【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
前にルイス・フロイスからいくつか食べ物の種や苗を貰ったが、それは日本には無い食材達であり、今回貰ったのは、ジャガイモ、トマト、セロリ、玉ねぎの4品種である。
どれも原種に近い物が堺の薬草園で育てられており、仲良くなったルイス・フロイスさん経由で少し譲ってもらった。
ジャガイモは言わずもがな救荒植物であり、連作障害に気をつければ大量のジャガイモを収穫することができる。
トマトとセロリは調味料を作るのに優秀な食材である。
玉ねぎは植える時期をずらせば春と秋で収穫できるし、色々な料理を引き立てる事ができる。
今年は信長様が朝倉攻めを田植えが終わったら行うと一部の人には言っていたので、田植えは出来そうだが、戦が長引いたら収穫作業は嫁達や村人頼りになる。
ジャガイモなどの新しい食材も上手く育てば良いが、それの管理が出来ないのは少々怖いものがある。
収穫にも立ち会えるか分からないし……。
「朝倉討伐か……伊勢侵攻の様に早く片付けばいいのだけど……」
この時俺は失念していた。
何故信長様の天下統一が本能寺の変の1582年になっても終わっていなかったのかを……。
「馬、先に京に入り、金柑(明智光秀殿)と悪人(松永久秀殿)と共に軍を動かす準備をいたせ」
「は!」
田植えが終わり、一息つこうとした梅雨前の時期に、信長様より命令が下った。
俺は領地の家臣を招集し、信長様より預かった千名の兵と共に京に向かい、京の治安維持活動をしていた明智光秀殿と松永久秀殿の軍と合流をした。
「信長様はなんと?」
「表向きは若狭守護である武田氏救援を名目に北陸に進軍し、武田を傀儡としている朝倉家を討伐すると。朝倉家はどうなっています?」
幕府の情勢に詳しい明智光秀殿がこちらを説明する。
「おじさんの集めた情報だと、幕府は何度も朝倉に上洛して、幕府に忠誠を誓う事を約束させようとしたけれど、使者を出すだけで、朝倉一族が上洛した事は無かったね。幕府も怒っていたね。まぁ朝倉は幕府の救援要請を何度も無視した過去があるから、どちらにせよ討伐は免れないだろうね」
光秀殿の発言に松永久秀殿が
「朝倉討伐は良いが、信長様は浅井をどうするつもりだ? 浅井と朝倉は同盟関係が続いているし、浅井が六角から独立できたのは朝倉の支援があったからだ。強い縁で結ばれているが」
これに対し、俺は
「信長様は今回の朝倉討伐に、浅井軍は動員しないつもりです。旧知の仲であるため、朝倉討伐に浅井が参加するとなると、朝倉討伐後の朝倉一族の処罰に口出しされることを恐れています。落としどころとして、当主は切腹、朝倉一族は浅井預かりにして、家臣は越前統治に活用……といったところでしょうか」
「ふむ……、幕府からも軍はでるのじゃろ? 明智殿」
「ええ、今回の朝倉討伐は朝廷からも逆賊認定されるので、幕府、朝廷両者から討伐対象となります。実質は織田徳川連合軍かもしれませんが、表向きは幕府軍としての活動になるかと」
認識の共有が行われた後、明智殿は直ぐに幕府との調整を、俺と久秀殿は畿内の国人勢力との調整を行うことになった。
俺の担当は摂津の池田家で、織田家に居る池田家とは血縁関係の無い一族であるが、元三好勢力の国人で、摂津国で大きな影響力を保有していた。
有能な家臣も多く在籍しており、荒木村重や中川清秀という俺も名を度々耳にする人物が仕えていた。
ちなみに中川清秀殿とは本圀寺の戦いで一緒に本圀寺に籠もって戦った仲であり、ルイス・フロイスと交流していた時期に中川殿の屋敷に泊まらせてもらった事もあった。
なので、今回の交渉でも中川殿に仲介してもらう。
