白葺さんが俺の家に入り浸る日々が始まった。
いや、入り浸るという表現は正しくないだろう。
俺が依頼した時間帯に白葺さんが来て家事をする。
「あの……洗濯を待つ時間まで自給換算されるのは申し訳ないというか」
「俺は待機時間は労働に換算すべきだと思ってます。罪悪感なんて覚えず貰っておいてください」
「は、はあ」
そして白葺さんは本当に洗濯しかできなかった。
一度試しに掃除をさせてみたがてんで駄目だった。分別もやってくれなければ適当なビニール袋にゴミを放り込んで封をしてポイって感じで、この子に掃除を任せちゃいけないなと心底思う。
料理も同じだ。
レシピを見ながらも目分量で調味料を入れたり、野菜を洗わずにそのまま切って鍋で煮込んだり、生活力がゼロな様子が見て取れる。
全自動洗濯要員、それが今の白葺さんだった。
「私、成績が上がらないんです」
二週間ほどそんな感じで週3回程度俺の家に来ては洗濯機を回し、洗濯物を干すという行為を繰り返す日々が続いたある日、白葺さんはそんなことを唐突に宣い始めた。
「成績……受験の話ですか?」
「は、はい……
「もう数年前の話ですから特に大したことは話せないですけど……重要なのは基礎問題を如何に落とさないかじゃないですか。そこまで高難易度な問題が出ることは少ないはずなので、まずは基礎固めが大事かと」
「……き、基礎ですか」
「ええ。そのためにはちゃんと朝起きて、運動も多少はして、それ以外の時間は勉強をして夜に寝る。まだ時間はあるわけですし間に合うと思います」
白葺さんは難しそうに顔を歪めると少し俯いた。
「私……夜型人間なんですけど、変えるべきですか?」
「知りませんよ。それで集中できるのならいいんじゃないですか?」
「集中は……出来てませんけど頭は冴えてます」
「なら辞めたほうが賢明じゃないですかね。そんな馬鹿なことは」
「ば、馬鹿……」
白葺さんは目に見えて落ち込んでいた。
自業自得だろう。
白葺の細い指は英単語帳を捲り始めたが、また口が開かれる。
「ところで、焼伊波さんは何で敬語なんですか? 私は別に敬語じゃなくてもいいというか……敬語を使われる資格なんてないというか……」
年上の社会人からずっと畏まった口調で接されれば気になるか。
でもこれは俺の主義でもある。
「性分です。気にしないでください」
「でも……私より3つ上で社会人ですし……」
「他人に対してはっきり線引きしたいんです。本当に気にしないで結構です」
「そ、そうですか」
曖昧に白葺さんは頷く。
家族でも友人でも無いのに親しげに口を利くのはあまり良くないと俺は思う。ましては相手は女性。要らぬ勘違いを招くことこそ最も避けたい。
「そういえば白葺さん、部屋の方は大丈夫なんですか?」
「へ、部屋ですか?」
「業者を入れてから今日でおおよそ半月です。これでまた部屋が散乱していたら目も当てられませんから」
ゴミ屋敷は業者を呼んで片付けてもらったが、あくまでこれは一時的な対処療法でしかない。同じようなことを生活を続ければ白葺さんの部屋は再びゴミ屋敷化してゴキブリパニックが復刻するのは明白としていた。
そんなことを考えていれば白葺さんは目を逸らす。おい。
「白葺さん、まさかとは思いますが」
「……ま、まだ私の中では綺麗の範疇にあると思います」
「信用なりませんが?」
「うぐぅっ!」
おずおずと口にした言葉に溜息を禁じ得ない。
なにせゴキブリと同居していた人間の衛生基準だ。信頼度はゼロに等しい。
「一応聞きますが足の踏み場はありますか?」
「……。(視線を斜め上へと反らしながら下手な口笛を吹く)」
「嘘ですよね??」
「……。(プルプルと震えながら今度は視線を床へと落とす)」
嘘じゃないらしい。
これには参った。本当に参った。
最悪来月にはまた同じような悪夢の日々が繰り返されるかもしれない。そう思うと気が気でなくなる。
「掃除、何でそんなに苦手なんですか?」
思わず聞くと白葺さんの耳がピクリと跳ねた。
「実家だと私がどうせやらないことを見越して、いつもお母さんがやってくれてて……」
「やり方が分からないわけじゃないですよね?」
「その……やる気が起きないというか……違うんですよ! いつかはやろうと思ってて……!」
「で、そのいつかを待っていたらゴミ屋敷が製造されていたわけですか」
「……負けました」
別に勝ってないが。
むしろ俺も負けているが。主にゴキブリの大群に。
「あの、白葺さんの部屋を見せていただいても宜しいですか? 隣人として、このアパートに住むGの被害者代表として、俺にはその権利があると思います」
「え、えええ!?」
「もちろん強制では無いですし嫌というのならお断りして結構です。無理矢理押し入って警察沙汰なんて俺も嫌ですから」
大袈裟に驚く白葺さんに念のため断っておく。大事な部分だ。
とはいえ。
「まあこれでまた白葺さんがご自身の部屋をゴミ屋敷にしていようものなら、次は大家の方に掛け合ってみますがね」
「……お、脅しじゃないですか!」
「脅しじゃないですよ。ただ白葺さんという人の部屋が臭いし汚部屋すぎるので何とかしてくださいと告げ口するだけです」
「告げ口って言ってますし……あとまだ臭くないです!」
年頃の女性的には匂いは気になるのか強めの口調で訂正された。
てかまだって言ったか?
