【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
1568年になったので俺が調べた限りの日本の様子を語っていこう。
まず京周辺……畿内情勢は松永久秀殿が大和国を掌握したことにより三好三人衆が擁立している足利将軍候補の足利義栄の上洛が事実上不可能になる。
朝廷としては将軍もしくは有力な武士に京を守らせたいが、小勢力が乱立していてどこを頼れば良いか分からない状態が続いている。
そんな混沌とした畿内で一番力があるのが松永久秀殿であり、彼が三好三人衆と敵対している限り、京に三好三人衆が担いだ将軍は入京できないのである。
決戦を挑むだけの戦力が三好三人衆には無いという悲しい現実もある。
で、現実的に対抗馬が足利義秋……前将軍足利義輝の弟であるが、彼が身を寄せている朝倉家が上洛して三好勢を蹴散らし、京の治安を回復してくれるのが一番丸く収まるのであるが……この朝倉家というのが名門と自負している成り上がりものであるのである。
朝倉が支配する越前という土地は元々斯波一族が管理していた土地であり、この斯波一族は越前の他に尾張等各地を飛び地として有していたが、一族で管理ができなくなり、有力な代官に統治させようとしたら、その代官が力を持って実効支配してしまった……という話である。
ちなみにこの斯波一族に最後に残った土地が尾張であり、織田信長様の最初期の立場は守護の斯波様の家臣である守護代の家老……家臣の家臣という立場である。
これを10年かからずに尾張全勢力をほぼ敵にして勝ち残れたものである。
それだけ信長様の能力がずば抜けていた証拠でもあるが……。
ちなみに尾張全体が内紛している時の信長様の状態を現代の野球チームで例えると、エース兼四番兼監督という本当に1人のチームである。
今は使える武将が充実しているが、それは信長監督が手塩にかけて若手を育て(前田利家や佐々成政、丹羽長秀など)、敵チームから金銭トレードで戦力を引き抜き(柴田勝家や滝川一益など)、即戦力や大型ルーキーをスカウト(俺や木下藤吉郎など)し、戦力外になった有能な人材(明智光秀)を引っ張ってきたおかげである。
話を戻して、そんな朝倉は加賀……現在の石川県が、この頃は百姓の国と呼ばれて支配者不在の土地になっていたのである。
百姓……農民の国と言えば聞こえは良いが、一向宗という寺社勢力の浸透した武装農兵軍団であり、常に暴れ続けるという困ったちゃん(オブラート表現)な勢力であった。
どれぐらいヤバいか……本来上司である石山本願寺の命令ガン無視というのでヤバさが伝わるだろう。
ちなみにそんな勢力が十万単位で暴れ回るので周辺勢力はここの扱いで苦悩している。
ちなみにこれを大幅に弱体化出来たのが朝倉のチート爺こと朝倉宗滴という人物であり、存命時には数万単位で一向宗を根切りにし、数日で5つの一揆勢の城を陥落させたという伝説を持つ。
そんな爺さんは晩年にあと10年寿命が欲しいと嘆き
「あと10年あれば織田信長の行く末を見ることが出来るのに」
と、他の勢力からは桶狭間の戦いで勝利した一発屋扱いであった織田信長に最大限の評価をした人物でもある。
そんな爺さんが亡くなってからの朝倉はカレーライスのカレー無しみたいな状態に陥り、加賀一向一揆に押されまくるし、京の情勢に関与する余力を失っていたのである。
ただ周りからは朝倉宗滴が居た強かった朝倉の幻影があるので上洛してくれと度々連絡が入り、これを無視したのである。
朝廷及び幕府関係者からの要請を度々無視したというのが、後々朝倉を苦しめることになる。
ちなみに俺の義父である竹取さん(奈々のお父さん 貴族)からは貴族の間で朝倉の評価が年々下がっていってると連絡を受けている。
で、そんな朝倉が行動不能になっているので他に有力な勢力は無いかというと2つ勢力がある。
