不死学園の人間種   作:龍川芥/タツガワアクタ

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人間種 禁忌錬成リクシール・パラディアス ⑤

 ――ヒュドラーガの不死殺しの腐毒。

 それは名の通り、不死を殺す為の猛毒である。

 その毒に解毒の薬はない。その毒に自然治癒の概念はない。

 その毒は一度侵されれば、最上の苦痛を以て肉体を蝕み、死ぬまで被害者を苦しめ続ける……被害者が死なぬのなら、豪傑さえ死を望む苦痛は永遠に。

 

 伝説に曰く。

 かつて『不死種』であった半馬種(ケンタウルス)、その神祖は、ヒュドラーガの毒に苦痛に耐え切れず再生能力を捨て死を選んだという。その結果全ての半馬種(ケンタウルス)も再生能力を失い、『不死種』から『不老種』に変じたのだとか。

 旧き時代を見た半馬種(ケンタウルス)は語る。あれほど高潔であった神祖ですら、毒の痛みに数年と耐えきれなかった。最後には同一人物とは思えぬほど見苦しく泣き叫び死んだ……まるでヒュドラーガの毒は、肉体だけでなく魂までもを蝕み腐らすようであると。

 果たして、最初からそうであったのか。あるいは世の第一法則、言葉にて語られた伝説によって世界の方が歪んだのか。

 ともかく、最も旧き時代の伝説の怪物、尽きぬ死のヒュドラーガの骸……その毒牙から今も流れ続けるその毒は、現代ではこう呼ばれることになったのだ。

 

 即ち、魂を腐らせる不治の苦痛。

 ヒュドラーガの不死殺しの腐毒、と。

 

 

 

 

 

 

 痛い。

 痛い痛い痛い。

 全身を激痛が駆け巡っている。苦痛が全身を融かしていく。

 動けば痛い。動くほど痛い。思考の暇などない、ただ痛い。

 足先から頭頂まで、錆びた鋸で無理矢理に斬られるような。

 体の内側で、猛毒の針を持つ毒虫が暴れ回っているような。

 地獄という言葉すら生温い、死んだ方がマシだと、自分の喉が正常に動いているなら「殺してくれ」と叫んでいるのだろうと確信できる、壮絶な激痛。

 

 ヒュドラーガの鋼の毒牙を突き刺された。

 ヒュドラーガの不死殺しの腐毒を受けた。

 その事実に善も悪も無い。現実として、ファルシエル・トレスはこれから死ぬ。

 

 伝説に謳われる猛毒に相応しい痛みだった。自分と言う存在を蹂躙する毒だった。

 それでも。

 それでも、死にゆくファルシエルの心を痛めるのは、たったひとつの感情のみ。

 

『つまり、『死』は『死』だ。それは永遠の眠りであり、自己連続性の断絶と現意識の喪失であり、即ち魂の消滅だ。それはオマエも同じだぞファルシエル』

『よく、わかりませんが。わたくしが死んでも、また「ファルシエル」がリクシール様のお傍でお仕えできるのなら……それはきっと、幸せなことだと思います』

 

「(ああ。わたくしは、なんて、莫迦な、ことを)」

 

 死の淵に在って。

 あの時の言葉の意味を、ファルシエルはようやく理解する。

 ()()は二度とリクシールに会えない。リクシールもまた、二度と()()に会うことはない。

 言葉を交わすことも、視線を交わすことも、もうない。

 永遠の離別。ファルシエル・トレスの終わり。

 それが捻くれた主の心を深く傷つけるだろうと悟って……だから、ファルシエルの心は砕け散りそうな程に、毒の痛みなど忘れるほどに強く痛んだのだ。

 

「(嫌われる、なら、いい。失望され、捨て、られる、なら、まだ、ましだ。けれど……リクシール様の御心を、御期待を、愛を裏切ってしまう、のは……喜ばせる、どころか、悲しませてしまう、のは……ああ、ああ……厭だ……!)」

 

 痛みの中で、奇跡を願う。

 もう一度会いたい。立って主の為に戦いたい。失敗を挽回したい。終ぞ果たせなかった()()()()に代わるだけの価値を示したい。

 声を聴きたい。眼差しに触れたい。何でもいい、命令を見事完遂し、オマエが居て良かったと、そう思って欲しい。

 どうか、あの何でもない朝の時間をもう一度――。

 

