り返す、学園内に侵入者あり――』
その警報が鳴ったとき、禁忌錬成リクシール・パラディアスは珍しく
学園敷地内にいくつかある購買部のうちのひとつ、特に魔術学や錬金術学に必要な物資を取り揃えている店での研究物資の調達――つまり買い物中の出来事だった。
試験官に入った
「(今のは侵入者警報――確か、学園敷地に展開された結界内に未登録の誰かが侵入したら鳴る警報だったな。誤報や手違いの可能性を排除するなら……最も可能性が高いのは盗賊の類、それも、大自然が侵入を阻む絶海の孤島に侵入できる力と自信を持つ者達。腕のある盗賊なら、当然価値の高いものを狙う。それは例えば、リテレスの死体だったり、
『賢者の石』の間違った噂は学園の外にも広がっているだろう。だがまさか、ファルシエルと離れたタイミングでコレとはな……)」
都度必要とする研究物資の調達は、ファルシエルに『お使い』させるには些か難易度が高い。種類の多さに品質の見極め、物品の細やかさに取り扱いの難しさ、個別に違う必要数に研究資金との兼ね合い……そういった理由でリクシール本人が買いに来る必要がある。教授レベルともなると独自のルートがあるのだろうが、学生は購買部でちまちま買うしかないのである……特に、人付き合いが嫌いなリクシールのような学生は。
また店にある品は都度変わるが、注文すれば研究室まで届けてくれるので特に人出も必要ない。
そんなわけでファルシエルには「着いて来るな時間と人手の無駄だ、暇なら今のうちに食堂から食事を持って来ておけ」と言いつけ、自分は店までやって来たのだが……そこでこの警報である。
「(あくまで可能性の話だが……ちッ、仕方ない)」
「お客様?」
「――ああ、すまない。取引は中断させてくれ。遅くとも数刻で戻る」
「はい、緊急事態なのでそれは構いませんが……」
「助かる。今言った品の取り置きは元値の二倍まで出す、それ以上出す奴が居れば売ってもらって構わん。では、失礼」
言って、リクシールは踵を返した。
ここの購買部の店主とは20年以上の知り合いなので、大体のことは融通が利く。
故に、今重要なのは。
「(賊が本当に研究室に押し入ってくるなら、先に単身のファルシエルと出会う可能性の方が高い。『天の槍』を使うファルシエルがそうそう負けるとも思わんが……万が一、ということもある。いや、あらゆる仮説を総合すれば5%前後でそうなるだろう……無視できん数字だ)」
英雄育成校、即ち英雄の卵犇めく不死学園に侵入できる、力と自信を持った賊。
『賢者の石』――不老不死、あるいは完全なる死者の蘇生という言葉が秘める魔性。
単独行動で、恐らく今頃研究室に食事を運び終わっただろうファルシエル。
あらゆる仮定が正しいのだとすれば、その現象は充分に起こり得る。
かつかつかつと全力の速足で廊下を行きながら、リクシールは嫌な予感を振り払うように呟く。
「オマエは俺の命令なら何でも聞くんだろう。なら、
第二学術棟内の一室、リクシール・パラディアスの研究室にて。
招かれざる客は窓を割り、軽やかに室内に降り立った。
暗い色の外套を纏った、若さの残る青年だった。片目を隠す程の長い前髪が特徴的な彼は、隠し持った
「……さて」
彼こそ学園に侵入した『不死狩り』が1人――理不の凶刃ベレネト。二つ名下されし大犯罪者。
警報が鳴った、即ち自分と仲間による侵入が学園側に気付かれたのは彼も理解している。
だが、ベレネトには恐れも焦りも無い。寧ろ堂々と、初めて訪れる室内を物色する。
「ここがリクシール・パラディアスの研究室らしいが……」
時たま気泡が流れる、円柱状の培養槽。
鼠の鳴き声がする複数の箱。机の上に置かれた魔導器らしき謎の器具。
そして、棚だけでなく床にまで積み上がった大量の本と資料らしき紙。
