――ああ、またこの夢か。
懐かしい光景、朧げな意識に、俺はすぐそのことを自覚する。
最悪の気分の時ほど魘されるというのも、そろそろ統計にして関連性を証明できそうだ。
ともかく、そうやって故郷の街中で立ち尽くしていると、不意にぐいと袖を引かれる。
『……だい、じょ、ぶ?』
振り向けば、やはり、10にも満たないだろう小汚いガキがそこに居た。
浮浪児だ。
失業者の子供か、親を亡くしたか、捨て子か、あるいはその全てか……ともかく、発語も十分にできないソイツは、明日にも冬に入ろうとしているゲルマの路地裏に、何も持たず独り立っていた。
けれど瞬きすれば、彼の姿は消え。
その汚れた服の小さな背が、路地の先、光の中へ走って行くのを見る。
――駄目だ。そんな直感が反響する。
馬鹿が、戻って来い。俺はパラディアス家の嫡男だ、俺の命を救った以上、オマエには報酬を受け取る権利がある。
そんなことをやっと叫んだ気がする。
それでも走り去る背は止まらない。だから叫ぶ。
待て、――。
ああ、ここだ。いつもここで夢だと気付く。
あの子供の名を呼んだ瞬間に気付くのだ。
何故ならば、俺は。
瞬く間に出会い死に別れた彼の名前を、終ぞ聞くことはできなかったから――。
「――い。リ……ル、ま」
……声が聴こえる。
日の出を告げる鳥の声。がたがたと窓を蹴る風の声。
俺を――リクシール・パラディアスを呼ぶ、絹のような声。
「――さい。起きて、ください、リクシールさま」
――目を開けると、目の前に天使が居た。
人外の美が溢れている不死学園の中でも、殊更美しい少女だった。
錬金術によって作られた
さらり、流れた髪が頬を擽るくらいの至近にその顔があって。
寝起きでぼんやりした頭が、条件反射的に名を呼んだ。
「……ファルシエル」
「はい、ファルシエル、です。おはようございます、リクシールさま」
名を呼ばれた女は、にこりともせずに頭を下げた。
その姿にかつてのファルシエルの面影を見て……昨日の今日ということもあり、朝から最悪の気分になる。
似ているのに似ても似つかない。似ても似つかないのに、似ている。それがどうにもやりにくく、受け入れ難い。
ともかく、朝だ。いつもの研究室の簡易ベッドの上の、いつも通りの朝。
女――天使種・偽典のファルシエルは、そのイヤになるくらい機械的な態度で、新たな一日の始まりを告げた。
教会の裏手に出た途端、風が一陣、地を撫でた。
冷たく湿った土の匂いはどこか寂しく。教会の中で唄われる讃美歌が、腫れ物に触るみたいに遠く響く。
生の熱はなく、鮮やかな色も、笑う声も無い。
ただ静かに、ただ厳かに。そうやって棺と骸とが、今日も変わらず土の下で眠る場所。
そんな教会裏手の共同墓地にて、俺はその墓石の前に辿り着く。
普段は一週間に一度やるかやらないかの墓参りだが……まさかこの短期間に二度もやることになろうとは。
墓石を磨き、花を供えて黙祷し。
そこで、傍に控えていた天使が声を上げた。
「主よ――あ、失礼し、ました。リクシールさま」
「なんだ」
「なぜ『ファルシエル』の墓、を? わたしは、ファルシエルはここにおり、ます」
そうファルシエルが抗議じみて問うのも無理なからぬことだろう。なにせ、墓碑に刻まれた名前もまた『ファルシエル』なのだから。その矛盾に疑問或いは嫌悪を抱くのは、知性体として当然と言える。俺だって生きてるうちに墓を建てられたら文句のひとつも言うだろう。
故に。ベレネトに殺され、非受肉状態で復活した新たなファルシエル――以前より幼い姿をした彼女、背の光輪を隠しているだけで未だ天使そのものである彼女へ、俺は告げる。
「……オマエはファルシエル・
「ク、アト……」
「そうだ。で、コイツ等は『前のオマエ』……死んだ順に、
ファルシエル・アヌス。
