その日のゲヘナは朝から騒がしかった。
いつも通りといえば聞こえは良いが、全く嬉しくないのは風紀委員たちの共通認識だ。
深い隈を刻み込んで、疲れと呆れと諦めがドブ川みたいな色に混じり合った目付きの風紀委員長から申し訳無さそうに頼まれた
現場への道すがら、風紀委員が保有する緊急車両の後部で、行政官にして友人のアコから通信で聞いた限りでは次のような状況だという。
──悪名高い温泉開発部が
──郊外の廃墟区画で行われた犯行のため人的被害はないものの、建物の倒壊が複数発生して混乱が起きている。
──付近にいた人員を派遣しての鎮圧作戦が先んじて進行中である。
ここまで聞いて、イオリは変わり映えしないゲヘナのカオスに溜め息を吐いた。温泉開発部が事を起こすのはこれが初めてでも何でも無く、むしろ数えることすら億劫になるレベルだ。
だが簡素なブリーフィングの終わり際になって、アコは妙なことを口にした。
「イオリ、これは未確認情報なのですが……」
「ん? 何かあったのか、アコちゃん?」
「第三勢力の介入があったとの報告がありました。それ以上の続報が無いので不確定ですが……一応、用心してください」
妙な話だと思った。
敏腕の行政官として注意深いのは何らおかしなことではないが、普段のアコなら溜め息混じりで「いつも通りさっさと片付けてください」と済ませるところだ。
見慣れた朝に混じる、いつもと違う色。
「……先行中の全隊員へ。こちらイオリ。間もなく現着するため、緩やかに後退しつつ合流せよ。繰り返す、後退しつつ合流せよ」
消耗した戦力の撤退と増援による攻勢。無線のマイクに向かって慣れた様子で指示を飛ばすイオリだが、一向に応答がない。
二度三度と呼びかけ直しても変わらない結果に、揺れる車内から双眼鏡で現場を覗き見た。
「なっ……!?」
静かなものだった。
崩れた建物の瓦礫が積み重なり、道路が抉れているのを除けば、平穏そのもの。火の手が上がることも、温泉開発部の得意な掘削用爆薬が爆ぜている様子もない。
そんな静寂の中でただ一人、
「──おい、もっとスピード出せ!」
時間を少しだけ巻き戻そう。
「ハーッハッハッハッハ! ご機嫌よう風紀委員の諸君! こんな朝からご苦労さまだね、キミたちの忠誠心にはまったくもって驚かされるよ!」
「──やかましいッ、お前らが大人しくしてたらこちとらあと30分は寝てられたんだよ!」
バリバリという銃声の多重奏がけたたましくその場を塗り上げる。
少数ながら集まった風紀委員の部隊に対して、事前に扇動と準備を重ねて集めた温泉開発部の生徒たちは多数。倒壊した建物の瓦礫を遮蔽物に、互いに頭を出した相手を撃つ物騒なモグラ叩きが進行中であった。
「ひゃっはァっ! 多勢に無勢だいっけぇ! あったかバスタイムの邪魔するやつはぶっ潰せ!」
「あ。ちょっ、グレネ──」
ズドンっ、という炸裂音と共にヘルメット姿の不良生徒が二人ほど吹っ飛んだ。
普段から訓練を重ねて協調する風紀委員に対して、温泉開発部の部長にしてブレイン──
なんだかんだで多数と少数による拮抗状態が出来上がっていた。
(むぅ……夜なべして掘削と敷設を進めた特製を起爆する前に気付かれるとは、やっぱり睡眠不足はいけないか)
少しずつ押されつつある現状に、カスミは歯噛みした。
用意した爆薬は多量。緻密な測量と計算の上で起爆すれば、あとはそれだけで目当ての温泉が掘り当てられる算段であった。が、それを目前にしての横槍である。
