不死学園の人間種   作:龍川芥/タツガワアクタ

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人間種 禁忌錬成リクシール・パラディアス ⑥

 神聖教の聖典に曰く。

 主は大きさの違う七つの光輪(ヘイロー)を持つ。それら翼が独立した肉体と意思を与えられ、主の代行者として行動するのが『天使』なのだと言う。

 天使たちはそれぞれ異なる名と能力を有し、死しても同存在として復活する不滅の存在である。また全ての天使は、死者の魂を天上の楽土へ導く役割を持つとされる。

 天使種(エンジェル)。神聖教においては『聖字架』のシンボルともされる、主に次ぐ信仰の対象である。

 

 だが、それは近年制定された『聖典』の話。

 長年を掛けて世に広まった主の伝説、方々で語られるそれによっては、天使の数が異なることも多い。

 例えばそれは、天使は無数に存在し全ての信者をそれぞれ見守っているのだという『守護天使論』。

 あるいは、天使など非実在の存在であり、主以外のものに信仰を向けるのは不敬であるという『天使不在論』。

 聖典の平定に従って『偽典』とされた数多の論たち。その中で最も有名なのが、次に語られる論である。

 

 曰く――聖典に語られぬ、『八翼目の天使』が存在する。

 それは力も、姿も、何をしたのかも……そしてその名すらも知られぬ謎の天使。

 だが、奇妙なことに。特に縁の無い、距離の離れた多数の地方で、その伝説は共通に語られているのだ。

 ただの根拠のない噂なのか。それとも理由あっての伝承なのか。真実は誰にも分からない。

 

 ただひとつ確かなことは――とある天才錬金術師が、その『偽典』に目を付けたということだけである。

 

 

 

 

 

 

 その羽搏きに音はなく。

 無音のままに、浮いていた足先は床に触れ。

 そうして天使は降り立った。降臨、という言葉が相応しい神々しさで。

 

 偽典のファルシエル。背に翼たる光輪(ヘイロー)を有する八翼目の天使。

 人外の美すら霞む美しさは、しかし彫刻がそのまま動いているような、非生物的な冷たさと同義である。

 その目は全てを見透かすが如く。その顔は超然としながら、ただ在る。

 きぃん、と光を放つ背の光輪もまた、どこか機械的な響きを帯びて天使を飾る。

 

 それこそが神の代行者。

 地上の生物とは一線を画す、生と死を超越した存在。

 

 そんな天使は今、錬金術師、禁忌錬成リクシール・パラディアスの前に傅いた。まるで神話に語られる光景のように恭しく。

 

「――主よ。絶対の御方、我が偉大なる創造主よ。あなたの第八翼たるファルシエルは、ここに再臨、しました。どうぞ、何なりとご命令、を」

「……」

 

 敬虔な信者であれば涙すら流すだろうその美しき姿を、福音の声を前にして、リクシールはしかし眉を顰める。

 

 ……幼い。()のファルシエル――ファルシエル・トレスと比べると、明らかに幼い。口調も少したどたどしく思えるし、表情は感情が欠落しているのではと言うほど冷たく固い。

 外見も、中身も、一定時までの記憶も、寸分違わず同じ肉体(ボディ)を錬成し用意していたというのに……いや、そうか。

 

「おいファルシエル……オマエ、『受肉』していないな? ちッ、そうか、スペアボディまで壊されたか……」

「はい、主よ。わたしは……ファルシエルは受肉してない、です。お、お怒り、ですか?」

 

 リクシールはファルシエルが『復活』する際、自動的に錬成した人造種(ホムンクルス)の肉体に『受肉』しての復活になるよう予め術を組んでいた。

 それはベレネトに殺害されたファルシエル・トレスも同じで、それによってファルシエル・トレスは人造種(ホムンクルス)の肉体に受肉した、半人造種・半天使種とでも言うべき存在となっていた……故に彼女は天使でありながら、人と同じく臓器や血液も有していたのだ。

