自称「魔術師」。実に怪しい肩書である。
それを学生ながら警察組織に近い役割の人間に名乗るのだから、イオリからすればそれだけで相手が普通でないと判断するには十分だ。
「……私はゲヘナ学園風紀委員、
名乗られたから自分も返す、というよりは、様子見に近い。ここゲヘナ学園の領域内で風紀委員と相対することの意味が分かる相手なら、多少は物怖じするものである。
しかし、目の前の赤髪トンガリ帽子女はこてん、と首を傾げて。
「学園、ですか? 己ハここ暫く学び舎ノ類にハ通っており
学ぶことハ何時でも始められるというのモ事実ですけど、と柔和な笑みを崩さないアンナ。どうにも話が通じていない。
「じゃ、じゃあ、何処から来た?」
「表現ニ困るところではあり
(地獄って何だ? 言葉通り? それとも規則違反者が使う何かの隠語か? あぁダメだこういうの、アコちゃんかヒナ委員長に頼りっきりだったから分かんない……)
未知との遭遇。
内心で頭を抱えているのを必死で隠しているイオリは、一旦は話が通じていることを根拠に本題に入る。
「……その、私たちはそこで寝ている生徒たちの回収に来たんだ。あなたが寝かせたらしいが、起こしてくれと言ったらできるのか?」
「
特別、何か動作があったわけではなかった。
にもかかわらず、周囲の雲ベッド──イオリが何となくそう名付けた──の上で寝ていた生徒たちは、風紀委員も温泉開発部も別け隔てなくゆっくりと目を覚ましたようだった。
「ふぁ……なんかすっげーよく寝た気がするな」
「なあ、そこの風紀委員……今、何時?」
「え? 何時って……うわ、さっきから15分しか経ってない──あっ、イオリ隊長」
仮眠は15分程度が良いらしい、と
お目々パッチリで起き上がる生徒たちを、アンナは変わらぬ笑みで眺めている。一眠りすると色々リセットされるのか、半刻前まで銃撃戦を繰り広げていた者たちとは思えないほどに雰囲気は和やかだ。
その中には勿論、カスミも含まれていて……。
「んん……やあおはよう、誰かと思えばイオリちゃんじゃあないか! キミまで出てくるとは相当の事件があったようだね! 実はついさっき私も温泉を求めて掘削を進めていたら不思議な光景を目にしてね、実に信じられないような光景だったんだが、いや何を言いたいかと言えば寝不足での作業は効率の低下や幻覚の発症を招くからこんな朝早くから出張らずにもう一眠りした後に動いたって遅くはないんじゃな──」
賑やかにも起床直後からフルスロットルの話術でイオリを帰らせようとするカスミだが、途中でぶった切られるようにして言葉が止まる。
──いた。
夢じゃなかった。
あかい、あくま。
「ひっ、ひえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……!!」
再びアンナの姿を目にして半泣きになるカスミ。
アンナが彼女に何をしたのか知らないながらも、「あ、この人カスミが怖がるタイプなんだ」と、イオリはキョトンとした視線を向けた。
「あらあら、もう
「ひいいぃぃぃ……」
100%の善意でビクビク震えるカスミの背をよしよしと擦ってやるアンナは、自分がその原因であることに気付いていないようだ。
そんな様子を眺めるイオリは小さく咳払いをして注目を集めると、口を開いた。
「とりあえずカスミ以下温泉開発部メンバーは護送、アンナ……さん? はとりあえず風紀委員で事情聴取と今後の話をするということで良いですか」
「
「それは良かった。見ての通り、ああいう荒っぽい生徒が多いんです。こうしてスムーズに事が進むことなんていつぶりか……」
「
イオリがちらりと周囲を見渡すと、続々と到着した護送車から風紀委員が降りてきて、寝起きの温泉開発部員たちを連行しているところだった。一眠りした後ということで暴れる生徒はおらず、このまま行けば10分足らずで自体は収拾されるだろう。
仕組みは知らないが恐ろしい力の持ち主だ……。イオリはカスミを抱きしめるアンナに視線を向けた。
そんなときだった。イオリには一瞬、周囲が少しだけ暗くなったように感じた。
(なんだ、気の所為か? いや────ッ!?)
