『――ラスレイ。貴様は英雄に成れ。竜を殺した、英雄に』
かつて、かの赤黒の
間違いなく最強の竜だった。数多の英雄の最期を飾るに相応しい、生ける伝説そのものだった。
そんな竜を、おれは殺した。
おれが、殺した。
その事実の前には、どんな言い訳も誤魔化しも無意味で。
1000年間英雄たちが求め続けた『竜殺し』という栄誉は、あの日、罪と一緒におれの手の中に収まった。
だから、おれは誓ったのだ。
そこそこの不幸に生まれ、そこそこの不幸に生き、それでもささやかな幸福と共に歴史の狭間に消える凡人の人生を――あったはずの人並みの幸せも、無くてはならぬ人並みの不幸も、その一切を捨て去ることを。
あの竜の――黒き
血濡れの祝福ラスレイ。
竜殺しの果てに竜の血を浴び、『竜血の呪い』によって不死となった人間種の少年は、決闘の中でぽつり呟く。
「……ごめん、自力の戦いにこだわって。おれにも
どくん、と普段の数倍は力強い鼓動の音が、少年の言葉に答えた気がした。
その肌の上を這う紋様こそ、少年が竜に呪われた証。
「天上の楽土から見ててくれ、ヴァルニール。きっと、勝ってみせるから」
誓うは己が殺した竜に。
その縦に裂けた左目と只人の右目が見やるのは、
『後天的な不死』という予想外の事実を突き付けられた生来の不死は、しかして強く咆哮する。
「『竜殺し』、『竜血の呪い』だと――それがなんだ!? テメエの強さが変わるとでも!? 今日一日、テメエは何の才も示さなかっただろうが!」
叫び、ヴィルラディウスは翼に意識を集中させた。血液が形を成した結果の赫刃が、彼の意思に従って蠢動する。
そしてヴィルラディウスにとってのそれは、伸縮自在の赫刃であり。
「
振るわれたのは三叉の赫刃は、人間種の扱えるどんな武器をも超える速度と間合いとを以てラスレイを急襲、その肉体を紙屑のように容易く引き裂く――。
命中。
それは、ガラスが砕け散るように。
確かに命中した血の翼刃、その振るった刃の方が、逆に衝撃に耐えられずへし折れた。
「な――」
ラスレイが何かしたわけではない。彼はただ立っていただけで――純粋なる肉体の硬度のみで、古今無双の赫刃に打ち勝ったのだ。
血濡れの祝福ラスレイ。
『竜血の呪い』により、その肉体は竜鱗と同じ硬度を獲得している。
即ち、あらゆる刃を通さぬ不壊の鎧が如き肉体強度を。
そして。
「借りるよ、ヴァルニール。おまえを殺した、おまえの『爪』を」
竜を殺したというのなら――当然、彼は有している。
「さあ、目覚めろ覇竜の証――竜爪の魔剣、ヴァルグラム!」
気付けば少年の手に収まっていたのは、飾り気のない赤黒の短剣。
直剣の半分以下の刃渡りしかないその剣は、しかしてこの場の何者も凌駕する存在感を有していた。
空間を焦がすようなその迫力。刀身が虚空に残す残光の軌跡は、鮮烈なる炎のように見るものの視界に焼き付くようで。
「短剣? どこから――」
けれどヴィルラディウスが渇く喉からそう溢したのは、まだ彼に余裕があったからだ。
あの謎の短剣がどれほどの鋭利さを有していようと、間合いで吸血種の翼に勝るはずがないのは一目瞭然。故にその内心には、確かに油断が存在した。
同時、ラスレイが動く。
通常至近の間合いしか持たぬ短剣――その刀身を、足元の、何の変哲もない地面に突き立てて。
瞬間、噴火じみて隆起した土砂の刃が、ヴィルラディウスを急襲した。
足元より生まれ奔った、回避不能の大地の剣。その重い突きが吸血種の体を叩きその脚を浮かせる。
「ぐッ、これは――!」
土砂の刃の一撃を咄嗟に硬化させた翼で防いだヴィルラディウスは、しかし損傷皆無な肉体と違い内心で激しい動揺を抱く。
この攻撃を、彼は知っている。これは
その思考を巡らす刹那は、確かに敵前にて晒した隙であった。
ヴィルラディウスの視線の先。ラスレイは再び、大地より抜いた短剣を構える。