 だがその受肉用の肉体までもがベレネトによって破壊された結果、()()()()()()()()()人造種(ホムンクルス)の肉体を持たない純粋なる天使として顕現してしまったらしい。

 それによる利は二点。害は、特大のが一、それ以外にも考え付くだけで軽く十以上はある。

 

「――まあ良い。緊急事態だ、分かってるな」

 

 それら言いたい事の全てを呑み込んでリクシールが言えば、ファルシエルはこくんと機械みたいに頷いた。

 

「はい、主よ。神敵を排除、します」

 

 そうして再び浮かび上がり、振り向いた天使の双眸が捉えるのは――未だ衝撃から脱せておらぬ、『不死狩り』、理不の凶刃ベレネト。

 だが、賊の体を縛るのは天使への信仰でも、天使を受け入れられぬ動揺でもない。

 ベレネトは、嗤う。眼前の存在が、大金に換えられる存在であると確信するが故に。

 

「ははっ……やっぱり居たのかよ、天使! あんたを売ればいくらになるんだ……!? 金貨1000枚、5000枚……? 『賢者の石』と合わせれば想像もできないほどの金になりそうだ!」

 

 半狂乱の様で叫び。

 狂笑を湛え、人間種最強の暗殺者は刃を構える。

 利き手にヒュドラーガの鋼の毒牙。もう片手にベレネトの速死の魔剣。無尽の双魔剣ヒオクエンラィは小指と薬指で挟み、いつでも投擲できる姿勢で腕を交差。

 猛獣が如く身を沈め、死避けの外套を翻し。

 人間種にして『不死狩り』、理不の凶刃ベレネトは、その欲望によって天使を(ころ)す。

 

「頼むから死んでくれるなよ、天使――!」

 

 そんな『不死狩り』に対するは、天使種、偽典のファルシエル。

 そして彼女の主たる人間種、禁忌錬成リクシール・パラディアス。

 賊の狂わんばかりの哄笑に対し。史上最高の錬金術師は、実に下らんと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「はッ、つくづく救えん莫迦だな、オマエ」

 

 その音が合図であった。

 

 ベレネトが前兆さえなく床を蹴る。

 敵の虚を突く暗殺者の技は、極めればその五体を知覚さえ許さぬ風へと変える死の一歩。

 世界の方が遅れるが如きその速度は黒い雷光そのものであり、突き出される刃は更に(はや)い視認不能にして必中必勝。

 ファルシエルには一度勝っている。その経験が言っている。この一歩の後、ベレネト最速の攻撃は、反応すら許さず天使の肩口に突き刺さる――。

 

 ――外套、反応。

 

 咄嗟に足を止め盾のように突き出した速死の魔剣、その刀身が、砲弾の如く襲い来た雷撃を奇跡的に捉えた。

 雷撃の『速度』という概念が死に、必殺の一撃は霧散する。

 断末魔の如く散る火花の中、しかしベレネトは戦慄する。

 

 半歩だ。

 彼我の距離を一瞬で零にできるはずだった一歩は、予定の半分を超えたかという程度で止めさせられた。ファルシエルの反撃を迎撃するには、そうする他に無かったが故に。

 反応すらされぬはずだった。まして魔法による反撃など、計算にも入れていなかった。

 それが意味する所は、つまり。

 

「(魔法発動が速くなってるだと……!? 見た目と同じく個体差でもあるのか!? それともあの『翼』の影響か!?)」

 

 続く雷撃も更に速く。

 一撃、二撃と魔剣で受けて、遂に反応しきれなくなって後退する。

 距離を取らされ歯噛みするベレネト、その姿を眺めながら、傍で見ていたリクシールはにこりともしないまま言った。

 

「おおかた、ファルシエル・トレスの奴を殺って自信を付けたんだろうが。

 天使にとって『受肉』、人間の肉体との同調など枷にしかならん。諸事情で俺の許可なく肉体を捨てれんようにしたんだが、ご丁寧にも誰かさんがその肉体を壊してくれたんでな……要するに、今のコイツに枷はない。正真正銘、神話の天使サマのフルパワーって訳だ」

「……!」

 

