◆
俺が自宅アパートに辿り着くと、ちょうど同じように帰宅する冬見さんと出くわした。
「あら御門くん。こんちには」
「ど、どうも……」
俺は軽く会釈して彼女の様子を確認する。
「あ、あの……この間、た、大変でしたね」
「そうね。思い出しただけでも……」
冬見さんの顔色が悪くなる。
俺はここ最近、ネオジェネ事件を追う過程で何度か死体を見ているが、やはり冬見さんからすれば堪えるだろう。
「あ、なんか、疑われたりとかしませんでした?」
一応久野里さんからは、目撃者の中に容疑者なしという話だったが、念のため聞いてみた。しかし、
「え?何のこと?」
冬見さんはキョトンとした顔で、首を傾げる。
「い、いや、ほら……冬見さんも取り調べされたんですよね……?」
「あ、ああ。警察ね。まあ色々質問されたけど、そんなに大した内容じゃなかったわ」
「そ、そうですか……」
俺はひとまずその事に安堵した。
「そうだわ。また肉じゃが作りすぎちゃったんだけど、よかったらもらってくれない?」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあちょっと待っててね」
冬見さんが自分の部屋に戻っていく。
「御門?」
それと入れ替わるように、俺の気配に気付いたノワールが家から出てきた。
「ああ。ただいま。ていうか、勝手に出てくるなよ。危ないだろ?」
「うぅ……」
ノワールは唸り声で不満を表明する。
しかし、警察から逃げ隠れしている彼女が、不用意に外に出るとは珍しい。
「はいお待たせー……って、あら?」
ちょうどその時、冬見さんがタッパーを持って出てきた。
彼女は俺の後ろに隠れるノワールの姿に気付き、覗き込んできた。
「この子は?」
「あ、えっと、その……親戚の子を、ちょっと預かってて……」
「へぇ、親戚の。お名前は?」
ノワールに目線を合わせて尋ねる。
しかし、ノワールは「うぅ……」と言いながら彼女を睨み付けるだけだった。
「あ、えっと、ノワールです」
「ノワールちゃんね。御門くん、親戚に外国の方がいたの?」
「あ、えっと、まあ……」
これ以上掘り下げられるとぼろが出そうだったが、幸い冬見さんは追及することなく、
「それじゃあこれ」
と言ってタッパーを渡してくれた。
「ありがとうございます……」
「じゃあまた明日」
冬見さんは家の中に戻っていった。
「ノワール、どうしたんだ?」
「うぅ、なんか嫌な感じした……」
俺は首を傾げつつ、ひとまず彼女を連れて家の中に戻る。
「とりあえず、また肉じゃがもらってきたから、晩御飯代が浮いたな」
「お肉?」
ノワールが覗き込むので、俺はタッパーを彼女に見せてやった。
ノワールは顔を近づけて、鼻をぴくぴくと動かすと、途端に顔をしかめた。
「変なにおいする……」
「またかよ」
以前、冬見さんからカレーをもらった時にもそんなことを言っていた。
「あの時もサイコメトリーで確認して、なんともなかっただろ?」
「うぅ、違う……」
ノワールが駄々をこねるので、俺もタッパーの蓋を開けて臭いを嗅いでみる。
「……確かに、なんか鉄臭いな」
鉄鍋で煮込んだから臭いが移ったのか。
俺はあまり料理をしないし、特に煮込み料理なんて手間のかかることはしないので分からないが。
「とりあえず、もう1回見てみるか……」
俺はディソードをリアルブートする。
「ノワール、手伝ってくれ」
「うん」
彼女と妄想を共有して、サイコメトリーを発動させる。
頭の中に映るのは、冬見さんがエプロン姿で調理をする光景だ。
鍋に投入される食材はジャガイモ、豚バラ肉、ニンジン、特別おかしなものは入っているように見えない。
そして醤油、砂糖、みりんなどの調味料が入れられていく。
「ん?」
それらに混ざって、小瓶から見慣れない色の液体が入れられるのが見えた。
