隣の白葺さんはゴミ屋敷に住んでいる   作:金木桂

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 日曜日。

 今日は朝早くに起きて少し運動してからは、積んでる本を消化すべくずっと読書に励んでいた。

 

 平日は夜7時くらいまで働くから中々読書の時間が取れないのが会社勤めの欠点だ。

 通勤時間で読めれば良いのだが、残念なことに横浜から都内へ向かう電車はさながら奴隷輸送船の如くキャパシティー上限ギリギリの輸送量を運んでいて、電車内に一度入れば駅に着くまで身動き一つ取ることが出来ない。座席に座れれば話は別だが、始発駅でもない以上相当な運に恵まれないと席に座るのも難しい。通勤時の満員電車は滅ぶべき文明だ。

 

 午前10時くらいになると隣の部屋がやけに騒がしくなってきた。

 白葺さんが俺の貸した金で清掃業者を呼んだのだろう。部屋間の壁があまり厚くないので4人ほど野太い男の声が聞こえてくる。無事に室内まで清掃の手が進んだらしい。

 

 一先ず事態の解決に向けて前進したなとか考えていると、デスク際の壁紙に黒い点が張り付いてじっとしているのが視界に飛び込んできた。最早何がへばりついているのか説明する必要性はないだろう。

 ……はあ。

 だがまあ、これから好転していくからな。日曜の出だしとしては最悪とはいえ、ここ数カ月を考えるとまだ気は楽だ。

 

 俺はいつも通り処理するとバックに数冊の文庫本を詰め込んで喫茶店へと逃げた。

 

 その日は夜まで外で読書に勤しんだ。

 金はかかったが精神のHPが回復したような気すらする。

 

 家に帰ると久しぶりに虫が一匹も湧いていなくて、ちょっと嬉しい気分になりながらも俺は風呂に入って翌日の仕事の準備をした。

 

 そして始まる平日である。

 月曜から金曜までは仕事だ。

 俺は新卒就活の際に福利厚生や残業時間を軸にホワイト企業へ就職したのだが、企業勤めの性か、社畜化は免れなかった。

 大体毎日家を午前8時前に出て、帰ってくるのは午後8時半だ。毎日大体2時間半残業している計算なので、月換算は40時間程度か。

 

 俺の平日の日々は基本的には淡々と仕事をして、昼に社食をかっくらい、業後はスーパーへ入って適当に安くなった総菜弁当を買ってそれを食べながら発泡酒で流し込む。

 チープな日々に不満が無いかと言えばもちろんある。

 でもこれが歳を取るということだと、社会人二年目にして理解してきている自分もいる。

 大学生までが恵まれ過ぎていただけで、本来生きるというのはこういう平坦で詰まらない日々の繰り返しなのだ。

 

 その一週間の中でゴキブリを見かけたのは二回ほどだった。

 火曜と木曜だ。

 それもどれも迷い込んだのが一匹だけ。このくらいならまだ許容範囲内……まだちょっと頻度は多いが夏場ということを考えると一般的な範疇に収まっている。

 察するに白葺さんのゴミ屋敷は解消され、ちゃんと綺麗に清掃されたのだろう。

 良かった。本当に良かった。

 物陰に潜む黒いアイツらからの解放だ。

 そんな感じで金曜日は祝杯を上げ、ぐでんぐでんに酩酊しながらベッドへと入った。

 

 土曜日の昼頃に来客を知らせるチャイムが鳴った。

 この前ネットで買ったハッカの香料(ゴキ対策に効くらしい。でも注文してから二週間もかかったから無駄になってしまった)かと思って特に確認せずにドアを開けると立っていたのは白葺さんだった。気持ちの問題か、前より良い匂いがする気がする。

 

「あ、あの、お金を返しに来ました……一部ですが!」

 

 そう告げた白葺さんの手には一万円札が一枚と千円札が三枚、それから小銭が五枚ほど握られている。

 なるほど、使ったのは八万ちょっとか。

 

「結構掛かったんですね」

「清掃費用と、あとクリーニングとかで取られてしまって。学割があって助かりました……」

「学割があるんですね」

「ありましたね」

 

 白葺さんは俺の言葉を反芻した。

 まるで片付けが苦手な一人暮らし学生を狙い撃ちするようなキャンペーンだ。

 

「お金、ありがとうございました。必ず返します」

「期日を設ける気はないので、分割でも一括でも用意できたタイミングで返してくれればそれで良いですよ」

「は、はい……!」

 

 力強く頷く。しかし何故か不自然に引き攣った顔をする白葺さんに俺は疑念を抱いた。

 

「因みにどうやってお金を稼ぐ気ですか? アルバイトとか既に検討を?」

「あのー……あはは」

「すみません、答えてもらってもいいですか。先程の言葉の通り、俺は金銭に不自由はしていませんし、これがきっかけで白葺さんが変な道に進むことになったら目覚めが悪いので」

 

 大学生なのだから順当に考えてアルバイトくらいはするだろうと思っていたがどうも違うらしい。

 まさか人に言えない稼ぎ方を考えているわけじゃないよな……?

