【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
スポーン
「3人目ともなると生まれてくるのも早いのじゃ」
「出産する際にイキまくるマリアもマリアだけどな……」
マリアが3人目の子供……次男を無事に出産し、また津田家に子供が増えていた。
「産後の女は青田八反とも言うが、又兵衛から見てもそうなのか?」
青田……または青田八反とは、産後の女性の妖麗さは青田八反に相当するという比喩表現である。
出産したてて腹がだるっと皮余りしていたり、母乳を出すために膨らんだ胸、出産を繰り返して黒く変色した乳首や乳輪、腹に刃物が当たるのは危ないとあんまり整えられなくなりジャングルとなっている陰毛等、出産直後ではないと見られない女性の美しさというのはちんこに来るものがある。
「じゃぁ青田刈りといこうか」
石鹸にローションを垂らし、泡立たせてからマリアの陰毛に擦り付けてから、小刀タイプの剃刀でマリアの陰毛を剃っていく。
髪色と同じ金髪の陰毛をジョリジョリ剃り、あっという間にジャングルから綺麗なハート型へと剃ってしまう。
「形は又兵衛の趣味か?」
「まぁ俺は陰毛ある方が好きだからな」
「ふーむ、度し難い奴よのぉ……ほれ、壺洗いをしてはくれんか? お主のマラで」
「しゃぁねぇな」
出産直後であるが、俺はマリアの中に男根を突っ込み、気を巡らせて、出産直後の子宮や体の回復を促していく。
やろうと思えば、速攻回復させて、すぐに孕ませることも出来るだろうが、流石にそれはマリアにもやらない予定であったのだが……。
「又兵衛、今孕ませることはできぬか?」
「出来るか出来ないかで言えばできるけど……妊娠中お腹張って辛くないのか?」
「いや、儂は案外気にならん。それよりもお腹に子供がいる方が落ち着くのじゃ。それに儂は皆の乳母としての役割も担っているからのぉ……なるべく毎年産みたいのじゃよ」
「……しゃぁねぇな。マリアが言うならやるぞ」
俺は子宮をピストンと同時に治していくと、射精と同時に排卵を誘発。
そして大量のオタマジャクシがマリアの卵子に突撃し、そのまま受精からの着床するのだった。
「んん! この感じよ。実に気分が良い」
「回復させたが、体力は少し落ちていると思うから、体操したりして体力向上には努めろよ」
「うむ! わかっておるわ」
マリアとそんなやり取りをするのだった。
「今年の冬はなんだか調子が良いな! 性の高まりを感じる! これも30歳になったおかげってやつかな?」
今年数え年で30歳になった俺は絶好調であった。
特に街道整備も慣れたもので、能登や越中まで種付けおじさんの能力である石化で道を敷き、その道中に井戸や温泉を掘り当てて行く様は現人神として領民から崇められてもいた。
まぁ俺が凄いことをすると、神仏ガブリエル教が活性化するのであるが……。
「やっぱり寒い時期の方が種付けおじさんの力が強くなるのかな? 精子って熱に弱いって聞くし……」
種付けおじさんの知識として精子は熱に弱い……というのがある。
この時代、令和の現代に比べて気温が冬は5度、夏場は10度近く低く、猛暑日になることが殆どないのであるが、精子は体が熱を持つと急速に劣化してしまう……という性質をもつのである。
なので夏場暑い日が続くと受胎率が下がり、子供の出生率にも影響してくるのである。
まぁ種付けおじさんの俺の強靭な精子達は煮沸でもしない限り温度で死ぬことはないのであるが……。
それはそれ、これはこれとして、寒い時期の方が妊娠確率が高くなるのも事実。
それに30歳になったことで本当のおじさんにより近づいた為、能力もどんどん進化していた。
「前までは銀のアヒルなんて生み出すことは出来なかっただろうしな」
銀のアヒルも越前領内で個体数が爆発的に増え続けていた。
理由としては温泉の廃湯を利用した孵化器を鶏を普及する際に整えていたのが原因である。
アヒルもそれを応用することで孵化させることができ、養鶏場を管理していた忍び達はアヒル牧場も建設して、大々的に飼育を始めていた。
お陰で1年足らずで個体数が爆発的に増え、副産物である卵の殻を溶かすと僅かながら銀が採れるのも忍び達を熱狂させる要因になっていた。
事実アヒル銀とでも言えばいい代物は密貿易でちゃんと銀として交換することができ、新たな決算方法として用いられることになる。
お陰で今まで高くて手に入れづらかった砂糖や東南アジア原産の香辛料を多く輸入できるようになり、明以外の他の地域と貿易しても越前産の商品は飛ぶように売れる為、普通の交易も盛んになり、連日越前の港には外国の商船が訪れる国際港へと進化していた。
勿論港の整備にも石化能力を使って防波堤を作ったりもし、入港しやすい港が出来上がっていた。
なんなら南蛮商人が古いキャラックという船を売っても良いと言われたので、高い金を支払って購入し、船内を船大工達にくまなく調査してもらい、複製出来ないか……という挑戦も行われていた。
どうしても日ノ本の船は沿岸で活用する船が多く、外洋に適していなかったので、積載量が多く、帆を利用して素早く移動できる南蛮船はどうしても欲しかったのであった。
更にキャラック船購入の際、付属品として南蛮の大砲が手に入った。
前方から弾を装填するセーカー砲と呼ばれる小型船でも載せられるようにされた銃身が長い軽量砲である。
これに自転車やリヤカー、馬車といった荷台に載せればあら不思議、津田家の大きくパワフルな軍馬達が引けばどんな場所にも高速で運べる大砲が完成したのである。
しかも越前の職人達はこの大砲が鋳造で作られているのを見抜くと、持ち前の技術力であっという間にコピーしてしまったのである。
しかも青銅ではなく、燃える石……石炭を使えばより強靭な鋼ができると職人達の間で噂になっていたのもあり、鋼の量産とタイミングが噛み合って、鉄製の大砲となっていた。
大筒よりは大型で威力があり、鋼でできているので故障率も低く、鉄砲の様に前方から弾を込めるので、大筒を扱っていた者はすぐに転換することができたこの大砲は大和砲と名付けられ、以後量産が始まるのであった。