【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「将来日ノ本の土地が足りなくなるな……」
1600年になって、本来であれば関ヶ原の戦いが起こっていた時期であるが、今の日ノ本は平和そのもの。
安土に開かれた織田幕府も、信道様が初代将軍に就任してから約20年。
信道様は自身の娘と、吉法師と呼ばれ、元服して織田秀信と名乗り始めた信長様から見ると孫に当たる人物を結婚させた後に、本流に戻し、秀信様が2代目将軍となっていた。
「信道様はまだお若いのに隠居してよかったのですか?」
隠居時の信道様はまだ30代後半。
一番脂の乗り切っている時の隠居である。
「なに、私が隠居しても大丈夫なように組織は20年かけて作り上げた」
信道様は古今東西の国造りに関しての資料を集め、本人的には日ノ本の国威を下げる原因にもなりかねないからと警戒していたが、斜陽になりつつある明との朝貢関係を織田幕府と結ぶことにした。
朝廷は象徴的な存在と割り切ることで、織田幕府を間に挟み、朝貢関係を理由に侵略するなどのことがあれば朝廷を中心とした新体制に移行することで中華の侵略行為に対抗できる様にしつつ、朝貢貿易は莫大な金額が動く貿易なため、貿易関係を織田幕府に一本化することにより、織田幕府の初期運用資金を確保することにも繋がった。
また、織田幕府というより日ノ本では銀の卵を産むアヒルにより、銀の値崩れが起こっていたこと、中華で高値で取引される椎茸や蜂蜜、干しアワビ、干しナマコ、更に真珠といった品が種付けおじさんの能力もあり、養殖に成功していたので、それを交易で売り込むことで、莫大な富を大陸から吸い上げることに成功したのである。
その資金を織田家は日ノ本や開拓事業に投資を行う。
これによって開発が遅れていた蝦夷地や東北、関東、台湾、フィリピンなどの領地の開発が進む。
更に津田式農法と津田米や津田麦、俺によって品種改良された野菜や家畜の数々により、日ノ本……いや、織田家支配地域で緑の革命が発生。
既存の農業の10倍にもなる収穫量により、食余りが各地で起こり、それを加工食品や日持ちする物に加工する工場が各地で作られる。
その工場の経営者の多くは俺の長男でくノ一達を孕ませまくっていた高貞の子供達であった。
高貞は自身の影響力的に子供達に土地は残せないから忍びとしての諜報能力と商人のような金銭感覚を覚えさせて、各地の村々に代官や役人として送り込んだのである。
その子供達は担当する村々で特産品になる作物の開発や余っている食材を加工して日持ちするようにし、各地に販売したのである。
そのため、役人としての任期が終わっても工場長や商人として身を起こす者が相次ぎ、高貞の子孫から毛受組という巨大な商業組合が発足することに繋がるのであった。
これが後世には毛受グループとして世界を代表する財閥に成長するのであるから恐ろしい。
そんな感じで食余りと国内通貨の流通によって、人々は戦国時代に比べると、一気に豊かになり、贅沢品を買うようになって更に商品が売れて金が回る循環が発生。
開発特需も合わさり、日ノ本全体で空前の好景気と、それに伴うベビーブームが起こっていた。
日ノ本全体で1200万人とされていた人口は織田幕府成立から僅か20年で1500万人まで増加。
これ以降も更に増えるし、フィリピンや蝦夷地などでは先住民族とかもいるので、その人達を含めると更に数が増える。
食糧の生産量が10倍に、領地も増えたから更に養える食糧供給はできるとはいえ、俺は遠くない未来に日本人の増加が頭打ちになる未来を考えてしまった。
「これは良くない」
そう考えた俺は50歳半ばで種付けおじさんとして最盛期を迎えていることもあり、神話再現を行おうとしたのである。
伊邪那岐命(イザナミノミコト)による国造りの神話……あれも一種の種付けおじさんだと思うことで、種付けによる国土錬成を行なったのである。
俺は数ヶ月旅に出るとして、家族を残し、伊豆諸島に船で向かい、伊豆諸島の各地の火山に種を撒いていったのである。
そして、八丈島に到着して種付けおじさんの力を解放すると、巨大な地震が起こり、海底火山が幾度と噴火。
数日にわたる嵐が起こった後に、突如として巨大な島が隆起したのである。
その島は伊豆大島を北端に八丈島を経由して、小笠原諸島まで届き、朝鮮半島くらいの横幅で約1200キロにも及ぶ巨大な島が出来上がったのである。
面積的には朝鮮半島に四国を足したくらいの大きさで、海から隆起したばっかりでまだ人の住める様な状態でないが、俺は1年かけて新しくできた巨大な島……後に南場国と呼ばれることになるが、その島を巡りながら種をまきまくり、木々生い茂る豊かかつ、様々な海底に眠っていた資源がある土地へと変貌させていったのである。
1つの島を作り出すという神話の様なことを俺はやったが、元気は有り余っていて、帰国後にまだ30代の嫁達の畑に種をまきまくり、ポコポコと子作りをし、余生を送るのであった。