 例えば犯罪───それこそ闇バイトとか。幾ら他人事であるとはいえ、俺からの借金が原因で犯罪行為に手を染めさせるのは目覚めが悪い。

 

 いや、流石に考え過ぎだな。彼女だってそこまで追いつめられるわけでもあるまいし。

 

「ええと……考え中です……」

「何かアルバイトが出来ない理由があると?」

「恥ずかしながら……お察しの通りです」

 

 アリの巣穴に入るんじゃないかと思うほど小さく縮こまりながら、白葺さんは小さく頷いた。

 なるほどな……。

 

「因みに返済はいつくらいになりそうだとか分かったりしますか? ざっくりとだけ、一応把握したいので」

 

 白葺さんはその言葉に顔を暗くする。

 

「あの……、実はその……」

「はい? どうしましたか?」

 

 言い淀む白葺さんを安心させるように笑顔になりながら、俺は内心で小首を傾げる。

 もしかして既に稼ぐ手段は別に考えているとかか?

 確かに最近は絵を描いたりyoutubeに動画投稿したりして、未成年ながら収益を上げている人間もいなくも無いと聞く。自営業的な稼ぐ能力があるのであれば俺の発言は完全な杞憂かつ要らぬ失礼だったかもしれないな。

 

 しかし白葺さんの影がある表情を見てそんな思考はすぐに否定される。

 多分アレだな。

 順当に良くない話題になる気がする。追及したら長くなりそうだ。

 

「良ければ少しコーヒーでも飲みませんか? 勿論俺の部屋じゃなくその辺の喫茶店で」

 

 そう提案すると、白葺さんは忙しなく手を振った。

 

「い、いえお構いなく! 焼伊波(やいば)さんのお部屋で結構です!」

「……俺の部屋ですか?」

 

 つい眉を潜めてしまう。

 俺としては別に構わないが、女子大生である白葺さんの方が成人男性の部屋に上がるのは嫌がると思ってさり気なく提案したつもりだったのだが。

 そう不思議に思っていると白葺さんは口に手を当てた。

 

「す、すみません、嫌だったら喫茶店でも大丈夫です」

「……まあいいですよ。人を呼ぶことを想定していない部屋ですが、問題無いようでしたらどうぞ上がってください」

 

 俺が部屋へと誘うと、白葺さんは手狭な玄関に入ってきた。警戒心とかないのだろうかこの女子大生。まあ見た感じ、あんまりそういったことに小慣れてなさそうだしな。警戒心が少し薄すぎる。よくこの子の両親も一人暮らしをさせようだなんて思ったもんだ。

 

 部屋に上がると白葺さんはマジマジと部屋全体を眺める。

 間取り自体は白葺さんの部屋と同じはずだ。畳張りのワンルームで広さとしては8畳ほど、脇には防音を兼ねた押し入れ収納が備え付けられており、奥には申し訳程度にベランダがある。あとは普通にキッチンとか風呂場があるくらいで、白葺さん的にも目新しいものはないと思うが。

 

「その、片付いていますね」

「白葺さんと比較すればそうでしょうね」

「あ、あはは……」

「笑うところじゃないですよ?」

 

 マジレスをすると白葺さんは押し黙った。

 普段の俺なら特に指摘しないが、流石に十万円を貸していた身分としては口を噤むことは出来なかった。社会人になってから思うが、十万円は大学生が思うよりも普通に大金である。

 

 俺は電気ケトルでお湯を沸かすと、適当なマグカップを二つ用意してインスタントコーヒーの粉を投入してお湯で溶かした。少し攪拌した後に白葺さんへと渡す。

 

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 マグカップに唇を付けては離しながら、白葺さんはゆっくりとコーヒーを啜るように飲んだ。猫舌なのだろう。

 俺は自分のマグカップを傾けて、半分ほど胃に流し込むと話題を切り出すことにした。

 

「それでは先程の続きです白葺さん。何かお金を稼ぐ手段はあるんですか?」

「あの……今はありません」

「今は、ですか。繰り返しになりますが、いつ頃になる見込みとか分かりますか?」

「……分かりません」

 

 陰鬱そうに顔を伏せてしまう白葺さんを見て少し厳しく言い過ぎたかと考える。

 幾ら金が大事だろうと、目の前の人間を無意味に詰めても意味はない。借金踏み倒しの常習犯とかであれば話は別だが、白葺さんはまだ借りたばかりな上に、俺自身いつ返してもらっても良いと言っているのもある。

 

「すみません、少し言い過ぎましたね」

「いえいえ! こっちこそごめんなさい、何も言えずに……」

「ともかく分かりました。期限を設ける気はありませんが、一旦、社会人になるまで待ちます。留年をしなければ4年後……新卒でお金が無いということを考えれば5年後ですかね。そのくらいに返していただければいいです」

「あの……っ! 違うんですっ!」

「はい……?」

「私、大学生じゃないんです……!」

 

 勇気が籠った素敵なカミングアウトに俺は思考が一瞬フリーズする。

 大学生じゃない……?

 どういう意味だろうか?

 引っ越しの挨拶で自己紹介した時とか白葺さん、確かに大学生って言ってたよな?