間合いは遠間。吸血種の翼で辛うじて届くかと言う距離。
されど、少年は短剣を振るう。
空気を虚しく斬るのみであるはずの一刀が、間延びした時間の中振るわれ。
短剣の軌道。
それに追随した無色の風が、鋭利な刃となってヴィルラディウスの胴を薙いだ。
「――ちィ、まさかテメエ!」
ぎゃり、という異音は、防いだ血の翼が削られた音。それほどの鋭利さと威力とを、無形の風の刃は有していた。
翼越しに伝わるこの感触を、吸血種の英雄は知っている。
これは
「ッ、舐めるなァ!」
二度隙を晒すという愚は犯さず、吸血種は血液の翼を伸ばした。
空中という足場がない状況でも、その翼刃の冴えは失われない。伸縮動作共に自在の赫刃は瞬く間に彼我の距離を飛び越え、二度目の風刃を放とうとしていたラスレイを襲う。
だが。
「――っ」
隙を突き防御をすり抜けた刃は、その実避けるまでもない刃。
吸血種の最強の武器でさえ、その竜呪に護られた肉体を傷つけること能わず。
同時、ラスレイが己を襲った翼を、魔剣にして短剣の刃で貫き返す。
瞬間。
「な、なんだァ……ッ!?」
ぞわ、とヴィルラディウスの背筋が、血が未経験の悪寒に貫かれた。
ぶちり。根元から翼が千切れる……否、支配されていく。
悪寒の元は、ラスレイが翼に突き刺した短剣。そこを起点として赫刃の支配権が奪取され、血の刃が短剣の刀身を延長するように形を成して。
「クソ、そういうことかよ……その魔剣の力は――!」
ヴィルラディウスの見上げる先、高々と掲げられたのは異形の赫刃。
ラスレイによって放たれるその一撃は、翼という形状、そして刃物たるその性質を存分に発揮するための、並んだ三つの切っ先による刺突。
どんな鎧も容易く貫き、死体に三つ並んだ傷痕を残すことから、その本来の持ち主の技はかつてのルニアの戦場でこう呼ばれ畏れられた――。
『
瞬きの間、音よりも迅く。
三叉の赫刃はヴィルラディウスを襲い、咄嗟に割り込んだ片翼を砕いた。
己の技、三度目の剣撃を遂に防ぎきれず。
ヴィルラディウスは勢いのまま地面に激突し、その服を体を土で汚した。
だが屈辱よりも先に来るのは、相手の持つ魔剣の能力の正体。
ラスレイが今使用した三つの技、それはどれも、ヴィルラディウスが見た不死たちの技そのものであった。
竜爪の魔剣ヴァルグラム。その短剣は突き刺したあらゆるものを刀身とし、本来人間種が手にし得ない様々な種族の種族たるを再現する、まだ何者でもない少年の憧れを祝福する力を持つ。
膝を突き立ち上がるヴィルラディウスの元へ歩み寄るは、人間種、血濡れの祝福ラスレイ。
竜血の呪いによる不壊の肉体。魔剣による人間種の域を逸脱した攻撃能力。
吸血種は乾いた笑いを漏らす。相手ではなく、無様な己を嘲弄する笑みを。
「ハッ、コレが『竜殺し』――テメエ、今まで手ェ抜いてたってコトかよ」
「……違うよ、おれはずっと全力だった。ただ、きみの強さに気付かされただけだ。勝ち方にこだわるなんて許されない、自分のどうしようもない弱さを」
これほどの力を持ちながら、ラスレイは驕りも昂ぶりも見せない。
それを高潔と取るか、それともただの欺瞞と見たか。
ともかく、吸血種は立ち上がった。その背で千切れた右翼と砕けた左翼が再生していく。
否、それは単なる再生ではなく……それは更なる進化、強化の類。
「そうかよ。ならばオレも無上の全力でテメエを――貴様を打倒しようぞ『竜殺し』!」
気高き声は、不死の戦士にして不死の貴族という彼にしか出せない誇りの叫び。
当初の目的など既に忘れた。決闘はまだ続いている。
血酔う惨将の血に流れる
竜殺しの英雄何するものぞ。
我が名はヴィルラディウス・ヴァン・ヴェルヴェスティーニ、血酔う惨将の名を賜りし不死の英雄――絶対不死なる護国の刃、残虐公の後継者である!