 反論の代わりに投げた小刀は、やはり半分を飛ぶ前に雷撃に撃ち落とされる。

 ここに来て、ベレネトは漸く理解した。

 

 ――勝てない。少なくとも正面戦闘では。

 

「(……落ち着け、金庫は開いたんだ! 錬金術師リクシールは『賢者の石は二つある』と言っていた! 金庫の中の『石』さえ貰えれば、無理に戦う必要は無い!)」

 

 ベレネトの目的は金だ。『賢者の石』さえ盗めれば、命懸けで戦う必要など無い。

 そう判断し、ベレネトは俊足で再び金庫の中へ入り込んだ。

 

 む、とファルシエルが戦闘開始から初めて困ったような反応を見せる。

 

「……主よ」

「――はッ、なんだ、その辺の記憶は引き継げてんのか。なら言うまでもねえ、『アレ』だけは壊すな。オマエの力なら可能だろう」

「拝命、しました」

 

 そんなやり取りの間にも、ベレネトは俊敏に動いている。

 

 狭い金庫の中を超速で立体機動し、超人的な知覚速度で石を探す。

 リクシールの胸部に埋め込まれたのと同じなら、『賢者の石』とは拳大ほどの大きさで赤色の石だ。光も僅かに放っていた、暗く障害物も多いわけではない金庫の中にあるのなら、ベレネトが見逃すはずはない。

 だというのに。

 

「『石』が、ない……!?」

 

 少ない物陰や隠し場所の全てを探しても、『賢者の石』は見つからない。

 何故。あるいは……金庫の中心、培養槽の中の子供が持っているのか。

 そう考えだした時だった。

 

「――残念だが。そこにオマエの欲しいモノはねえよ」

 

 金庫の入り口。

 開けた大穴から、リクシールの声が金庫内のベレネトまで届く。嘲る、というよりは、心底呆れたというような錬金術師の声が。

 

「考えなかったのか? 天使種(エンジェル)なんて伝説の存在を成立させている(モノ)が何か。はッ、これだから莫迦は始末に負えねえな」

「……まさか。二個目の『賢者の石』は、最初から――」

「ああ。最初から俺は、その金庫の中に『石』があるなんて一言も言ってねえよ、莫ァ迦」

 

 禁忌錬成リクシール・パラディアスの伝説再演(レジェンダム・レクエンス)、『第一禁忌・賢者の石(ラピス・フィロソフィ/リクシール)』。

 『リクシールの賢者の石』……その発明は、リクシールの超級の才能と寝食すら捨てる執念じみた努力、そして多くの偶然と幸運が組み合わさる事によって生み出された、本来二度と再現はできぬ奇跡の結晶。

 その奇跡の結晶を、それを作ったという過去の事実によって複製する技――正確には再現ではなく常時発動による世界の上書き、「実際はどうであれ二つ目が()()()()()()()」技こそが、リクシール・パラディアスの伝説再演(レジェンダム・レクエンス)

 

 そうして生み出された史上二つ目の『賢者の石』は……偽典のファルシエル、その心臓部に埋め込まれ、有り得ざる天使を成立させる核としてのみ機能していた。

 

 そんなファルシエルが……背丈の低い天使が、一歩、金庫の中に入って来る。その背に浮かぶ翼たる光輪が、咎めるように暗中に居たベレネトを照らす。

 

 当然、金庫に出入り口はひとつしかない。その出入り口、扉に空けた大穴は、今ファルシエルによって塞がれた。

 袋の鼠、である。

 

「ファルシエル、()()()()()の仇だ。絶対逃がすな、何やっても文句は言わん。任せた」

「――拝命、しました」

 

 ばちり、雷撃の前兆が空間を焦がす。

 其は天上より降りしもの。其は主の敵を焼き尽くすもの。

 即ち、最速にして致命たる『天の槍』。ことさらこの逃げ場のない狭い空間では、さしものベレネトにも回避は出来ず、その体は一秒の後には魂ごと雷撃に焼き焦がされる――。

 

「――まだだ!」

 

