【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
その後の話をしよう。
本能寺の変を含めた一連の乱は徳川の乱として名を残し、信道体制が始まった。
柴田のオヤジ殿が頑張りまくった結果、北条氏は徳川の乱の4年後に滅亡。
その後は俺と協力して東北平定に動き、これも3年かけて平定を行い、1587年に東国平定を完遂。
伊達家や最上家、南部家などの織田家に従順を示した家は、関東に国替えを行いつつも残ることに成功。
で、食糧生産が難しい東北開発は俺と津田家に信道様より任されて、東北だけでなく蝦夷地も含めた大開発を実行。
その間も嫁達にはポコポコ子供を作ってもらい、何なら信長様と市の姉妹丼(隠語)は絶品でした。
というか俺と信長様の相性は抜群で、東国平定に従軍し、戦地での昂りを受け止めてもらった。
銀子こと上杉謙信も東国平定では指揮官として暴れまわって、津田の雌虎の異名を誇ることになる。
信長様は俺とほぼ毎年1人以上の子供を作り、東国平定までの7年間で10人以上の子供を産むことになる。
西国の方は本願寺は乱の半年後に開城して平定を完了。
毛利は勢力を縮小することを条件に生き残りに成功し、四国は本願寺開城直後に長宗我部が四国統一を達成していたが、信道自らが指揮をとって、四国討伐を開始。
局地的な苦戦はあったが、今呂布こと秀頼の活躍もあり、無事に平定。
長宗我部氏は土佐1国に減らされた。
最後に九州征伐。
島津がブイブイ言わせていたり、大友が奴隷貿易をしていたりと色々魔境であったが、信道様は20万人の大軍を動員してこれを平定。
東国平定より4年早く西国は平定されることになるのだった。
その頃には信道様も俺の娘がポコポコと子供を産んでいき……というか、俺の娘は種付けおじさんの力の一部を受け継いでいるからか、普段は大和撫子であるが、夜になればサキュバスで旦那を絞っていき、織田家家中でポコポコと子供が誕生しまくる。
柴田のオヤジ殿は70歳で限界が来て東北平定をやりきったのを境に、隠居後に死去。
晩年に子宝に恵まれて、2男2女もうけることで血を残すことに成功する。
その子達は柴田のオヤジ殿の武芸の血は引き継がないで、どちらかと言うと文官寄りだったが、戦が無くなって統治の方が大切になった日ノ本ではその才能は重宝されていくことになる。
ただそのまま琉球仕置きや、俺が台湾って未開拓地があることを信道様に教えると、不穏分子や土地が欲しい武士を蝦夷地開発や台湾開発に派遣して、外に追いやることで、日ノ本の安定に成功。
明からも信道様が国王と認められ、以後は海軍力増強に力を入れて、倭寇と呼ばれる東アジアの海賊を撃滅。
そのまま明や朝鮮との交易を活性化させるが、銭は越前で国内流通分は作られていたが、信道様が銭座をもう少し増やすように言われたので、関東と九州にも銭座を作ったり。
砂糖栽培も琉球と台湾を握ったことで自給自足が可能、種付けおじさんの力で養蚕による生糸にも力を入れていたので、明から輸入していた商品が競合することになり、その分安く仕入れることが可能になった。
まぁその分だけ大流行している茶器に使われる唐物の焼き物の輸入が捗るわけであるが……。
国内の統一が進んだ1590年になると、日ノ本を植民地化しようとする欧州の動きが活発化。
日ノ本の宣教師の多くが神仏ガブリエル教に改宗した結果、イエズス会側でも分裂が起こり、端的な情報しか欧州……特にスペインに届かなかったのである。
更に神仏ガブリエル教なる邪教が蔓延っていること、オランダ独立戦争、イギリスとの戦争を一旦中断してまで、戦力を集めて、新しい巨大な植民地を獲得するために、スペイン王フェリペ2世の号令で第十次十字軍が結成。
国際色豊かな150隻以上の艦船が日ノ本制圧に動き出すことに繋がる。
そして約半年の航海の後に台湾に十字軍が上陸。
これに日ノ本からの入植者達は激しく抵抗したうえで、近江に開かれた織田幕府に援軍を要請。
これに応じた信道は俺の息子達含めた織田家の若手武将達を戦線に投入。
派遣軍総大将には羽柴秀頼が全軍の指揮を行い、副将として羽柴両兵衛の後継者と言われ、又兵衛の治療により病に打ち勝った大谷吉継と又兵衛の後継者である毛受高貞の2名が補佐をする。
15万を超える大軍に西洋の造船技術を習得し、海洋国家への脱皮を始めていた織田幕府は200隻近くのガレオン船を用いて台湾で大決戦が行われるのであった。
地上戦では圧勝、海上でも押し込んでいたが、流石に完勝とまでは行かなかったため、日ノ本の船は補給の為に台湾の港に寄港していたところ、台風が直撃。
台風を予知していた日ノ本の軍勢は被害が少なかったが、十字軍は台風によって船の殆どが流されて散り散りになったり、転覆したりで指揮系統が崩壊。
流れ着いた先でも侵略者と思われて討ち取られていくものが多数。
欧州に帰還出来た船は20隻にも満たなかった。
国の威信をかけて送り込んだ軍勢が壊滅したことで、スペインの威信は崩壊。
再発したイギリスとの戦争やオランダとの戦争でボコボコにされて覇権国家から転落。
一方でイギリスやオランダもダメージを受けていたこと、十字軍残党が海賊となりインド洋で暴れ回ったことでアジア方面の海洋貿易が停滞することに繋がり、アジア方面での植民地化が大きく遅れることになるのだった。
一方で台湾の戦いに勝利した日ノ本と織田幕府は鎌倉幕府の様に領地を分配できないで崩壊する……ということもなく、台湾や米が収穫できるようになった蝦夷地に土地を与えることで、不満を解消。
更に海洋政策を推し進めて、台湾を拠点に東南アジアに侵食し、フィリピンやマカオなどの海洋貿易の拠点を次々に占領していき、日本人町を作っていくことになるのだった。
そして1600年……又兵衛が53歳になり、織田家重臣達も代替わり。
又兵衛は大老と呼ばれる織田幕府の将軍の次に偉い地位に登り詰めることになり、又兵衛は自身の領地の多くを将軍家に返上。
越前は毛受近国が継承し、加賀1国は又兵衛の意向で前田利家の子孫が分割して統治することが決まり、能登や越中も織田家でお世話になった家臣達に分け、10年かけて大開発した奥州こと東北は毛受や津田一族、そして家臣達で細かく分割。
信長様も、信道様も津田家が鎌倉幕府が出来た当初の奥州藤原氏や室町の山名や細川といった巨大大名になることで力を持ち、後々に粛清されるのでは……という将来のことを考え、血縁関係がある者を中心に細かく分割し、関東に移封となった最上、伊達、南部の3家や蝦夷地に送られた新興大名達の警戒担うことを東北で求められることになるのだった。
織田幕府は信長様が夢見た形を継承し、アジアの巨大な海洋国家として成立し、日本の拡張を達成していくことになるのだった。