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自宅に戻ると、玄関には女物の靴が置いてあった。
「あ、おかえり」
家には元気よく迎えてくれたノワールの他に、尾上も寛いでいた。
「珍しいな」
「今日はお前が早かったからだろう」
言われてみればまだ日も落ちきってない時間帯だ。
仮病で午後に早退して、東京総合科学大学を往復し、なんだかんだそれなりの時間を要したが、それでもいつも帰宅する時間よりはずいぶん早いだろう。
「なぁ、ネオジェネのことだけど。これ以上調査する意味あるのか?」
「どういうことだ?」
「いや、もう中継機のちびネズミが原因って分かっただろ。これ以上個別の事件を調べるより、Truthをもっと詳しく調べた方が、お前の目的にも近付くんじゃないのか」
俺としても次の犠牲者を出さないために、いち早くTruthの企みを暴いてちびネズミを回収した方が効率的だと思う。
「まあ一理あるな」
ノワールが汲んできた水道水を尾上に渡す。
彼女はそれを一口含んでから続ける。
「だが、Truthの調査とは平行して、ネオジェネ事件自体も調べる必要がある」
「どうして?」
「まず、次の犠牲者を出さないため。根元を絶つのは大事だが、見えている芽も潰しておくべきだろう」
確かに、ハッピートリガーや顔面レモンは連続殺人だ。
今は静かにしているが、この後さらなる被害が出ないとも限らない。
「それと、ネオジェネ事件自体に謎が多い」
俺はその言葉の意味が分からず首を傾げる。
「一つ聞くが、ネオジェネ事件で得をしているのは誰だ?」
「誰って、そりゃ樋上、Truthじゃないのか?ちびネズミばらまいてるのはあいつらなんだし」
「具体的には?どんなメリットがある?」
「どんなって……」
俺はしばらく頭を捻る。
「……向谷の件で、俺が追い詰められて、ギガロマニアックスに覚醒した?」
「よく考えろ。向谷が間島を殺したのは、お前が樋上と会う前だろう」
そういえば、俺が取り調べで休んでいる間に、向谷は間島さんを殺したんだったな。
「それにお前が精神的に追い詰められたのは、
彼女の言う通り。
グリムが彼女である以上、全部樋上のせいだとするには無理がある。
「それに、他の事件はお前とはなんの関係もない。せいぜいハッピートリガー#3発目の第一発見者になったくらいだろ」
「じゃあ、樋上はネオジェネ事件を起こして何がしたいんだよ」
「それが分からないという話だ。現状、渋谷で猟奇殺人が起きて得をした人間が誰もいない。強いて言うなら、殺人の動機があった犯人くらいか」
だが、ちびネズミが持ち主のバイオリズムを上昇させて、凶悪犯罪に走らせやすくする効果があるのは間違いない。
そんな物騒なものをばら蒔くのだから、何か意図がないとおかしい。
「その謎を特定する。あるいは、これ以上の殺人を食い止めることで、やつらの目論見を阻止する」
「……お前の目的って、仮称ノアXを手に入れることだよな」
「それがどうした?」
「いや、なんか、普通にあいつらの陰謀を阻止する方に動いてくれるんだなって」
それを指摘されて、尾上はしばらく黙り込む。
「……まあ、ある種の罪滅ぼしなのかもな」
「?」
「何でもない。それより調査の方針だ。お前達はこの間、ハッピートリガー#3発目の事件現場に行ったんだな」
「ああ。サイコメトリーで犯人の顔でも見てやろうと思ったけど、結局手がかりはなー」
「なー」
ノワールは俺の真似をして、残念そうに声を出す。
「手掛かりならある。まずはお前がサイコメトリーで見た情報だ。そいつの身長はどれくらいだ?」
「えーっと、被害者より10センチくらい高かったか?」
「なら身長は180センチ前後だな。ハッピートリガー#3発目の被害者、近藤赤斗の身長が170センチくらいだからな」
「どこで仕入れたんだよ……」
まあ被害者の身元が割れてる以上、ギガロマニアックスならいくらでも調べる手段はあるか。
「それと、ノワールは犯人が逃げた方向を指差したんだな。どっちに逃げた?」
言われてもノワールはピンと来てなかったので、俺はスマホで絵を書いて説明した。