ファルシエル・ドゥオ。
そして、新たにファルシエル・トレス。
それは二つ名で飾れる本当の名ではなく、俺が勝手に呼んでいた彼女らの名。
死体なき一体の天使と、死体を遺した二体の天使が、俺の前の墓石の下には眠っていた。
天使を模した聖字架に冥福を祈られる天使とは、なんとも皮肉が効いている。そう思ってしまうのは冷徹か自嘲か……ともかくだ。
「オマエ等天使は不滅の存在だが、復活時に魂をそのまま引き継ぐワケじゃない。存在単位で不滅ではあるが、個人単位、即ち意識は独立していると俺は見ている。それが元々の天使の特性なのか、俺の再現が不完全だからなのかまでは知らんが」
「そ、んな。主――リクシールさまの御業が不完全、などと」
「……まあ、どちらにせよ死んだんだ。
天使。死んでも復活を果たす不滅の存在。
だが、死は死だ。ファルシエル・クアトは幼くなったファルシエル・トレスなどではない。例えるなら器と液体か……ファルシエル、という器は健在だが、器を満たす液体たる『トレス』は零れ、代わりに『クアト』が器に注がれ収まった。それはファルシエル/クアトであって、ファルシエル・トレスではないだろう。
「ところで、ファルシエル。オマエどれだけ憶えてる」
「はい、リクシールさま……その、憶えている、とは?」
こてん、と天使が首を傾げる。背丈も仕草も変わった癖に、察しの悪さはそのままか。
「……オマエが現時点で持っている記憶の話だ。確かにオマエらの死は死だが……それと同じく、不完全だろうが復活は復活。本来なら受肉先の肉体に記憶をインストールしてより精度を高めておくんだが……受肉できなかったオマエでも、『前のオマエ』から引き継いだ断片的な記憶があるんじゃねえのか?」
矛盾するようだが、不滅種、同存在としての復活とはそういうものだ。特に天使種の本体は翼たる
つまるところ、これはそういう意味での確認だった。
受肉したままの死亡、そして非受肉状態での復活というイレギュラー。それによりどれほどの記憶を取りこぼしたのか。あるいは……
沈黙は、墓地に足跡を残す程に続いた。
だがすぐに……恐らく質問に即答しないのを不敬とでも思ったのだろう、天使は縺れる舌を無理矢理動かすようにして、俺の問いに重苦しく答える。
「……はい、リクシールさま。わたしは憶えて、おります。『最初のわたし』の死を。『二番目のわたし』の不忠を。『三番目のわたし』については朧気ですが――
「……」
「ですが、申し訳、ありません。わたしにその機能は――
幼子のたどたどしさが残る言葉でそこまでを聞いて、溜息を溢す。
びくり、と天使が肩を跳ねさせ……それで更にひとつ溜息を吐くことになった。
「全く、何故オマエらはそうもペコペコと謝る。オマエの不全は俺の不手際であり、また重要な研究
ああそうだ、トレスの奴もそうだった。アヌスもドゥオも、すぐに不敬がどうだのなんだの。こんなのが趣味だというのなら、やはりカミサマとは趣味が合わんを通り越して相容れん……そんなのと同一視されるのもまたクソだ。
更なる溜息の代わりをするとでもいうように……不意の風が一陣、墓地に吹いた。
冷たく湿った土の匂いはどこか寂しく。教会の中で唄われる讃美歌が、腫れ物に触るみたいに遠く響く。
墓地にて。誰もが死者の安寧を願い、その魂の安らかなるを神に祈る場所にて、俺は目尻に涙を浮かべた幼い天使の頭を撫でた。
「いいか、忘れたのなら何度でも言ってやる。俺は『錬金術師』――学者だ。現実と向き合うことでしか前に進めん人種だぞ」
さらり、指で梳いた髪の感触は、人間と――受肉体と変わらぬ滑らかさで。それに愛も情も抱けず、これも真理を解き明かす重要な情報であると思ってしまうのは、俺が選んだ道の業なのか。
飾り気のない共同墓地、墓石の下には三代の天使。
