3限目、『魔術学』。
全身に刺青にも似た『魔術紋』を刻んだ、おれより小さな背丈の美少年――外見がそう見えるだけで実年齢は及びもつかないが――こそが担当教師の
「かつて『魔法』とは、選ばれし一握りの者にのみ扱える技術でした。魔法が使える者は生まれながらにそうであり、使えない者は一生鍛錬しても使えない……その才能の差を埋めるために開発されたのが、今から皆さんが学ぶ『魔術』なのです」
声変わり前の少年そのものの声に不釣り合いな丁寧口調で言って、ケーラスーン先生は両手を持ち上げた。
その右手にはねじくれた古木の杖。左手には水晶玉を思わせる宝珠。
そもまま何らかの呪文を小声で唱えると、右手の杖からは紫の雷が、左手の宝珠からは翠の風がそれぞれ生まれた。
バチバチ、びゅうびゅうと。
雷で教室の床板が僅かに焦げ、風で皆の衣服や髪が煽られる。
「『魔術』では、予め魔法を組み込んだ杖や宝珠などの『魔導器』に魔力を流すことで魔法を再現します。これならば生まれながらに魔法を持たない者でも、魔の術を自在に扱えるのです。『魔法』と違い、『魔力』そのものは多寡さえあれど誰しもが持つものなのですから」
言い終えると同時、バチバチ、びゅうびゅうと暴れていた魔術が収まる。
なるほど、要するに今のは、杖や宝珠といった『魔導器』に魔力を流し込んだことで、それぞれの魔導器に組み込まれていた魔術が発動したのだろう。
『魔法』の才を持つものは非常に少ないと聞く。かくいうおれも魔法なんて使えない。だが『魔術』なら、あれらの魔導器さえあればおれでも使えるということか。
何となく、クラス内に浮ついた空気が流れたのが分かった。
『魔術』。硬派で殺伐としたイメージである『武術』とは違い、その言葉は華やかでかつ神秘的な響きに飾られている気がする。
浮足立ったのはおれも同じだ。おれだって使えるものなら魔法や魔術を使ってみたかったし。いや、何ならこの授業で今まで眠っていたおれの才能が覚醒し、とんとん拍子に『大魔導士ラスレイ』の誕生まであるかもしれない……!
そんな空気をどう感じたのか、若年を超えて少年に見える長寿の
それは、人数分用意された『光の魔杖』。剣の柄ほどの長さの、先端に宝珠が埋め込まれた魔導器だ。
「さあ、手元の杖を手に取ってください。その魔杖には『光を生む魔術』が刻まれています。杖に魔力を流し、うまく魔術を発動させて光を灯してください。これで皆さんの『魔術』への適正と魔力の量・質がだいたい判別できるのですよ」
言い終わる前に、ひとつふたつ光が生まれていた。
見れば、生徒たちは競うように杖を手に取り、杖に刻まれた『光を生む魔術』を発動している所だった。
弱弱しい光を杖先に灯す者。強烈な眩い光で周囲を照らす者。
燈ったのが赤い光である者、青や緑、金色の者。杖と光の距離も個人差があるように見える。
また『魔導器に魔力を流す』という感覚を掴むのが難しいのか、必死な顔で念じているが光を灯せないものもそれなりに居た。
「よし、おれも……」
そんなクラスメイトたちに追従するように、おれも杖を握り集中する。
「魔力を流す……流す……」
魔力が何かは正直よく分からないが……とにかく杖を握る両手に力を籠め、全身の力を送り込むように念じる。
流れろ、おれの魔力。
強く、強く。体内の熱が、腕を通して杖に伝わるようなイメージで――。
瞬間。
眼前で赤と黒が弾け。
「え」
杖が。
一瞬だけ極大の閃光を放った光の魔杖が、内側から噴火するみたいに砕けて
要するに、それは内からの爆発であった。
剥いた果実の皮みたいに上下で裂けた杖、それを握ったまま呆然としていると、いつの間にかおれの横にケーラスーン先生が立っていた。
彼は可愛らしい少年の顔でひどく深刻な表情を作り、冷や汗を掻くおれとおれが握ったままでいる杖の慣れの果てをじろじろと観察して……そして何かを結論付けたのか、はぁと小さな溜息を溢した。