 けれど現実は残酷で。

 痛みは去らず、臓腑は融けて、もう目も見えず耳も聴こえず。

 きっと魂すら端から腐り落ちて。

 絶対の死へ、その底へ、意識はどんどんと沈んでいく。

 激痛の中。

 今は遠い遥か上、光の先にリクシールの姿が見えた気がして、星へそうするように手を伸ばす。

 

「(ああ。わたくしは、迷惑をかける、ばかり、で。どうか、こんな粗忽者のことなど、お忘れ、ください。お役に立てず、申し訳、ありません……リクシール、様……)」

 

 ――ぐしゃ。

 最後に何か音がして。

 それで、ファルシエル・トレスは死んだ。

 

 

 

 

 

 

 ずるり、と。

 名も知らぬ人造種(ホムンクルス)の頭蓋を貫いた刃を引き抜く。

 床に零れる血、脳漿。腹と頭を深々と突き刺し、そこからたっぷりと毒を注入した。いかに不死とて即死か、よくても一生動けないだろう。再生の予兆もない。『不死狩り』としての勘だが、もう死んでいる、と何となく分かる。

 

 即ち。

 殺し合いの勝者、理不の凶刃ベレネト。

 

「ふぅっ……あー、疲れた」

 

 強敵だった。

 現代における人間種最強の暗殺者、『不死狩り』理不の凶刃ベレネトと言えど、身一つでは勝てなかっただろう。

 彼が勝利したのは、ひとえに装備の差、襲撃者のアドバンテージが故だ。

 

 ベレネトの手には、ヒュドラーガの鋼の毒牙。不死殺しの毒を仕込んだ世に唯一の『量産型の魔剣』。

 腿のベルトには、無尽の双魔剣ヒオクエンラィ。いくら投げても手元に残る因果断絶、二刀一対の異国の短刀。

 腰に差すのは、ベレネトの速死の魔剣。刀身に触れたもの、飛来する雷撃すらを斬り落とす、未だ名も無き「速度殺し」の魔剣。

 そして纏う暗色の外套は、死避けの外套タルンカルフェ。装着者に他の鎧を許さぬ代わり、少し未来の攻撃軌道を触覚として感知・また回避行動を常に肉体の限界値で行える魔装。

 

 ベレネトはその悪行によって二つ名を下されるほどの『不死狩り』である。故に、殺した不死からの争奪、稼いだ大金による購入、()()()からの贈呈などの手段により、複数の魔剣・魔装を装備している。

 それは固有魔法と同じく、彼を最強の暗殺者たらしめる必殺必勝の武装であった。

 

「魔導器は……持って無いな。雷は魔術じゃなく魔法か。あれば良い値で売れると思ったのに」

 

 今しがた殺した死体を検め、魔導器や魔装の類を持っていないこと、改めて復活・再生の予兆がないことを確認し……用心深い彼をして、完全に死んだ、と判断して。

 ベレネトは立ち上がって、室内の物色を再開することにした。

 

 と、戦闘直後の冴えた五感が故か。

 こぽこぽと、気泡が浮かぶ音がするのをその耳が捉えた。

 直感的に音のする方へ移動し……そして、ベレネトは見た。

 

「これは」

 

 それは、天井まで届くほど大きな、錬金術師の培養槽。

 液体で満たされた円柱型の槽の中には、先程殺した人造種(ホムンクルス)にそっくりな体が浮いている。

 

 それを見て、ベレネトは又聞きの知識を思い出した。

 

「(確か人造種(ホムンクルス)という不死は、死んでも別の体で復活できると聞いた事がある……念のため壊しておくか。自動で復活する術式とか組み込まれてたら面倒だ)」

 

 先の人造種(ホムンクルス)は強かった、できれば二度と戦いたくない。暗殺者たるベレネトは気狂いの戦士などと違い、強者との戦いなど望まないが故に。

 

 ともかく、ベレネトは培養槽へ刃を振るった。

 奔った銀閃が硝子を四角に断ち、溢れた液体と共に、女の体がごろりと床に転がる。生気の無い、人形じみた――あるいは死体じみた動作だ。

 当然、刃を突き立てるのも簡単だった。念のためヒュドラーガの鋼の毒牙で首を切断しておく。

 実は既に意識が移っているのではと警戒していたが、実際はあっけないほど簡単に終わった。

 

