あの決闘の後。
教会で傷を治療してもらったラスレイは、寮に向かう途中、とある人物に呼び止められた。
金の角を持つ彼女の名は――。
「えっと、新入生代表の……」
ラスレイの言葉がそこで続かないのを見ても気を悪くした様子はなく。改めて、彼女は凛と胸に手を当てて名乗る。
「
「わかった。えっと、りりゅ、リュリ――」
「――発音が難しければ、リーシャ、とお呼び頂いて構いません。そのくらいの寛容さは持ち合わせているつもりです」
そう言って、黄金の竜人、終の竜刻リュリーシア・クリサフェイノス・ドラウレウスはにこりと笑った。
二つ名の通り
強く、美しく、その姿は完璧を体現している……とは、既に彼女の信者となった不死の談。
そんな彼女と至近で向かい合って初めて分かったことだが。
「……ありがとう。じゃあ、リーシャで」
「はい、では私も気安くラスレイさんと。……? 私の頭に、何か?」
「いや、その……思ったよりちょこんとしてるなぁ、って」
「……ちょこん、ですか」
そう。ラスレイが向かい合う黄金の竜人は、想像や印象以上に小柄であった。言ってしまえば、ちょこん、としていた。
角や翼、堂々たる態度がその体を一回り以上大きく見せるものの……実際はいかにも少女ぜんとしていて、毅然とした表情でさえなければ花畑ではしゃぎ回っていてもおかしくない年頃に見える。少なくともラスレイと比べても、10人居れば10人が彼女の方を幼く見るだろう。
と、ここでラスレイはハッとして己の口を押さえた。内心がどうあれ、今のは紛れもなく失言である。
「ああごめん、失礼だったよな……!」
「……いえ、お気になさらず。私の体高が低いのは客観的に見ても覆しようのない事実ですし、私も気にしていませんから、ええ」
ええと、本当に気にしていないなら、拳を握り締めぷるぷる震えたりはしないのではないだろうか……いや、それはともかく。
「それで……えっと、おれになにか用でも?」
完璧な竜人が『竜殺し』に何の用か。問えば、すっとその可愛らしい顔が凛と引き締まる。
先の決闘のこともあり、あまり良い予感はしていないラスレイ……その予想を裏切るように、彼女は言った。
「はい。お呼び立てしたのは謝罪の為です」
「謝罪、って……いったい何を?」
「――当然、あなたとヴァルニールについて」
やはり竜人が幼いのは外見だけであった。頭を下げる姿勢さえ見惚れるほど美しいのだから見事だ。
「改めて、申し訳ありません。黒き
それは新入生代表挨拶のとき。確かにリュリーシアはヴァルニールのことを、『悪魔に殺された』と言ってしまっていた。それが無限碑に刻まれた事実とは異なる推測にすぎぬと知ったとき、彼女は自分がラスレイ・ヴァルニール両名の名誉を傷つけたことも知ったのだろう。
その口調に、態度に、幼子が背伸びしているような違和の色はどこにもなく。
自分より背丈の小さな少女にこうも堂々と謝罪されては、むしろこちらの返答に障りがあった。
「ちょ、いやその、とにかく顔をあげてくれ。いいんだ、わざとじゃないって分かってるし。それに、今のおれがあいつを殺したなんて言ったって、だれも納得しないだろうから。ホラあいつ、ちょっと信じられないくらい強かったしさ」
ラスレイは慌てながらもなんとか言葉を組み立て、それでも軌道修正はできなくて。
だから、後半はほとんど独白だった。
「だからおれは英雄になる。今までのどんな英雄よりも凄い英雄に。そのときにきっと、堂々と宣言できるんだ。おれがあいつを殺した英雄なんだって――あいつは、ヴァルニールはこんな凄い英雄じゃないと倒せなかった、とっても凄い竜だったんだぞって」
そう遠い目で語る少年を前に、リュリーシアが抱いたのは違和感。