雑貨屋で買ったような掌サイズの小さな瓶、中から注がれた液体は一瞬だったが、醤油よりは鮮やかな、何かトマトソースでも混ぜたような色合いだった。
注目すべきは小瓶に貼られたものラベルだ。
ラベルといっても市販のマスキングテープの上からマジックで書かれただけで、そこには「8/5」という数字が記されていた。
「8/5、5分の8?」
調味料の割合にしては妙な数字だ。
5分の8でないとするなら……
「8月5日……」
その日付はつい数日前にいやなことがあった日だ。
だいしゅきホール#2晩目。
あの凄惨な殺人事件が起きたその日である。
「いや、まさか……な」
俺は一旦タッパーを閉じて冷蔵庫にしまう。
ちょうどそのタイミングで、尾上から電話がかかってきた。
『久野里から情報はもらえたか?』
「ああ、いや、そのことなんだけどさ……」
俺は冷蔵庫の方を見る。
『どうした?早くしろ』
「……冬見さん、俺のお隣さんの
迷った挙句、俺は尾上にそのことを伝えた。
◆
それから1時間後、尾上は俺の家を訪れた。
「お前の読み通りだな」
部屋に上がってくるなり、尾上はため息を吐いた。
「やっぱり、"蓋"があったのか?」
「いや、それどころじゃないな」
尾上は首を横に振り、頭を押さえる。
「事件に関する記憶どころか、あいつの素性に関してもほとんど見ることができなかった」
「は?」
想定外の事実に、俺は思わず声を漏らす。
「過去の仕事、学歴、普段の生活リズム、紅夏冬見のパーソナリティに関わる大部分の情報を閲覧できなかった」
「い、いやちょっと待てよ。記憶の蓋って確か、都合の悪い事実を自分からも他人からも見えなくするための、脳の防衛機能だよな。何で事件の記憶だけじゃなくて、自分のことまで見れないんだよ」
「私に聞くな。こんなことは今までなかった。あの女、向谷や笹山の比じゃないレベルで蓋が強固だったぞ。相当証拠を固めてなければ、私の能力でも自供させるなんてまず無理だ」
想像よりも厄介な状況に、俺は頭を抱えた。
ただでさえ、信頼していた隣人が殺人犯かもしれなくて参ってるのに。
「まずはお前が見た小瓶とやらの正体だな。事件の日付が書かれてたのは間違いないんだな」
「ああ、そういえば……前にもらったカレーをサイコメトリーで見た時も、小瓶があったような……」
「それに日付は書かれていたか?」
「あ、いや、そこまでは……」
「そうか。まあともかく。その肉じゃがは証拠品になるかもしれない。大切に保管しておけ」
お裾分けの肉じゃががキーアイテムになるなんて、某裁判ゲーでも見ない展開だろう。
「後は家の中を探るか……紅夏冬見は、普段何時頃に家を開ける?」
「えーっと、多分仕事のある日は朝8時頃に家を出ていた、と思う……」
「そうか……なら、その時間にガサ入れするか」
「ガサ入れって……」
警察でもないのに家宅捜索なんてしたら普通に不法侵入とかもろもろでお縄になるだろう。
「安心しろ。そっちは私一人でやる。さすがにお前にやらせて見つかった時は目も当てられない」
「うん、まあ、助かるよ」
自分が捕まって変態だのストーカーだの言われる姿を想像して寒気がした。
「あとは久野里澪に取り調べを行った人物の中に紅夏冬見がいなかったかどうか、念のため確認しておけ」
「ああそっか。目撃者全員のDNA鑑定を行ったって言ってたもんな」
久野里さん曰く、被害者の遺体から検出された分泌液と一致するDNAの持ち主は目撃者にいなかった。
あのリアクションからして、彼女はおそらく取り調べを受けていない。
確かに遺体発見から彼女の姿を見ていないので、混乱に乗じて現場から逃げ去った可能性は高い。
「気を付けておけよ。あの女に察せられないようにな」
尾上は俺にそう釘を刺して、去っていった。