これから面倒事を引き寄せるだろう四代目にも望みの機能はなく。
それでも、俺が立ち止まる理由にはまるで足りない。
「どれほど望ましくない結果だろうが受け入れてやるさ。受け入れた上で次に活かす……ひとつの結果の為ならば、例え千回失敗しようが進み続け、万回の挫折さえ利用してみせよう。それが『錬金術師』の正道ゆえに、な。
分かったら堂々としてろ、莫迦。うだうだ考えるのは俺の仕事だ――
――果たして、余人が知れば笑うだろうか。
その天才が錬金術学を志した理由が、たったひとりの名も知らぬ少年を蘇らせるためであったなど。
賢者の石による蘇生が叶わず、ならばとその霊魂を確実に天上の楽土へ送る、そのためだけに天使を創造したなどと――。
『リクシールの賢者の石』では、リクシールならぬ子供の蘇生は成功せず。
ならばと生み出した天使種は、しかし死者の魂を楽土に送る機能など有していなかった。
二度の奇跡を成し、しかして二度奇跡に裏切られた錬金術師は、それでもと新たな研究を続ける。
賊に研究成果を狙われても、神聖教から暗殺者を送り込まれようと、何度奇跡に裏切られようとも……それでも、彼が諦めることは決してない。
名も知らぬ恩人の為ならば、彼はどこまでも賢く、そしてどこまでも諦め悪くなれるが故に。
ばさり、白衣を翻し、錬金術師は寂れた墓地を後にする。その背後を慌てて追う、幼い、そして感極まった天使を連れて。
「……っ、はい! 拝命しましたっ、主よ!」
「――おい、止めろと言ったよなその呼び方。オマエが俺をどう思おうが勝手だが、その呼び方だけは我慢ならん。呼び捨てでもあだ名でも受け入れてやるから『
「は、はい……もうしわけ、ありません……」
「ちッ、いちいち世界の終わりみたいなツラをする、そういう所が気に入らんと……もういい。そもそも何をどうすれば俺と天上の神とやらが結びつくんだ。莫迦にも程があるだろう」
「? 我ら天使を降臨させることができるのは、万物の創造主たる主において他にいま、せん。ゆえに、わたしを作られたリクシールさまは天上の主そのひと、です」
「はッ、クソみてえな三段論法だなオイ。天使は論理の破綻にすら気付けんのか? 俺が本当に神だったら、助手はもっと賢く作るがな、全く……な、オイ待て泣くな! オマエ仮にも天使だろう!? そもそもトレスの奴はこんなことで簡単に泣いたりは……ああもう、これだからガキは嫌いなんだ畜生……!」
そんな彼等を見送るように沈黙する墓石の下で、天使たちは静かに眠る。
――次のわたくしよ、リクシール様を、どうか。
無人の墓地にて紡がれたそんな祈りが、風に流され天に昇って行った……気がした。
――彼の者について、遥か塔国の無限碑にはこう刻まれている。
生誕、聖歴972年。
出身、大帝国北部ゲルマ。
種族、人間種。
彼の者は、伝説に謳われた『賢者の石』を現実に再現せしめるという前人未到の偉業を果たした、人智超越の錬金術師である。
また彼の者は、神話の存在と謳われし天使、その有り得ざる第八翼をその技術を以て降臨せしめた、史上唯一の人間でもある。
その肉体に埋め込まれた賢者の石は、所有者に永遠の命を齎す。
石の所有者のあらゆる傷病を癒す万能薬は、その体内にて常に錬成され続けている。
また彼の者が生み出せし天使は、天の槍を持ち、彼の者を絶対の主としてその命令全てに従う。
神を信じぬ無神論者でありながら、その御業は神の領域に届いている。
不老不死、あるいは死者の蘇生。天使の降臨、あるいは天の御使いの支配。
錬金術師が成し得た前人未到の偉業は、しかして人の身で触れてはならぬ禁忌の御業、神の領域の侵犯に他ならない。
故に、彼の者に相応しき名は是となる。
二つ名、『禁忌錬成』。
禁忌錬成リクシール・パラディアス。