削った睡眠時間を、神秘の宿ったゲヘナの源泉掛け流しで癒やせばプラマイゼロどころかプラスだろうという狙いが、このままでは崩れてしまう。
「──部長~! 設置終わったよ!」
「おおっ、よくやったぞメグ! 実に良いタイミングだっ!」
どうやら天はカスミを見捨てていなかったらしい。
崩れた廃墟を乗り越えて顔を出したのは、燃えるような赤髪の泥んこ少女、
彼女の力強いサムズアップを見届けたカスミは笑顔でヨシ、と呟いてから、身に纏った砂埃まみれの白衣の胸元から何かを取り出す。
「親愛なる同志諸君! たった今発破の準備が整ったぞ! 皆で固唾を呑んで起爆を見守れないのは大変心苦しい限りだが、無事に温泉が掘り当てられた暁には源泉掛け流しで共に癒やされようではないかッ!」
それは手のひらサイズの棒状の機械だった。片方の端に分かりやすく赤色で取り付けられた物はスイッチ──要するに、無線式の起爆装置だ。
カスミの類稀なる頭脳と豊富な知識による計算尽くの発破だ。一度起爆されれば確実に源泉が存在する場所まで破壊を届け、温泉開発部の皆を温泉のところへと導くだろう。
だが、この計算に「安全」という項目は存在しない。更に言えば「周辺被害の軽減」も。
詰まる所、現在進行系で戦闘中の温泉開発部で志を同じくする生徒や、対する風紀委員はおろか、カスミ自身までも巻き込みかねない威力ということ。
風紀委員にさえ察知されなければ全員で退避してから起爆し、夜明けと共に間欠泉の如く噴き上がる源泉を眺める算段だったわけだが、今ここでそれをすればどうなるか。
「なにっ!? 全員カスミを撃てッ! アイツに起爆スイッチを押させるなァ──ッ!」
カスミの行動に気付いた風紀委員の一人が叫ぶが、もう遅い。味方に指示が伝わるよりも、カスミの親指の方が先に動けるのだから。
「──いいや、『限界』だッ! 押すねッ!」
──かちっ。
そんな小さな音が聞こえるくらいには、その場の全員が攻撃をやめてカスミの手を注視していた。
「…………ん? あれ?」
──かち、かちかちっ。
ダメ押しの3連打。だが、一向にスイッチが役目を果たす様子はなかった。
静寂から一転、場は困惑に包まれる。その中心に立つカスミの頭から無数の疑問符が湧き立っているのを誰でも幻視出来たほどに。
そんなときだった。
「──あら、あらあら」
やたらと響く女性の声だった。
透き通るような美声を機械に通してブレさせたかのようなそれは、その場にいた全ての生徒に等しく聞こえた。
「事情ハ存じ上げ
赤みがかった金髪を背中でエビフライみたいに纏めた、とんがり帽子に眼鏡の女性。帽子の天辺にはボンヤリした光が灯っている。
大人らしい柔らかい笑みを浮かべる彼女は、まるで最初からそこにいたかのような自然さで戦場のド真ん中に立っていた。
「誰だコイツ……風紀委員会の応援か?」
「知るかよお前らの側じゃねえのか。というか、いつの間に現れた……?」
場を埋め尽くす困惑がその色を変えた。
いきなり現れた第三勢力。温泉開発部も風紀委員会もそんな人物は知らないし、互いに互いの味方だろうと銃口を向けた。
「ど、どなたかな? 温泉の噂を聞きつけて来たなら、ご覧の通りまだ工事中でね。また後ほどご足労いただければと思うんだが……」
(いやいや待て待てどうなっている?? 爆弾は起爆しない上に、いきなり人が現れた? メグのことだ設置ミスも断線もあり得ないとして……ジャミングか? 目の前の誰かさんとの関係は? 駄目だ、思考が追い付かない……!)
