◆
翌日、俺は尾上とノワールと一緒に、改めて事件現場を訪れた。
既に警察は撤収しており、代々木公園内は日常が戻りつつある。
ただ一点を除いて。
「ママ、トイレ」
通りかかった男の子が、公共トイレを指さして母親に訴える。
「駄目!おうちまで我慢しなさい」
しかし、母親は血相を変えて言い放つと、子供を連れて足早に立ち去っていった。
二度も殺人事件が起きた不吉なトイレに、愛する我が子をいれようなんて考えないだろう。
もはやこの透明な個室は、子供の棺桶のような扱いなのだ。
「で、現場に来てみたわけだけど」
「ダイバージェンスメーターを開け」
俺は言われた通りアプリを立ち上げる。
事件発生当時と同じく、GEレートの上昇によって数値は無茶苦茶、まともに世界戦変動率を読み取ることができなかった。
「うぅ……頭痛い」
この場の重力の影響か、ノワールも不調を訴えている。
俺は彼女の体を抱き寄せて、少しでも安心させようと頭を撫でる。
「この状態だと、サイコメトリーは無理だぞ」
「分かっている。今回は現場を徹底的に調べる」
すると、尾上は迷うことなく個室に入り、鍵を閉めた。
ほんの数秒ほどでガラスに色がついていき、中の様子が見えなくなった。
しばらくして、尾上は普通に扉を開けて出てきた
「ゴホッゴホッ……」
「大丈夫か?」
むせている尾上に駆け寄る。
「想像以上だな。ガラスが不透明化する直前に能力を使えるかと思ったが」
尾上でもあの気持ち悪い感覚には耐えられないのか。
「じゃあ、少なくとも、第二の事件の時は、この中で能力を使うのは無理なのか……」
「そのようだな」
証拠を集めようとするほどに、犯行手段が存在しないということばかり証明されてしまう。
「ちなみにさ、昨日良々が、1度目の事件と2度目の事件で遺体発見の時間に開きがあるのは、犯人がトリックに慣れたからじゃないかって言ってたんだけど、そんなトリック思いつく?」
「トリックに慣れて2時間もの時間が短縮されるのは、さすがに現実的ではないな。それならいっそ、1度目と2度目で違うトリックを使ったんじゃないのか?」
「違うトリック?」
「1度目のトリックは2時間もかかってしまった。おそらくそれ自体、犯人にとっては想定外だったんだろう。だから2度目ではやり方を変えた」
尾上に言われて、俺は再び考え直す。
尾上がギガロマニアックス能力である可能性を否定した根拠の一つは、目撃者の中に俺達、つまりギガロマニアックスがいたことだ。
普通の人間はギガロマニアックスによる現実改変は観測できないが、同じギガロマニアックスであれば認識できる。
だとしたら犯人は2時間かけて、何らかの手段で能力の発動に成功した。
それに懲りて、別の手段を講じた。
「遺体発見時の状況で、確かもう一つ、前の事件との違いがあったよな……」
「血痕か。一度目の事件は壁一面に飛び散った血がべっとりと付着していた。しかし、お前が遭遇した2度目の事件は、壁に血はほとんどついてなかった」
俺は透明な個室を見つめる。
後少しで、何か分かりそうな気がするんだけどな。
「密室の謎は後でもいいだろう。先に証拠品の確保だ」
「証拠品?」
「お前の部屋にあるだろう」
尾上に指摘されて、俺は冷蔵庫に入っていた肉じゃがを思い出した。
「あれを久野里澪のところに持っていけ。お前の読み通りなら、被害者のDNAを検出できるかもしれない」
「分かった」
「それと、これを渡しておく」
手渡されたのは楕円形の防犯ブザーのような機械だった。
「盗聴器発見器だ。お前の家の中に盗聴器が仕掛けられていないか、隅々まで探しておけ」
「助かるよ」
俺は受け取った機械をポケットにしまう。
「私はもう一度、紅夏冬見の周辺を調べておく。他に証拠が出てくるかもしれないからな」
「ありがとう。じゃあ帰るぞ。ノワール」
「うん。世莉架、ばいばい」
