包み隠さず言うのなら、私は「先生」のことが好きだ。
常に広い視野を持ち適切な指示を出す冷静さや、他人を守るために自分の身すら厭わない高潔さ、そして時折見せる子供っぽいところが好きだ。
それは単に頼れる大人として好きなのではなく、異性として彼が好きなのだ。
携帯のアラームが鳴り、約束の時間が迫っていることを告げる。
テントの外はもう夕方を過ぎ、夜になろうとしていた。
私はこれから先生と「デート」する。
と言っても、名目上はぴょんこをいつもと違う公園へ遊ばせに行くだけなのだが。
このことは小隊の皆には言っていない。
皆が先生のことを憎からず思っているのは知っているし、そういう意味で私は皆に不誠実であるのかも知れない。
その後ろめたさが今日まで何度も私を咎めてきたが、その度に恋と戦争ではあらゆる戦術が許されるのだと自分をなだめすかしてきた。
しかしそんな葛藤も今日で最後。
今夜、私は想いを伝える。
それがどんな結果になろうとも、その全てを喜悲こもごも受け入れて、明日に臨む心の準備は出来ているつもりだ。
携帯電話を手に取りアラームを切ると、お天気アプリのポップアップが今夜はスーパームーンだと教えてくれていた。
月が最も近づく日。
月雪という私の苗字に掛けた訳ではないけれど、この大きな満月が他の星々を霞ませている今日ならば、私の告白も上手くいくような気がするのだ。
◆
約束の場所に行くと、先生は既に到着していた。
私たちが拠点にしている子ウサギ公園から歩いて15分程の高台にある、小さな公園。
遊歩道やベンチが設置されているだけの簡素な空間には、遅い時間だということもあって人の気配はない。
そんな場所に、先生は時計の柱にもたれかかって待っていた。
「こんばんは、ミヤコ。時間ぴったりだね」
私に気付いた先生は、普段と変わらない微笑を向けてくる。
「こんばんは、先生。お待たせしてしまいましたか?」
「私も今来たところだよ」
大人な先生のことだから、きっと予定より早く来ていたのだろう。
本当は私も10分前には到着するつもりだったのだが、慣れないグロスを塗るのに手間取ってしまったのだ。
それでも先生は「今来たところ」と言ってくれる。
ベンチで座って待つことも出来ただろうにあえて立っていたのは、後から来る私に気を遣わせないためだろう。
きっと本人はバレていないと思っているだろうが、私は気付いている。
私は先生の優しさになら何でも気付ける自信がある。
だって、この人のそういう部分を好きになったのだから。
先生にお礼を言ってから、ぴょんこを芝まで連れて行く。
ケージの中のぴょんこは眠そうにしていたが、地面に下ろすと茂みの奥へと跳ねていった。
ごめんなさい。
先生と会う口実として付き合わせてしまって。
そして、ありがとう。
私と先生を二人っきりにしてくれて。
先生の元へ戻ると、彼は空を見上げていた。
その先にあるのは件のスーパームーン。
煌々と白く輝くそれは、まるで降ってくるのではないかと思うほどキヴォトスに近づいていた。
だから私も負けじと急接近。
先生の側、いつもの距離より更に一歩踏み込んで隣に立つ。
ほんの数cm。袖と袖とが触れ合うほどの距離。
「本日は来て下さりありがとうございます」
「……気にしないで。私もミヤコが元気にしてるか気になってたし」
返事をするまでに間があった。
普段の私と違う距離感に戸惑っているのだろう。
しかしそれをおくびにも出さず接してくれるあたり、やっぱり先生は優しい。
そんな先生の優しさを利用して呼び出していることに後めたさを感じながら、私も空を見上げた。
「……」
「……」
しばらく沈黙が流れる。
私の沈黙は意を決するために。
先生の沈黙はきっと、何か優しい言葉を探しているのだろう。
「……月が綺麗ですね」
百鬼夜行の文豪が残した、愛を伝える有名な表現。
私の口からそれが出るのを聞いて、明らかに先生が動揺する。
「月はお嫌いでしたか?」
「い、いや。そんなことはないけど……」
先生の歯切れが悪いのは、自分が告白されていることに薄々気付いているからでしょう。
「確かに、月は夜ごとに姿を変える移り気な天体と言いますからね」
今度はトリニティの劇作家が生んだ戯曲からの引用。
そして私は頭上の月を指差して言う。
「空に浮かぶあの月は浮気者かも知れませんがーー」
今度は先生の方を向いて。
「ーー先生のお側にいる『この月』は一途ですよ?」
瞳の中に先生だけを映しながら、私はそう言った。
今日まで色々なことを考えた。
その中でも一番迷ったのは、そもそも告白しても良いのか、ということだった。
私はSRTの隊員として、キヴォトスで暮らす人々の幸せのため、自身が信じる正義のために生きると決めていた。
しかし先生に告白するということは、つまり先生を独占しようとすることだ。
それはキヴォトスで暮らす人々にとってーー特に他の生徒たちにとって、損失以外の何物でもないだろう。
私だって先生が他の誰かのものになったらと考えると、その辛さは痛いほどよく分かる。
ならば、これは人々の幸せを奪う行為なのではないか?