困惑を押さえつけながら引き攣ったような笑みを浮かべるカスミの脳内では、情報と困惑の嵐が吹き荒れていた。後ろ手で起爆スイッチをカチカチ鳴らしている音が周囲に聞こえていることにさえ考えが回らない程度には、余裕がない。
そんな彼女を他所に、メガネのエビフライ女はわざとらしく額に手を当てて周囲を見渡した。
「うーん。どうにも工事現場ト言うより戦場ノ方ガ近い雰囲気ニ見え
何度見返しても視界に入るのは、倒壊して瓦礫の山と化した5階建てくらいのビルが数棟。その中心は不自然に整地された上で大穴が空いている。
逃げ遅れたり下敷きになった人はいないが、代わりに瓦礫の影から銃口と顔を覗かせる子供たち。
いやあ気の所為じゃないかなあ、とシラを切ることを試みるカスミの頬を汗が一筋撫でた。
この相手は、多分ヤバい。平生より爆破が趣味のカスミだが、その経験が告げている。
だが、その真偽を穏便に確かめる間もなく状況は動いてしまった。
「工事現場に入るなってママに倣わなかったのかよ! どーせ邪魔モンだ、お前ら撃っちまえ!」
「……先んじて退避勧告はしたよな? ならこの状況で後から入り込んできた時点で規則違反者、温泉狂い共々牢屋にブチ込んでやれッ!」
奇しくも全会一致。朝っぱらから寝不足で戦う彼女らに深い思慮を求めるのも酷であろうか。
果たして、温泉開発部と風紀委員会の双方から鉛弾と榴弾の嵐が赤髪の女性に殺到した。
「こういう方向ノ
ぱちん。
女性は胸の前で柏手を打った。
たったそれだけで、飛来した銃弾も榴弾もその時点で真下に落下し、更には押し込まれるようにして地中にめり込んでいく。圧壊してしまったのか、榴弾は爆発すらしなかった。
「え? ええっ?」
時間が止まったかのように静かだった。
自然と自分の口から漏れた驚きの声で、世界はまだ動き続けているのだと理解したカスミの方へ、とんがり帽子の女性は歩み寄ってくる。
「い、いやあ、ウチの部下が失礼したね。これは不幸な行き違いに違いない。こちらとしては工事が進められればそれ以上は望まないんだそういうことだから今だけはこの場から離れてくれればというか歩く方向が逆じゃないかなあっ!?」
「
スタスタという等速の歩みが止まらない。
突然現れては場を支配して近付いてくる謎の女性を前に、膝をガクガクと大爆笑させているカスミの思考速度は寝不足の重荷を無視してトップギアであった。
(──そ、そうだ、地雷! 遠隔で起爆すれば足止めくらい)
掘削用の無線のスイッチとは別に、反対の手を白衣のポケットに突っ込んだカスミは、確かな手応えを掴む。
事前の準備として、事の首謀者たる自分は掘削予定地から離れた場所に立つつもりであった。つい先程のように風紀委員がやってくるのは日常茶飯事だし、真っ先に狙われるであろう自分が離れておけば邪魔が入るリスクを減らせる。
そういう策もあって、計算尽くで決めたこの
地雷は無線でも起爆可能だ。この赤髪の女性が真上に来たタイミングでスイッチを押せば、後は火薬が仕事をしてくれる……とカスミが指に力を込めたところで、再びロボっぽい美声が響く。
「ひい、ふう、みい……地雷ハ全部デ19個でしょうか?」
「えっ何で気付い──」
カスミは即座にスイッチを押す。だが、うんともすんとも言わない。
メグの設置したものと同じ結果。だがこちらは自分で確実に起爆できるよう確認したはずだった。
にもかかわらず。
「
他ニ何かあり
それは子供の患者を怖がらせないように説明する医者のような口ぶりで。
赤髪眼鏡のとんがり帽子女は、柔和な笑みを浮かべながら、顔の横で忠告するように人差し指を立てた。とんがり帽子の先端にぼんやり灯る光も、それに合わせてか三角マークに形を変えている。
「……ひっ」
温泉開発部のブレインたるカスミにとって、普段から権謀術数に口八丁手八丁はお手の物だ。追い詰められることは数あれど、その場の環境や条件を上手く利用して逃げ
これこそが彼女の悪名を轟かせている理由の一つなのだが、そんな彼女にとって苦手なのが実力行使である。
武力で物を言う不文律がまかり通るゲヘナにおいて、腕っぷしも戦闘技術も心許ないカスミはどうしても正面衝突を避ける他無い。