いかにも錬金術師の研究室といった様相ではあるが、果たして。
ぺらり、歩きながら適当に手に取った紙には、禁忌錬成リクシール・パラディアスの署名。『無限碑』に刻まれた二つ名は決して偽称することができない……故に、ベレネトは予めの『拷問』で得た情報が正しいことを確信した。
「凄い学者の研究資料って売ったらいくらになるんだ? いや、今はどうでもいいか。それに……」
紙を雑に放り、ベレネトは歩みを止める。
彼の眼前に鎮座するは、壁に備え付けられた巨大な金庫の扉。重厚な金属特有の光沢には魔力の気配も混じっている……室内で最も厳重に守られたそこは、ベレネトには「ここにお宝がありますよ」と言っているようにしか見えなかった。
「多分この金庫の中だろ、死人を生き返らせる『賢者の石』は」
早速頂いて帰ろう、とベレネトは懐から刃を取り出し――。
がしゃん、と何かが落ちる音がして、ベレネトは弾かれたように振り向く。
部屋の中。
数多の不死を見てきたベレネトから見ても過去一番に美しい女が、こちらを見ていた。ベレネトの――相手からすれば見知らぬ男の侵入に驚いたのだろう、食事ごと持っていたトレイを取り落としたらしい。
「貴方は……リクシール様の研究室で何を!?」
「――しまった」
「まさか、警報を鳴らした賊!」
ベレネトは一瞬対処に迷い。
しかし、女、偽典のファルシエルは迷わず
ばちり、虚空より生まれし白色の雷光が、怒髪天を突く美女の顔を照らす。
「許されざる蛮行です、主のものを不当に奪おうなど! 故に、我が権にて罰を――」
――瞬間、ファルシエルは咄嗟に
ばちん、飛来していた二刀の小刀が、小規模の雷に打たれて勢いを失い墜ちる。
小刀は、ベレネトが懐より取り出し、ファルシエルの胸・腹目掛けて投擲したもの。
動作の過程が見えぬ超速による牽制が、ファルシエルの攻撃を一瞬遅らせる……否、本来ならその程度では済まなかった。ベレネトが一瞬の迷いを見せなければ、ファルシエルは間違いなく今の技で心臓と肝臓を貫かれていただろう。
迷いは、彼が
「
「っ、我が五体が誰の
噴火じみたファルシエルの激昂が、そのまま地と水平に奔る雷撃に変ずる。
閃く純白は裁きの色。
彼女の
正しく必中必殺の雷撃――『天の槍』。それがファルシエルに与えられし力。
放った時点で勝負は決まった、否、断罪は為された。
そのハズであった。
一閃。
鋼の残影、極光を断つ――。
雷撃が霧散し、無傷の男――理不の凶刃ベレネトが残心の構えで立っていて。
それでようやく、ファルシエルは今何が起こったのかを理解した。
――斬った。雷撃を、短剣で斬って四散させた。
恐るべき技量と胆力、そしてその手の魔剣によって奇跡に近い偉業を成ししめた賊は、雷光ですら照らし切れぬ闇を湛えた目で不死を睨む。
「……まあ、ンなわけないよな」
斬り伏せた雷の断末魔じみた残滓さえ気にも留めず、理不の凶刃ベレネトは嗤った。生け捕るよりは殺す方が手間がかからないが故に。
同時、その超絶技巧たる腕が再び閃く――。
ファルシエルの攻撃速度は、速い、という言葉すら追い越す瞬きの御業。
空を裂く雷撃の速度は発射と同時に着弾するのに等しい神速であり、また技を放つ為に道具や詠唱などは不要で、その意志ひとつが何時でも術の
故にそれは、あらゆる武器の初速を置き去る先の先にして、あらゆる魔術さえ後の先で追い抜く、地上最速の攻撃である。
――そう、ファルシエルは確信していた。
なのに。
敵を穿たんと飛翔するのは、異国の意匠を刻まれた黒鉄の小刀。
それを何とか撃ち落とすのが、天の槍たる白色の雷撃。
一合、二合。撃ち落とした刃は十を超えたか。反撃を挟む隙は未だ見出せない。
意志ひとつで雷撃を放てるファルシエルがこうも後手に回っているという事実が、防ぎ得ぬもう一枚の刃として彼女の冷静さを削った。