「――ルニアの
紡ぐは歴史に刻まれた偉業の一節。
示すは遠きルニアの戦場、その夜を制した
闘志、最高の充足を見せ。躍動するは不死の五体。武器たる
さあ世界よ、オレという伝説を思い出す時だ――!
「
血色の満月、無数の屍、赤く染まった荒野の戦場。
風景の変化に見物人が悲鳴を上げる。ラスレイもまた目を見開く。
瞬きの後には何も変わらぬ学園の中、今の幻視は白昼夢か。
否、世界が軋む音がする。魂にて理解させられるのだ、確かに今ここには、『学園』と『戦場』という相反する
そんな惨夜の中心は、間違いなくかの吸血種であった。
その背で蠢く巨大な赫翼は凶悪な殺傷能力を有する禍々しい形状で固まり、大剣として主の両手に収まる。
それは魔剣。名を、ヴィルラディウスの血酔う魔剣。
しかし、その血の翼刃を『魔剣』の域に届かせるのは、不死なる
白い指先が赫の柄を握る――瞬間、剣気が世界を貫き大気が恐怖の悲鳴を叫ぶ。
誰もが確信した。今、世界の主人公は彼、血酔う惨将ヴィルラディウス・ヴァン・ヴェルヴェスティーニであると。
過去の風景の幻視、運命すら隷属させる力。
この決闘の立会人たる竜人の少女、リュリーシア・クリサフェイノス・ドラウレウスは、その現象の名を知っていた。
「『
少女の声が叫ぶは、その『現象』に与えられた唯一の名。
人、あるいは不死には、『一生に一度の奇跡』というものがある。
才能、幸運、環境、精神――そういうものが偶然に噛み合い相乗して、潜在能力の限界、あるいはそれ以上の結果を残すことがあるのだ。
当然全てがそうではないが――偉業、伝説の域に届いたその奇跡は、遥か塔国の『無限碑』を通して歴史に、
一生に一度の、二度と手の届かないだろう奇跡の結果。
己の成し得た奇跡を武器とする、二つ名を与えられた英雄にのみ許されし運命超克の絶技である。
「行くぜ、竜殺し――」
言って、双翼転じて双魔剣の戦士が地を蹴った。
踏み込みは鳥のように軽やかに。しかして速度は光のソレで、続く動作は肉食獣を凌駕するしなやかさと力強さでの剣の連撃。
斬。重なった音はふたつ。
反応すら許さない超速で、ヴィルラディウスの血酔う魔剣はラスレイの肉体を袈裟十字に刻む。
竜の鱗とは、この世で最も硬い絶対不壊の鎧である。
そして竜血に祝福されたラスレイの肉体の硬度とは、その竜鱗と寸分違わぬ同等である。
故に、吸血種の刃は此度も通用しない――。
そう、世界が判断したかの如く。
「――!」
ぶしゅう、と傷口から鮮血が噴き出す。
ラスレイの肉体、刃を弾いたハズの肌が裂け、そこから赤い命が零れていた。
痛みが彼の頭頂を貫き。しかしてそれすら超える驚愕に少年は叫ぶ。
「
そうだ。確かに不壊の肉体は刃を通さなかった。
だが、現にラスレイは傷を負っている。この痛みは決して幻覚ではない。
それは、ヴィルラディウスによる彼の過去の偉業の再現が故。
『
かつてのルニアの戦場で万敵万難を斬り裂いた血の翼、ヴィルラディウスの血酔う魔剣――その過去の偉業が現在を侵食し、ラスレイの肉体、竜鱗の硬度が持つ『絶対不壊』という概念を歪める。
即ち。
その翼はあらゆる守りを貫く、概念浸食の魔剣である。
「ギハハッ――血に沈め、
狂乱の笑いと共に放たれた続く斬撃、赫刃による神速の突きは、躱し切れなかったラスレイの脇腹を浅く裂いた。再び鮮血が零れ、魔剣と吸血種が血に哄笑する。
ラスレイの肉体を、竜血の守りを貫くのは、ヴィルラディウスの築いた英雄譚そのもの。
遠きルニアの夜の戦場、そこでかの吸血種の刃を防げたものは居なかった。その伝説と言う名の事実が現在を侵食しているのだ。