 絶体絶命の状況にあって、しかし理不の凶刃ベレネトは咆えた。

 そうだ、彼にはまだ奥の手があった。その悪行によって『無限碑』に二つ名を刻まれた彼には。

 

 

 人、あるいは不死には、『一生に一度の奇跡』というものがある。

 才能、幸運、環境、精神――そういうものが偶然に噛み合い相乗して、潜在能力の限界、あるいはそれ以上の結果を残すことがあるのだ。

 当然全てがそうではないが――偉業、伝説の域に届いたその奇跡は、遥か塔国の『無限碑』を通して歴史に、第一世界情報(アカシックレコード)に刻まれる。

 一生に一度の、二度と手の届かないだろう奇跡の結果。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――それこそが『伝説再演(レジェンダム・レクエンス)』。

 己の成し得た奇跡を武器とする、二つ名を与えられた英雄にのみ――あるいは二つ名を下された大悪党にのみ許されし、運命超克の絶技である。

 

 

 二つ名を持つ者のみに許されし奥の手。

 即ち、己が伝説の再現。

 否、理不の凶刃ベレネトの場合は――その悪行、悲劇の再演。

 

 天使を前にも誓いは消えず、全てはひとつの悲願の為に。

 我が忌み名はベレネト――不死を狩る理不の凶刃、無影無貌の暗殺者である!

 

「レザミスの里の勦滅(そうめつ)を此処に。遍く不死よ、我が刃を、そして我が刃の忘却を畏れよ。これは不死を狩る理不の凶刃、復讐にして悪逆の一撃なれば! それでは皆様さようなら、これで永遠にお別れだ」

「! しまった、コレは――!」

 

 紡ぐは歴史に刻まれた悪行の一節。

 示すはレザミスの隠れ里、攻略不能と謳われし里をほぼ単騎で滅ぼした、最強最悪の『不死狩り』の姿。

 我が手に不死殺しの魔剣。我が胴に死避けの外套。我が名も貌も、一秒後には全てが彼方。

 世界よ、我が忘却の呪いを受けよ――。

 

悲劇再演(レジェンダム・レクエンス)――其、理不の凶刃(プリムス・コンヴェントゥス)!!」

 

 瞬間、雷撃に打ち据えられる寸前だったベレネトの姿が水面の像の如く歪む――否、世界そのものが歪曲される。

 

 理不の凶刃ベレネトの悲劇再演(レジェンダム・レクエンス)。それは彼の固有魔法『瞬く面忘(スビトゥムヴァーレ)』の条件を強制的に満たすというもの。

 レザミスの隠れ里を滅ぼせし、げに恐ろしき忘却の呪い。

 それは謎の放浪者を迎えた長耳種(エルフ)たちに、仲間を殺した怨敵を、恋人を血に染めた犯人を――その姿を、抱いた恨みと憎しみを、その全てを忘却させ、そして再び謎の放浪者として不意を突き殺す。その悪行を、かの理不の凶刃を具現する技。

 

 固有魔法、『瞬く面忘(スビトゥムヴァーレ)』。

 『相手に聴こえるように別れを言い』『相手の視界から消える』という二つの条件で発動する忘却の呪い。だが悲劇再演(レジェンダム・レクエンス)によって、条件無視で魔法は発動する。

 相手の視界から消えることで魔法が発動する。即ち魔法が発動したということは、ベレネトは相手の視界から消えたということである――。

 因果の逆流現象によって、ベレネトは相手の死角となる付近の座標に無作為に転移する。

 それは超速による移動ではない。それは幻惑の技ではない。それは正真正銘の第三法則の超克、世界の書き換えによる『空間転移』である。

 

 瞬間。

 リクシールの目の前で空間が歪み、金庫の外にベレネトの五体が出現する。

 

「な、どうやって――」

「(よし、金庫の外!)」

 

 ベレネトの悲劇再演(レジェンダム・レクエンス)は、彼に必勝の運命を約束するものではない。彼の二つ名は強者相手に正々堂々と戦い勝利した――即ち不可能を成した奇跡の偉業ではなく、騙し討ちに近い虐殺という悪行の末に与えられたもの故に。