直後、重いものが落ちたような音と衝撃がイオリの足を震わせた。急いで周囲を見渡せば、目立つ赤色のエビフライヘアを後ろでまとめたアンナが右拳を天に振り上げている。丁度、アッパーカットを虚空目掛けて打ち込んだときのような。
そして、そのアンナの視線の先──砂埃の中から、真っ黒い塊が動いた。
「GYARURUAAAAAA────!」
体高は2mよりも大きいだろうか。
朝の日差しをぬらぬらと反射させる体表はコールタールやラテックス生地のようにドス黒く液性の光沢を持っていて、それは四つ足の獣の姿を取っていた。
首から生えた頭は犬のような形のものが3つ。純白の牙を剥きながらその場の生徒すべてに敵意の籠もった視線を撒き散らす。自然と、生物的な直感として背筋に冷たいものが走った。
そして、トドメとばかりに大きく悍ましい叫び声を上げる。こんな存在をなんと呼ぶべきか、変な修飾語なんていらない。バケモノだ。
「──あらあら」
恐怖と緊張に支配された静寂を破るように、アンナが口を開く。
「冥府の番犬たるケルベロス……未来ある子供たちノいる場所ニ似つかわしく
縮こまったカスミを立ち上がらせて、とんがり帽子の鍔からぶら下がったアクセサリーを指で弄りながら、アンナは一歩前に出る。
そこからは一瞬だった。
「GARU──!?」
再びアンナが拳骨を虚空に向かって振り下ろす。それと呼応するように、今まさに襲いかかろうと口を開いたケルベロスの3つの頭が、まとめて一気に地面に叩き付けられた。
誰にもその理屈は分からない。ただ殴るフリをするだけで、自分よりも大きな相手が打ち伏せられるなんて。
「お逃げなさい。あれノ面倒ハ己ガ見ます
のたうち回るケルベロスを見据えながら、アンナは背後の生徒に呼び掛ける。先程までの柔和な雰囲気はまるで感じられない、冷たい声。どちらかといえば怒りに近いだろうか。
だが。
「いいや、貴女こそ逃げるべきだ。風紀委員として秩序の乱れは見過ごせない──先行隊は負傷者を収容、後続隊は撃ち方始めェッ!」
イオリを始めとした風紀委員による攻撃が始まる。平時からの訓練の賜物か、イオリの指示通りに風紀委員の各々が動いている。先の温泉開発部との戦いで消耗した者は救護と収容、それ以外はケルベロスの身体に満遍なくアサルトライフルやグレネードを叩き込んでいった。
「おいっ、銃返してくれ」
「ナニする気だ!?」
「アレ叩く以外にねえだろ。こちとら必死こいて温泉掘ってたんだよ、あんなのに荒らされちゃたまらねえッ!」
「お前……」
護送車への収容が進められていた温泉開発部の面々も勝手に攻撃に参加し始めた。自分の銃を取り返したものもいれば、風紀委員の制式装備を拝借するものなど様々だ。
統率の取れた集中砲火に重ねての乱雑な弾のバラ撒き。巨躯のケルベロスには効いているらしく、嫌がるように頭や脚を振る仕草を繰り返して動きが鈍った。
だが。
「──おあッ!?」
「ちっ、視界が……!」
大気を引き裂くような音と共に、射撃のために固まった風紀委員たちの居場所で砂煙と轟音が暴れる。相手は巨躯の怪物。適当に暴れて砂礫を撒き散らすだけでも、そこには致命的な威力が宿る。
砂煙が晴れると、そこには風紀委員を庇うように巨大な岩がそびえていた。今しがたまで存在しなかったものだ。
「銃弾でハ有効ながら威力
アンナは目を細めた。
先んじてケルベロスを吹き飛ばした魔術──霊的蹴たぐりは、端的に言えばパントマイムを相手に信じ込ませるものだ。殴るジェスチャーをして、相手が殴られたと思ってしまえば、実際その通りに相手が殴り飛ばされてしまう。術者のイメージした威力を相手に押し付ける、
達人らしく裏技でその威力を何千倍にもブーストして放ったそれは、アンナの意図に反してケルベロスの巨躯を破壊するには至らない。威力において大きく格を下げる生徒たちの銃撃の方が、肉体に傷を付けるという点では有効ですらあった。
「イオリ、他ノ皆さんヲ連れてお逃げなさい。己が時間を稼ぎます」
射撃の音というのはどうしても大きく、意識まで敵に集中しているイオリにアンナの声は届かなかった。いや、声を届けるだけなら幾らでもやりようはあって、その先のイオリの心に他人の声を聞いている余裕がなかっただけ、というのが正確か。
見回せば、カスミはメグに引っ付いて逃げ道を探っているし、他の温泉開発部員はバラバラの位置から射撃を繰り返している。自身の魔術が効きづらい以上、色々試して打倒の手段を探りたいところだが、守るべき子供たちがこうも近くで散らばっていると、巻き込まないことを優先せねばならない。
その時だった。飛ばした砂礫で薄まった弾幕の隙に、ケルベロスが飛び出した。