「(この人間っ、人間なのに、わたくしよりも疾い――!?)」
「なんだ、これでも防がれるのか。強いな、あんた」
ベレネトが懐から小刀を取り出し、ファルシエルの急所を正確に狙って投擲する。
その一連の動作が、ファルシエルが「雷撃を放つ」と思考する一瞬の内に完了してしまっている矛盾。
だが、そこに魔力の気配はない。
信じ難いことに――その暗殺者は、己の卓越した技量のみで、地上最速の攻撃を追い越す武の極致に至っていた。
それでも満足せず、投擲では決定打にならぬと見るや――ふっ、と黒衣の影が消える。
かと思えばファルシエルの頭上に、影が。
間延びした時間の中――ぎらり、銀の刃が瞬いて――。
「っ!」
雷撃、超反応。
武術を介さないファルシエルにとっては奇跡とも言える、半ば防衛反応じみた間一髪の反撃は、故に躱し得ぬ痛撃となってベレネトの肉体を穿ち焼き焦がすはずであった。
だが――白雷が通過した虚空は無人。
如何な方法を用いたか。空中で身を捻って躱した影が、その殺気を放つ双眸がファルシエルを見やる。
「シッ――」
ぐるん、と。影がそのまま横に回転し、その勢いを利用して黒の刃を放る。
一動作にて、ほぼ同時に三刀。狙い、威力、その全てが即死級。
「っ、墜ちよ!」
それを三本の雷撃で命中前に撃ち落とした時には、ベレネトは既に着地した後だった。
「……それ、ただの雷じゃないな。物理じゃなく概念の術だろ」
「っ、この……!」
ファルシエルの意志に呼応したか、再び砲弾の如く唸った横向きの雷霆が黒影を貫き。
しかし、貫いたそれは既にベレネトの残像に過ぎず。彼が斜めに地を蹴るだけで、ファルシエルの意識は、雷撃は、その影を捉えることができない。
上か、後ろか、前か、横か。次はどこから刃が飛んで来るか、敵を目で追えぬファルシエルには分からない。考える猶予もまた、ない。
「なら!」
ファルシエルが咆える――瞬間、室内は無数の雷撃で影を失った。
それを例えるなら荒れ狂う雷雲の中か、あるいは雷霆を乗せた縦横無尽の大嵐か。
敵がどこに居ようと関係ない、室内全体を蹂躙する雷撃の氾濫。全体攻撃にして範囲攻撃。
これならば、如何にベレネトが速くとも躱し切れない――そう判断しての術だった。
だが。
「攻撃範囲を広げたか、賢いな」
室内の
確かに、ファルシエルの攻撃は範囲攻撃としては穴がある。雷撃は『面』ではなく『線』の攻撃で、それを縦横無尽に乱発することで全方位への攻撃として成立させているため、間隙を縫えば攻撃範囲の中でも回避は可能。また主への敬意により室内を傷付けぬよう配慮しているため、必然机や棚の周辺は攻撃の密度が他よりは薄い。
だがそれは、雨の野外で雨粒を全て避けるのと何ら変わらぬ難度である。
だというのに、雷撃が群れた五秒と少しの間、ベレネトは常軌を逸した身のこなしで全ての雷を躱して見せた。
ばさり、無傷のベレネトが身に纏った外套が、魔力の気配を帯びて翻る。
「『外套』がなければ躱し切れなかったかもな。やっぱ強いな、あんた」
魔導器――否、魔剣と対を為す異能の防具、魔装か。
そんな暗色の謎を纏い、彼は嘯く。
「でもさ。あんたがどれだけ強くて速かろうが、あるいはどれだけ賢かろうが。意味ないんだよ。俺にはな」
同時、ベレネトが消えた。否、その俊足にて駆けたのだ。
ファルシエルは再び意識にて雷撃を構える。
室内の
だがまだ雷撃は撃てる、
果たして、その覚悟を感じ取ったか。
ベレネトはファルシエルの頭上を飛び――そのまま飛び越え、真っすぐ扉を目指して駆けた。
フェイント。残像。錯覚。幻惑。
否――
その可能性にようやく思い至り、ファルシエルは咄嗟にその背を追った。賊がいかに強くとも、その罪状は到底見逃せるものではない。
