【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
明の貿易商人(密貿易)が羊を連れてきた話をしたが、他にも大陸産の蚕を運んできた。
理由を聞くと、大陸の生糸の値段が利権を握った商人達によって高値で取引されているので、日ノ本で作らせて南蛮商人に売りつけた方が得であると考えたらしい。
養蚕は美濃の領地を持っていた時にも手を出したのだが、火薬製造の為の養蚕であって、お世辞にも蚕の糸の品質は良くなかった。
せっかくの機会だ。
種付けおじさんの能力をフル活用して超高級生糸を量産して貿易商人の度肝を抜いてやろう。
まず蚕を育てるのに必要な物として桑の葉が要る。
現状産業として興すには桑の木の量が全然足りないので桑の木の植林から始めることにした。
桑の木は挿し木という方法で増やしていくのが一般的で、桑の木の枝を切り取り、それを水の入れた花瓶に移し、日光の当たる場所で水を与えながら育てると発根するのである。
土にそのまま植えるよりこちらの方が発根しやすかったりする。
根っこが生えてきてから土に植えて育てることで、種から育てるよりも早く木が育つのである。
この発根を促す時の水に俺の精液を混ぜて育ててみたところ、ゴムの木同様、竹の様に凄い勢いで成長し、あっという間に大量の桑の葉を付けるに至った。
恐ろしい成長速度であるが、ここ最近種付けおじさんのチートが強くなっている気がするので、木々の成長速度を上げるというチートが加わったのかもしれない。
しかもこの桑の葉が茶に煎じても美味いこと……。
冬の間に領民に命じて荒地に桑の木を植えていき、桑畑を作らせ、蚕を育てる餌の準備はできた。
桑を育てるのと同時に行ったのが養蚕に使う道具の製作である。
色々な道具が必要になるが、主な物として蚕架、蚕箔、蚕網の3点が蚕を育てるのに必要な道具となる。
まず蚕架……これは数段の蚕を育てる立体的にスペースを活用する道具で、そこに蚕箔をはめ込むと蚕がその空間で育つのである。
蚕箔は竹で編んだ箱の様な物で、その上に蚕の餌となる桑の葉を乗せる。
そして蚕網は網目の大きさの違う網で、蚕は高い場所に上る性質があり、蚕網の上に桑の葉を置いて少しすると蚕が移動するので、その間に蚕箔を取り出して桑の葉の食べかすや糞を処理し、最後は登っていた蚕を再び蚕箔に戻す、一時的な避難場所として活用する道具である。
網目の大きさが違うのは蚕の大きさによって変えるためである。
越前の木工職人に設計図引いて渡したら5日で作ってくれた。
俺は養蚕に力を入れるために養蚕奉行という役職まで作って越前の屋敷の一角に養蚕場を整備した。
更に、蚕は寒いと死んでしまうので温度計を作り部屋の温度を保つように心掛けた。
温度計なんてこの時代に作れないのでは無いかと思うかもしれないが、昔ながらの温度計は水の膨張を利用して水位の上げ下げを行っていたので、色を付けた水、水を入れる容器、視認できる透明度のガラス管、密封するためのゴム栓があればできてしまうのである。
越前にはガラス工房があり、ゴム農園もあり、陶器を作る職人も居る。
つまり簡易な温度計は作れてしまうのである。
勿論詳細な温度は測ることができないが、蚕にとって適温はどれくらいというのを目で見てわかるくらいの精度はある。
基準となる印を付けて、適温の範囲にも印を付ける。
熱源は温泉の廃湯を利用した管を部屋に通すことで室温を担保。
これでようやく蚕を育てる準備ができたと言えるのである。
蚕の寿命はおおよそ2ヶ月。
その間に5回ほど脱皮を繰り返すと成虫になるために蛹になる。
この蛹の繭が絹となるのである。
蚕を飼育している冬の間に次は蚕の繭を糸にするための道具を作っていく。
俺も養蚕までは詳しく無いので、それこそ明との密貿易で手に入れた書物と実際に生糸を作っている人達の経験を頼りに、道具を揃えていく。
まず繭を作るための安息地を作らなければならず、それは藁を編むことで出来る荒っぽい大きな草履の様な物が適していると書かれており、箱型にして蚕が潜り込みやすいように山型にする。
藁を折って編んだ物なので折藁蔟(おりわらまぶし)と命名し、これで繭ができる場所は確保できた。
次に作るは繭乾燥器。
蛹になった蚕を殺す為の道具で、繭を折藁蔟から取り出して箱型の七輪の様な物に煙が繭に直接かからないように火の出口を調整しながら、木箱に覆い隠す様に繭の入ったざるを上部に置く。
30分もすると、蒸し焼きになり蛹が死んで繭の糸を取れる状態になる。
まぁこれだと効率が悪いので後々タンス状に拡大し、一番下の段に火鉢を置いて熱風を送り、タンス状の場所に入れた繭を熱風で殺すという方法に直ぐ改良された。
そしたら繭に付いている毛羽を取り除く為に開発した毛羽取機と言う道具を使い、イメージは斜めに置かれた箱から繭がゆっくり転がり落ち、ゴムベルトの層が回転して毛羽を取り除き、取り除かれた繭は流れに沿って排出されると言う回転脱穀機の優しいバージョンといえばわかるだろうか。
そこまでした繭を一旦乾燥させ、穴の空いていたり、形が不揃いな物をここで弾く。
そしたら熱湯に繭を沈めて糸を取り出す為に全体を柔らかくし、数個の繭から糸を取り出して纏め、しっかりとした糸を作っていく。
ちなみに繭1個から細い糸が約1キロほど取れる。
しっかりとした糸を更に束ねてようやく絹と呼べる物になるのである。
作ってみて分かったがめちゃくちゃ手間がかかる。
明治の頃、日本で売れる物が生糸と茶しか無かったなんて小耳に挟んだ事があったが、そりゃこんだけ手間をかけた糸なら売れるわな。
信長様が南蛮貿易で商人から大枚はたいて絹のマントを買ったって言っていたが、そりゃ高い筈だ。
とりあえず春になる前に道具を揃えてみたものの、これを農民達に任せるというのは酷な話。
ただ蚕の糞は火薬製造に必要な硝石の材料になるので作らせたい。
色々考えた結果、繭を作って蛹を殺し乾燥するところまでやってもらって、それを商人達に買い取ってもらい、買い取った繭を一旦領主である俺が買い取り、それを流民として流れてきた女性達の働ける場所として生糸工場に運び、生糸を工場で量産し、それを職人が買い取って絹製品に加工する……という流れを作ることに決めた。
工場と言っても世界遺産になった富岡製糸場みたいな糸を作る機械があるわけではないので、ほぼ手作業。
マンパワーで補おうという話である。
生糸作りは赤字かもしれないが、絹製品を売るお金で収支をどっこいに持っていく予定である。
というか俺のせいかもしれないが、加賀で女性に性転換した人達が加賀では暮らしていくことができずに越前に流れてきて風俗で働くという流れができてしまっていたのである。
しかも髪色や容姿が日本人離れしていたので風俗店でもゲテモノ扱いされている為、性転換させた責任を取るためにも、彼女達が働ける場所を提供する意味で生糸工場を建てることに決めたのである。
養蚕奉行の職員達は各村々に養蚕技術を普及するための技術供与や生糸工場建設等に従事して平時の津田家で一番忙しい部署と呼ばれることになるのだった。