【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
南伊勢侵攻は織田、幕府連合軍で6万人にも及ぶ大軍となったが、名門北畠家は各城に防衛の兵を割り振り、大軍の展開が不利な地形を活かして遅滞戦術を行い、徹底抗戦の構えを解かない。
それを忍び経由で戦況を把握していた俺は、信長様らしくない戦い方だなと思っていた。
「信長様であれば時間をもう少しかけて弱らせるはず……大軍が動員できることで油断したか?」
そんな事を考えていたが、田植えシーズンが始まり、俺の村は例年通り田植えをすることが出来たが、南伊勢は農民を動員している状態で包囲されているので、田植えが出来ない。
一方信長様の主力は銭で雇った者が主体で、農兵の割合が少ない。
田植えが出来ないことによる食料供給の遮断……俺はその意図が分かった時に信長様はいつものように大きな戦略の中で動いており、俺は視野が狭いことを恥じた。
ただ意図が分れば今後の動きも分かってくる。
あとは支城を順次落としていき、北畠家の本城に圧力をかけていけば音を上げるはずである。
ただ今年は梅雨が長引き、連日の大雨で、鉄砲が使用不可能になり、支城を攻め落とすのはどこの部隊も失敗し、かといって北畠家も織田家の包囲が続いたことで分家が裏切ったりと両者もどかしい状態が続いていた。
「ほい、ギューッとね」
梅雨の時期は家臣達は室内の相撲部屋の様な鍛錬場……まぁ道場にて鍛錬を続け、俺は牛の世話に労力を割いていた。
産まれた牛を雌牛に子供の頃に性転換させて、雌牛を揃え、乳牛として飼育しており、和牛品種であるのにホルスタイン牛並の乳量を毎日出していた。
今牛舎には50頭ほどの乳牛を管理しているが、村人に賃金を払って搾乳の手伝いをしてもらい、1頭から1日20リットル程度の乳を採取し、それを保存の効くチーズやバターに加工していく。
チーズを作る時に出る乳清(ホエイとも呼ばれる)はプロテインの原料にもなるので、家臣達に毎日飲ませている。
村人も最近では飲むようになって、それで体を農作業でめちゃくちゃ動かすのでめっちゃ筋肉質な体型に変わっていた。
他の地域では爪楊枝の様なガリガリの農民が多い中、加茂村では農民皆マッチョばっかりである。
女性陣は肉付きが良くなり、出産後の肥立ちが俺が祈祷していなくても安定していることが多くなり、授乳量も増えて、子供が栄養失調で亡くなる事が大幅に減っていた。
なんなら俺が加茂村の領主になって5年になるが、祈祷した者は、肥立ちが悪くて亡くなったり、病気に子供がなったりして亡くなる事が、無かったので、最近仏壇の中に俺の姿をした木像だったり、俺が村人に譲った小物を崇めるのが村人達に広まっている始末。
加茂村の住職に、流石に止めた方が良いよなと相談したら、住職が俺の姿の木像を作っていると分かり、住職から聖人認定を受け、等身大の木像が何故か制作されたのだが、何故か俺がブリッジした状態で男根部分が本体みたいになり、男根を装飾されていた。
俺はそれを見て、前世のエロ絵で見たふたなりブリッジ怪人のそれである。
しかも住職は完成した当日の夜が新月だったが、木像の男根部分が七色に輝き出したとわけの分からないことを言い始め、何故か寺は改宗して金精大明神を崇める様になるのだった。
俺の領地で邪教を広めないで欲しいが……。
そんな酷い出来事もあったが、お陰で村人達との結束もより強くなり、今年は村人や家臣総出の田植えが行われ、綺麗な正条植えの田んぼが出来上がったのだった。
あとは村では牛乳を飲んだり、鶏の卵を食べたりが普通になっていったが、ワイン風呂のかけ流されているワインを桶によそって家に持ち帰り、嫁と一緒に晩酌をしたり、自家製の醤油を作るようになり、食文化も広がっていた。
ウナギや鯉も泥抜きをすれば美味しく食べられることが知れ渡り、鯉の煮付けやウナギの蒲焼き、スッポンやドジョウ、ナマズも食べられ、それが精が付く物が多かったので、ここ数年で各家庭で子供が産まれまくっていた。
