【書籍化決定】種付けおじさんIN戦国 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
「又兵衛様」
秋も近づいてきた頃、津田家忍び衆筆頭になっていた霧丸から情報がもたらされた。
「武田が動員を始めた」
「はい、秋の刈り入れを前倒しにしていましたので、収穫が終わり次第軍事行動を開始する可能性が高いかと」
俺は地図を広げ、侵攻先になる場所を霧丸に聞く。
「どうやら武田は今川領の駿河より侵攻することを選ぶようで、新設された武田水軍の動きが活発になっております」
「しかし狙った様な時期に……畿内周辺が動けない時に……」
実は2週間ほど前に畿内で大規模な地震が発生し、家屋が多数倒壊する被害が出ていた。
幾つかの城も土砂崩れが起きて、一部城の機能が失われていたりしたため、畿内周辺での徴兵が困難になっていたのである。
「となると、信長様が俺に預ける1万の兵は各方面から抽出できる予備兵力となるか……」
武田と呼応してか、石山本願寺も再び蜂起し、伊勢長島の一向一揆も活発化、本拠地が無傷の朝倉も浅井への物資搬入により浅井も息を吹き返し、三好三人衆も四国から畿内に渡ろうと動いていることが判明。
第二次織田包囲網が敷かれようとしていた。
「包囲網の要は武田。記憶が確かなら武田に致命傷を負わせる戦いはもう少し後だった気がする。つまり、歴史だとこの段階では武田に致命傷を与えられない」
しかし、本来の歴史には居ない俺が大軍を率いて徳川に援軍に向かう……これは歴史が変化するには十分な出来事である。
「戦国最強軍団の武田……なんとしても勝利しなければ」
俺は信長様の為に気合いを入れるのであった。
武田が本格的な上洛を目指すために軍事行動を開始するに当たり、武田の外交を確認しなければならない。
まずなぜ武田は石山本願寺と連携を取れているか……これは石山本願寺の門主である顕如の奥さんと武田信玄の奥さんが姉妹で血縁関係にあり、その伝手で連絡を取り合っていたことで、武田は畿内情勢を素早く掴むことができ、大地震により織田家が疲弊していること、将軍足利義昭が武田に上洛を要請した大義もあり、武田が動くに足る十分な要因は揃っていた。
ただ武田は上杉と北条という巨大勢力に囲まれており、数年前までは両者と敵対関係にあった。
ただ北条は代替わりしたことで方針を転換し、武田と同盟を締結。
上杉は石山本願寺が一揆を扇動し、加賀一向一揆と越後一向一揆を連携させることに成功し、他所に目を向ける余力が無くなっていた。
これで後方の憂いを断つことに成功し、織田を倒して京に上洛しようと軍事行動に移ったのである。
ちなみに、織田と武田は軍事行動開始まで同盟関係が続いており、織田家嫡男の織田信忠と武田信玄の娘の松姫の婚姻も間近に迫っていた中で、武田は同盟を破棄し、徳川領内に侵攻を開始したのである。
武田と徳川は旧今川領の取り扱いで度々国境紛争が起こっていたが、武田が本格的な軍事侵攻を開始すると武田軍は別働隊を組織。
約3千からなる別働隊に四天王の1人山県昌景を大将、副将に経験豊富な家老の秋山虎繁を当てると奥三河から三河に圧力をかけ、奥三河の国衆は次々武田に寝返り、三河への攻撃が始まっていた。
更に武田本隊は駿河国から徳川家康が居城とする三河と遠江の間にある浜松城に向かって進軍を開始。
徳川家康は2方向からの攻撃により瞬く間に窮地に陥り、織田家に救援を要請。
奥三河方面には領地が近い佐久間信盛と尾張と三河西部に約10万石の大領を有し、徳川家康とも親戚関係である水野家が直ぐに1万の兵を集めて対応に当たる。
武田が動員をかけている頃に俺の方も早期動員をかけたことで、徳川家康様による援軍要請が届き次第、信長様より救援の下知が飛び、5日で美濃から尾張、三河を通過して、浜松城に到着した。
「家康様、主である信長様の命により津田又兵衛以下1万の兵が援軍として来ました」
「1万……か」
家康様は落胆の表情を浮かべる。
武田の本隊の数は忍びから情報を聞いていたが、2万2千ほど。
対して浜松に集結した軍勢は1万6千である。
徳川軍も三河を攻撃されているし、支城に兵を分散させていたので、6千ほどしか浜松城には集まれなかったのである。
「信長様は長期戦を望まれています。時間が経過すれば畿内の混乱も落ち着き、更に兵力の抽出が可能になります。ここは浜松城に籠もって籠城の構えを願いたい」
俺の意見を表明するが、徳川家康はそれは出来ないときっぱり断られた。
理由は幾つかあり、まず支城を攻められているのに救援に向かわなければ、持久戦に勝利し、武田が撤退したとしても、徳川の支配力は大幅に低下してしまう。
民意が得られなくなってしまうこと。
2つ目は浜松城の防御力の問題。
対武田を見据えて作られた巨大な城であるが、平城かつ防衛上の欠点を抱え、それが海が近いので、井戸を掘っても塩水が混じり、飲水の確保が難しいため、大軍での長期戦が難しい。
3つ目は奥三河戦線が早期に決着すれば良いが、奥三河の国衆が多数裏切った様に、武田の調略がどこまで伸びているか分からない点。
武田の調略で裏切り者を抱えて籠城すれば短期間で浜松城が陥落する危険性等から、徳川家康としては決戦にて決着をつけなければならなかった。
何より徳川の諸将が既に覚悟を決めている点も大きく、成り上がり者である俺の意見に耳を貸そうとしない。
しかも家臣の中には俺を嫌っていた信長様の元小姓達が徳川家康様によって再雇用されており、彼らが俺の悪口を徳川家の他の家臣達に吹聴していたらしく、俺の籠城策は腰抜けと言われてしまった。
援軍として来ているので、決定権は徳川家康様にある。
「まずは武田の脅威が迫っている二俣城の救援に向かう」
家康様はまずは徳川の独力で対応できることはしなければならないと、浜松城の防備及びさらなる徴兵の為に俺と幾人かの家臣を残し、二俣城への救援軍5千名を編成し、武田の先発隊を叩き、出鼻を挫かせようと企んだ。
俺は戦うのであれば戦力の小出しにするのでは無く、全力で戦うべきと意見したが、これも聞き入れられない。
ただこの救援による戦いで徳川が大敗した場合致命傷になりかねないと思った俺は救援軍が出発したのを見送った後に、選抜した精鋭千名を率いて徳川軍の後を追った。
留守は、はじめの義父殿にお願いし、島や菊八達、的場等の主要家臣は全員引き連れていく。