ここはルニアの夜の戦場で、故にどんな敵であれヴィルラディウスの血酔う魔剣を防ぐことはできない――そう世界を錯覚させる現実干渉、過去と現在を強引に結びつける世界改変こそが
刃が通ってしまえば、やはり彼我の実力差は圧倒的であった。ラスレイは迫る無数の剣閃のどれひとつとして防ぎきることも躱し切ることもできない。
ラスレイの視界が赤く染まる。
夕刻前の学園であるはずの周囲がしかし、紅い夜に見えて仕方ない。
満月と死の荒野、遠いルニアの戦場すら衆目に幻視させるほどの世界歪曲。
これが、不死の英雄。現代において定命の英雄を駆逐せしめた、種族的に優れた能力を持つ不死の中でも、更に秀でた傑物たち。
おれとは違う、
斬、と赫刃がラスレイの肉体を一層激しく蹂躙する。
斬られた方が清々しささえ感じる見事な一撃。
開いた傷は大きく、零れた血は少なく。それは、人間種の限界を意味していた。
「(もう、痛い以外の感覚が、ない。くそ、意識、が――)」
実際、竜血を浴び染み付いた『祝福』が自発的に目覚め竜鱗の硬度を得るまで、ラスレイは鋭き翼に肉体を斬り刻まれていたのだ。
零れる鮮血は間違いなく彼のものだった。残響する痛みはその精神を削り、失血は無慈悲に意識を遠のかせる。
そこに来てのこの痛撃だ。当然、人間である彼はその痛みと失血とで気絶する――。
ざり、と。
辛うじて倒れ込まなかっただけのその踏ん張りは、しかし、ラスレイ、ヴィルラディウス両者にとって信じられぬ奇跡であった。
戦場で無数の生命を斬ったヴィルラディウスは、目の前の生命の限界を体感として何となく把握できる。その感覚によれば、少年の体に刻まれた傷、流した血の量、共に意識を保てる範疇を大きく超えていて。
それでも、少年は倒れなかった。その口がうわ言のように呟く。
「……ああ、やっぱり。きみは凄い、
息も絶え絶えで、足は震え、痛みは諦めて目を閉じろと脳内で合唱し。
それでも、それでも辛うじてラスレイが踏み止まった理由はふたつ。
祝福により肉体に与えられた、異常な竜種の生命力。
そしてラスレイの骨子たる、亡き竜への英雄の誓い。
「でも。おれが負ければ、最強だった
15歳の人間種は、その実、吸血種が過去に
あるいはそれこそが、竜殺しを成すに足る才覚であるのか。
だが、たとえ寸前で敗北の瞬間を遠ざけようとも、依然ラスレイの側に勝ち目はない。
何故なら『
この必勝/必敗の運命から逃れる方法はふたつ。
歪曲された世界情報が、撓んだ棒が戻るように元通り修正される時間を待つか……。
あるいは。自らも運命に――
「……そうだな。負けるわけには、いかないもんな」
そうだ。ヴァルニールを殺したあの瞬間から、彼の人生において敗北が赦される常人の権利は剥奪された。ならば命を賭してでも、眼前の運命に抗うのみ。
幸い、やり方は分かる。肉体に刻まれた竜の祝福が、その高みへと少年を導く。
「分かった、やってみるよ――ヴァルニール、おまえを殺した英雄として!」
不死の英雄、魔剣の翼何するものぞ。
我が名はラスレイ――最強を運命付けられた、暴竜殺しの英雄である!
「黒き
紡ぐは歴史に刻まれた偉業の一節。
示すは生まれ故郷イニトの地にて、最強の竜を討った最新の竜殺しの姿。
肉体には無敵の竜の呪い。手には無双の竜の爪。そして我が運命には与えられしは、かの暴虐なる竜の祝福。
世界よどうか、おれに誓いを果たすための力を――!
「
その
つまり、彼は世界に叫ぶのだ。
「最強の竜種を屠った者が、最強の英雄でないはずがない」と!