狙う先は手近な生徒──ではなく、そこから離れようとしていたカスミとメグ。何かを狙って襲いに行ったというよりは、適当に飛び出した後から目標を定めたような趣だ。
即座にアンナは虚空に指を滑らせた。蟹座、牡牛座、魚座……水と土に関わる星座のシンボルを描くと、その人差し指にどこからともなく水が集まってくる。
そのまま指を真っ直ぐ空中へ向けた。
空気が圧搾される。
指先から伸びた水のビームが、ケルベロスの3つの頭を横から団子のように貫いて、中心から抉るように消し飛ばしていく。重心が狂ったケルベロスは、そのまま近くの建物の残骸に突っ込んだ。
「す、すげえ。やっちまった……」
「あの赤い髪の人……隊長と話してたが一体何者だ……?」
ガラガラと崩れる瓦礫の音に変わって周囲の生徒たちは静まり返った。手持ちの小銃がオモチャに思える超威力を眼の前に、誰も驚きを隠せなかったのだ。
だが。
「──ひぃっ!?」
アンナが立ち昇る砂煙に突っ込んだ刹那──再び大気が震えて、一気に周囲が晴れ上がった。
「……あまり、この身体ハ肉体労働にハ向か
乱雑に、しかし悍ましい怪力で持って振り下ろされたケルベロスの腕を受け止めるアンナの姿が底にあった。つい先程消し飛ばされたその頭はわずか30秒も経たずに元の木阿弥に再生していて、それぞれがアンナへ忌々しそうに唸っている。
二度三度と爪の生え揃った腕が押し込まれるたびに、アンナの身体はじりじり押し込まれた。
その後ろで尻餅をついたカスミと、それを横から抱き締めたメグが震えていた。がちがち、というのは歯が鳴っている音だが、当人たちに自覚もそれをする余裕もない。
一方で、ミシミシ、と何かが軋むような音をカスミの耳が拾った。普段から工作に力を入れる彼女には、それが機械の関節が立てる音で、しかもそれがアンナの肘からであることが分かった。
早くお逃げなさい、と背中で語る達人に、カスミは考える。
言われた通り逃げてしまうのは全く問題ではない。今までだって、襲い来る風紀委員たちを部下に任せて脱出し、後で合流しようなんて言いつけて来たことは無数にある。
実際、今からでもメグと安全に逃げ
だが、本当にそれで良いのかとも思う。
脳裏に浮かぶのは在りし日の記憶。雪に埋もれた自分に温泉を教えてくれた赤髪の彼女と、その温もり。今は怯えて自分に抱き着いてきているが、そんなことはカスミにとって重要ではない。
今度はどうだろう。見たことも聞いたこともない怪物を相手に、あの日とは別の赤髪が自分たちを救おうとしている。いっそ気味が悪いくらいに下心が感じられない、混じり気無しの善意。
そこまで考えたら、答えはとっくに決まっていたことに気付いた。
意を決するカスミの白衣、そのダボダボに余らせた袖から紐付きの何かが飛び出す。
「GURUA──!?」
通信という概念において、無線が有線より信頼性を持つことは有り得ない。何かの要因で言っていることが通じずとも、例えば直接肩を叩かれたら、相手が何かを伝えたそうにしていることは理解できる。
アンナが人払いの応用で無線起爆装置から通信のための言葉を奪ったのに対して、カスミは即席で作った有線式の爆導索でそれを補った。0と1、ONとOFF、起爆するか否か、結局は単純な2値で表現できるものを伝えるのに、言葉である必要はない。
誰だって背後で癇癪玉を鳴らされたらこうもなるだろうか。驚愕の余りケルベロスがその後ろ脚をビクリと跳ねさせた。
アンナの腕に掛かる暴力がふっと消えたのを見計らって、カスミは彼女とメグの手を引っ張り、不格好にも走り出す。
「ひょあっ!?」
「お逃げなさいト言ったはずで──」
小柄なカスミの足は決して速くない。すぐに歩幅で追いついたアンナにメグ共々横抱きに担がれたまま、カスミは叫んだ。
「手ならあるッ!」
火薬と魔術の手を取って。
地獄の巨獣を討ち倒せ。
・星座の魔術
占星術の基本とは、7つの惑星と12の星座に種々の属性や象徴を割り振り、それらが自分や世界とどう重なり合い関係を持つのかを紐解くことである。
天に刻まれた黄道十二宮には、4種の属性の他に活動宮、固定宮、柔軟宮の
今日のラッキーアイテムはウォーターカッター。悪縁をバッサリ斬ってしまいましょう。
ヨハンはネームド生徒との協力が少なかった気がしたため、アンナにはカスミ&イオリの犬猿コンビと一緒に戦ってもらうことに。
魔術師としては最強格のアンナですが、正体不明の相手におっかなびっくりの戦いを強いられています。敵の打倒よりは生徒の安全が優先なので、今のスペックはちょっと控えめ……。
書き溜め分は一旦ここまで。
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