人間種が、いいや不死でさえ、生のうちに『英雄』という名誉を望むことは珍しくない。富、力、名声……そういったものへの欲は誰しもが持つものだ。特に『無限碑』という絶対の歴史書があるこの世界で、名声への憧れは殊更強い。
けれどリュリーシアには、少年が望む名声とは己の身を飾るものではなく、寧ろ亡き暴竜にとってのそれであるように感じられて――。
思わず。
黄金の高潔さに罅が入り、隙間から疑問が突いて出た。
「ラスレイさん、あなたは……」
「?」
「あなたはかの竜を好ましく思っているように見受けられます。かの暴竜、1000年に渡り戦禍を振りまき数多の英雄を焼き焦がした、黒き
そもそもリュリーシアが知る『竜血の呪い』とは、文字通りの竜の今際の呪詛、「不死を与える」のではなく「死を赦さぬ」類のものだ。血を介したその呪いは永劫解けず、戦いの運命を呼び寄せ、心休まる時間など一日とない戦乱の日々を死ねぬ体で歩み続ける……その果てに自我を喪失し生きたまま屍と化すのが、史上生まれた『竜殺し』たちの例外なき宿命。
だがラスレイの『竜血の呪い』には、そのような禍々しさを感じない。むしろ呪いそのものの意志が彼自身を護ろうとしているかのような……。
あるいは、普段のリュリーシアであれば決してしない発言だっただろう。無辜なる他者の名誉を貶める恐れのある問いを口にするなど、彼女の志す完璧からは程遠い。
それでも竜人は訊いてしまった。余りに謎多き少年と、明白なりしかの暴竜との関係を。
――竜種、黒き
その肉体に傷を残すことは史上最大級の偉業であり、しかしてどんなに名高い英雄も最後にはその竜の前に膝を折った。
事実。史上語り継がれる英雄、そのうち定命・不死問わず100以上の者達が、無限碑の最後の行に「ヴァルニールに殺された」と記されている。
例えば、それは魔眼王バロメット。西大陸じゅうを恐怖させた史上最強の
聖歴300年ごろの獣人種、牙砕きデフェルも同じく。竜の牙を折る剛力を以てしても、竜を仕留めることは能わず、その勇敢さと欲深さは諺として歴史に残った。
また、死と引き換えにその喉を貫き
数多傷つけども決して破れず、誉れ授けれど命を奪う。
英雄を生み、そして英雄を殺す竜――それこそが1000年続いた黒き
そんな過去の事例が証明しているように……かの最強の竜種を尋常の手段で打倒せしめることは、おおよそ不可能と言っていい。それが突出した才も優れた種族的特性も持たない15歳の人間種なら猶更だ。
なにせ、かの竜を殺すことはこの1000年間誰も成し得なかったのだから。史上最高峰の才能も、復讐にのみ生きた執念も、その悉くがヴァルニールの命に届くことはなかったのに。
それでも覆らぬ事実として、ラスレイの偉業は、その竜殺しの過去はある。
故に。
血濡れの祝福ラスレイ、彼は竜種に正面から挑み勝利したのでなく。
そんな意図の秘められた、いっそ糾弾にすら近い問いにも、少年は相好を崩さなかった。
否。僅か、ほんの僅かに返答の声が震える。
「ヴァルニールは、おれの命の恩人なんだ。それで……たぶん。
――ふつうに友達だったよ、おれたちは」
黒き
だがそれは果たして、愛ゆえに起こった悲劇なのか。あるいは卑劣なる奸計の果ての弑逆だったのか。
その真実に蓋をしたのは、竜殺しの寂しき微笑みであった。
――彼の者について、遥か塔国の無限碑にはこう刻まれている。
生誕、聖歴1001年。
出身、大帝国西部イニト。
種族、人間種。
彼の者は、竜種、黒き
浴びた竜血にて祝福されしその肉体、不壊たる竜鱗の硬度と不死の生命力とを有する。
手には竜爪の魔剣を持ち、それは死した英雄の英雄たるを地上にて再現する力を秘める。
伝説の竜の名はその心の内にて
貫いた心臓が流した今際の竜血は、呪いではなく祝福でその人生を染めた。
故に、彼の者に相応しき名は是となる。
二つ名、『血濡れの祝福』。
血濡れの祝福ラスレイ。