臭くなったことがあるのか?
だとしたら本格的にどうにかしないといけない気がする。最終手段として白葺さんを引っ越させることも検討しなくてはならないかもだな。
でもそれは心苦しいし、まだ強引な手段に出るのも早い。
「それが嫌なら部屋を片付けましょう。一人で無理なのであれば俺が手伝います」
すると白葺さんは腰を気持ち捻って、緊張した素振りでこちらを見上げた。
「焼伊波さんが私の部屋に……ですか? えっと……それは恥ずかしいです。し、下着とか床に落ちてますし……」
「頬を赤く染めないでください。貴方に可愛い子ぶる資格は無いですよ」
「酷くないですか!?」
「妥当な評価じゃないですか?」
白葺さんは黙った。俺は溜息を吐いた。
見た目は可愛くとも部屋が汚い白葺さんは、俺からすれば迷惑な近隣住民でしか無いのだ。
借金もあるしな。
だらんと捥げかけた人形みたく頷いて了承を露にする白葺さんに、俺はA4用紙を一枚棚から取り出す。
それからボールペンを取って、サラサラと長文を書いていく。
ペンを握るのとか学生時代ぶりだから少し懐かしいな。
「何を書いているんですか?」
書き物をしている俺を見て白葺さんが首を傾げた。
「誓約書です」
「せ、誓約書?」
「面識の無い異性の部屋に入るんです。後々白葺さんがちゃぶ台をひっくり返して、不法侵入だとか本当は怖くて反抗できなかったとか言ってこられても困るので、ちゃんと契約文書を残そうかと」
「し、しませんよ!? そんなこと!」
心外そうに大声を上げる白葺さん。
あ、そうだった。忘れてた。
書面だけじゃ効力が薄いよな。よし。
俺はスマホの録音アプリを起動させる。
「ここからは録音しますので法廷で流れても問題の無い言葉を発してくださいね白葺さん」
「ええ……。今更だけどこの人、変です……」
変じゃない思う。寧ろ変なのは白葺さんだ。うら若き女子学生……じゃなくて女子浪人生にしてゴキブリたちと同居できるその図太さはガンジス川で水浴びをするインド人にも負けまい。
「ではこちらに署名を」
書き終わったA4用紙を白葺さんの手へと渡す。
内容としては大したことじゃない。
・白葺さんの部屋では清掃目的以外の行為は行わない
・白葺さんの部屋で知り得た個人情報は外に出さない
・白葺さんは上記を理解した上で俺の入室を認めることとする
要約すればまあこんな感じである。
文面を見れば分かる通り、本当に掃除だけするから訴訟はするなってことだ。法的拘束力は無いとはいえ、結構ちゃんと書いたので録音と合わせれば互いの合意があったことの証明にはなるだろう。
「乙とか甲とか……ここまで本格的に書く必要性ありましたか?」
「いざという時の保険です」
そう言えば白葺さんの瞳から複雑そうなな心持ちが伝わってきたが無視した。いざという時の備えは重要なんだよ、特に司法の場で立場が弱くなりがちな男はな。
「書けました」
白葺さんから誓約書を受け取る。
……意外にも文字が綺麗だな。流麗なペン使いだ。
「白葺さん、書道かなにか習っていたんですか?」
「実は書道三段でして……高校までは教室に通ってました」
「そうでしたか。道理で文字が生意……繊細で俺は良いと思います」
「ありが……生意気っていま言いかけました?」
「これは預かりますね。では白葺さん、早速ですが部屋を案内していただけますか」
「絶対に生意気って言おうとしましたよね」
無視する俺を不服そうに睨むが、動じないと悟ると仕方なさそうに白葺さんはのそのそと立ち上がった。
字は人を表すとか聞いたことあるけどアレは嘘だったみたいだ。じゃないと部屋も生活習慣もその他諸々も崩壊していそうな白葺さんの字が綺麗であるはずがないからな。