「ソレが、どうしたァッ!」
直後、容赦なく奔った剣閃の色は赫。
吸血種の翼刃、冴え渡る人外の剣技――それを。
振るわれた赤黒の短剣が迎撃し、刀身ごと赫を両断した。
――英雄、覚醒。
ヴィルラディウスの血酔う魔剣、その片翼が半ばから刀身を失い砕ける。
吸血種の動きが疾風であるなら、竜殺しの動きは雷光であった。
ヴィルラディウスが目を見開く――肉体硬度と魔剣の力以外、彼は正真正銘凡人であったはずだ。
だが、今の一撃。そこにはヴィルラディウス以上の速度と膂力があった。
金剛にして強壮の五体、音など容易く追い越す速度。
吸血種は本能で理解する。
そうか、これが――『竜殺し』に足る英雄の力か!
瞬間、彼我は剣を翻し追撃/反撃を繰り出す。
ぶつかり合う刃と刃、衝突音は空間の悲鳴そのもの。
火花散らし激突した大剣と短剣、ふたつの魔剣の柄を握った吸血種と人間種は、全霊の力で以て鍔迫り合う。
「らあああああああああああああァ!」
「お、おおおおおおおおおおおおお!」
ぎゃりぎゃりという異音が空間を刺す。
彼我の『
ルニアの夜の戦場が。イニトの異端の協会跡が。瞬きの間に背景を染めては消滅する。
ヴィルラディウスの砕けた片翼が再生、風さえ追い越す神速で以て、鍔迫り合いの最中のラスレイを横から襲う。
振るわれた剣を、ラスレイは伸ばした腕で受け止める。神速に対して神速の動き、赫刃は掌に僅かに喰い込むも、手を縦に裂く前にその竜殺の握力で以て強引に握り砕かれる。
同時、振るわれたのはラスレイの拳。咄嗟に防いだ腕の骨を粉砕して、ヴィルラディウスの体を背後に飛ばす。
吹き飛ぶ速度より早く肉薄し短剣を振るうラスレイ、その追撃を、腕と翼の同時超速再生によって虚を突いたヴィルラディウスの一撃が迎え撃つ。
赫刃が一秒に十度振るわれたなら、短剣は一瞬で十一を返す。
それは最早、英雄ふたりが刻む新たな伝説の戦いであった。
両者の間には無数の火花が咲いては散り、同時、ぶつかり合う世界改変の力が周囲の空間を軋ませる。
ここはルニアの冷たき夜戦場、その吸血種は此度の戦争にて無双を誇る、
ここはイニトの教会跡地、その少年は確かに最強をその手で屠る、
ヴィルラディウスが勝利を掴む、
ラスレイが相手の心臓を抉る、
否、否、否、
勝つのは、
「オレだ――ッ!」
「おれだっ……!」
一刀両断、両翼の血酔う魔剣が竜爪の魔剣に一息で砕かれ。
同時、翼を犠牲に放たれたヴィルラディウスの強烈な蹴りが、ラスレイの体を後ろに吹き飛ばす。
開いた体十個分の距離は、今のラスレイなら一歩、一息の間で零に出来る間合い。
だがその一歩、一息の時間が、ヴィルラディウスの求めた隙であった。
ヴィルラディウスの血酔う魔剣。
それは刀身が戦血を吸えば吸うほどに鋭く強く成長していく、戦場において無双の剣。
本来は屍の山を築いてやっと到達できる血酔いの極致は――しかしラスレイの血に流れる竜血と同等の生命力を吸ったことにより、既に現実へと現れていた。
それは、吸血種の背より伸びる片翼。片方に全ての
今横を向く刃の刃渡りは、体十個分など優に超え。
刺殺、斬殺、殴殺、轢殺、全てを兼ねる異形の形状をその刀身は持つ。
それは最早、血酔う魔剣の域に非ず。
その新たなるかつての銘を――狂血の魔剣ヴィルヴァテイン。
ひと薙ぎで百千の兵士を殺す魔剣を構え、ヴィルラディウスはラスレイへ叫ぶ。
「今ならまだ間に合う、降参しろ
「それ、でも――ッ」
彼我の距離、一息で超えられるはずの距離は、今や刹那で赫刃が薙ぐ死域となった。
例え竜殺しの力を以てしても、短剣の間合いに入るより吸血種の翼が届く方が先だ。その上相手の刃は
ラスレイが勝てる理由はなかった。
それでも彼が退かぬのは――
「おれは超える。不可能を可能にするくらいできなくて、なにが『竜殺しの英雄』だ――!!」
死さえ恐れず、一歩、踏み出す。
最強の竜殺しの身体能力から繰り出されるその一歩は、紛れもなく人間種最速の一歩。踏み込みで地が爆発し、それは爆発的な推進力となってラスレイの体を風とする。
だが。
「バカがッ、死んだぞテメエ――ッ!」
薙ぐ赫刃は風よりも迅く。
斬撃は因果さえ歪ませる後手必殺。
故に。ラスレイが距離の半分を詰めるよりも、翼の魔剣がその身に届く方が早かった。
跳ぶも退くも既に遅く、世界に後押しされたその技は回避などできようはずもなく。
狂血の魔剣ヴィルヴァテインが敵を斬り裂き勝利することは、運命によって決まっている――
否!
