モルターリブス不死学園、中庭。
実習や訓練のため均された土の上で、ふたつの影が剣を手に向かい合っていた。
ひとつは吸血種、血酔う惨将ヴィルラディウス・ヴァン・ヴェルヴェスティーニ。
ひとつは人間種、ラスレイ。
少なくない
「どうせ礼儀作法なんか知らねえだろうから、特別だ、このオレ直々に決闘の作法を教えてやるよ。剣を手に、切っ先を相手に。名乗りを上げ、要求を言い、了承したなら剣を立てて誓う。こんな風になァ――」
瞬間、剣を突き付ける吸血種の顔が別人のように引き締まった。
それは高貴の美貌にして、完璧なる礼儀を見せる貴族の顔。
「――我が名はヴィルラディウス・ヴァン・ヴェルヴェスティーニ! 偉大なるヴァン・ヴェルヴェスティーニの血族に連なる
……さァ、名乗れや
その声で我に返り、ラスレイも言われた通りに借り物の剣の切っ先を相手に向けて名乗る。高らかに、とはいかなかったが。
「……おれはラスレイ。人間種で、その、きみみたいに誇れる生まれとかはない」
「まァ、良いだろう。
及第点を付けたのかそれとも端から期待していなかったのか、ヴィルラディウスは鷹揚に頷いて立会人を呼んだ。
「……はい」
返事をしたのは、黄金の竜人。
ヴァルニールとラスレイ、2名の決闘に立ち会う役割を請け負ったのは、竜人、終の竜刻リュリーシア・クリサフェイノス・ドラウレウスであった。
彼女は心配そうにラスレイをちらりと見て……己の役割を思い出し、その役割を果たす完璧なる振る舞いを心を律して再現する。
「では両者、汝が勝利の後に求めるのは何なりや」
声に、吸血種は即答した。
「
「……そうだな。なら、おれはきみにその要求を撤回してほしい」
少し遅れてラスレイの声が返る。
ヴィルラディウスの紅い瞳が細まった。それでは、例え勝ってもラスレイが得るものはない。無欲なのか、それともただ愚かなだけか。
どちらでもいい。彼が勝利することなど万に一つもないのだから――そう、吸血種は結論付けた。
「両者、互いの要求を受け入れるならば宣誓を」
「あァ。我が血に誓って」
「おれも、誓う」
立会人の言葉に従い、両者両手で握った剣を立て、切っ先を天に向けて宣誓する。
これで、決闘の準備は整った。
「誓いは確かに。私、終の竜刻リュリーシア・クリサフェイノス・ドラウレウスが誓約の履行と、この戦いが正しきものであることを保証致します。……決闘である以上、命の危険は承知の上でしょうが、どうか降参の判断を恥じることなきよう――」
「……オイ。一応言っておくが、止めようなんて考えるなよ新入生代表サマよォ。ソレは全員の名誉を貶める行いだぜ?」
「……当然、了承しております。私の役割はあくまで立会人。ですがもしもの場合は……
リュリーシアの体から一瞬だけ漏れたその圧が、彼女の中で渦巻く矜持と不服を周囲にしかと知らしめた。
そうだ。彼女は本来、今のラスレイの位置に立っているハズだった。学友の――ヴィルラディウスの非道を正すのは、完璧を志す彼女にとって当然のこと。弱者救済、抑強扶弱、秩序の維持こそ強者の義務――されどその手が届くのは、救いの手を上手く掴める者のみ。ラスレイは残念ながらそうではなかった。
立会人という役割に縛られた以上、リュリーシアはその枠を逸脱することなどできない。それもまた完璧を志す彼女が故に。
リュリーシアに残された選択肢は、二者の決闘を見守ることだけであった。
そんな、何の関係も無い野次馬すら竦む竜人の圧など意に介さず。
ヴィルラディウスは構えも何もない自然体で、身構えるラスレイにのみ告げる。
「言っとくが、学園には多種多様な不死の生活補助のための結界が張られてる。『
「……
ラスレイの気の抜けた返事に、ヴィルラディウスは思わず眉根を寄せた。
嘲りも、警告も、どうにもすり抜ける手応えの無さが癇に障る
だが、これから直に叩き潰せると思えば腹も立たない。
「――ハッ、いちいち勘に障る無知っぷりだなァ。まァ良い、忠告はしたぞ」
瞬間、臨戦態勢に入った吸血種の放った身を切るような闘気は、先の竜人の何倍もの圧力を以て場を覆った。戦場の気配、殺戮の予兆を感じ取らずにはいられない程の凄み。
それを前に……しかし表情らしい表情を見せず、ラスレイは慣れない直剣を構える。
「では……始め!」
立会人の合図に合わせ、地を蹴ったのはラスレイ。
合理的な判断であった。相手の出方は分からないが……遠距離攻撃の手段を持たない自分は、どの道接近戦を挑むしかない。
常識の中の最善手を選ぶことに関しては、彼は人間種の中でも屈指であった。
思い切りが良く、物怖じをせず、躊躇いを見せない。それは人間同士の戦いでなら勝利を掴む力だったかもしれない。
だが――踏み出した最初の足が地に着く前に、飛来した『常識外』が企みの全てを打ち砕いた。
奔ったのは、
風よりも
「えっ――」
ラスレイの足が、止まる。
だが、それは鋼の直剣の刃の半分を奪われたからではない。それは、眼前に広がる異形の赫色のためだ。
「ハッ、つくづく無知だよなァテメエは。オレたち
ばさり、そんな音とともに、ヴィルラディウスの背後で
嗚呼、その形を見たことがある。
それは空を飛ぶ鳥の両腕。あるいは竜の背を飾る膜、否、より近いのは、不吉を呼ぶ蝙蝠のはためかせる――。
「――この『翼』こそが、オレたち
それは、視界に収まらぬ程左右に広がった、禍々しい血色の翼であった。
風を超えて奔った赫と同じ色、誓いに用いた剣を無造作に放り捨てるヴィルラディウス――それでようやくラスレイも理解する。今己の剣を切断したのは、この『翼』による斬撃であると。
そしてヴィルラディウスにとってのそれは、伸縮自在の赫刃であった。
「オレの翼はどんな剣よりも鋭く敵を断ち、あらゆる槍の間合いを超え、飛ぶ矢や魔術すら打ち落とす迅さを持つ!