俺たちは彼女に別れを告げて帰路についた。
◆
家に帰ってすぐに、俺は出かける準備をした。
昨日は一晩中喫茶店にいたので、着替えも何もしていない。
これから久野里さんのところに向かうのに、このままの格好というわけにもいかないだろう。
俺は服を脱いで、タンスの一番上にあったTシャツとズボンに着替える。
「お前も早く着替えろよ」
「はーい」
本来ならノワールを連れ歩いて長距離移動などすべきじゃないが、状況が状況だけにこいつを一人で家に置いておくわけにはいかない。
それにギガロマニアックス嫌いとはいえ、尾上以外では数少ないノワールの事情を話せて、ノワールの手がかりを得られそうな人物だ。
今さらだが紹介しておいて損はないだろう。
ノワールが着替えている間に、俺は冷蔵庫から肉じゃがのタッパーを取り出す。
一応証拠品であり、汁物なので、鞄に入れる前にラップにくるんで、さらにガムテープで雑に固定して蓋が取れないようにした。
「ノワール、準備できたか?」
「うん」
ノワールが着替え終わり、いざ出発というところで、ふと俺はポケットに入った発見器のことを思い出した。
「今、冬見さんって留守だよな」
この時間なら彼女は仕事に出掛けているはずだ。
盗聴器はあくまでも可能性の話だが、もしもあるなら今のうちに処理しておくに越したことはない。
俺は発見器を使って、軽く部屋の中を探すことにした。
「えっと、どうやって使うんだ?」
適当に電源を入れてみたが、赤いランプが明滅するだけであっているのかどうかわからない。
「ん?」
ノワールが俺の手元を覗き込んで、機械に触ろうとする。
「駄目だって」
「うぅ……早く出よ」
「分かってるよ。もうちょっとな」
俺はいじけるノワールをなだめて、盗聴器が仕掛けられてそうな壁際の電源タップの辺りを探してみる。
「これほんとにちゃんと使えてるのか?」
俺が機械の反応を見ながら、棚の隙間を覗き込む。
「御門、早く出よ」
「もうちょっと待ってくれ」
俺は盗聴器を探して、埃まみれの電源タップにティッシュ越しに触れた。
「御門!」
「だからもう少し待────」
その瞬間、俺の視界が開けた。
気付くと眼前の埃まみれの壁は消え、かわりに見知らぬ部屋が広がっていた。
「ここって……」
俺の部屋と全く同じ間取りのワンルーム。
女物のベッドや、クッションが置かれた清潔な部屋。
「なーんでばれちゃったのかな」
その声に俺は振り向く。
薄暗い部屋の中に佇んでいたのは、口元を不気味にゆがめた冬見さんだった。
「あ、あの……どうして……?」
「ねぇ。あの
冬見さんが首を傾げた。
「あ、あの
「ほら、赤い髪の子、いたでしょ?」
「あ、赤い髪って……尾上のこと、ですか?」
「そうそう。尾上ちゃん。あの
そう問いかける彼女の右手には、いつの間にか"剣"が握られていた。
錆びついた金色の持ち手、そこから伸びるのは蛇腹状に接合された無数の茶色い板のような刃、それは蛇のように揺れて、俺を絡めとらんと狙っている。
「っ!」
俺は自分のディソードを召喚して身構える。
「あー、御門くんもそうなんだ。嬉しいなぁ。私とおんなじなんだねぇ」
恍惚とした表情で、彼女は一歩、また一歩と近付いてくる。
彼女をここで止めないと、また次の犠牲者が出る。
「でも残念」
また俺の景色は切り替わる。
今度は真っ暗闇の中。
なぜか身動きが取れず、まるで全身を固められたようだった。
「っ!」
息ができない。
すぐに俺はディソードが手元にないことに気づいた。
俺の手にあるのは冷たい土の感触だけ。
「っ!っ!」
早く出たい。
外の景色、外に。
いくら妄想してもそれが実現することはない。
ここには俺の妄想を共有する人間は誰もいないからだ。
「っ!っ……」
やがて意識は薄れていく。
(ノワール……ごめん……)
最期に頭に浮かんだのは、無邪気な少女の顔だった。