 

「実は浪人生なんです! だからまだ社会人どころか大学入学の予定すら見通しが立っていないというか……! それに親からも」

「待ってください。ちょっと待ってください。一瞬時間ください」

 

 俺は堪らずストップをかける。

 これ以上新しい情報を言われても整理が追い付かなくなる。

 

 まず初めに大学生じゃないってことは、白葺さんは最初嘘を吐いていたということになる。

 何のためかと言われれば多分恥ずかしかったのかもしれない。浪人生で一人暮らしすることなんてないだろうし、近隣住民から「203号室の白葺さんって浪人生なんですって~」なんて噂されようものなら非常に居た堪れない。

 するとアルバイトに難色を示していた理由も察しが付いた。

 浪人生がアルバイトなんかしたら親から激怒されるに決まっている。苦学生や、親から浪人するならアルバイトをしろと言われているならともかく、少なくとも白葺さんは親から費用を出して貰ってこの部屋で生活しているみたいだから、アルバイトをしたいだなんて申し出たところで許されないだろう。浪人生であれば勉強第一のはずである。

 

「白葺さん、いま何歳なんですか?」

「……今年で20歳です」

「20歳……ハタチかよ」

 

 つい敬語が外れた。

 しかも年齢的には二浪かよ。

 

「失礼……それで失礼ながら志望大学は?」

「と、東大理三……です」

「本当に?」

「……すみません嘘です。山手大学です」

 

 興味本位で聞いてみると明らかに嘘っぽい言葉が出て来たので、追及すれば横浜市にキャンパスがある私立大学の名前が出てきた。そこそこの難易度はあるが到底二浪していくような難易度の大学ではない。一応言っておけば医学部も無いしな。俺の出身大学でもある。

 

 なんだか本当に訳が分からなくなってきた。

 眉間を揉み解しながら俺は溜息を吐くのを堪える。

 

「白葺さん、つまり貴方は自宅浪人生ってことですね」

「そうなります……ね」

「重ね重ねお聞きしますが親御さんから融通いただくことは難しいんでしょうか?」

「無理……だと思います。両親、特にお父さんが今年で大学受からなかったら二度と自宅に上げないと言っててカンカンで……生活費は送るからそれで何とかしろと」

「なるほど……」

 

 生活費から借金を返せというのは少し酷な話か。

 生活能力が低さを鑑みるに、節制生活とか出来なさそうだしな。

 

 果たして残りの八万円ちょっとをどう返してもらうか。

 見込みが無いとなるとより深く考えざるを得ない。俺は困ってる他人にポンと大金を渡してそのままサヨナラ出来るほど聖人君主じゃないし、金の重さは分かってるつもりだ。

 悩んでいると白葺さんが声を上げた。

 

「あ、あの……提案があるんですけど」

「なんですか?」

「身体で稼ぐ……というのはどうでしょう」

「ああ、成程」

 

 要するに肉体労働で借金を減らしたいってことだろう。例えば毎晩料理を作ってもらうとか、掃除……は任せられないとして、そんな感じで家事を代わりに熟してもらうのはアリなようにも感じられる。

 ……一応言及だけはしておくが変な勘違いはしてないからな。未成年、ではないにせよ年下の女性に手を出そうと考えるほど俺は猿じゃないつもりだ。それに訴えられたら負けるという思いもある。こと性が絡むと男は女に勝てない社会なのだ、今の日本は。

 

 邪な思考回路は表に出さずに、俺は白葺さんが出来そうな肉体労働を考えてみる。

 

「それなら俺の夕飯を作ってもらえると助かりますね。それから洗濯とかゴミ出しとか。やってくれるのであれば俺も神奈川県の最低自給ベースで借金を減額することを検討しましょう」

「い、いえそうじゃなくて……」

「はい?」

 

 白葺さんは躊躇するように俺の言葉を否定した。

 そうじゃないってどういう意味だ?

 

「えっと、普通に性的サービスを……いえ私は本職じゃないので真似事でしかないんですけど」

「論外だしちょっと落ち着こうか白葺さん」

 

 そっちだったかぁ。

 いや自らその方向性の提案とかしてくるか普通?

 自分をもっと大切にしろとか赤の他人に言う気は無いけど、倫理観ぶっとんでるってこの子。

 

「俺は家事をしてもらった方が嬉しいです。掃除を除いて。白葺さんはどれくらい出来ますか?」

 

 変な方向にワープしかけた話を強引に修正すれば、白葺さんは少し悩まし気になりながら顎に手を当てる。

 

「洗濯機があれば洗濯は……。あと料理はレシピを見れば多分、きっと、出来ると思います」

「……洗濯で手を打ちましょう。料理を貴方に任せるのは少し怖いです」

「すみません……」

 

 申し訳なさそうに首をすぼめた白葺さんを見て妙なことになったなと思う。

 まさか社会人になって何一つ代わり映えのしない生活を一生送るかと思いきや、突然こんなことに巻き込まれるなんて。

 

 ともかく。

 事実として、奇妙な経緯で俺は家事手伝い(浪人生)を自室にて雇う運びとなるのであった。

 





衝動的に書いたからあまり考えてません。続きとか諸々を。
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