ヴィルラディウスの叫びと同時、その血色の翼が赫く閃く。
二閃。防ぐ間などなかった。
気付いた時には、直剣が更に二撃を受けてラスレイの手から弾き出されていた。
「――うそ、だろ」
だがラスレイが驚愕したのは、閃光の如き斬撃速度ではなく、その翼の『間合い』である。
まだ直剣の距離には三歩以上あった。長槍ですらまだ遠い間合い。その距離を一瞬で跳躍した赫の斬撃が矮小なる人間に告げるのは、絶望。
――蠢くそれは正確には翼ではなく、吸血種の特殊な血液が体外で形を成したモノ。
それは液体の武器ゆえに、決まった形状と間合いとを持たない。
それは肉体の一部ゆえに、一切の鍛錬なしに究極の練度を誇る。
それは
「剣も槍も弓矢も魔術も、オレの前では全てが無力だ!
主の声と共に、翼が奔る。
それはラスレイの胴を強かに
「ぐ、はっ……!」
壁に叩きつけられ、体内の空気を全て吐き出して落ちた体は、意思の力かすぐさま起き上がる。
だが、それだけの距離が開いても、ラスレイは翼の間合いから逃れられていない。仁王立つヴィルラディウスの背の翼が更に広く高く広がり、異形に伸びた刃が反撃許さぬ遠間からラスレイを襲う。
血色の翼が頬を掠めた、
「オレは見たぜ。
言葉と赤い斬撃の雨が止んだときには、凄惨なる光景が広がっていた。
翼の刃に降られた地面はあちこちが抉れ、壁は砕け、そしてその中心のラスレイは言うまでもなく鮮血で染まっている。人間種の肉体の脆さを考えれば、未だ立っているのが不自然なほどに。
一方的だ。ラスレイがこれほど血に染まって、しかしヴィルラディウスは無傷どころか一歩の距離を詰めることすら許していない。
詰られ、嬲られ、その只中に立ったまま。
衆目に憐れみさえ抱かれて……血に塗れた少年は、ぽつり、呟く。
「そうだね。きみの言う通り……
「ハッ、分かったら――」
「けれど」
目が。
決意の炎を秘めた瞳が、確かに吸血種のことを見た。
「おれは、あいつを殺したおれだけは、死んでも『英雄』にならなきゃいけないんだ」
血に染まって尚崩れぬ決意。
それを前に、しかしヴィルラディウスは鼻で笑った。
「『英雄になりたい』だと? ハッ、テメエら
ぼこり。背の翼が不意に泡立ち、その体積をみるみる増していく。
それはまるで、持ち主の燃え滾るような憤怒が翼に反映されているかのよう。
「英雄に、富豪に、権力者に――『特別』に憧れるその精神が、テメエらが凡人である何よりの証明だ! オレのように真に優れた者は、目指さずとも既に特別なんだからなァ! 要するに!」
翼も、口調も、どんどんと激しく燃え上がっていく。
その背から伸びる赫の刃は、最早巨人の剣と呼ぶべき
「テメエみてえな凡俗の
一方的に言い放ち、ヴィルラディウスは肥大させた翼を高々と振り上げる。
放つのはこの決闘で初めての、加減の枷を外した一撃。翼という形状、そして刃物たるその性質を存分に発揮するための、並んだ三つの切っ先による刺突。
どんな鎧も容易く貫き、死体に三つ並んだ傷痕を残すことから、その技はかつてのルニアの戦場でこう呼ばれ畏れられた――。
『
瞬きの間、音よりも迅く。
降った赫の一撃は、なんとか逃れようとしたラスレイが身構えた時には既に終了していた。それ程の神速、それ程の絶技であった。
当然ラスレイに躱すことなど能わず、赫翼の刺突は彼の肩、横腹、腿に直撃。
勝負あった。
誰もがそう思った。
――ただ1人、血刃を受けた本人を除いて。
ぼたり、と血が地面に落ちる。
熟練の兵さえ鎧袖一触に引き裂く一撃を受けて――しかし、ラスレイは一歩たりとも退かなかった。振り抜かれ停止した血刃を掴み、寧ろ更に一歩を踏み込む。
「――それ、でも」
学もない。技もない。神に愛されてもいない。
それでも、と人間の少年は言う。
静かに燃える決意の炎を、その凡庸なる瞳に映して。
「例え凡人でも。才能が無くても。百回駄目で千回挫折しても。
おまえには無理だと、諦めろと百万人に言われても。