 ファルシエルを殺し、予備の体も殺し。

 ようやくベレネトは一息を吐く。

 

「よし、これで復活はない。後は金庫を――」

 

 ……つかつかつ。

 足音。それが近付いて来るのを、ベレネトの鋭敏な聴覚が捉える。

 かつかつかつ。

 速足に廊下を歩く音。いやに規則的で冷たい音。

 かつ。

 足音が立ち止まる。開いたままの扉の前で。

 

「――ファルシエル」

 

 足音の主は、目の前に転がる死体の名を呼んだ。

 泣くでもなく、怒るのでもなく。ただ「やっぱりそうなったか」と実験中の学者が呟くみたいな、熱の籠らない声だった。

 ただ……がり、と。歯を砕かんばかりに食いしばる音が聴こえた、ような。

 

 ずかり、と。

 白衣を纏ったその男は――禁忌錬成リクシール・パラディアスは、迷うことなく室内に踏み込んで、すぐにベレネトの姿を見つけた。

 

「……テメエ、警報を鳴らした侵入者だな」

「はぁ……やれやれ、今日は邪魔がよく入るな」

 

 対するベレネトに焦りはない。

 何故なら……リクシールが纏う魔力、歩き方立ち方に重心、武装。

 それで、最強の暗殺者には分かってしまったから。

 

「でも、良かったよ――今回の邪魔者は強くない」

 

 一瞬だった。

 リクシールの体が床に引き倒され、その首に触れるか触れないかの距離に鋼の刃が突き付けられる。リクシールに出来た反応は、その速さに目を見開く事だけで、それで勝負は着いていた。

 錬金術師としては最優でも、戦士としては素人同然――そんな相手に覆い被さり、ベレネトは喉元に突き付けたナイフを揺らしながら問う。

 

「あんた、リクシール・パラディアスだよな? 丁度いい、『賢者の石』はどこにある?」

「……ファルシエルを殺したのはッ、」

「あの人造種(ホムンクルス)のことか? なら、俺」

 

 瞬間、リクシールの手がポケットに向け動く――それを足で踏みつけることで完璧に止め、ベレネトは尚も刃を突き付けたまま言葉を続ける。

 

「次は俺の質問に答えろよ錬金術師。()()()()()()()()()()()()()

「――はッ。『不死』は人間じゃねえとでも言いたげだなオイ」

「? そんなの当たり前だろ。不死なんて何を考えてるか分かったもんじゃない。あいつらは悪魔と同じだ、隙を見て人間を支配して、家畜として殺して食うつもりなんだよ」

「……それ、本気で言ってんのか?」

「だったらなんだよ。それとも、あんたは不死の味方をする人間の裏切り者か?」

 

 問答の間も、ベレネトに一切の隙は無かった。

 

 リクシールは常に、複数の粉末や錬金術藥を持ち歩いている。

 それは組み合わせによっては、死者の魂が天に昇る奇跡を演出できたり……あるいは有毒ガスを発生させたり、大爆発を起こしたりと、実に多様な反応を発生させることができる。

 ベレネトはそのことを知らない……だが、彼はリクシールが指先ひとつ動かすことも見逃さない。

 

 普段のリクシールならば、どんな状況でも覆せるよう様々な細工・仕込みをしただろう。例えば、時限式で至近の他者を殺せるよう予め薬品を反応させておいたり。

 だが、今回はそうしていなかった。購買部からこの研究室まで、徒歩で充分な時間があったのにも関わらずである。

 ……冷静さを欠いていた。そう認めざるを得ない。

 それは彼女の死体を見た時もだ。まさか、自分が……論理的思考と予測計算を放棄して、()()()()()()()()()()()()()、など。

 

 その過ちの代償が、今喉元に突き付けられている、猛毒に濡れた刃である。

 

「知ってるだろ、ヒュドラーガの不死殺しの腐毒。解毒薬なんてどこにもない、どれだけ再生能力が高かろうと、永遠に続く痛みで先に魂が腐って死ぬ最悪の毒だ。

 あんたは『賢者の石』で不死になってるらしいが、この毒の前じゃ関係ない。この切っ先でちょいとつつけば一生頭痛に苛まれ、刃が半分沈めば数年たっぷり発狂して死に、全部なら体の内側から溶けて即死だ……再生能力が高ければ、今言った地獄は長引くけどな。イヤなら早く『賢者の石』をくれよ。人間を痛めつけるのとか趣味じゃないんだよ、俺はさ」