「きみがどれだけ凄くても、おれがどれだけ弱くとも! あいつが――ヴァルニールが
そうだ、叫べ。
他ならぬ世界に向けて叫べ。
例え相手の最強が真実で、この身の最強が偽物でも。
あの
なぜならこの手の内にあるのは、最強を屠った竜の爪。
竜爪の魔剣ヴァルグラム。
その本来の刀身は、かの
赤黒、一閃。
偽物の最強、真実の最強を超克し。
竜爪は今冴え冴えと、狂血の赫共々敗北の運命を斬り拓く!
「な――ッ」
赫刃、砕け散る。
ラスレイの振るった竜爪の魔剣ヴァルグラムが、狂血の魔剣ヴィルヴァテインを迎撃し打ち砕いた――その眼前の光景に、ありえない、と吸血種は喘ぐ。
赫い翼の速度は音速など話にもならない因果跳躍。それに短剣の刃を合わせるなどありえない。
その斬撃は過去の伝説に補強された、不壊必中にして一撃必殺。それを防ぎ、その上砕くなどありえない。
人間種にとって、この一撃は致命の技。一歩間違えれば、否間違いなく死ぬその技を、正面から受けるなど断じてありえない。
ありえない。ありえるはずがない。
でなければこの
「う、おおおおおおおお――!」
「、しまッ――」
吸血種が我に返った時。
竜殺しは既に肉薄していた。
これは短剣の――竜爪の魔剣ヴァルグラムの間合い。
だがヴィルラディウスの刃は砕かれ、それを防ぐための手段などない――。
赤黒の刃が、敗北を宣告するように。
拳ひとつ分の空間を開けて、吸血種の首元に突き付けられていた。
……両者、動かない。
時間は、まるで止まっているようだった。
「……何故斬らない。オレは『不死』だぞ」
そう、ようやく口を開いたヴィルラディウスの問いに。
ラスレイは刃を突き付けたまま、しかし決して振り切らず答える。
「……きみは、おれを心配してくれていたんだろ。おれがふつうの人間なら、この不死の学園は――その先の戦場は危険だと。だからこの一日力を見極めて、おれに見込みがなさそうだったから追い出そうとした。
「……だったらどうした? 決闘の中でオレはテメエを殺そうとした、この事実に変わりはねえ」
「そんなの別に普通のことだろ。戦う以上絶対に負けられない、その気持ちは分かるつもりだから」
……どうしようもなく矛盾している、と吸血種は思った。この少年は殺してでも勝たねばならぬという矜持を理解し自らも同じものを抱きながら、それでも相手を尊重し斬首を選ばない。
その、英雄志望とひどく不釣り合いな凡庸な善良さ……それこそが彼の本性であると、なぜだか思えてならなくて。
そうしてラスレイは、ふわ、と表情を和らげた。
突き付ける刃から力が抜ける。
「きみは優しい
おれはただ、許して欲しいだけなんだ。人間種のおれがきみたち『不死』とともに、この学園で英雄を目指すことを」
嗚呼、そうだった。
吸血種は、少年を学園から追い出そうとしていたのだった。
けれど……そうしようとした理由は何だったか。
かつて、ひとりの
若き彼は血族の長に憧れ不死の将として戦場に立ち、そこで初めて『人間』を知った。
臆病な尖兵が居た。陽気な砲兵が居た。凄腕の闘士が居た。才ある参謀が居た。
彼等『人間』は誰もが
――二か月後。内乱が集結を迎えたとき、戦場に立っていたのは若き
臆病な尖兵も、陽気な砲兵も、凄腕の闘士も、才ある参謀も、全員が死んだ。
そこで初めて、若き
その、余りに脆く儚い生き物のことを。
そんなかつての若き
血濡れの祝福ラスレイ。
そんな過去と、当初の目的を思い出して。