「あなたの魔力……なるほど、ラスレイさん。残念ですが、どうやらあなたには『魔術』を、正確には普通の『魔導器』を扱う適正が無いようですね」
「え。適正が、ない?」
「はい。魔力の『質』の問題なのです」
ぴ、と小さな手がおれの心臓辺りを指さす。
「あなたの内にある魔力は、魔導器を扱うには荒々しすぎる……普通の魔力を水とするなら、あなたの魔力は灼熱の溶岩。水を流す為の管に溶岩を無理矢理流し込めばどうなるかは、この壊れた杖が証明していますね。その魔力をどうにかするまで、あなたは魔導器に触らないように、なのです」
「ど、どうにかって、そんなの一体どうやって……」
「……言いにくいことですが。生まれ持った魔力の質を意図的に変えるなんて、長年生きた僕でも聞いたことないのです。ともかく、魔導器に触る事は許可できないのです」
それは要するに、事実上の死刑宣告であった。
おれは『魔術』が――『魔導器』が使えない。使う才が、無い。
おれの理想の英雄像が……大魔導師ラスレイの姿が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
「そ、そんなぁ……」
もう絶望の顔で立ち尽くすしかない……そんなおれの手の中から壊れた杖を回収し、小さな
「ちなみにですが、この『光の魔杖』、大帝国の帝都で家を建てれるくらいの値段はするのですからね」
「――わかりました、二度と指一本触れません! なのでどうか弁償に猶予をください、おれお金もってなくて……!」
お金のことを聞いた瞬間、おれは全てを置いて頭を下げた。
なにせおれの所持金は堂々の0である。唯一の財産である懐の
「……まあ、君も故意ではなさそうですし。それに、こんなになった魔導器は僕も初めて見ました。貴重な研究材料になりそうですし、今回の件は不問、弁償も不要なのです」
「ありがとうございます……! 本当にすみませんでした……!」
おれを憐れんでくれたのか、あるいは本音なのか。ともかく魔導器を破壊したことは不問となって、おれは九死に一生を得た心地であった。
だが……冷静になって考えてみると、そうだ。
「……おれ、魔術使えないのかぁ……」
ずぅん、と重く圧し掛かってくる事実を払いのける方法など見当もつかず。
そんなわけで、おれは残りの時間、杖を手にはしゃぐ学友たちを見ながらも、自分はひたすら座学のみに集中することしかできなかった。
そうだ、この辺りだ。
後にして思えば、この辺りから徐々に雲行きが怪しくなっていた。
4限目、『祈術学』。
担当は神聖教の司祭でもある不死、
死霊種特有の透けた体を持つ元獣人は、獣の顔で聖書を片手に語る。
「『祈術』、天上に御座す主の御力を借り受ける特別な魔術。必要なもの、真摯な信仰のみ。主に祈り捧げ、御力添え、願え」
学園内に併設された聖堂の中、祭服を身に纏った彼の言葉は厳格に響いた。
肉食獣にもにたその顔は人語を扱うには不得手なのだろう、時折言葉の隙間に独特な間が生まれる部分はあるが、それでも妙に威厳と力を感じる声だ。
そんな彼の言葉に従い、聖堂に集まった生徒たちが一斉に手を組んで祈りを捧げ始める……それを見て、おれも慌てて手を組み目を瞑った。
「――フィーデの福音書、曰く。主は、言われた、『汝、その心をわたしに預けなさい。あなたの苦しみは私が癒す。あなたの歓びは私を癒す。しかる後、汝、わたしを真似て隣人を愛しなさい。彼等の苦しみを癒し、彼等の歓びに癒されなさい』と。
また、主は、言われた。『己の強欲、貪食、あるいは怠惰のため虐げられし隣人に手を差し伸べぬこと、これ、その者を虐げるのと同じ罪である』と。
入学せし不死の者たち。汝ら、祈術学び、弱き民を救うべし」
神を信ずる
何百回も復唱してきたのだろう……聖書の一節を引用するときだけ、その獣人の口は奇跡みたいに詰まらず動いた。皮肉なことに、と言うべきか……なにせかつての神聖教は、彼のような獣人や不死を『非人間』として厳しく排斥したと聞くのに。