 

 死避けの外套タルンカルフェ、その限定的未来知覚によりリクシールの反撃が無い事を知っているベレネトは、自らの絶対優位を示すように言葉を重ねる。あるいは、本当に『人間』を加虐することに抵抗があるのか。

 それを受け、リクシールは嘲るように鼻を鳴らした。

 

「はッ。交渉になってねえよそりゃあ。これだから莫迦の相手は嫌なんだ――」

 

 言い終わる前に。

 リクシールの肩口に、ヒュドラーガの鋼の毒牙の切っ先が触れた――否、僅かに沈んだ。

 瞬間、爆発するように激痛がリクシールの肩を、全身を貫く。

 

「ぐ、あああああああああああああああ……ッ!!」

 

 苦悶の叫びはプライドの高いリクシールにすら我慢できぬもので。ベレネトが抑えていなければ間違いなく床をのたうち回っていただろう。

 しかも、激痛は一向に消える気配がない。寧ろ根を下ろしたかのように、リクシールの体内で暴れ回っている。

 

「これで脅しじゃないって分かってくれたよな? それとも、まだ分からないバカなのか、あんたは?」

 

 ぎらり、掲げられた魔剣は、今や空気さえ腐らせるようで。

 

 リクシール・パラディアスは伝説再演(レジェンダム・レクエンㇲ)を使えない――否、()()()()()()()使()()()()()()。故に、彼にその刃を退ける切り札は無かった。

 

 だが。

 終わる事のない激痛に苛まれ、脂汗を滝のように流しながら。

 それでもリクシール・パラディアスは、いつも通りに鼻を鳴らした。

 

「……はッ、知ってっか? ヒトってよ、頭のデキが違い過ぎると、会話が成り立たなくなるんだってよ」

「?」

 

 言葉の意図を図りかねた賊に、リクシールは口の端を吊り上げ吐き捨てる。

 

「要するに……テメエみてえな莫迦とは話すだけ無駄だ。分かったら死ね、莫迦」

「――あっそ」

 

 そして。

 ベレネトが降り下ろした魔剣は、リクシールの胸の中心に深々と突き立った。

 鋼の毒牙が。ヒュドラーガの不死殺しの腐毒が、リクシール・パラディアスの体内に潜り込んで。

 

「が、は――ッ」

 

 ぐるん、と白目を剥いて動かなくなった錬金術師を見て、ベレネトは突き立てた刃を引き抜いた。噴き出した人間の鮮血が、数滴、その暗い外套を汚す。

 それも特段気に留めることなく、立ち上がったベレネトは刃に着いた血を掃った。

 

「……悪いな、錬金術師。関係の深い人造種(ホムンクルス)を殺されて怒ったんだろう? なら、俺とあんたと同じだよ……()()()の為なら、俺はいくらでもバカになれるんだ」

 

 解毒法などない不死殺しの腐毒を受けた以上、死ぬにしろ生きるにしろリクシール・パラディアスは動けない。

 つまり、もう邪魔者は居ない。

 

 そうして理不の凶刃ベレネトは、遂にその扉の前に辿り着いた。

 目を付けていた、壁に備え付けられた巨大金庫の扉である。

 

「さて、この金庫だが……ヒュドラーガの毒なら融かせるよな?」

 

 金庫の鍵は魔術による人物認証術式……当然、真っ当な方法で開ける選択肢など無い。

 

 分厚い金属製の扉に、魔剣、ヒュドラーガの鋼の毒牙を押し当てる。じゅう、という音と共に扉は融けた。どれだけ硬い金属でも、不死殺しの腐毒にかかればこの通り。

 剣閃が奔る。ベレネトの剣技と毒の威力が相乗して、すぐに金庫の扉には人が入れるだけの大穴が空いた。

 

「よし。さて、中には一体何が……」

 

 そうしてベレネトは、開けた穴から巨大金庫の中に入る。

 暗い。ベレネトは懐からランタンを取り出し周囲を照らした。単純な仕組みの魔導器だが、それで室内を見通せるようになる。

 