最初300人だった村は今では500人を超す村となり、そこら中に小さな子供が走り回る現代日本では見られない様な光景が広がっている。
そんなんなので、村の女性陣はほぼ毎年全員腹が膨らんでいる時期があり、加茂村なのに、周囲からは妊娠村と呼ばれていたり……。
もちろんうちの嫁達も今年は全員懐妊し、また腹が膨らみ始めていた。
これで全員3人以上は産んだことになり、そろそろ子供の数が60人を超えそうだ。
もうその人数になると子育てが親達だけでは手が回らず、老人達を雇って子育ての手伝いをしてもらっている。
それが年寄り達の雇用を生み、老人達が山に捨てられる場所もある中、加茂村では老人達も立派な戦力として活躍するのだった。
梅雨が終わった頃、睨み合いが続いていた北畠家との和議が成立。
北畠家に信長様の次男が養子入りして、後継者にすることで決着。
北畠家としても大豆を米や麦に見間違える程馬鹿な嫡男では家臣が付いてこないと思っていたので、両者の納得のいく落としどころであった。
ちなみに現在の織田家の家督継承順は長男の織田信忠様をトップに、2番目に帰蝶様の息子である峰丸様が入ってきていた。
次男と三男……後の織田信雄と織田信孝の2人は養子に出されたことで家督継承順位は下がり、峰丸様が繰り上がりで順位を上げていた。
で、家督争いが起こりそうであるが、峰丸様は年の離れた兄である信忠様と仲が良く、他の兄弟と違い、愛想振りまく峰丸様に信忠様も絆されて、可愛がる姿が良く見られていた。
ここで2人の違いを確認していこう。
まず信忠様は元服を済ませており、織田譜代家臣からの人気を支持基盤としている。
主に丹羽長秀様や柴田のオヤジ殿、佐久間様や下方様などの尾張属と呼ばれる派閥が支えている。
一方で峰丸様は帰蝶様が斎藤道三の娘であり、その血縁関係から美濃属と呼ばれる美濃の国人衆や旧斎藤家家臣、美濃出身者から支持されている。
教育係の森可成様や美濃出身の明智光秀殿なんかが美濃属である。
ちなみに斎藤道三の末っ子の斎藤利治様も甥っ子の峰丸様を可愛がり、教育係の1人である。
これだと将来織田家を割りそうであるが、支持基盤が明確に分かれていること、兄弟仲が他の兄弟に比べて圧倒的に良い事が両者の距離を近づけていた。
というか次男と三男が信忠含めた3者が互いに仲が悪いのが大きく影響している。
次男は信長様の冷酷さを受け継いでいたが、能力が伴っていないので残虐性だけが際立ち、三男は嫉妬深くて欲深い。
能力はあるのであるが、それだけに次男より能力があるのに母親の地位が低いから三男に格を落としたと次男のことを妬んでいたし、正室の子である峰丸にも威嚇を繰り返していた。
年は離れているが、優しくしてくれる長男、冷酷な次男、威嚇してくる三男だと峰丸が誰に懐くかと言ったら長男の信忠である。
そんな峰丸は能力は何でも無難にこなし、物覚えも悪くない。
一番の特徴は誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力であり、その人誑しな能力は秀吉に通じるものがあった。
信長様はその姿を見て多くの者に愛された自身の弟の信行に似ていると思っており、それはもう討ち取ることになった信行の分まで峰丸のことを溺愛していた。
ちなみに俺も帰蝶様と面会をする際に峰丸様と会うことが多々あり、信長様の真似でお馬さんと呼ばれていた。
ちなみに信忠様とも面通りは済ませており、信忠様からは信長様の愛馬と呼ばれている。
「親父は頭痛があると機嫌が悪くなるが、又兵衛が治療してから、不機嫌な日が明らかに減った。俺への当たりも柔らかくなったから感謝しているよ」
とも言われた。
南伊勢侵攻で特に任務を与えられなかった俺は伊勢侵攻が片付いた8月より信長様より新しい命令を受けることになるのだった。