「っ、待ちなさい!」
「やだね」
だが、やはりベレネトの方が遥かに速かった。
黒い影は瞬きの間に研究室の出入り口まで辿り着き。廊下に出て扉を締める直前、嘲るように彼は言う。
「
「逃がすわけがないでしょう、待ちなさい――」
ばたん、扉が閉まり。
けれどその先にまだ居るだろうベレネトを逃がさぬために、室内を駆けたファルシエルは辿り着いた扉に手をかけて――。
――自分が扉に手をかけて居ることに、ファルシエルは漸く気が付いた。
気付けばそうしていた、というより他にない。脈絡のない夢を見ているような、あるいは今まさにその夢から覚めたような。けれど感じ取れる実感では、ここは現実に他ならない。
何かが……何かがおかしい。
これは、まるで……時間が飛んだような、感覚。
「……あれ? わたくしは、何を? 確か、リクシール様のお食事を持って来て……」
そうだ、確かに自分は、ひとり購買部に赴いた主人の為の食事を食堂から取って来た。
そして部屋に到着して、中に入り、いつもの机の上に食事を置こうとして……。
「あれ……持っていたお食事は、どこへ……? どうしてわたくしは扉に手を……?」
おかしい。やっぱり、何分か時間が飛んでいるような――。
どんどん、と。
目の前の扉を叩くノックの音が、ファルシエルの思考を中断させた。
『あのー、すいませーん』
「は、はい? 今開けます」
がらり、条件反射的に扉を開く。
そこには、片目を隠す長い前髪が特徴的な、暗い色の外套を着た青年が立っていた。
その姿を間近で目の当たりにして。
ファルシエルは、言う。
「――
その言葉に、
「ああ、俺はベレネトです。その『リクシール様』に用事があって」
声を聴いて、名を知って。
「えっと、ベレネトさん……は、リクシール様のお知り合いですか? どんな御用でしょうか」
「ああ、その――」
ぶすり。
体の中から、音。
衝撃、というには、余りにも違和感に似過ぎた感覚であった。
「え?」
間抜けな声が口から漏れる。
見れば、ファルシエルの腹に、短剣の刃が深々と埋まっていて。
突然の蛮行を成した青年は――否、理不の凶刃ベレネトは、本性を現し不死の耳元で嗤う。
「――『賢者の石』、貰おうと思って」
「ぇ――」
返事は出来なかった。
血管という血管に余さず茨が入り込んだようなとてつもない激痛が、貫かれた腹部からファルシエルの全身に広がったから。
短剣が――不死殺し、ヒュドラーガの鋼の毒牙がゆっくりと腹から引き抜かれ。
支えを失ったかの如く、ファルシエルは仰向けに倒れた。どさり。糸が切れたような、力ない動き。
致命傷。致命の一撃だった。
残留する沈んだ刃の冷たさに、腹から零れる鮮血の熱に、もう助からないと何となく理解して。
劇毒に侵されながら、ファルシエルは最後の呼吸で下手人へ問う。
「どうし、て……」
だが、青年は答えない。
代わりに彼はそれを告げる。
自らが殺した相手への、一瞬にして永遠の別れを。
「
固有魔法『
『相手に聴こえるように別れを言い』『相手の視界から消える』という二つの条件で発動。
それは世界に対する干渉であり、個人には一切の抵抗の手段がない。
発動した瞬間に効果は完遂され、術者に戦闘のやり直しと必殺の初撃を何度でも約束する。
即ち――自分に纏わる情報の一切を相手の記憶から消去する、完全忘却の呪いである。
『不死狩り』は確信する。
回避不能の凶刃とは、即ち、見知らぬ他人からの不意の一撃である。
絶対の暗殺方法とは、即ち、不死殺しの猛毒による一撃必殺である。
故に彼はその名を下された。魔剣と魔法にて不死を殺す、人間種最強の暗殺者であるが故に。
理不の凶刃ベレネト。
それは決して躱し得ぬ技と憶えておけぬ貌を持つ、不死にとっての生ける死神の忌み名である。