――『神聖教』は、この世界で最も信仰されている宗教だ。
世界の創造者たる神を唯一絶対の主とする人間種中心の一神教で、特に厳しい戒律などはない。
おれの出身である大帝国では国教として定められており、信者でない者は異端者として蔑まれていた。
そして『祈術』は、そんな『神聖教』の神様の力を借りる術……と言われている。
傷を癒したり、低位の悪魔を退散させたりが主な効果だ。特に癒しの祈術は教会を街の医療機関に押し上げた有名な術である。
「主は、言われた。『なによりもわたしを信じなさい。さすれば望むものは与えられん。弱き者には力を。愚かな者には正しさを。罪深き者には許しをわたしは与える。これを疑うことなく信じなさい』と。
天上の主、常に汝ら、見て、おられる。敬虔なれば、主、祈りに応え御力をお与えになる」
静謐なる聖堂に、リテレス先生の声だけが響く。
半目を開けて見れば、右も左も目を閉じ真摯に祈る
いや、おれだって『祈術』自体は使いたい。不死学園の最終目標は『悪魔を討つ不死の人材』だ。悪魔退散の祈術などは、将来絶対に役に立つだろう。
けれど、どうも集中できない。必死に祈り一色にしようと頑張っている思考の中を、上辺の知識だけがすらすらと流れていく。
例えば、『祈術』はその殆どの名と効果が聖書によって記されていて、しかも使い方や呪文などは身に付ければ勝手に分かるようになるそうだ。まるで神様や天使様が直接語りかけてくるみたいに……。
「――汝」
「!? は、はいっ?」
足音も無く。
獣人の死霊はおれの真横に立っていて、おれは急に話しかけられて体を跳ねさせた。
そんなおれの様子に構うことなく、半透明な獣の目はおれをじっと見ていた。そして言う。
「汝、『異端者』か? この場満ちる主の御力、汝、避けている」
「! そ、それは……」
何と言ったものか返答に窮していると、獣人が再び口を開いた。
喋る際にちらちらと見え隠れする牙は、半透明な
「学園内、信仰自由。だが素質なし、訓練しても時間無駄。汝、以後、実習不要」
くるり、用は済んだと言わんばかりに獣人の死霊が背を向ける。そっけないそれは異端者への振る舞いか、それとも元々の性質か。
ともかく、おれは祈るために組んでいた手を解き、座ったままがっくりと肩を落とした。
だが。
「……まあ、いっか」
数秒後には、既に諦めがついていた。まだ若干引きずっている『魔術』の件とは明確に異なる。
いや、『祈術』が使えない、という事実は確かに痛手だが……それでも、必死になって神様に祈る必要が無いと知って、どこかほっとしている自分も居るのだ。
正直、『神聖教』は苦手だ。
人間のために世界の全ては存在するという考えとか、その人間に不死を含めるか、含めるとしてどこまでが人間なのかどうかでいがみ合う所とか。
そのうえ、かつての神聖教は『不死狩り』の免罪符となっていたとか、神聖教信者で構成された聖字軍という軍隊が
いいや、もっと言えば、おれは『宗教』というもの自体が苦手なのだろう。
おれは、英雄たちが築き上げ今も語り継がれる伝説が好きだ。
建物が好きだ。街が好きだ。歴史が好きだ。
それはこの世界に生きる皆が頑張って積み上げてきたものだからだ。
それなのに、「この世は神様が創ったものだ」とか、「上手くいったのは神のご加護があったからだ」とかそういうことを言われると、なんだか凄いと感じていたものの『凄さ』が顔も知らない神様に奪われていくような気がして……おれは、それがたまらなく嫌なのだ。
おれの頑張りも、おれの失敗も成功も、他の誰にだってあげたくない。
おれの人生はおれだけのものであって欲しい。
……いや、でもそうか。
おれはもう、そんなことを言う資格はなかったな。
だって。
おれはきっと、おれだけのものだった人生を手放して、空になった手で背負ったのだろう。
あいつの命を。
あいつが語った英雄たちの伝説を。
史上最高の英雄に成らねばならぬという――その、呪いにも似た祝福を。