また、それは同じくRABBIT小隊の皆からも先生を取り上げることに他ならない。
苦楽を共にした一連托生の仲間たち。彼女たちが先生に好意を寄せている中で、私だけが先生と結ばれようとしている。
これは、私の信じる正義に反する行為なのではないか?
考えた。
考えに考えた。
考えに考えに考え抜いた。
だが答えは出なかった。
何が正しいのか、結論に辿り着けはしなかった。
しかしその道中で強く認識したのは、やはり私はどうしようもなく先生を好きなのだということだった。
だから私は告白することに決めた。
これは間違った行いなのかも知れない。
それは私には分からない。
だからこそ先生、教えて下さい。
この恋心は全てに優先するのでしょうか?
私は今、正しく在れているのでしょうか?
もし間違っていたなら、どうか正して下さい。
でも、もし間違っていないのなら……。
その時は、どうか私の気持ちを受け入れて下さると嬉しいです。
「……」
「……」
再びの沈黙。
だが、不快な時間ではなかった。
私は先生を見つめて答えを待つ。
先生は私のことを考えながら返事を探す。
月の光に満ちた公園で、この時だけは私と先生の間に月光の入り込む隙間もなかった。
果たして、どれほどの時間が経っただろうか。
惜しいほど短かった気もするし、満ち足りるほど長かった気もする。
先生の表情は分かりやすい。
だから、先生の回答は、言葉にされるより先に分かってしまった。
「ありがとうミヤコ。気持ちはとっても嬉しいよ。……でも、それに応えることは私にはできない。ごめんね」
それだけだった。
私のことが好きではないから?
私の告白が間違った行為だから?
なぜ応えられないのかの説明はなかった。
あるのは感謝と拒絶と謝罪の言葉だけだった。
だがその言葉は、不思議とすんなり受け入れられた。
ある程度 予期していたからだろうか。
あるいはその口調が、悲しさと、厳しさと、優しさに溢れていたからだろうか。
そう、受け入れられたのだ。
これは確かな事実だ。
やけに頭が冴える。
木々が風に揺れる音がひどくはっきり聞こえ、今までうるさいほどだった自分の鼓動がどこか遠くに感じる。
先生が何か優しい次の言葉を発する前に、私が先に口を開いた。
「夜風も強くなってきましたし、そろそろ戻りましょうか。私、ぴょんこを連れてきますね」
これ以上、先生に迷惑は掛けられない。
私は先生に背を向けて、芝生に向かって歩き出す。
不自然ではない範囲で出来るだけゆっくり、なるべく時間を掛けて。
「ぴょんこ。ぴょんこー。どこですかー?」
ぴょんこを探しながら、半分冴えた頭で理解する。
そうか、私、振られたのか。
先生の言葉はすんなり私の中に入ってきた。
しかしそれを紐解いて、意味するところを理解したのは今だったようだ。
その単純な事実に気が付くと同時に、様々な感情が私の内から湧き出してきた。
告白が受け入れられなかったことへの悲しみ。
理由も言わない先生への無責任な怒り。
しかしその口ぶりの中に確かに感じた優しさへの安心感。
自分がそんな優しさに頼り切りになっていることへの悔しさ。
その他に未練やら克己心やら不安やらやるせなさやら。
それらの感情をどう整理すれば良いのか私にはまだ分からなくて。
でもこの場で泣き喚く訳にもいかなくて。
茂みを覗くふりをしていると、涙が溢れた。
慣れないグロスが流れて落ちた。