ヴィルラディウスは、ふっと笑って肩をすくめた。
「――ハッ、降参だ」
……結局、ラスレイの指摘は図星であったのだ。
ヴィルラディウスには不死の強者としての自負があり、定命の人間種は戦場に不要と確信していた。
――不死に心があるように、人には心も夢もある。ならば、死が溢れる戦場に立つのは容易く死なぬ頑強な不死であるべきだ。人に心があるように、不死にもまた心はある……心を通わせた相手を失うことを悲しむ『心』はあるのだから。
それでも……この男ならば。
血濡れの祝福ラスレイ、この不死の英雄が全力を出しても死ぬことのなかった少年ならば――戦場にて背を預けるに不足はない。
かくして刃は理由を失い。
ゆっくりと立ち上がった吸血種は、ぼろぼろの少年に頭を下げる。
「悪かったなァ――いや、すまなかった。非礼を全面的に詫びよう。決闘前の要求は全て撤回だ、望むならどんな罰でも受ける」
「そんな、罰なんて……おれが勝ったのはヴァルニールのおかげだから、おれにそんなのを望む資格はないよ。――あ、そうだ、おれも謝りたかったんだ。最初、名前を忘れていてごめん。失礼な態度とってごめん。怒らせちゃったことも、ごめん」
そう、勝者に頭を下げ返されて……ヴィルラディウスは吹き出した。ひどく若い笑いだった。
「ギハハッ、面白い奴だなオマエ。その性格で何がどうなったら『竜殺し』なんかになるんだァ?」
「……いつか話すよ。おれが、
「ハッ、このヴィルラディウスに勝っただけじゃ不足か。益々気に入った!」
ばしばしとラスレイの背を叩き。
すっかり彼を認めたらしい吸血種は、戦いの終わりの気配を感じ取り駆け寄ってくる白髪の少女を指さして言う。
「ラスレイ、だったよなァ。オマエ、妹の婿にどうだ?」
「はい?」
「お兄様!!??」
素っ頓狂な声が耳を刺す。それは
彼女は左右で色の違う青赤の瞳を白黒させながらヴィルラディウスに詰め寄った。
「人間相手に大人げなく本気を出したと思ったら、今度は私に話も通さずムムム婿がどうだとか――しかも本気で言ってますねソレ!? ヴェリアリーナはお兄様の思考回路が理解不能です!」
「良いだろ減るもんじゃねえし」
「減るどころか一生に一度きりのものなんですけれど!? ホント、いい加減マジに心臓ブチ抜きますわよ!? ――ああこの人『良いよ減るもんじゃねえし』って思ってる……! 頭がどうかしていらっしゃるわ……!」
美しい顔を歪め頭を抱える不死の少女をぽかんと眺めていたラスレイは、ヴィルラディウスの方を向いて一言。
「おもしろい
「あァ、自慢の妹だぜ。ちょっと狭量なトコはあるけどなァ」
「お兄様が気にしなさすぎなんです! お言葉ですが!」
そう即座にツッコまれて……男二人は同時に吹き出した。
何が面白いのか、ヴィルラディウスは再びラスレイの背をばしばしと叩きながら大笑いする。先程まで殺し合いを演じていたのが信じられぬほどに――あるいはだからこそか、彼等は十年来の級友のように自然に肩を組んでいた。
そんな兄たちにさっぱりついていけない妹は溜息を吐いて……その赤青の目を細める。視線の先には、やはり先程まで殺し合っていた相手と呑気に笑い合う人間種の少年。
「(お兄様がこれほど人間種を認めるなんて……変な人間ね、ホント。……まあ婿の件はありえないですけれど!)」
ともかく、もうそこには誰の敵もおらず。
遅れて歩み寄ってきた立会人の竜人によって、決した勝敗は確定された。
決闘、決着。
勝者、血濡れの祝福ラスレイ。