「わかったぞ! 実質朝倉討伐の軍に合流するように私からも殿(池田様)には伝えておこう。又兵衛がせっかく来たのだ、茶を飲んでいくだろ?」
「荒木もいるよ!」
「お二人は本当に仲がよろしいことで……いつも会う度に茶会開いてませんか?」
俺がそう言うと荒木殿が反応する
「中川とは無二の親友だからな。2日に一度は会っている気がするぞ」
中川殿も
「まぁ衆道を嗜む仲でもあるからな」
あぁ、おホモ達ってことか……コイツら……。
「まぁ信長様の力であれば朝倉ごときは一撃で粉砕でしょう! 楽な戦いになるのではないのですかな! ガハハ!」
「こらこら荒木、一応大軍同士が激突する大戦になる可能性もあるだろ? 朝倉は名門だぞ」
「いや……しかしだな。朝倉宗滴殿が居た朝倉家ならまだしも、加賀の一揆勢に度々負けているような朝倉家は歴戦の猛者である信長様や織田家家臣の方々には勝てんだろう」
「それもそうだな! わっはっはっ!」
なんだろう……コイツらが言うとフラグにしか聞こえないのだが……。
まぁとにかく中川殿と荒木殿の口添えで池田家も朝倉討伐に参加することが決まり、着々と軍の編成が行われていくのであった。
織田軍が京に集結し、その数は3万と、上洛の時より少ないが、朝倉家の動員限界数が1万5千。
それが防衛のために各地に分散配置されることを考えると3万での朝倉征伐は多すぎず少なすぎずの丁度よい塩梅であり、その内訳も織田と援軍で5千を引き連れた徳川両方共に精鋭中の精鋭であった。
参加武将も織田家オールスターズというべき陣容で、その3万の軍の中で千名の兵を率いる事を許されている俺の評価の高さが伺える。
出世レース的には一番手を秀吉殿が独走しているが、3番手、4番手辺りを俺は進んでいた。
俺の一番のライバルは河尻殿かもしれない。
河尻殿も信長様の愛人枠から出世した人物であり、度々寵愛を受けていた。
美濃攻めの時も大活躍し、俺よりも早くに侍大将から武将へと出世している。
俺的には今回の朝倉討伐で武功を立てて武将になり、できれば城持ちに出世したいと思っていたが……朝倉討伐の先陣は俺らよりも出世が遅れていたが、信長様が気に入っていた面々……前田利家だったり信長様の乳母兄弟の池田恒興殿、親衛隊古参の佐々成政殿などが先に進み、敵を蹴散らす。
この頃前田利家は信長様の命令で実家の家督を継承して、前田本家に合流し、城主となっていたが、兄を追い出す形となってしまい、古参の家臣達が前田利家には仕えたくないとボイコット運動をしていたりもした。
利家的には有能かつ、幼い頃から仕えてくれていた忠臣達を処分したくなかったが、実務に影響がでていたので、泣く泣く追放。
この時に前田利家の兄に養子入りしていたのが前田慶次こと前田利益であった。
利家は俺から譲り受け、愛馬にしていた松風を彼に譲っており、前田慶次は松風と共に全国を放浪する旅に出かけていた。
ちなみにこの時、俺は利家に頼まれて前田家旧臣の一部を預かって欲しいと言われたのだが、旧臣連中が利家と仲の良かった俺に仕えることを拒絶し、家臣に加えることが出来ない事件が起こっていたりもした。
なので利家の領地は俺の倍の二千石もあったのだが、旧臣達の出奔、追放により、領地経営が成り立たないと泣きついてきて、俺も家臣が足りてないのに、家臣を派遣する羽目になった。
利家の領地で1年地獄を経験して戻ってきた家臣達は俺に対して
「又兵衛様が色々型を作って作業の効率化をしていたことの大切さをよく理解しました……」
と、涙を流しながら語っていた。
そんな珍事を乗り越えた利家は元気に槍を振るい、今も前線で戦い続けている。
そして朝倉家の要所である金ケ崎城を陥落させたところで、織田家存亡に関わる重大事件が発生するのであった。