一兆六千六百五十三億千二百五十万年地獄で鍛えた厨二病、異世界に行く。 作:湯瀬 煉
暗い獣道に稲妻のように剣が閃く。
一度、二度と雷光が見える度に湿った音が静かに鳴る。
総ての音の原因は、一人の男だった。
笠を目深く被り、青い和装に身を包んだ男――その右手には剣が握られている。要塞都市でも比較的安価に買えるようなロングソードであるにもかかわらず、男の眼光も揃って、冷え込むような鋭い光を放っている。
「ふぅ……」
ゆっくりと深く息を吐いた。一息に繰り出された高速剣舞はそれなりに体力を消費する。恐ろしいのは、肩で息をするような疲労困憊の様子でありながら、剣気は一切衰えていないというところか。
「南無阿弥陀仏……と」
念仏は、夜の闇に溶けていった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
一兆六千六百五十三億千二百五十万年と一夜前。
男は閻魔大王の前に引き出されていた。
男はいたって平均的な男である。幼き頃は虫をとって捕まえ、学生時代は適度にスポーツに手を出したり、文化部に籠ったりし、大学で自由気ままに、最低限卒業はできる程度の単位を揃えていった。
享年二十一歳。若くして逝ったものの、その原因は交通事故と何らおかしなところはなく、信号機による整備がない交差点を通過しようとしたら勢いよく突っ込んできた車にはね飛ばされた次第である。
「お前の功罪を数え、審判を下す。
善行が多ければ自ずと浄土へ。悪行が多ければ自ず地獄へ。お前に相応しい輪廻転生が用意されるだろう」
閻魔大王の厳しく、重々しい声が響く。男の短い生涯では未曾有のプレッシャーを受けているはずであり、今ここで嘔吐し失神してもおかしくはないはずだが、不思議と閻魔大王の言葉は若くストレスへの耐性も整いきっていない彼にも馴染んだ。
その様子を見て閻魔はうむ、と頷くと、閻魔帳を開き、彼の人生を審判し始める。
「おおよそ問題無し。
現代の価値観において大きな過ちも犯していない。しかし、だが、うむ」
言い淀む。その真意を、男は気が付いていた。
「お前は戦を望むか」
閻魔の言葉に、男はこくりと、一度頷いた。
先ほど、男は平均的な男だと記した。その言葉は間違えではない。男は誰であれ、一度は剣を握り悪を倒すヒーローに憧れることだろう。次第に夢を諦めるか、別の形でヒーローになることを目指すか、いずれにせよ、『ヒーロー』への憧憬は多くの男子の根にあるといって過言ではない。
この男は、その憧れを捨てられなかった。いつの日か悪の怪人と戦うことを夢みて、そのための鍛錬をしてきた。意味もなく殺意を研ぎ澄ませていた。果たしてその行動は、戦争を望む狂人となんの違いがあるだろうか。
「……本来であれば、人として生まれ直す道もあったかもしへん。往生もありえたかもしれん。
だが、お前の気質は地獄に繋がれることこそ相応しい」
ならばこそ、閻魔大王の判決は至極真っ当と言わざるを得ない。
「お前の行く末は決定した。
等活地獄にて無限の殺戮と戦争に飽きるといい」
かくして男は、地獄に堕ちたのであった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
等活地獄。
それは八大地獄の第一層、殺生を犯した者が堕ちる地獄である。蚊を殺した、虻を殺した、その程度であっても、懺悔しなければこの地獄に堕ちるとされる。その他、殺生を好んだ者も堕ちる地獄であり、男はそれに分類される。
男が目が覚ました時、彼の手には一本の刀が握られていた。鞘に収められた刀だ。ボロボロではあるものの、その重みは確かに凶器である。
辺りを見渡せば、同様に武器を携えた老若男女が見える。彼らを追いかけ回し、金棒を振り下ろす獄卒も見える。
なるほど地獄絵図。まさしく阿鼻叫喚という形容がふさわしい。もっとも、阿鼻叫喚と並ぶ地獄に比べればここはまだ極楽のようだとも記されている訳だが……。
この地獄のなによりの特徴は、死んで終わりではないというところだろう。見るがいい。たった今、鬼の金棒にて頭を潰された若い女も、鬼の唱える呪文ひとつで頭を生やし、また武器を手に取った。
生きるも死ぬも等しく、刑期を終えるまで殺し合いを続ける地獄。それこそが等活地獄である。
この地獄において、新入りと古参の違いなど無いに等しい。放り込まれたならば、即ち参戦者である。
金棒を持った鬼と目が合う。男はすぐさま臨戦態勢をとった。平和な時代、平和な国に生まれながら、妄執に取り憑かれて一心不乱に殺意を研いだ男だ。二十年ばかりの生涯のほとんどを存在しない敵を屠るために過した男だ。この程度は当然といえるだろう。
だが――――。
次の瞬間、男の首は地面に落ちていた。
平和な時代、平和な国に生まれた男だ。修羅を知らぬ男だ。一兆年を越える長い年月、罪人を殺し続けた鬼と戦いが成立する道理はない。
「活きろ、活きろ」
男が鬼の言葉で首を生やす。
彼にとっての地獄は、まだ始まったばかりである。
登場人物が極端に少ない場合、名前という記号はなくても成立するのだなと思うなどしました。
主人公の名前などは次回に回します。