【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「うーん……やっぱり機動力が必要だよな……」
加賀一向一揆との戦闘で行った約千名での騎馬突撃。
それの破壊力と突破力は凄まじい成功体験として脳裏にこびりついている。
そもそも騎馬隊で有名な武田軍でも俺みたいな騎馬を密集させた突撃は行っていない。
というのもこの時代の騎馬隊は歩兵の割合が多く、騎馬に乗って突撃するのは足軽大将や侍大将等の身分が高い戦闘員が殆どで、大多数の足軽は騎馬に合わせて全力で走って突撃していた。
俺がイメージする大量の騎馬を並べての突撃では無いのである。
というか騎馬を横に並べての突撃は日本の起伏の激しい地形だと難しく、しかも俺が広めた大型馬以外の日本在来の小さな馬だとスタミナはあるが、パワー不足で敵兵を轢き殺すというのが出来ないので、突破力も限りがある。
なので、加賀一向一揆との戦闘で行えた騎馬突撃は何処の大名でも出来ていなかった本来の意味の騎馬突撃であり、騎馬の力強さを以後の戦でも活用できないかと模索することにしたのだった。
その一環として、土橋一族が呼んできた優秀な鉄砲鍛冶に依頼して馬上で放てる鉄砲の開発を行わせた。
的場曰く
「馬上で使う鉄砲の事を馬上筒と言いまして、馬上筒は弾丸を複数発詰めることで散弾として扱うんですよね〜。射程距離は30メートルほどですが、一撃離脱ができるし、又兵衛様の所の馬は鉄砲の音にも動じない精神力も持ち合わせているので、戦術に組み込めると僕は思うんですよね〜」
と、言っていた。
突撃も良いが、騎馬隊の運用方法としては一撃離脱の方が良いかもしれない。
まぁできる戦術に幅があったほうが戦場で柔軟に活動できるので準備しておいて損は無いだろう。
「となると馬の繁殖数を更に増やさないといけねぇな」
どちらの戦術を行うにしても、質の高い馬を大量に用意しなければならない。
現状俺の所で抱えている馬の総数は約1200頭。
牡馬牝馬の割合は2対8で、多くの牡馬は性転換させて牝馬に変えてきていた。
美濃の領地の広さ的な関係で、約1200頭が飼育限界であったが、越前の領地だと5000頭は飼育出来そうである。
開発が行き届いてない山を牧場として活用すれば飼育できる数も増えるし、領主の俺が一括管理することで、農耕用に貸し出す事もできる。
「あとは乗馬技術を高め、興行を行うために競馬を行わせるか」
領主としての事業として、俺は競馬場を作ると決めるのであった。
とは言え、競馬場の建設よりも優先しなければならない事がある。
それは検地だ。
領地の石高は28万石と信長様より聞いているが、それは朝倉家が記録していた帳簿に基づく数値であり、自分達で測定しなければ分からない事も多々ある。
というか、今年は朝倉攻め、浅井攻め、加賀一向一揆の戦闘続きで、朝倉領の検地が行えずに、年貢の徴収を凄い苦労した。
大蔵長安が血反吐吐きながらなんとか今年の年貢の徴収を終わらせたが、他の文官達からも来年は文官増やすか、基準を作ってくれと泣きつかれたのである。
そりゃ元々表石高1万石ちょっとの領地(実質石高は6万8千石であるが)で税の管理をしていた人員が、朝倉氏から引き抜いた人員が居たとは言え、28万石の管理をいきなりやらせたらパンクするわな。
今年はなんとか乗り切れたが、来年もこの調子なら内務系の家臣がブチギレ不可避なので、1年かけて育てていくのと人材の登用をしていくしかない。
こういう時に頼れるのが忍びの里である。
「え! 忍びの技術が未熟でも働ける場所があるんですか!」
忍びに向いていないが、基礎的な教育は受けているので、彼らを雇うにはもってこい。
「なんじゃ、だったら大和から引き抜けると思うのじゃ!」