 だが何も問題はない、とベレネトは確信する。『瞬く面忘(スビトゥムヴァーレ)』の成立こそが、即ち彼の必勝の約束に他ならないのだから。

 

 ファルシエルの視界からは逃れた――故に、ファルシエルはベレネトに纏わる一切を、戦意や殺意すらも間違いなく忘却した。

 転移位置の関係でリクシールの視界からは逃れられていない――リクシールには忘却の呪いが作用していないが、彼自身にベレネトに反応できる反射速度はない。故に問題はない。

 

「(仕切り直しだ、このまま部屋の外へ! 錬金術師にも俺を忘れさせ、不意打ちで天使を貰ってやる――)」

 

 『瞬く面忘(スビトゥムヴァーレ)』。

 それは世界に対する干渉であり、個人には一切の抵抗の手段がない。

 発動した瞬間に効果は完遂され、術者に戦闘のやり直しと必殺の初撃を何度でも約束する。

 即ち、自分に纏わる情報の一切を相手の記憶から消去する、完全忘却の呪いである――。

 

 決まれば必勝の技を確実に決める悲劇再演(レジェンダム・レクエンス)は、正しく必勝の技に他ならない。そうベレネトは確信して笑い。

 

 外套、反応――!?

 予想外のことに、一瞬、ほんの一瞬だけ体が強張り回避が遅れた。

 それが致命の隙であった。

 

 空間に奔った雷撃が、躱し切れなかったベレネトの腿に掠り。

 ばちん、と。

 ベレネトの全身を電流が駆け巡って、筋肉の収縮により肉体の自由が簒奪された。

 

「(バカ、な。あの天使は俺を忘れた、そのはず、なのに――)」

 

 白色の雷撃に焼かれた思考が抱くのは、その疑問ただひとつのみ。

 確かに魔法は発動した。天使ファルシエルはベレネトについての一切の記憶を失ったはずである。

 更に彼女は金庫の中で、自分は金庫の外。視認すらされていないはずなのに、なぜ自分は攻撃されたのか――。

 

 頭蓋の内を廻るその疑問さえ、受け身を取れず床に倒れた衝撃で泡と散る。

 ベレネトは今の今まで考えもしなかった――致命の不意打ち、その魔法に対処されたとき、それが一転して自分への致命の不意打ちになることなど。

 

「ぐ……体、が……!」

 

 電撃は、掠めただけで体内に帯電しベレネトの体から自由を奪う。

 素早く立ち上がるどころか、辛うじて膝を突くのがせいぜい……そんなベレネトの視界に光が差す。

 

 いつの間にか。

 その天使は彼の目の前に浮かんでいて。

 冷然とベレネトを見下ろす双眸には、確かに殺意の色があった。

 

()()()()()()()()()、その存在と生存を確認、しました。排除続行、します」

 

 きぃん、と背の光輪が鳴いていた。

 

 そも天使とは、目のみで世界を捉えてはいない。

 その翼たる光輪は全知全能たる主の分身であるが故に、魔力視・超直感・精霊覚などは当然に有する機能なのである。

 そして、何故ベレネトを敵と見做したのか……その答えに辿り着く鍵は、ちらりと視界の端に映った、暗色の外套についた実に些細な赤黒の染み。リクシールの胸を貫いた時に浴びた――罪の意識ゆえ避けきれなかった、彼の鮮血。

 

「(そうか、しまった……あのときの返り血、か……!)」

 

 そもそもの話。復活したばかりのファルシエルは、どうやってベレネトを神敵と判定したのか。その答えがそこにはあった。

 

 『瞬く面忘(スビトゥムヴァーレ)』が発動し、ベレネトについての全てを忘れたファルシエル。

 本来なら何故訪れたのかも分からない金庫の中で、困惑し立ち尽くしただろう――だが彼女は天使であり、その思考回路は人のものではなく、その知覚能力もまた人のソレではない。

 即ちファルシエルにとってその現象は、不意に室内に見知らぬ『誰か』が出現したのと同じであった。

 