――おれは、英雄になる。ならなくちゃいけないんだ」
ざり、と。
決闘が始まってから初めての後退だった。刃も魔術もまるで痛痒とならぬその不死は、ただの言葉で気圧されたのだ。
――否。そんなことはありえない。既に150年を生き、戦場にて無双を誇った血酔う惨将ヴィルラディウス・ヴァン・ヴェルヴェスティーニが、無才の
ならばと足る理由を探し、紅玉の目はそれを見た。
血の翼が。
伸縮自在の赫刃、その鋭利なる三つの切っ先が、ラスレイの肌の上で止まっていた。
――
あり得ざることであった。脆い人体と、鋼すら容易く貫く吸血種の血の翼。
鎧ではない、そんなものは確認できない。
服でもない、それは既に血刃によって引き裂かれている。
魔術でも魔法でもない、周囲に魔力の揺らぎはない。
翼を操るヴィルラディウスには分かる。それは正真正銘、その人体そのものの硬度である。
「――バカな」
思わず漏れた呟きは、ふたつの現実に向けられたもの。
なぜ種族的特性を持たない脆い人間種の肉体が、これほどまでの硬度を持つのか。
そして真に解せないのは、奴は先程まで翼の攻撃を受け血みどろになっていたではないか。
――脳裏に戦慄。
否、あるいは――あの流血に見えた血は、硬度にて負けた翼から刃毀れた、ヴィルラディウスの
一歩。
少年は更に一歩を踏み、前へ。
血の刃をその身に受けながら、しかし切っ先を肌で止め、それを押し返しながら前へ。
ずるり、斬り刻まれ襤褸切れと化したシャツが落ちる。それでも、前へ。
「それに。きみはふたつ、間違えてる。きみにはそう見えたんだろうけど……おれは、持ってるんだ。
真実の告白は懺悔のように。
その露わになった肉体、肌の上には、赤と黒の二色の線が絡み合うような紋様が刻まれていた。
「(アレは悪魔崇拝者が体に刻む異端の烙印? それとも『魔術紋』か……いや、違う――!)」
吸血種が他の可能性を否定できたのは、その炎を思わせる紋様が生き物のように動いたからであった。
心臓の上付近にしかなかったそれが、両胸から両腕、背にまで広がって行く。
首元までだった二色のそれが上に伸び、頬を通過して目にまで届く。
そして、その紋様が届いた左の目。その瞳孔が爬虫類のように縦に裂ける。
その肌の上を這う紋様を、不死の吸血種は文献にて見たことがあった。
「それは『竜血の呪い』!? まさか、テメエ――『
信じられぬ、と不死は喘いだ。
『竜血の呪い』――竜を殺した者は、浴びた竜血に呪われ不死身となる。
数多の定命種を『竜殺し』へと駆り立てたその呪いの存在は、皮肉にも数多の定命の屍を野に積み上げた。
それは不死の中で最も強く、最も数の少ない種。
竜の寿命とは、果ての無い真の永遠である。
竜の鱗とは、この世で最も硬い絶対不壊の鎧である。
竜の爪と牙とは、そんな竜鱗すらを断つ絶対切断の力を持つ。
そして
故に、数多の定命が竜に挑んでは儚く散った。
牙砕きデフェル、気高きジーリッド、風乗りの竜騎士ぺタラ、世界最強と名高き亡国ラオールの聖字軍……歴史に名を刻む英雄すら、竜の前では敗者となった。
だから、ありえない。こんな何の才の片鱗も見せない
事実であれば人間種である彼に不死学園への入学が許されたのにも得心がいくが……それでもありえない、とヴィルラディウスは首を振る。
「(そうだ、ありえねえ! ありえるワケがねえ……ッ! それにだ、世界に数体しか現存していない
――いや、そうだ。
一体だけ居る。最近死んだ
「まさか、まさか――!」
この場に居る不死は全員、その名を確かに聞いている。
入学式の新入生代表挨拶で、その情報を耳にしている。
そして。
新入生唯一の人間種たる少年は、数多の英雄すら届かなかった偉業の証を纏い告げる。
「おれはラスレイ――血濡れの祝福ラスレイ。
かの最強の暴竜を討ち、その竜血を浴びて不死となった――それが彼の最大の功績にして最大の罪。
竜殺しの名はラスレイ。
人間種のまま不死身となった彼の名は、血濡れの祝福ラスレイと言った。