「この路地裏から見て、どっち側に逃げたんだ?」
「んー……こっち!」
ノワールが右側を指差したのを見て、尾上は満足気に頷いた。
「やはり住宅地方面か。ノワールが寝床としていたゴミ捨て場も、事件現場より住宅地寄りの場所にあったからそちらへ逃げたのは間違いないな」
「それが何になるんだ?」
「犯人は駅とは反対方向に逃げた。つまり、犯人はこの付近、円山町に住んでいる可能性が高い」
「適当に逃げただけじゃないか?」
「それならなおさら自分の帰り道を選択するはずだ」
「じゃあ近くに車を停めてたとか」
「私なら殺人現場の近くに車を停めない。路駐なら万一回収されると決定的な証拠になるし、パーキングは否が応でも監視カメラに映る」
「としたら、犯人はご近所かもしれないってことか……」
その事実に俺はげんなりする。
円山町の住宅街に住んでいるとなれば、俺の顔見知りの可能性すらある。
「だが、円山町に住む身長180センチの男という情報が分かっても、私たちでそれを調べるのは難しい」
「どうするんだ?」
「ここはプロに頼めばいい」
◆
その後、俺は電話で久野里さんに尾上の推理を伝えた。
すると数日後、電話で呼び出され、またして俺は大学の彼女の研究室を訪れることになった。
「お前が提示した条件に合う人物の情報だ」
久野里さんが手渡したのは、2枚の資料のだった。
それぞれ異なる人物の名前と写真、簡単なプロフィールが記されていた。
「こんなの、よく手に入りますね」
「私は警察のアドバイザーとしてネオジェネ事件の捜査をしている」
「ああ、通りで……」
容疑者リストで俺の顔を見たというのも、彼女が警察の捜査資料にアクセスできる立場にあったからだろう。
「その反応、やはりお前に指示を出している人物がいるな」
「っ!」
反射的に口許を覆い隠した。
「別になんでもいい。私の敵にならないならな」
これは警告の意図もあるのだろう。
俺は彼女から視線を資料に移す。
一人は
職業は一般企業に勤めるサラリーマンで、現在は一人暮らし。
かつては妹と同居していたらしいが、その妹は去年の3月頃に亡くなっている。
もう一人は
こちらは桐島組というヤクザの組員で、ハッピートリガー#2発目の第一発見者のようだ。
桐島組は闇金融に手を染めており、現在はその追及で、重要参考人のこいつも警察署にいる。
「こうして見ると、どう見てもこの葉堂ってやつが怪しいですね。覚醒剤なんてそうそう手に入るもんでもないし」
「そうでもないぞ。今時違法薬物を入手する手段はいくらでもある。なんなら、一般人でも知識さえあれば作ることは可能だ」
「そうなんですか?」
「ああ。覚醒剤は麻黄という植物を材料として作る。栽培と製造の方法が分かれば案外簡単だ。それに、ちびネズミがある」
ちびネズミは仮称ノアXの力のごく一部を機能として持っている。
持ち主にとって都合のいい妄想が勝手に
「とにかく、情報は渡したんだ。警察に勝る活躍をしてくれないいと、お前と組む意味もない」
「分かってますよ」
俺は資料から読み取った情報を要約して、スマホにメモを取る。
「ありがとうございます。じゃあこれで」
出口の扉に手を掛けたその時、突然それは開け放たれる。
「うっ!」
音もなく飛び込んできた巨大な"山"が俺の顔に押し付けられた。
まるで気配に気づかなかった俺は、そのまま柔らかい二つの山に顔を沈めた。
「おや、鈴代くんじゃないか。今日も来てたのかい?」
声がして、視線だけを上に向けると、山の主はメガネ巨乳、いや教授こと最部《さいべ》教授だった。
「最部教授、いつからそこにいた?」
「ん?私はさっききたところだぞ?」
最部教授はとぼけた顔でテーブルの方へ視線を移す。
「要件は?」
「ああ。実は君に意見をもらいたいことがあって────」
最部教授は俺から離れると、久野里さんのところへ小走りで歩く。
最部教授は早口で何かを話しているが、俺には専門用語が多すぎて理解ができなかった。
これ以上ここにいても意味はないし、何より恥ずかしい。
俺は挨拶もほどほどにこの場を立ち去った。