 突如現れた、全くの見知らぬ相手――だが手には刃を持ち、体に(リクシール)の血を付着させている。

 ファルシエルが雷撃を放つと判断するなど、その事実だけで充分であった。

 

 そんなファルシエルへ、現状を把握しきれてはいないリクシールが声をかける。

 

「(今のは伝説再現(レジェンダム・レクエンス)――) ファルシエル……オマエ、異常は?」

「――記憶に一部欠落が見られ、ます。ですが戦闘行動に支障はあり、ません。主よ、ご安心、を。我等『天使』が主命を忘却することは、決してありえ、ません」

「……そうか」

「『絶対に逃がすな』の命に従い。ここに神威を示し、ます」

 

 そんなファルシエルの視界の先には、雷撃によって動きが鈍り膝を突いたままのベレネト。

 最早処刑の時を待つのみの罪人へ、しかし一切の情けを見せず。

 

 そうして、凛と天使は唱えた。

 

「――その眼差しは閃光。その指先は裁き。その御心に寄りて、その御力をここに代行する」

 

 それは、聖書を諳んじるように。聖歌を唄い上げるように。

 淡々と、朗々と。超然と、神々しく。

 聲は言う。

 地上の全ての者よ、聞くがいい。これは主の言葉である。

 

 瞬間、凄まじい力が地上にて渦巻いた。

 不死学園、孤島、周囲を覆う絶海までも。そこにある全ての自然魔力(マナ)が、風すら動かす速度にて渦を描き始める。力場の変動の凄まじさは、魔覚を持つ者なら星の裏側に居ても察知できるだろう世界規模。

 そして学園上空、天には雲が溜まり無数に折り重なり。しかして無数の精霊が集合したそれは暗雲ではなく、内部に純白の光が蓄えられた、地平の果てまで照らすような輝く雲。

 

 前兆なき嵐の中心で、天使はゆるりと細腕を上げる。

 地上の全ての者よ、見るがいい。あの光こそ主の威光である。

 

 それは伝説の再演ではない。

 それは悲劇の再演でもない。

 それは、神話の再現。最も旧く尊き伝説、その一節を現代に示す神の――あるいはその代行者の御業。

 

 肉体死しても決して滅びず、全ては至高たる主の為に。

 我が名は偽典の、否――。

 

「我が名はファルシエル、第八の翼を与えられし天の御使い。いと高き天上の御方、その御言葉を地に伝える者。そして今は、現世に降臨せし主・リクシールの僕である者。

 主の御名において告げる――汝、罪ありき」

 

 主の定めた世界の第一法則・言葉によって宣告は為された。最早運命は確定した。

 第二法則・時間は止まり。

 第三法則・空間は閉ざされ。

 第四法則・因果は意味消失し。

 そして第五法則・絶対の死だけが訪れる。

 

「受け入れよ、これは救済である。諦めよ、これは主の御意志である。

 罪人よ見よ主の槍を――遠きソディラの終焉を!」

 

 紡ぐは歴史に刻まれた神話の一節。

 示すは旧き罪の国ソディラ、それを一夜にして破壊し尽くした主の御業。

 奇跡を此処に。この島と天空にある全ての自然魔力(マナ)、全ての精霊は、今ひとつの翼の下に隷属する。

 さあ世界よ、主の威光の前に平伏せよ――!

 

神話再現(レジェンダム・レクエンス)――第八神罰・白の裁光(イーラ・デイ/ファルシエル)!!!」

 

 極光、奔る。

 其は天上より降りしもの。其は主の敵を焼き尽くすもの。

 輝く雲の中心より地平の先までをも照らす純白の光は、内包する莫大なエネルギーごと一本に束ねられ、ただ一点を目掛けて放出される。

 其は神話の時代より蘇りし滅び、紛う事なき『天の槍』。

 

 知覚すら能わぬ刹那を裂いて。

 回避も生存も決して赦さぬ運命裁決の神罰が、今、絶海の孤島ごと罪人を貫く――!!

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