【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
秋になり、俺の農法を試した田んぼは目を見開くほどの大豊作であり、そうでない田んぼは普通……やや多いくらいに落ち着いていた。
俺が品種改良した米を使っているため、全体的に稲穂の実りは良いが、正条植えだったり、肥料の投入を行わなかった田んぼの実りは試した場所に比べると少ない。
その他、小麦、蕎麦等の雑穀類やじゃがいも、大豆などの作物もちゃんと俺の言う農法を試した場所は大豊作、それ以外の場所は普通やや多いくらいに落ち着いた。
これを見て来年からは俺の言う新しい農法を試す農民が増えるだろうし、今年増収に成功した農家は牛を買ったり、農具をより良い物を揃えたり、俺が振興している木綿もしくは養蚕に投資して織物関係を行ってさらなる増収を狙うもよし。
まぁ年貢の徴収も検地も行ってないので、どれくらいの税収になるかは今後決まるが、今年、来年、再来年でどんどん税収は増えていくことになるだろう。
そんな中、加賀では今年凶作だったらしく、兵の動員が開始されたと忍び達から情報がもたらされた。
「直ちにこちらも徴兵を開始する」
直轄の兵6000名は直ぐに動員体勢に入り、内訳として騎馬隊1000名、鉄砲隊1500名、石弓騎馬隊400名、他は黒鍬隊と呼ばれている者達である。
そして収穫作業を終えた農民達が約1万名集まり、総数は約1万6000名。
これを幾つかの部隊に分ける。
決戦兵器である騎馬隊は島清興、石弓騎馬隊は稲葉重通、鉄砲隊は土橋守重と的場昌長の2部隊に分け、残りの兵は俺や前田利家、熊部、菊八、津田信澄殿、織田信道様等12部隊作り、配置していく。
まず機動力のある島と稲葉の2人を先鋒として加賀国境に送り込む。
忍び達により素早く連絡が取られ、加賀一向一揆はまだ加賀領内で兵を集めているとのこと。
俺はすぐさま加賀と越前の国境近くにある小森砦を強襲するように兵達に指示を出し、忍び達の破壊工作により兵数の少なかった小森砦は呆気なく落城。
続いて大聖寺城を目指すが、一向一揆勢も兵が集まり、総勢5万近くが大聖寺城近くに布陣する事となる。
俺は忍び達に敵兵糧を燃やす様に指示を出し、敵後方の補給線を遮断。
これにより一向一揆勢は浮足立ち、僧兵達は数で勝っているから一気に押しつぶすべしと突撃を指示する。
大聖寺城から見て大聖寺川を挟んだ反対側に布陣していた俺の軍目掛けて一揆勢は突撃してくるが、黒鍬隊を用いて既に工作済みであり、ここの地形は川から徐々にせり上がっていく段地の地形をしていた為、川沿いに空堀を掘り、その土で土塁を、木々を切り倒して柵を短期間に作り上げていた。
そんな場所に突撃してきたらそりゃもう熱烈な歓迎よ。
大聖寺川を渡って突撃してくる敵兵に矢が雨のように降りかかり、その次に鉄砲隊による射撃が襲いかかる。
鳴り響く銃弾に加賀一向一揆の指導者達は鉄砲は高価だから直に鳴り止むと思っていたが、待てども待てども鉄砲が止まることは無い。
更に今回鉄砲隊は連撃と呼ばれる装填と射撃を行う組を交互に入れ替えることで射撃間隔を短くすることに成功し、更に早合と呼ばれる紙で弾薬を包み、素早く装填を行える技術を確立していた為、毎分3発の射撃が実現していた。
美濃時代に備蓄した火薬をここで全て放出する勢いである。
一揆勢が5000人以上の死者を出した事で一揆勢は川沿いで動揺し、川を渡れずに対峙する事となったが、ここで俺は上流に居る黒鍬隊に狼煙を上げて指示を出す。
するとゴゴゴと地響きと共に濁流が流れ始め、川沿いに居た一揆勢に濁流が直撃。
黒鍬隊の1部隊に上流で川を堰き止める様に事前に指示を出していたのである。
俺達の他部隊は土塁を築いていたので無事であるが、川沿いに居た一揆勢はそうではなかったので濁流に流され溺れていく。
万単位の死者を出し、一揆勢の士気は崩壊、僧兵達が叫んで呼び止めようとするが、兵の離散は止まらない。
ここに川を渡らせて、伏せていた熊部と菊八他4部隊に太鼓の合図で襲撃するように促し、一揆勢の後方を騎馬隊が遮断の上で突撃を開始。
俺達も川の流れが収まったのを確認してから渡河を開始。
前後左右からの完全包囲が完成した一揆勢は士気が崩壊していたこともあり、次々に息の根を止められていく。
俺としてもここで一揆勢の人員を削っておきたいので手加減はしない。
合戦開始から4時間後、大聖寺川沿いには無数の亡骸が転がっており、津田軍の亡骸は一揆勢の100分の1にも満たなかった。
一揆勢を殲滅した俺は、勢いのままに大聖寺城を占領。
ただこれ以上の戦は兵の疲労的に限界だろうと、加賀国の越前との国境2郡を占領するに留め、前線の大聖寺城には稲葉重通と兵2000を置き、それ以外の動員は解除するのであった。
一揆の勢いを大幅に削り、来年には攻め滅ぼす算段を付けた俺達に待っていたのは徴税の時間である。
今年の税は四公六民であると周知させ、そのかわりに検地を行うことを村人達には同意させた。
で、忍び達を用いて検地を行った結果、今まで28万石とされていたが、今年の石高は52万石まで上方修正。
まだ半分程度しか新しい農法を行っていなかったり、じゃがいもなどの新しい野菜の石高計算が完全でなかったりなどの欠点はあるため、来年以降は更に収穫量が上がるだろう。
更に税収の確立性を増すために、信長様が京で使われる枡を基準に枡の大きさを統一したいと話していたのを前に聞いていたので、京枡で徴税の枡を統一し、それで税を納めて貰った。
結果、52万石のうち約21万石を税収として徴税することに成功し、更に今年の蜂蜜は1斗入る壺500個ほど採取できたので、それの100壺ほどを信長様に献上し、100壺は兵達や家の料理で使う分に残し、残り300壺のうち100壺を京の貴族の皆さんに献上。
残りの200壺を堺や尾張で売り払い、約1万貫(現代換算で12億円分)の収益を計上した。
石高換算にすると2万石分。
その他の米油だったり蝋燭、ゴムの利益、商人達からの上納金を合算すると28万石……56万貫が俺の領地での税収となる。
この内家臣達の人件費が約20万貫、鉄砲や火薬の調達費用5万貫、軍馬や家畜の維持運用費5万貫、産業振興及び道路などのインフラ整備費用15万貫、貴族への出費2万貫、備蓄8万貫、俺が自由に使える金1万貫という割り振りとなる。
農業が発展して経済活動が更に活性化すれば税収も更に伸びることになるだろうし、更に軍事費や産業振興に金をかけることができる。
「ぐふふ、儲かればやりたいことが色々できる!」
俺は更に越前を栄えさせるために行動するのであった。