そのための扇動や甘言といった話術なのだが、では、それが通じない相手はどうか。
つまり、カスミのことを欠片も侮らず。
つまり、カスミの言葉にマトモに取り合うことがなく。
つまり、カスミの張り巡らせた罠に引っかかることもなく。
つまり、全部の権謀術数を力で真正面から突破してしまうような。
そういう「怪物」こそ、カスミの天敵なのである。
「ひっ、ひえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……!!」
ただ、徒歩で近寄られただけで。
尻餅をついて半泣きのカスミの前に、
「
15分ほど進んで、現在。
緊急車両を飛び降りて現場入りしたイオリが見たのは異様そのものだった。
「な、何だこれ……」
実に静かだった。
銃声も瓦礫の崩れる音も一切しない。見慣れたゲヘナのカオスとは似ても似つかない光景だ。
それもそのはず。現場にいたすべての生徒は、その場に横たわって寝ていたからである。
何よりも奇妙なのは、生徒たちの下に敷かれた白い綿のようなものがその身体を持ち上げて、地面から50cmくらいの中空に浮かべていたことだった。
イオリはその内の一人、黒い制服に身を包んだ風紀委員の横に立つ。
その胸は小さくゆっくり上下していて、口元に手を翳してみれば温かい寝息が当たった。
(息はある、のか……ホントに寝てるんだ。というか、何だこの白いの……綿というより、雲?)
とりあえず生きているらしいことに安堵しつつ、イオリは綿のようなマットに触れてみる。
感触はほとんどない。少し指先が湿り気を帯びたように冷たくて、例えるなら夏場のミストが手に掛かったときみたいな。
続いて、周囲を見渡した。
敵も味方も、みんな寝ている。いっそのこと平和ボケと言ってしまいたい景色の奥に──────いた。
「あんたの仕業か、この妙ちきりんな状況は」
「
長い赤髪を背後でエビフライめいて纏めたとんがり帽子の女性が、にんまりと柔和な笑みを浮かべている。
ビビッドカラーの競泳水着みたいな服に、ヒラヒラした袖とパレオを取り付けた妙な装い。
移動中に双眼鏡越しに見たそのままがそこにいた。
一見するとおとぎ話に出てくる魔法使いみたいな格好だが、さて、そういう子供向けの物語に、よくよく見るとドギツいファッションを出して良いものだろうか。
イオリは得物に手を掛けている。
「……何をした?」
話が通じる相手か、まだ確信できない。
だから質問も短くシンプルに。
「どうにも、皆さん寝
ともすれば保健室の養護教諭みたいな柔和な口ぶりで、イオリも一瞬納得してしまうところだった──ここがつい半刻前まで鉛弾飛び交う戦場でさえなければ。
寝不足そうだったから、全員まとめて寝てもらった。
砂が付くといけないからちょっと地面から浮かせて。
丁寧に敷き布団(?)まで用意して。
……一体、どうやって?
直感なんかに頼るまでもなくイオリは確信する。
この女、マトモな手合いじゃない。
「あんた、何者だ?」
警戒と怒気を込めたイオリの問いに、とんがり帽子の女は変わらない笑顔のまま、パレオの裾を摘み上げての優雅なカーテシー。
「己ハ、アンナ=キングスフォード────ただノしがない魔術師でござい
「黄金」の傑物たちの師にして、知の大女神。
もう一人の達人、アンナ=キングスフォードがゲヘナに立つ。
・人払い
許可の無い人間を発動した領域から自然に遠ざける魔術の一種。公に魔術を秘匿したり、無関係な市民の保護を目的として用いられる魔術師たちのエチケットにして基本的な技術でもある。
達人の手にかかれば群衆の中にあっても自分一人を全員の意識から遠ざけ、遠隔起爆装置の存在そのものを覆い隠して機能を封じることも出来てしまう。
魔術師に必要なのは基本。仰々しい道具や土地を用意せずとも、答えはその辺にありふれているというのに。
というわけで二人目の達人もゲヘナ入り。
原作でアンナ先生が普通の子供と触れ合ってるシーンが無かったので完全に妄想ではありますが、困ってる子には"圧倒的"に優しいんだろうなと。
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