◆
「み……ど────はん」
眠い。
昨日風呂の片づけで疲れているというのに、誰かが呼んでいる。
「御門、ごはん!」
「あー……もうわかったから」
頭を左右に何度もゆすられて、俺は仕方なく体を起こす。
目の前には白髪赤眼の女の子が、不満そうに俺の顔を見上げている。
「御門、ごはん」
「……全部夢ならよかったのに」
ノワールの顔を見て、俺はため息を吐いた。
とはいえ、連れて帰った以上、今更引き返せるわけもあるまい。
俺は諦めて朝ごはんの用意をすることにした
「えーっと、何があったっけ?」
冷蔵庫の中を確認すると、昨日半額で買った総菜パンが二つだけ。
本当は両方とも自分の朝飯だったはずだが仕方がない。
俺はそれを皿に盛りつけてレンジにかける
「御門、まだ?」
「30秒くらい待て。ていうか、手は洗ったのか?」
「ん?」
あろうことか、俺の当然の問いに、首を傾げだした
「ばっちいから手を洗ってこい」
「なんで?」
「あのな、菌ってのそこら中にいるんだ。お前が暮らしてたごみ捨て場ほどじゃないにしても、この部屋だって、自分で言いたかないけど綺麗でもないんだから。ちゃんと手を洗わないと病気になるかもしれないだろ?お前が病気になっても、俺は病院に連れてけないんだからな」
「うぅ……わかった」
ノワールは不満そうにしながら洗面所に向かった。
「やっぱ今からでも警察か児童相談所にでも連れて行った方が」
考えた途端、頭にはあの妙なイメージがちらつく。
「失敗した……」
不意に口を吐いたのはそんな言葉だった。
あのイメージは俺の「力」とやらのせいなのか、ただの妄想なのか分からないが、失敗したというなら、あんなよく分からない子供を拾ったことの方が失敗だろう。
「洗ってきた」
洗面所から戻ってきたノワールが、びしょぬれになった手を見せてきた
「お前、ちゃんと手を拭けよ」
俺はタオルで彼女の手をぬぐうと、彼女をローテーブルの前に座らせ、半分に割ったパンを乗せた皿を差し出した。
「いただきます」
「ん?」
すぐにパンを掴んで食べようとしたノワールが、俺の動作を見て首を傾げた。
「ああ。食べる前に、食べものとか作った人に感謝するっていう、まあ、儀式みたいなもんだよ」
「ふーん」
ノワールは何が面白いのか、俺を観察した後、自分も真似をして手を合わせた。
「いたたきます」
濁りのない言葉でそう言って、改めてパンにかぶりついた。
◆
それからひとしきりノワールに世話を焼いていると、気づけば午前8時を過ぎていた。
「ヤバい、そろそろ行かないと」
俺は急いで支度をして玄関へ向かう。
「御門、どこ行くの?」
「仕事だよ」
「うぅ……お腹すいたらどうしたらいい?」
「え?ああ。昼飯か……」
今から作り置きする時間はないし、そもそも俺は料理なんてほとんどできない。
「そうだ。そこに置いてあるカップ麺」
俺は流し台の横に置かれたカップ麺を指さした。
「あれ食べていいからな」
「ん。分かった」
「じゃあ、行ってきます」
こんなセリフを人に言うのは何年ぶりだろうか。
俺はノワールに見送られて出勤した。
◆
特別な力、ギガロマニアックスとやらであったところで、仕事をしなければ生活できない。
俺は今日もくだらない倉庫作業に勤しんでいた。
「はぁはぁ……」
今日も無駄に重い荷物を、ただ移動させるだけの作業。
これを能力で一瞬で移動させられたら、と何度か妄想してみたが、その妄想が実現することはなかった。
「鈴代、頑張ってんなー」
「チッ……お前も真面目にやれよ」
俺の小声の悪態は聞こえていないのか、呑気に手ぶらで俺に話しかけるこのオッサンは、へらへらした態度で肩を叩く。
生憎今日は間島がいない。
うるさい上司がいないとのびのびやれるが、この邪魔なおっさんを追い払ってくれる人がいないのが難点だ。
「それより聞かせろよ。お前この前サボってどこにいた?」
「別にサボったわけじゃない……です」
「噂じゃ、警察のお世話になってたそうじゃえねぇか」
どこからそんな話が漏れたんだ。
少し迷ったが、下手に隠して余計な噂を立てられては困るので、俺は正直に話すことにした。
「ちょっと、事件の現場を見て、それで重要参考人として呼ばれて……」
「おっ、面白そうじゃねぇか」
向谷はニヤニヤ笑う。
「まさか、この間のハッピートリガー#3発目の第一発見者ってのはお前か?」
「……」
「やっぱそうか!」
俺が黙っていると、向谷は一人で納得して大声を上げる。
「フリーターって言ってたからもしかしてと思ったんだよ」
普段は何の役にも立たないくせに、こんな時だけ察しがいいのはなんなんだ。
「で、死体はどんなだった?」
「……別に、ただ気持ち悪かった、そんだけ」
「おいおいつまんねぇな。もっとあるだろ?お前も言ってみりゃネオジェネレーション、今の時代の若者なんだからよ」
若いというだけで、あんな猟奇殺人犯と一緒にされるなんてたまったもんじゃない。
俺がいい加減、こいつに腹が立ってきたところ、
「お、わりぃ。おーい!そいつは俺が運ぶからよぉ」
突然、向谷は走り出し、コンテナからひときわ大きなダンボール箱を奪い取るようにして運び始めた。
「なんだよ。急にやる気出しやがって」
俺はおっさんの奇行に呆れながら、自分の作業に戻った。
◆
仕事が終わり、俺は今日渡された給与明細に目を通す。
「はぁ……」
そしてその金額にため息をついた。