 金庫の中は、独立した部屋のようだった。

 四角い空間は広く、人ひとり程度なら充分暮らせるくらいの広さがある。端の棚に積み上がっているのは、恐らく極秘の研究資料か何かだろう。金銀財宝の類は見当たらない。

 そんな金庫内で最も目を引くのは……中心に鎮座した横向きの培養槽、その中に浮かぶ、1人の少年の姿だった。

 

「これは……子供の、死体?」

 

 ベレネトがそう感じたのは、培養槽が余りに棺じみていたからだ。また少年には人造種(ホムンクルス)特有の人外の美しさや色素の薄さなどはなく、培養槽の中でも身に纏ったままの衣服は小汚い印象が強い。ただの人間、貧相な子供、という言葉がしっくりくる。

 人体実験のため、どこかのスラムから子供を攫ってきた……そう考えることもできるのだろうが、しかしベレネトには、どうにもそういう風には見えなかった。

 室内の培養槽はこれひとつ。更に金庫内の内装は、どうもこの横向きの培養槽を中心に配置されているように見える。縦向きよりスペースを取るだろう横向きの配置に、床に広がった複数の配線。そこには奇妙にも、この子供への『敬意』のようなものが感じられるのだ。

 

「これは一体……」

 

 好奇心か、それとも宝を嗅ぎ分ける賊の嗅覚か。

 ベレネトが培養槽に付けられたプレートに顔を寄せる。この子供は何者なのか。生きているのか、死んでいるのか。

 そして、彼はそこに書いてあるものを見て。

 

「? どういうことだ? なんで――」

 

 その時だった。

 

「――クック。『賢者の石』をお探しか? クソ莫迦」

「!?」

 

 背後から聞き覚えのある声が飛んできて、慌ててベレネトは背後を振り向いた。

 金庫扉、その大穴。そこに()が立っている。

 その何でもないような事実が、しかし、百戦錬磨のベレネトを過去最高に動揺させた。

 

「……バカな。なんで、生きてる。いや、なんで平然としてる!? ヒュドラーガの毒の痛みは気合いで耐えれるような生易しいものじゃないぞ……!?」

「はッ、やっぱテメエはクソ莫迦だな。『賢者の石』は知ってるのに、この伝説は知らなかったのかよ、オイ」

 

 いつものように鼻を鳴らして嘲り笑い。

 彼は――不死殺しの腐毒を受けたハズの錬金術師、禁忌錬成リクシール・パラディアスは、何の痛痒も感じていない余裕そのものの態度で伝説の一節を諳んじる。

 

「『賢者の石』は所有者を不老不死にする。そして――触れた液体を変質させ、あらゆる傷病を癒す万能薬(エリクサー)を生み出す」

「……! まさか、『エリクサー』はヒュドラーガの不死殺しの腐毒を解毒できる……!?」

 

 解毒法など存在しないとされた、旧き伝説に謳われるヒュドラーガの不死殺しの腐毒。

 だが、同じく実在を疑われた伝説の錬金術藥、『賢者の石』によって生成されあらゆる傷病を癒す万能薬(エリクサー)ならば……有り得る。

 

「いや、それでも有り得ない! 『賢者の石』がエリクサーを生み出せるとして、エリクサーがヒュドラーガの毒を解毒できるとしてもだ! その『石』はこの金庫の中にあるんじゃないのか!?」

 

 そうだ、わざわざ研究室内にこんな巨大金庫を取り付けているのは、貴重な『賢者の石』を守るためのものなのでは。

 そう叫んだベレネトを前に、にぃ、とリクシールは口の端を吊り上げた。

 

「ああ、俺が作った欠陥『賢者の石』は()()あってな。なにせ――」

 

 ぐい、と。リクシールが上着を捲る。

 その胸部。本来心臓があるはずの位置に、赤く丸い何かを埋め込んだ膨らみがあった。

 正常な人体には決して存在しない異形の隆起。

 どくん、どくんと肌一枚下で鼓動するように明滅する光の不気味(グロテスク)さたるや。

 僅かに皮膚を盛り上がらせる、しかしそれ以上の存在感を放つ『何か』。

 ああそれは、まるで拳大の石でも体内に埋め込んでいるようで――いや、まるで、ではない。だって、それは。

 

「――ここに埋め込んどかねえと、不老不死にはなれねえからな」

 

 リクシール・パラディアスの体内にて脈動する赤い石。

 それこそが錬金術師の伝説に謳われる完全なる物体、そしてリクシール・パラディアスがその伝説より現代に引き摺り出した不老不死の秘法――。

 