南伊勢の北畠一族と近江の六角一族である。
まず南伊勢の北畠一族は現当主が前将軍足利義輝と剣術の兄弟弟子の関係であり、家柄的にも名門と呼ばれる由緒正しい家であったのだが、立地が悪すぎた。
京に向かうには伊賀もしくは近江を抜けなければならないが、伊賀の里とは関係が微妙、近江は六角と争ったり、和議を繰り返す関係で、とてもでは無いが上洛に大軍を動員できないのである。
あと後継者の教育に失敗し、現代で言うデブニートに育ってしまい、米と麦、大豆の違いがよくわからないし、馬にも乗れないという武将以前に人として激やばの人物に育っていたのである。
当然周りからの評価は低く、そんな息子を領内に残して上洛すれば、野心ある者に操られて領地を奪われてしまう……なんてことが起こりかねないので上洛できないのだ。
もう一方の六角氏はというと絶賛内乱中であり、一時期は最盛期の三好と正面から敵対し、幕府にも強い影響力があったのであるが、有力家臣を個人的な癇癪で殺してしまい、その家臣が人望が厚かったので他の家臣達が反発……これが俗に言う観音寺崩れという家中騒乱に発展。
六角は大幅に弱体化し、元々部下であったハズの浅井家に北近江での利権及び琵琶湖の海運利権を奪われるという致命傷を負う。
そんなんなので弱体化している三好勢よりも更に弱体化してしまっていた六角は話にならず、他の勢力を頼る必要があった。
そんな時、幕府は西の勢力に対して上洛を求めるのが常であったが、幕府の言う事を比較的聞いてくれていた中国地方の巨大勢力であった尼子が2年前の1566年に毛利に攻め滅ぼされて滅亡。
毛利は幕府によって散々振り回された経験から上洛命令を無視し、中国地方の覇権の維持に全力を尽くす有様。
そんな中国地方に巨大勢力が引きこもったので九州勢力は毛利領内を突破できるはずもなく、上洛運動を静観。
四国は三好の庭なので論外。
となると越後の上杉輝虎(以後上杉謙信)と織田信長の両名が最有力候補になり、上杉謙信は上洛するためには加賀を通らなくてはならず、しかもこの頃は関東諸将との関係が急速に悪化し、関東方面で反乱祭りでその対応で動けない。
となるとフリーハンドを得ているのは織田信長だけという状態であった。
ちなみに東の大名で有名な武田信玄は元同盟国の今川領土を襲って領土拡大に勤しむ野蛮過ぎる行動を行っており、それに激怒した今川と同盟を結んでいる北条が今川と一緒に武田家の侵攻に対して防衛戦をしているという状況であった。
東北は情報が全く入ってこないのでよくわからないが、あそこら辺は大名間での婚姻のしすぎで血統表が蜘蛛の巣になっていると聞いて俺以外にも種付けおじさんがいたんじゃないかと思えてしまう。
(伊達政宗の曾祖父さんの伊達稙宗という又兵衛並みの種付けおじさんぶりを発揮して奥州の大名皆血縁状態にした元凶がいたりする)
「ここまでで何か質問はあるか?」
俺が聞いている家臣達に聞くと、稲葉重通が手を挙げた。
「となると将軍の弟の足利義秋様でしたっけ? 彼を担ぎ上げて上洛するのが織田家の目標と?」
「そうなる。で、そのための整備として滝川一益様が行った北伊勢制圧で伊賀街道から大和を経由して京に繋がる道を確保出来た。あとは大軍が行軍できる美濃から近江を通って京に向かう街道を押さえられれば信長様は幕府を復興させた偉人になれる」
「道中には六角が居ますが」
「弱体化著しい六角は話にならん。伊賀経由で忍び仲間でもある甲賀の里に調略を信長様はしているらしいから、甲賀の里が信長様に臣従すれば、六角もお終いよ」
「となると六角攻めですね」
「菊八の言うように六角攻めになるが、城の見取り図は既に忍びによって入手済み。主要な城は丸裸になっている」
「手が早いですね」
「まーな、あとは足利義秋様がいつ美濃に来れるか次第であるが……どうだろうな」
結局上洛が始まるのは夏の終わり頃になるのであった。