別にいつもと変わらないが、今はノワールを匿っている関係で金が余計にいる。
無駄遣いされたシャンプー、水道代、これからかかるであろう食費、とても今のままやっていけるとは思えない。
「省エネでやって来たのに、なんでこんなことに……」
俺が鞄に明細をしまうと、鞄の中から1枚の紙切れが落ちた。
「ああ、そういえばこれ……」
それは先日怪しげなアロハシャツの男、樋上真也からもらった名刺だった。
────ま、その気になったら、いつでも連絡してね
名刺に書かれた電話番号を、俺はスマホに打ち込んだ。
◆
翌日、休みに日に俺は渋谷区神宮前にあるオフィスビルにやってきた。
「イヤーよく来たねー!待ってたよ御門クン!」
住所にあったビルの四階の部屋を訪ねると、樋上さんが上機嫌な様子で出てきた。
「ささ、入って入って」
樋上さんに案内されて、俺は応接間まで通された。
促された席に座ると、樋上さんが湯飲みでお茶を出してくれた。
「君が来てくれて嬉しいよ。わが社では君のような才能のある若者を常に欲してるからね」
「まあ、俺の力が役に立つなら」
それを聞いて、樋上さんは満足そうに何度も頷く。
「けど俺、自分じゃ能力を上手く使えないみたいで……」
「うんうん最初はそうだと思うよ。でも安心して。君のような能力者を覚醒させるノウハウがうちにはあるからね」
すると、部屋の奥の扉から一人の少女が出てきた。
背格好から高校生くらいに見える。
青みがかった長い髪、何かのコスプレなのか左目には眼帯を着けており、華奢な少女だった。
「コホンッ、あーあー」
彼女はわざとらしく咳払いをして、左の親指で輪っかを作って右目に当てる謎のポーズを取る。
「我が名は氷の騎士、小鳥遊葵。300人委員会を打倒するべく、地上に降りし堕天使」
なんだ中二病か。
「……騎士、堕天使、どっち?」
「騎士であり、堕天使なのだ」
「葵ちゃんはこう見えてもうちの幹部でね、葵ちゃん、見せてあげて」
「うむ」
葵が眼帯を外すと、その瞬間、一瞬部屋の空気が冷えた。
「寒っ……今のは?」
樋上さんが無言でテーブルを指で叩く。
見ると、さっきまで湯気の立っていたはずのお茶が凍りついていた。
「どうだ。これが私の
技名はともかく、このドヤ顔の眼帯娘が本物であることはよく分かった。
「その、こんな能力者を集めて、何をするのが目的なんですか?」
「彼女がさっき言ってたでしょ?300人委員会、それを倒すのが僕らの最終目標サ」
「300人委員会って、陰謀論とかによく出てくる組織ですよね」
「ああ。彼らは実在する」
樋上さんは真剣な顔で語る。
「渋谷地震の真実、あれは300人委員会が人工的に引き起こしたものだ」
「なっ!?」
「正確には、あれは地震じゃない。彼らのとある兵器の実験による産物だ。兵器は既にニュージェネ事件を解決した英雄、西條拓巳によって破壊されているが、彼らの野望が潰えたわけじゃない。第二の渋谷地震を起こさないためにも、我々には多くの仲間が必要なんだ」
「ほ、本当なんですね」
樋上さんの真剣な語り口調に、嘘があるようには思えなかった。
「君にも超能力の才能が眠っている。それを目覚めさせ、共に戦って欲しい。」
すると、樋上さんが一枚の用紙をテーブルに置いた。
「このセミナーを受ければ、君も彼女のように力を使いこなすことができるよ」
用紙には「超能力セミナー」とでかでかと書かれており、簡単な説明とセミナー会場の住所、そして高額な受講料が書かれていた。
「うっ……俺、あんま金なくて……」
「あーそっかー。でも本当にいいの?このセミナーを受けて、正式にうちのメンバーに昇格すれば、こんなのはした金に思えるくらい稼げるよ?」
それが目的だったが、この出費は痛すぎる。
こんなの払ったらしばらくもやしと公園の水だけで生活しないといけなくなる。
コスパを重視する俺にとって、高額な初期投資というのは最も嫌うものの一つなのだ。
何より、
「すみません。せっかく時間作ってもらったのに……」
俺はさっさと帰ろうと席を立つ。
「待った待った。お金がないなら、代わりに別の方法はどう?」
「別?」
「うん。うちのバイトを体験して、給与の代わりに、セミナーの受講料を免除するの。それなら行けるでしょ?」
「まあ、それなら……」
俺は席に座り直す。
「でも、バイトって何をすればいいんですか?今の仕事と掛け持ちできるようなものじゃないと……」
「安心して。チョー簡単だから」
樋上さんが手を叩くと、今度はやせ型のジャージ姿の男性がダンボール箱を抱えて部屋に入ってきた。
彼に促されて中身を確認すると、そこには大量のラバーストラップがあった。
「このキャラって、ちびネズミ?」
最近、密かに話題になっているガチャガチャのグッズのキャラクターで、ラバーストラップ以外にもキーホルダー、ケーブルアクセサリー等が展開されている。
ガチャの筐体には制作会社の記載がなく、公式ページなどもないため、どこで作っているのか不明なことで有名だ。
「ああ。実はうちの商品なんだよ」
「そうなんですか?」
「正確には販売を委託されているだけだけどね。御門クンにはこれ全部、売って欲しいんだ。値段はそうだなー、まあ余った在庫だし適当に決めていいよ」
「それだけでいいんですか?」
「ああ。余った在庫の処分。"優秀"な君なら、できるでしょ?」
その言葉に、俺は迷うことなく承諾し、そのダンボール箱を受け取った。