マリアから大和も寺や道場が沢山あるから人材の宝庫であるので引き抜いてみればと言われて、人材発掘をしたところ、島が囲われているのと、松永久秀と仲が良かったことから、筒井家や松永家と縁の深かった寺社の若坊主だったり、道場の裏方さんなんかを引っ張ってくることに成功した。
そして俺的に一番嬉しかったのが
「又兵衛、これからよろしくな!」
前田利家が信長様より与力として与えられた点である。
利家は前田家の家督を継いで年月が経過したことで、一時期険悪になっていた家臣達とも和解し、多くの家臣を抱えていた。
しかもその人物の多くは文武両道で、利家自身も浪人になっていた際に金の工面で苦労していたので、金勘定が得意な家臣を重宝していたのである。
「与力としての俸禄与えるな。利家は家臣込みで5万石支払うわ」
「そんなに良いのか! 又兵衛、こっちは信長様からも俸禄を貰っているが」
「利家にならそれくらい与えても損じゃないし、利家の事だから農業改革はこっちの主導でやらせてくれるだろ? 互いに金持ちになろうぜ利家!」
「そうだな!」
立場が逆転してもなお利家とは友好的な関係を維持出来ていた。
その他にも信長様よりもう一人預けられた人物が居た。
「お久しぶりですね! 又兵衛!」
「お久しぶりです、坊丸様。いや、今は津田信澄様と言った方がよろしいですかな?」
「そうだね。信澄でいいよ。いや、まさか又兵衛と同姓になるとは思わなかったよ」
「私もですよ」
信長様の甥っ子である坊丸様こと信澄様である。
信長様の弟で織田信行という人物がいたが、信長様に2度に渡り反旗を翻して誅殺されるという事件が俺が織田家に仕える前に起こっており、その信行の長男が目の前に居る好青年の津田信澄であった。
本来なら織田姓を名乗るのが筋であるが、反逆を企てた父に変わって織田弾正家(信長の家柄)を支えるという意思表示として、織田の旧名である津田姓を名乗り続けていたのである。
信長様は可愛い甥っ子という側面だけでなく、信澄様は嫡男の信忠様と同年代だったので、互いに競い合わせて絆を深めていたりもしたのである。
俺とは元々柴田のオヤジ殿に仕えていた時に鍛錬をオヤジ殿に一緒に付けてもらったりしていた。
「又兵衛から貰った木像は今も大切に持っているぞ」
信澄様は俺が小遣い稼ぎに柴田の親父殿殿に卸していた木彫りの美人木像の1つを大切に保管していたらしく、俺に見せてきた。
懐かしい思いでいっぱいである。
「あれから10年近くも過ぎたのか……」
「時が経つのは早いですよね」
小さかった信澄様も数え年で16歳。
立派な若武者である。
「又兵衛、もうお前と私は同族だし、同じ津田姓を名乗っているんだ。様は辞めてくれ」
「じゃあ信澄殿とこれから呼ぶことにしましょう」
「おう!」
信澄殿は信長様より手紙を預かっており、信長様の息子の信道様と信澄殿を預けることで、俺が北陸方面での裁量を発揮しやすいようにと権威を高めるために使ってくれとのこと。
あとは頃合いを見て両名に俺の娘を宛てがってより一門としての繋がりを太くしろとも書かれていた。
相変わらず信長様の手紙は書きたい事が後から増えて手紙の左側の文字が小さくなるし、女の様な丸っこい文体をしているし、信長様の私文なのでのぶよりって可愛らしく書かれているし……。
相当機嫌が良い時に書かれたな。
「信澄殿は信道様と同様に屋敷をこしらえますので何処に住みたいとかがあれば優先しますよ」
「じゃあ信道と近くに住まわせてくれ。あいつも親から引き剥がされて寂しい思いをしているだろう。兄貴分の私が寂しさを和らげてやらないと」
「わかりました」
こうして新しい人材を加えた北陸方面軍が本格的に始動していくことになるのだった。