 ――名を、リクシールの賢者の石。

 

 ぱさり、捲った上着を元に戻し、リクシールは講義じみた口調で語る。

 

「お陰で俺の老化は完全に停止し、血液は常時(いつでも)エリクサーに――どんな傷でも即座に完治させ、どんな病や猛毒も瞬時に解毒する万能藥に変換できる。ま、石も薬も()()()の欠陥品だが、賊の不意打ちでうっかり死なねえ程度には役に立ってるな――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。否、ベレネトが語らせなかった。

 再び。その俊足で距離を詰めリクシールの肩口を掴み、乱暴にその場に引き倒す。ぎらり、禍々しく輝く刃を掲げながら、ベレネトは簒奪者の欲望に嗤う。

 

「やっぱりバカはあんたの方だ、それが分かれば抉り出せば良いだけだろッ」

 

 しかし。今にも振り下ろされん刃を前に、此度のリクシールは余裕綽々で鼻を鳴らした。

 

「はッ、オイオイマジかよ。まだ分かんねえのか?」

「はぁ? なにを――」

「オマエの言う通り、勝てなきゃ逃げるに決まってんだろ莫迦が。そうしないってことは、どう考えても――()()()()()()()()()()、ってことだろうがよ」

 

 瞬間――死避けの外套に、反応。

 背を焼く未来の感覚に咄嗟に体を投げだせば、直後、残像を()()が貫く。

 

 ぐるり、受け身を取って魔剣を構えて。

 雷撃を完全に躱し切ったにも関わらず――ベレネトの内心では、驚愕が落雷じみてその冷静さを打ちのめしていて。

 何故なら、()()は――。

 

「……そんな、まさか。こっちこそ完全に殺したハズだ、解毒どうこうの問題じゃない、死んだのも確かに確認した! 復活する体も、壊し、て――」

 

 言葉は続かない。だって、彼の目の前に居るのは。

 

 ――否、違う。

 顔立ちは同じでも雰囲気が違う。

 齢が違う。表情が違う。

 それでも今は、それら全てが無意味だった。

 

 何故なら、彼女のその背。その後光。

 ()()()を、ベレネトは幾度となく目にしたことがあるから。否、その形を知らぬ者など、ベレネトが知る限りでは居ない。

 

「まさか……まさか! だって、それはまるで」

「そうだ。コイツはただの人造種(ホムンクルス)じゃねえ。対外的にはそう言い張ってるけどな」

 

 ――ファルシエル。

 そこに居たのは間違いなく彼女。

 だが、違う。顔立ちは同じだが、纏う気配は血の通わない機械に似て。

 齢も美女のそれから十は幼く。表情は超然とした神威に満ちて。

 それでもやはり、それら全ては無意味である。

 

 何故なら、彼女のその背、その後光。

 何に支えられる事もなく、円状の光帯がその背後には浮かんでいた。

 彼女自身を含めたそのシルエットは、丁度、円を(ひとかげ)が貫くように――即ち『Φ』の形のように。

 

 嗚呼それは、墓石にも使われる『聖字架』の形。

 翼たる光輪(ヘイロー)を背に携えた、その存在の名こそ。

 

 

「偽典のファルシエル――コイツは、俺が作った人造天使種(エンジェル)だ」

 

 

 それは、聖典には第七翼までしか登場しない天使、その有り得ざる第八翼。

 非実在の存在と謳われ、1000年以上地上には確認されて居なかった幻想の種。

 神の意志を伝える者。絶対の代行者。悪魔と対を為す不滅の種。

 ――()使()

 誰もが知り、しかして誰も知らぬ筈のその存在は、今、理不の凶刃ベレネトの眼前に。

 

 天使種(エンジェル)、偽典のファルシエル。

 その天の御使いを地へと堕とし、主の奇跡を人の身で成してしまったことこそ――赦されざる禁忌にして、『賢者の石』を作った錬金術師の二つ目の偉業。

 

 一度目は、世の理たる死を否定する『賢者の石』で。

 二度目は、主の代行者にして信仰の対象たる『天使』の捏造(創造)隷属(使役)で。

 神の領域という禁忌を二度も犯した空前絶後の大錬金術師は――名を、禁忌錬成リクシール・パラディアスと言った。

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